訓練の日々 1
「――走れ! そこ、手を抜くな、死ぬ気で走れ!」
俺は兵士達の先頭を走りながら檄を飛ばした。
訓練場の外周をひたすら走るだけの訓練だ。
俺の後方には潜入部隊の隊員が全員続いている。
みんな今にも死にそうな顔をしている。
しかも重い鎧を着たままで走っているので、かなり辛いはずだ。
でもこれくらいは序の口だ。
というか、これくらいできないと本拠地に到着することさえできない。
変装魔術の時間は有限なのだから。
ちなみに俺も鎧を着ているし、それだけだと足りないので、無駄に重い物を背負ったりしている。
莉依ちゃんや、ニース、ディーネと結城さん、ネコネ族も訓練に参加してる。
日本人組は比較的にステータスが高いのか、まだついてきている。
ネコネ族は今までかなりの戦闘訓練を積んでいるため、同様に何とかなっているようだ。
それでもかなり辛いみたいだけど。
彼女達に比べて、他の兵士達の顔は酷い。
「ようやく良い表情になってきたな。おい、そこ、遅れるな! 走れ!」
「し、死んで、しまうぅ、こ、これ以上、走れないぃ!」
「安心しろ! この程度で死ぬなら、本拠地に行く前に死ぬ!
どうせ死ぬなら、今の内に死ぬ気で死ね! 死にたくないなら死ぬ気で訓練して、死ぬな!」
「め、滅茶苦茶だぁ……おっぷっ……」
「吐くなら端っこを走りながら吐け! 足を止めるな! 吐く時も走れ!」
自分でも無茶なことを言っているという自覚はある。
だが時間はないし、立派な兵士になるまで悠長にしている余裕もない。
嫌なら辞めるなんてことができる状態じゃない。
やるしかないんだ。
死なない程度に、死にそうな訓練をする。
それが俺達には必要なのだから。
早朝からずっと走っている。
もう限界なのはわかっている。だが六時間、ほぼ全力で走り続けるという訓練は必要だ。
五時に起床、六時に走り始め、十二時までぶっ通し。
しかもかなりの速度を保つようにしている。
これは全員がする訓練だ。莉依ちゃんだってしている。
苦しいし、辛いのに耐えているのだ。
俺は他の連中よりも重い物や大剣も背負っているし、時折、余分に周回したりもしている。
まだ体力は有り余っているので、まだ足りないらしい。
そろそろ六時間だ。
「最後に全速力で走れ! 俺が良いと言うまでだ!」
「し、し……死ぬ」
「言葉が出る内はまだ大丈夫だ! 人間、死ぬときは無言で死ぬ!」
泣いている連中も、吐いている連中も、俺の言葉を受けると、この世の終わりとばかりに、顔を青ざめさせた。
なんて貧弱な。もっと頑張れ。
「ほら、行くぞ! 今だ、走れ!」
ガシャガシャと鳴らしながら、全員が走った。
周りから見れば異様な光景だっただろう。
完全装備の兵士達が、訓練場をひたすら走っているのだから。
まあ、外聞はどうでもいいんだ。
今はとにかく、肉体強化が必要だからな。
全速力で十分走ったところで、俺は叫んだ。
「よーーーし、終わりだ!」
歩きながら息を整え、俺は振り返った。
予想はしていたが、誰もついてきていない。
遠くで、結城さんが先頭にいるところが見えた。
その後ろにニース、ディーネとネコネ族、その少し後ろに莉依ちゃんが並んでいる。
まあ、こんなものか。
本当は莉依ちゃんは留守番した方がいいと言ったんだが、彼女はついていくと言った。
傷を治せるのは彼女だけ。もちろん同行してくれる方が嬉しい。
だが、彼女は戦えない。つまり死ぬ危険性が最も高い。
それでもついていくと言ってくれた。
そして厳しい訓練にも、文句も言わず、必死でついて来ている。
できるならこんなことさせたくはないが、生きるために必要なことだ。
心を鬼にするしかない。
「おい! もっと本気で走れ!」
本当に大丈夫だろうかという心情だった。
だが仕上げるしかない。あと三ヶ月しかないのだから。
竜燈草の量、食料のことを考えるとこれくらいが限界だ。
それ以上待つと、間に合わなくなる。
全員がゴールしたのはそれから二十分後のことだった。
●□●□
午後からは剣術の訓練だ。
潜入部隊に魔術師はいない。
理由は竜燈草の煙を操作するためには風魔術が必要だからだ。
それに潜入任務の内容を鑑みて、魔術師には向いていないという結論が出たからでもある。
さて、どんなことをするかというと。
ひたすらに戦う。
それだけだ。
初日に、それぞれの力量はわかっているので近い相手と戦わせる。
そして切磋琢磨させる感じだ。
普通だって?
