テオバルト
僅かに休憩し、俺は中央部隊にいた、国王を探した。
彼は馬に乗り、将軍達と共に行動をしていたはずだ。
俺達は戦闘能力が高い方なのだが、国王から後方へ配置してくれと頼まれた。
もっとも危険なのは最後尾。
俺達がいれば色々と助かるだろうとのことだったのだ。
自分の安全よりも全体を見ての判断だった。
若いのに、慧眼の持ち主だと思う。
人垣を超えると、馬が何体か見えた。
馬車は食料を運ぶために、かなりの数を率いていたはずだ。
移動を考慮して残していたらしい。
食料がなくなったら馬を潰して食べていただろう。
その判断は正しかったわけだ。
「クサカベ殿。そっちも無事であったか」
マルティス国王は安堵のため息を漏らし、弱った笑みを浮かべていた。
かなり疲労しているだろうに。
「中央から前方の被害はどれくらいでしたか?」
「まだわからんが、数千。後方から来た避難民はほぼ全滅だったため……恐らく全体で三万程度は」
「そう、ですか……」
かなりの避難民が犠牲になっていた。
度重なる飛竜の攻撃、左右の竜族達の攻撃、そして竜燈草がなくなってからの挟撃と後方からの攻撃。
できるだけ防ぎはしたが、限界がある。
それにまだ安全になったわけではない。
竜族達はラスクへと向かってきているはずだ。
「国王様はいらっしゃいますか!?」
レイラシャの兵士達が、数十人、叫びながら歩いてきていた。
「私だ」
マルティス国王を見つけると、兵士達はぎょっとした表情を浮かべて、戸惑っていた。
しかしすぐに表情を取り繕うと、姿勢を正す。
「テオバルト陛下がお待ちです」
「……数名伴いたいが、構わないか?」
「ええ、もちろんです」
「では、クサカベ殿も同行願いたい」
「それは構いませんが」
トッテルミシュアの会議にも出席したし、レイラシャの王との謁見にも出るなんて、いいのだろうか。
しかし、マルティス国王の縋るような視線を受けては、断れない。
能力はある。胆力も。でも彼はまだ子供だ。
どれだけ優秀でも年月は埋められない。
兵士に連れられてマルティス国王とウルク将軍、それと宰相らしき老人に続いて、俺もついていく。
宰相のおじいさんの名前を知らないんだよな、俺。
多分、これからも知らないでいるような気がする。
人ごみを抜けて、防壁に沿って移動する。
かなり堅固な感じだ。
トッテルミシュアよりも籠城に向いているかもしれない。
だからこれだけの兵士を残せていたのだろうか。
かなりの数がいるように見えるけど。
正門を通ると、中にあったのは、都市というよりは基地のようだった。
そこかしこに厚みのある壁がそびえ立っており、家屋も簡素。
店のようなものはほとんどなく、兵士達の姿ばかりが目に入る。
レイラシャってこんな感じなんだろうか。
軍事国家なのかもしれない。
三々五々、すれ違う兵士達を気にせず、俺達を案内する兵士は真っ直ぐ、城へと向かった。
窓はあまりなく、ガラスの類もない。
かなり無機質で、要塞そのもの。
他国の城のような華美さはない。
鉄そのものだった。
城門を通り、中に入る。
せわしなく走る兵士達の合間を縫い、廊下を何度か曲がり、天井まで届くほどの巨大な扉の前に到着した。
「マルティス国王ご一行をお連れしました!」
「入れ」
低い声が廊下にまで届いた。
重低音を響かせて、謁見の間への扉が開く。
正面、まっすぐ伸びた赤い絨毯の先にその人物はいた。
白髪で巨躯の老人。
豪奢な鎧を着ており、今まで出会った誰よりも生気と活力に満ちた人物だった。
異質な存在感が彼からにじみ出ている。
兵士に促され、俺達はテオバルト陛下の前まで移動すると膝を曲げて、頭を垂れた。
「この度は、我が国民を受け入れてくださり感謝いたします。
突然の訪問にも関わらず、ご助力いただいたことも重ねて感謝を」
「よい。儂らは共に王であり、対等である。
それに、こちらもそちらの情報があってこそ、今がある。
そなたが早馬を走らせたおかげで、竜燈草の情報を得ることができ、対抗手段を得たのだ。
その情報がなければ、この一ヶ月で竜族の侵攻に耐えられなかったであろうな」
なるほど。
マルティス国王が、俺達が移動する前に、すでに早馬を走らせていたということか。
そういえばそんなことを言ってたな。
返事を貰う前に移動をすることにはなるが、事前に知らせた方が、レイラシャ側からすれば色々と対応もしやすくなる。
竜燈草の情報を伝えていたことで、対抗手段を得られたというのは、彼等にとっても朗報だったに違いない。
それが回り回って俺達の助けにもなっていたわけだ。
「面を上げろ。今は、堅苦しい形式を重要視する時ではない。
双方の情報を統合し、対策を練る時であろう」
「……ご配慮、痛み入る」
