ミスカの憂鬱
鳥の鳴き声が鼓膜を揺らす。
目を開けると、空が見えた。
快晴だ。外で寝た記憶はないが。
ラスク城の客室で寝たはずだが。
起き上がると、芝生と木々がそこかしこにあった。
どこだっけ、ここ。
「……必死になって馬鹿みたい」
背後から聞こえた声に、俺は振り返った。
そこにいたのはミスカだった。
椅子に座り、優雅に紅茶を飲んでいる。
微風に金髪をなびかせていた。
「ああ、ここは神域か」
「そんなことはどうでもいいわ。まだ、諦めないの?
どう考えてももう終わりなのに」
俺は立ち上がると、ミスカのところまで移動した。
「まだ希望はあるだろ。おまえが言ったんだ。竜神を倒せば、力を取り戻せるって。
そうしたらこの状況を覆せるんだろ?」
「確かに、ミスカは竜神に力を奪われたわ。
竜神を倒せば、人類の脅威はなくなるし、あんたを元の世界に帰すこともできるわ」
「だったら」
「そんな簡単だと思う? ミスカだって……戦ったわ。
でも負けたの。負けて、力を奪われた。
そして必死で逃げて、今はこんなところに隠れることしかできない。
ねぇ、わかる? ミスカが負けた相手に、あんたが勝てるわけないじゃない!
たかが人間が、神を殺すなんてできるわけ……ないじゃない……」
ミスカは俯いて、唇を噛みしめた。
それは明らかに、自暴自棄になっているという顔には見えなかった。
「本当は諦めたくないんだろ?」
「当たり前じゃない! この世界は神様が愛した、世界なのよ!?
ミスカだって、救いたい! でも、もうどうしようもない。
だからせめて、少しでも安らかに終わらせようって思ってるだけ。
人類が滅んだら、ここもすぐに見つかるわ。ミスカもすぐに死ぬんだから」
俺は椅子に座り、真正面からミスカを見つめた。
「可能性はゼロじゃない。確かに絶望的だ。でも、まだ終わったわけじゃない。
俺達は生きてる。おまえも。だったら、最後の最後まであがくべきだ」
「無駄よ! 無駄なの! どうしようもないの!
あんたにわかるわけない。ただの人間にわかるわけ」
「俺は神を殺した」
ミスカは驚愕の表情で俺を見た。
俺はその視線を受け止める。
「あっちの世界の神、聖神は人を弄んでいた。人を滅ぼそうとし、俺達は絶滅寸前だった。
こっちの世界と変わらなかった。それでも俺は諦めなかった。そして神を殺した」
「嘘、そんな力はあんたにはない」
「そう、今の俺にはないな。神を殺す時、かなりの力を使ったからな」
「ふん。それが嘘か本当かなんてどうでもいいわ。
どっちにしてもあんたには竜神に対抗するような力はないじゃないの」
「かもしれない。だけど、力がまったくないわけじゃない。
神を倒したという実績と今の力、仲間達、それと……おまえだ」
「力を貸せって言うの?」
「そうだ。竜神について、竜族の本拠地について、色々と知っているだろ?