いや、そうでもない。
なんせ、終わりがないからだ。
ずっと戦う。怪我をしようが、死にそうになろうが、ずっと戦う。
骨折や重傷を負った場合は莉依ちゃんが治療する。
互いに力量が近いため手加減ができない。
そのためかなり危険だ。
目を光らせているので、死なないようには気を付けているけど。
ということで、死力を尽くし戦わせ続ける。
剣術の手ほどき? 基礎訓練?
いらないいらない、そんなもの。
三ヶ月で仕上げるには、そんなことをしている暇はない。
重要なのは二つ。
身体能力の向上と、戦い方を学ぶだけ。
剣術じゃなく戦う方法を学ぶには戦う以外にない。
ルールありで剣技を競うわけでもないし、剣だけが武器ではない。
石や砂、あるいは別の自然物、環境、戦いに必要な精神力や考え方、適応能力、対応力、恐怖心との折り合いのつけ方。
それらは本当の戦いでしか得られない。
そして死ぬ気で戦うということでしか、それは得られない。
手を抜いたら、俺が直々に戦うことになっている。
つまり、死ぬ寸前まで追い込む。
それよりは必死に戦った方がマシだと思っているらしく、兵士達も必死だ。
初日で、俺に逆らっていた連中も、舐めていた連中も、疑問視していた連中も、改心して訓練に勤しんでいる。
なんか、明らかに俺への視線が恐怖に満ちている気がするけど。
気のせいだろう。うん。
俺は兵士達が戦っている中で、厳しく審査している。
そこの一組の前で足を止めた。
「おい、手を抜いたな、おまえ」
「そ、そのようなことは!」
「じゃあ、なんでそんなに元気なんだ? 戦え。死ぬ気で、死んでもいいと思いながら戦え。
絶対に手を抜くな! いいな!」
「は、はいっっ!!」
すると俺が睨む中、兵士達は戦いを再開した。
ほら、やっぱり手を抜いていた。
さっきまで気を遣って、力を抜いて、怪我をさせないようにしていたが、今度は一撃目から本気だ。
相手は人間。しかも仲間。
本気でやれないことはわかる。
だがそんな甘えは邪魔だ。今は、どんな状況でも、心を強く持つ、訓練も必要なのだから。
それに今の内に、その訓練をしておかないと後半の訓練で本当に死ぬ。
こういうこと、あんまり好きじゃないんだけど、仕方がない。
うん、仕方ないよな。
「そこ! 手を抜くな! 俺と戦うか!? あ!?」
「も、申し訳ございませんっ!」
必死に謝る兵士。
戦いを始めると、激しさを増していた。
まったく俺が見ていないと、すぐにこうなる。
困ったものだ。人類存亡の危機なのに。
そうして訓練を続けた。
●□●□
一ヶ月後の夜。
城内にある食堂で俺達は食事をしていた。
俺、莉依ちゃん、結城さん、ニース、ディーネと、いつものメンバーだ。
食堂は広く、他にも兵士達が沢山いる。
今、戦争はこう着状態だ。
竜燈草と攻城兵器のおかげで竜族は近寄れないし、飛竜達も落とせているようだ。
つまり一時の平穏が都市内には訪れているということ。
都市の外には避難民達がいるが、天幕を立てたり、急場の建物を立てたりして、できるだけいい環境を作ろうとしてくれているらしい。
食料もまだあるし、一先ずは安心だ。
「はあ……今日も疲れたよぉ」
結城さんがテーブルに突っ伏して、のべーんとした。
この子はいつものべーんとするな。
その隣で、莉依ちゃんが苦笑を浮かべている。
「でも、最初に比べると大分、慣れましたね」
「そうだねぇ。最初はほんと、死ぬかと思ったもん。
日下部くんは鬼だよ、鬼」
「そういうことは本人を目の前にして言うことじゃないと思うけどな」
「目の前で言わないと陰口になるじゃん。あたし、そういうの嫌いなの!」
結城さんらしい言葉だ。
ただ批判されても困るけど。
「しかし、かなり体力もついたし、足りない部分を補っていることもわかる。
それに……クサカベとわたし達との力量の差が圧倒的にあるということもな」
ニースは険しい表情を浮かべている。
それをわからせるためにも、戦うことが必要だった。
兵士達にも、仲間のみんなにも。
自分よりも強い相手がいた方が目標ができ、成長もしやすいだろうからな。
「これから二ヶ月、同じような訓練を続けるのですかにゃ?」
「ディーネ。俺がそんな単純なことを続けると思うか?」
「……思いませんにゃ……嫌な予感しかしないですにゃ!」
「そういうことだ。まあ、大丈夫。死にはしないから……多分」
みんなが不安そうな顔をしている。
実は俺も不安だ。
でも必ず必要になることだし、できるだけのことはしないと。
失敗してもいい任務じゃない。
「なあ。それはそれとして、なんで俺達の周辺だけ席が空いてるんだ?」
食堂はほぼ満員。
だというのに、なぜか俺達の周囲だけぽっかりと席が空いているのだ。
みんなは顔を引きつらせて、無言だった。
なんだ、なんでそんな顔をするんだ?