立ち上がるマルティス国王に倣い、俺達も顔を上げた。
「会議室に向かうぞ。すぐに対策を練る。
そなたの民はできるだけこちらで面倒を見るが、食料は十分ではない。
いざとなれば馬を潰すがよいか?」
二人は歩きながら会話を続ける。
「構わん。こちらとしてもそのつもりで用意している」
「なるほど、前王の血を受け継いでおるだけあるな。
惜しい男を亡くしたものだが。病だったか」
マルティス国王は黙して返答をする。
何か感じ取ったのか、テオバルト陛下は気にした風もなく先を急ぐ。
謁見の間を出て、廊下を進み、会議室らしき部屋へ入った。
幾つかのテーブルと無数の地図。
そこかしこに筆跡があり、作戦を練っていたことがわかる。
レイラシャ側の人間はテオバルト陛下と数人の兵士だけだった。
「適当に座れ。すまんが、休む時間はない。
方針を決めてからの休息になるか、休息もないやもしれん。
今も外で戦闘が続いておるのだ。竜燈草のおかげで、退けてはおるがな」
「こちらも理解している。構わん」
「うむ、では……しかし、竜燈草のような存在をどこで知った?
まさか、手当たり次第、植物を焼いて試してみたなんてことはないであろう?」
「そこの御仁のおかげだ。クサカベ殿という。先日、エシュトから我が国にやってきた」
「ほう?」
俺は一礼するにとどめた。
射抜くような眼光を真っ向に受ける。
「……見た目は若いが、中身はそうではないようであるな。
それに珍しい容姿と空気を漂わせておるわ。
まあ、よい。素性を探る趣味はない。今はそのような時でもないであろうからな。
まずはこちらの状況を話そう。それでよいな?」
「うむ、頼む」
老人と子供。
その二人が話す内容とは思えない。
傍から見れば、おじいちゃんと孫のようにしか見えない。
だが互いに同じ立場で同じ目線で話している。
おかしなものだと思った。
「では現状を話そう。まず、我が兵は六万、一般市民は二万しかおらぬ。
攻城兵器や武器防具の類はそれなりに残っておるし、食料も数ヶ月は持つ。
少し前までは食料やら道具やらが枯渇しておった。
しかし、偶然にも近くに竜燈草が生えている湖があってな。
そなた達から情報を得てから、即座に採取し、近隣の商業都市を占拠していた竜族達を追い払い、ラスクまで物資を運搬したのだ。
おかげで物資はそれなりに補充できた。
ただかなりの兵士と国民を失ったがな……ラスクは軍事施設を併設しておる、主要基地である。
ゆえに兵士の数が多く、一般人は少ない」
そういうことか。
疑問は氷解した。
「問題は、竜燈草の量である。
今のところは十分な量があるが、日々使用すればすぐになくなるであろうな。
聞いた情報を考慮すると、トッテルミシュアに比べれば状況は悪くはないが、一時しのぎ程度であるな」
静寂が訪れる。
そんな中、宰相の老人が言った。
「竜燈草を栽培する、というのはいかがでしょう……?」
テオバルト陛下は呆れたように嘆息した。
「栽培方法も、期間もわからぬ。そんなことをする時間もないであろうし、無意味である。
十分な量とはあくまで数ヶ月の話だ」
宰相はしゅんとしてしまった。
長い目で見れば悪い手段ではないだろうが、目の前に竜族達が迫っている状態で選べる方法ではない。
ウルク将軍は唸るだけで何も言わない。
彼は暫定的に将軍になっているだけで、経験や知識があるわけではない。
人格者であるとは思うけど。
マルティス国王も何かを考えているようで、黙して顔をしかめている。
さて、ここまでの情報をまとめよう。
今、俺達がいるのはレイラシャ帝国の首都ラスク。
食料は数ヶ月持ち、竜燈草も同じくらいは持つ。
そのためしばらくは何とか対抗できる。
大型飛竜やら別の竜族が現れればまた状況は変わるが、今のところは何とかなっている。
しかし、それはただ防衛ができているだけ。
相手に打撃はほとんど与えられない。
もちろん攻城兵器やら矢やらで戦ってはいる。
でも数十万の兵を倒すことは不可能だ。
この情報を統合すると選択肢は一つしかない。
防衛を続けて死ぬだけ。
竜燈草は有効だが、数には限りがあるし、あくまで近づけさせない程度の効力。
毒として扱っても、即死させられはしない。
普通の武器では倒せないので、効力は十分あると言えるが、それでも状況を覆すことができるわけじゃない。
詰んでいる。
それをわかっているから、誰も言葉にしないのだ。
いや、待てよ。
俺は不意に言葉を紡ぐ。
「あの、竜神ってどこにいるんですか?」
誰もが俺を見て、首を傾げていた。
「知らぬな。竜族を率いている神であるということは知っているが」
テオバルト陛下はそれがどうした、といった顔をしている。
これは知らないのか?