それを教えてくれるだけでもいい」
「諦めるつもりはないのね?」
「諦めるつもりなら、ここまで来てない。とっくに諦めてる」
「馬鹿みたい……どうせ死ぬのに」
諦観の面持ちで呟いたミスカだったか、彼女の瞳にはまだ感情が残っている。
それは執着だった。
きっと心の底では諦めたくないはず。
「いいわ、教えるくらい別に構わないもの」
「助かる」
「竜神自体は力がないわ。見たことはないけれど、とても弱いはず。でも特別な力がある。
存在自体が竜族全体に力を与えるの。竜族が強いのはそれが原因よ。
だからあんたが言ったように、竜神を倒せば、竜族は滅ぶわ」
「竜神自体は弱いんだったら、倒すのは容易じゃ?」
「確かにそうね。でも問題は竜神じゃない。四体竜将よ。
あんたはラクシーンと戦ったわね? あいつよりも更に強い奴らが四人いる。
ミスカはそいつらにやられたの」
「神様がやられるって相当だな……」
「竜将は、竜神から特別な力を与えられるみたい。だから竜族の中でも特別に強い。
実際、竜神を見たことはないから、わからない部分も多いけれど。
ミスカが戦った時、味方はいなかったし、他の大量の竜兵とも戦ったから……」
問題は竜将を倒せるかどうか、か。
神であるミスカを倒すほどの奴らだ。
相当に強いことは予想できる。
ただ竜神を倒すこと自体は容易であるとわかったのは収穫だった。
「竜族の本拠地は名もなき高山の麓にある竜神城よ。
周辺は竜族だらけだから、ネコネ族の変装魔術を使う案は悪くないわ。
けれど、竜神城はかなり複雑な構造をしているし、初見で踏破は無理でしょうね」
「ミスカはわかるんだな?」
「神域からある程度は把握できるわ。まさか、手伝えって言うんじゃないでしょうね」
「手伝ってくれ」
「話すだけでも譲歩してあげてるのに、まだ助力しろって?
冗談じゃないわ。ごめんよ」
「それは、もう一度失敗したら立ち直れないからか? 自責の念に駆られてしまうからか?」
ミスカは立ち上がり、テーブルを叩いた。
「違う! 違うわ……ミスカは、無駄なことをしたくないだけ」
嘘だ。
そんな考えを持っているのに、こんなに口惜しそうな顔をするものか。
「ミスカの前任の神様、彼女に顔向けできないからか?」
「あ、あんた、なんでそれを」
「夢でな、見たんだ。ミスカの力かと思ってたんだけど違うみたいだな」
ミスカは項垂れて、椅子に座り込んだ。
「そうよ。神様との約束をミスカは守れなかった。
子供達を守るつもりだったのに、できなかった。
ミスカは神様の期待に応えられなかったの。ミスカは神様になんてなれなかったのよ。
だから、もういいの。何もしない。どうせ何もできないんだから」
俺はミスカの話を聞き、首を傾げる。
何度も考えてみた。
だが、どうも要領を得ない。
「な、何よ」
「いや、理解できなくてな。どうしてそこで諦めるって結論が出るんだ?」
「だ、だって、ミスカは失敗して、子供達を守れなかった。
ミスカが竜族を倒せていれば、こんなことにはならなかったのよ!」
「ああ、それはわかった。でもそれはしょうがないだろ。相手の方が強かったんだから。
ミスカは必死で戦った。それは夢で見てる。だからそこはわかる。
でも、なんで諦めるんだ? まだ俺達は生きてるのに」
「な、なんでって、ミスカにも人にもできることはないじゃない!
竜神を倒せるわけがない。何もできずに竜将に無残に殺されるわ!」
「どうして決めつける?」
「ど、どうしてって、相手は強くて、人類は滅亡寸前で、絶望的で……」
「それがなんだ?」
俺は再び首を傾げる。
やっぱりわからない。
「絶望的でも、完全な絶望ではないだろ? 可能性はゼロじゃない。それはさっきも言っただろ。
諦めたらそれはゼロになる。奇跡に縋るしかない。でもそんな奇跡が起きる状況じゃない。
だったらわずかな可能性にかけて、進むしかないだろ?」
「失敗するに決まってるわ」
「決まってないだろ。ほぼ間違いなく失敗するってだけだ。成功するかもしれない」
「ば、馬鹿じゃないの。そんなの……奇跡的だわ」
「誰かに頼る奇跡を待つくらいなら、自分で奇跡を掴む方がいいだろ。
やれることがあるんだ。だったら、諦めるなよ。
俺達、人が諦めてないのに、どうして神様が諦めるんだ?」
俺はじっとミスカを見つめる。
ミスカは目を泳がせ、やがて視線を逸らした。
無言のまま、しばらく時間が過ぎる。
やがて俺の意識が朦朧とし始めた。
時間、らしい、
視界が歪む中、ミスカが俺を見た。
彼女の顔は明らかに迷いが滲んでいた。
意識が途切れる瞬間、ミスカの唇が動いた気がした。