俺は近くにいた兵士と視線を合わせた。
あ、目を逸らした。
他の兵士を見ても、同じような反応をした。
これは、まさか。
「あれ? 俺って嫌われてる?」
「というか、怖がられてるんじゃないのかなぁ」
「うむ。当然だな。訓練中のクサカベは鬼だからな」
「にゃはは、まっ、上官の宿命ってやつですかにゃ」
「く、日下部さんは良い人ですよ! 私達はわかってますから!」
それって他の連中はそう思ってないってことだよね、莉依ちゃん?
なんて言えず、俺は天井を見上げた。
ま、何となくわかってたけどね。
そうか、そうなるよな。
厳しくする上官と仲良くするなんて漫画とか映画だけだよな、うん。
そう考えていると、隣の席に誰かが座った。
俺は思わず視線を動かす。
「ここに座っても構わんか?」
テオバルト陛下だった。
巨躯を小さい椅子に乗せて、ニッと笑った。
周囲がざわついている。
なんか、さっきからうるさかったような気がしたけど、彼のせいだったのだろうか。
まあ、国の王がいればそうなってもしょうがないか。
「ええ、構いませんが、ここで食べるんですか?」
「今は、国王も国民も関係なく食事は同じである。
ならば食堂で食べても構わんであろう?」
「まあ、それは確かに。じゃあ、食べましょう。どうぞ」
「うむ。では失礼するぞ」
莉依ちゃん達は戸惑いながらも何も言わない。
まあ、王様を前にして堂々とできる人なんて中々いないだろうし。
「で、訓練の調子はどうだ?」
「まあまあ、でしょうか。思った以上に難航してますよ。
というか、兵士の質が思った以上に低かったんですが?」
「すまんな。正規兵の中でもまともな者達を出したのだがな。
歴戦の勇士たちはほぼ死亡しておるし、経験がないがある程度、体力があったり、剣術の腕があるものを選出したのだが。
兵士は六万いるが、すべてが正規兵ではないのでな」
トッテルミシュアも同じような状況だったな。
考えてみれば、竜族達が襲ってきてからかなり時間が経っているわけで。
その間に、有能な人間が多く死んでいれば、現状に至ってもおかしくないか。
それに俺が思っている以上に、人間の能力は高くないのかもしれない。
ネコネ族が優秀なだけか。
「そちらの状況は?」
「予定通りだな。竜燈草の量も想定通り。
二ヶ月後に決行する、そなた達の作戦に命運がかかっておる。
全員に合わせた武器防具の作成もしておる。事前に必要か?」
「慣らしが必要なので、二週間前には頂きたいです」
「では、そのようにしよう。優秀な鍛冶職人を総動員して作成中だ。楽しみにしておるとよい」
「助かります」
「当然のこと。儂等のためでもあるわけであるからな」
そこまで話すと食事を始めた。
国王が食べるには質素な食事だ。
だが、それが今のこの国の、世界の常識なのだ。
食事を終えると、国王は盆を持って立ち上がった。
彼には付き人さえおらず、食器を片すのも己でしている。
「ではな。頼むぞ、クサカベ」
「ええ。任せてください」
そう言うしかなかった。
例え希望が薄くとも、それしか言葉はなかった。
国王の背中を見送る。
彼の後姿は王であり、一人の人間でもあった。