「竜神を倒せば、すべては終わるんじゃないでしょうか。
竜族の神である竜神を倒せば……」
ミスカが力を取り戻せる。
そうすれば、竜族達を殲滅できるのでは。
その確証はないが、この世界の神であるミスカが竜神に力を奪われていることは間違いない。
あれがただの夢じゃなければ、だけど。
この世界に来て、最初に竜族と戦い死にかけた時とその後にもう一度見て以来、ミスカの夢は見ない。
いるなら少しくらい情報をくれ。
そうは思うが、反応はない。
神様ってのは気まぐれだ。
「そんな話は聞いたことがない。
しかし仮に竜神を倒せば、竜族達の侵攻が止まるのであれば……」
「お、お待ちをマルティス国王!
またこやつの言葉を信じるのですか!?」
「クサカベ殿は竜燈草の存在を知っていた。それがなければ私達は死んでいたのだ。
であるのであれば、彼の言葉を信じることこそ道理」
「し、しかしですね、竜神を倒しても何もなければ……。
いえ、そもそも竜神がどこにいるのかもわからないではありませんか!?」
顎に手を添えながらテオバルト陛下が呟く。
「名もなき高山の麓。そこに奴らの本拠地がある、らしい」
「らしい、ですか……」
「竜族から聞き出した情報だ。
正しいかどうかを確かめる手段はないし、聞き出しても、あまり意味はなかったと思っていたが。
もし、そなたの言うように竜神を倒せばすべては終わるということであれば、無意味ではなかったわけであるな」
「テ、テオバルト陛下まで!? この男を信じるのですか!?」
「信じるも何も、他に手はあるまいて。
竜燈草のことを知っておったということに大して言及は必要ない。
竜燈草は有効で、我らの命を救ったのだからな。
それに竜族の神を殺せば、奴ら全体に何かしらの影響を与えることは間違いない。
好転する可能性もあるであろう。無駄にはならんはずだ。
というか、貴様、誰であるか」
あんぐりと口を開けて、金魚のように口をパクパク動かす宰相を見て、俺は乾いた笑いを浮かべる。
「人類は滅亡寸前。食料もいずれ枯渇し、対抗手段もない。
竜族すべてを倒すことは不可能。
我々に残されている手段は、竜神を殺せば、すべては終わるという確証のない情報だけ。
がはははっ! 面白いではないか。何もない状態よりはよっぽど希望がある」
テオバルト陛下は豪快に笑った。
まるですべての不幸を吹き飛ばすように。
「クサカベと申したな。そなたは強いか?」
予想していなかった質問に、俺は面喰った。
しかしテオバルト陛下の澄んだ瞳が、俺の戸惑いをかき消す。
「強いです。多分、人類で一番」
今残っている人類で、だけど。
「人類で一番……がはっはっははは! 言いよるわ、この若造が!
よかろう。そなたに賭ける! 元々、そなたがおらねば人類は滅んでおったであろうからな!
では、そなたを中心とした部隊を編成しよう。
その部隊を名もなき高山にある竜族本拠地に潜入させる!
我が軍からも腕利きの人間を出そう。己が強いと言うのであれば、更に鍛え上げてみせい!」
「……わかりました。やりましょう」
どうせ他に道はない。
だったら、全力で進むだけだ。
「で、ですが、その者を人類存亡をかけた部隊の隊長にするのはいささか性急では!?」
宰相、再び立ち上がる。
彼の気持ちもわからないでもない。
むしろ、外様の俺を信用できないという、宰相の心情の方が正しくはある。
「まあた、お主か。よいか? 今は平時ではない。
そして実績を抱えた人間は少なく、ここまで人類が追いつめられている状況で他にどんな人物がいる?
クサカベがいたからこそ、我々は生きておるのだ。
そしてクサカベが大型の飛竜を止めた姿も見ておった。
こやつ以外にそれができたか? 否、そんな人間はおらん。
ならばこやつに賭けるべきだろう。他の人間にできるとでも?」
「そ、それは」
マルティス国王が、宰相の肩をポンとたたく。
「腹をくくれ、宰相。先延ばしにしても意味はない。
そなたもわかっておるのだろう。クサカベ殿こそ救世主であると。
そう信じなければ、最早、我ら人類に生きる道はない」
「…………はい」
項垂れてしまった。
そんなに俺が嫌いなのだろうか。
そう思ったが、彼の顔はただただ不安に染まっていた。
怖いのだろう。
俺にすべてを託すことが。
それでいい。自分達のできることをこなすことが必要な状況で、他人に縋りすぎるのは身を滅ぼすだけだ。
疑っていい。俺は全力で任務をこなすだけなのだから。
「話しはまとまったようであるな。だが問題が一つ残っているぞ。
どうやって侵入するかだ」
「それなら、もしかしたらうまく行くかもしれません。
少し待っていてくれますか? 呼んできますので」
「ふむ? まあよかろう」
俺は会議室を出て、城と都市の外に出ると、ある人物を連れて、また会議室に戻った。
「一体、なんだ、クサカベ……」
部屋に入るや否や、首脳陣達がいることに気づいたニースは、表情を硬くした。
亜人でも人間の王に対して敬意は持っているようだ。
「ニース。変装魔術で、竜族に化けることはできるよな?」
「……ああ。その能力で、集落に隠れ住んでいたという面もあるからな。
外に出て狩猟するのは竜族の姿になれなければ不可能だった」
「仮に、ネコネ族全員で変装魔術をかけるとして、どれくらいの時間、何人を変装させることができる?」
ニースは俺の問いを受け、十秒ほど思考すると、口を開いた。
「六時間。三百人くらいだろう。
ただし重ねがけはできんし、六時間分の変装魔術をかければ、次に使えるのは二日後だ」
思ったよりも短いし、対象人数も少ない。
表異世界のネコネ族とは違うのだろうか。
表異世界のニースであれは半日は可能だったし、しばらくすると数週間単位まで延長できた。
しかしないものねだりをしてもしょうがない。
俺はテオバルト陛下に問いかける。
「ここから名もなき高山までどれくらいです?」
「急げば六時間ほどであるな」
「ギリギリか……」
急げばということは、走ってギリギリということ。
そして道中で時間を食ってしまえば間に合わないということ。
しかも、間に合っても本拠地である建物に到着するだけで、屋内まで侵入できるかは微妙だ。
「本拠地の形は?」
「城らしいが、正確な形まではわからん」
テオバルト陛下の言葉は最もだ。
ここから名もなき高山は見える。
しかし麓にある、竜族の本拠地とやらは障害物があって見えない。
見晴らしがいい丘にそびえ立っているラスクからでも、周囲に山や森があるのだ。
近くに行かなければ全容はつかめず、近づけば殺される。
今まで、誰も本拠地の姿を見た者はいないだろう。
本当に博打だな。
でたとこ勝負すぎる。
でもそれ以外に方法があるだろうか。
「時間も手段もない。もうやるしかない、でしょうね」
「うむ。なあに、確かに状況は逼迫しておるが、希望はある。
失敗すればそれまで。成功すれば御の字。
人類は滅亡の一途を辿っておったのだ。
ここに来て希望が出てきたことを僥倖と判ずるべきであろう。
そうは思わんか、トッテルミシュアの若き王よ」
「……ふふ、そうだな。その通り。
今まで、何も希望が見えず、民が死んでいく様を見せつけられておった。
そして誰もが悟っていただろう。このまま人類は滅ぶのだと。
ならば、少しでも可能性がある、クサカベ殿の案に乗るも一興。
食料と竜燈草が残っている数ヶ月を漫然と過ごし、奇跡を待つよりはいいだろう。
我々はもう待つことに疲れた。そろそろ反旗を翻すべきだ」
テオバルト陛下とマルティス国王は俺に向かい、強い意志を見せた。
期待が俺に向けられている。
だけど俺に重圧はない。
なあに、いつものことだ。
一度神を殺した経験がある。
一度も二度も変わらないだろう。
俺は緩慢に頷く。
絶望的だった。
けれど確かに俺達は歩み始めたのだ。
唯一の望みに向かって。