大移動
都市内の空気は重く、会話はほとんどなかった。
道に座る人々の顔は鬱々としている。
生気がない。
希望を持っていないようだった。
夜。俺は、兵舎でみんなに話をしていた。
国王に進言したことを話し、これから竜燈草を試すことを説明する。
「そんなものがあるのか」
ニースが半信半疑といった様子で話していた。
確かに、竜燈草なんてものが存在してるとは思えないだろう。
竜族に対抗する唯一の手段でもある。
実際、表異世界では一般的に竜燈草くらいしか、ドラゴンに対抗する手段はなかった。
それ以外だと物量で対抗するくらい。
それがこの世界ではできず、竜族の数は尋常ではない。
ならば竜燈草だけが希望となる。
この世界に存在するのならば、だけど。
俺が思っている竜燈草と、この世界の竜燈草が同じ効能を持っているとは限らない。
確かに竜燈草らしきものは存在するみたいだけど、まだ安心はできない。
俺が話を終えると、全員が戸惑っていた。
今さらの話だ。
もっと早い段階で俺が気づいていたら、被害は少なかったかもしれない。
「ごめん、もっと早く気づいていたら」
「いや、気にするな、クサカベ。
仮に早めに気づいていても、竜燈草らしきものは近くにはなかった」
ニースの言葉に、俺は感謝を抱く。
竜燈草自体は、それなりに希少だ。
この世界では採取されていないから、ある程度は生息しているが、澄んだ湖などにしか存在しておらず、またどこでも生息するわけでもない。
すべては偶々。
それが重なったに過ぎない。
莉依ちゃんが不安げな表情のまま、小ぶりな唇を動かす。
「あ、あの、じゃあ、今、その竜燈草を集めてるんですか?」
「ああ、比較的近くにあるものを集めて貰ってる。
どれくらいの量になるかはわからないけど」
都市中を守るにはかなりの量が必要になる。
仮に一度、敵を退けられても、何度もは無理だろう。
竜燈草は有限だ。
あくまで一時的な対処にしかならない。
それも、竜燈草が有効であった場合の話。
もし効かなければ、終わりだ。
次の侵攻は前回よりも、苛烈化するだろう。
「じゃあ、これからどうするのかな?
ここに留まるしかないだろうけど……竜燈草が効いても一時的なものでしょ?」
結城さんの言うことはもっともだ。
国王を含めた全員の懸案だろう。
だが、選択肢は少ない。
とどまるか、レイラシャへ移動し、協力を仰ぐか。
そしてその時間はどれほど残されているのか。
「まだ、わからない。国王も悩んでいるみたいだ」
「悩む時間はないんじゃないですかにゃ?
このままだと人類は滅亡するんですにゃ。もう目前ですにゃ……」
ディーネの言うとおりだ。
このままだと俺達は死ぬ。滅ぼされる。
この地に留まるならば、レイラシャの助力が必要で、そして移動には時間がかかり、彼等が移動するのは危険で、道中で竜族に襲われて滅ぼされるかもしれない。
合流するには危険すぎる。そのため動けないのだ。
トッテルミシュアもレイラシャも同じ状況なのだから。
「町の人達も元気ないし……大丈夫なのかな……」
ミーティアは俯きながら言う。
みんな同じ思いだ。
もしかしたらもうダメなのかもしれない。
そんな風に思っているはず。
でも俺は諦めていない。
諦めるつもりもない。
絶対に、帰る。
俺を待っている莉依ちゃんの、表異世界の莉依ちゃんの下に帰るために。
そのために、竜神を倒す。
そう決意しているのだから。
●□●□
翌日。
俺達は城の一室に集まっていた。
「こ、これですかね?」
竜燈草を集めてくれたらしい兵士達、数十人が疲れた様子で言った。
広めの部屋には白い植物が大量に集められている。
天井に触れそうなほどの量だ。
これだけの量を一日でよく集めてくれた。
「これで全部ですか?」
「い、いえ、まだありますが、さすがに……。
べ、別の兵士に引き継いでもらいますんで」
「ああ、いえ。確認したかっただけなので、休んでください。
ありがとうございます。助かります」
「……あの、本当に、これが竜族に効くんでしょうか」
「その可能性はあります。絶対ではないですが」
「そ、そうですか……」
何か言いたげに、俯いて、視線を泳がせていた。
兵士達全員が同じような顔をしている。
どうしたのかと視線で尋ねると、戸惑いながらも言った。
「……せ、先日の戦いはあなた達がいなければ、負けていたでしょう。
もうみんな諦めていました。それでも、今、我々は生きている。
希望を……持ちたいんです……。だから、どうか……お願いします。
な、何をと言われても、具体的には、わかりませんが……」
「……全力を尽くします。俺達も死にたくないから」
「そ、そうですよね……あはは……俺達も、同じです……。
同じ、何ですけど……みんな疲れています。
勝手なことを言っていることはわかってます。ですが、どうか希望をください」
兵士達全員が頭を下げると、すぐに立ち去っていった。
俺達は何も言えず、ただ彼等が去る姿を見送った。
「が、頑張りましょう」
「ああ、そうだな……できることはすべてやろう」
莉依ちゃんと共に、俺は決意を胸にした。
別の兵士達が手伝いに来てくれたので、都市周辺に竜燈草を運ぶように指示をしようとした時。
城内に喧騒が響き始める。
何事かと、俺達は部屋から飛び出た。
兵士達が忙しなく行ったり来たりしている。
その一人の兵士に、俺は声をかける。
「何があったんだ?」
「あ、あなたは、クサカベ殿……っ!
じ、実は竜族がこちらに向かっているとの報告があったんです!
兵士達を招集し、国民達に注意を促しています!
あなたは国王の下へ! 緊急会議を開くそうです!」
「あ、ああ、わかった。みんなは竜燈草の準備をしておいてくれ」
仲間達に指示を出すと、俺はすぐに謁見の間へと向かった。
まさかこんなに早いとは思わなかった。
もしかしたら間に合わないかもしれない。
そんな考えが頭をよぎると、俺は強引に振り払った。
●□●□
沈黙の空間。
雑然とした謁見の間にあるテーブルの周りに、主要な人物が集まった。
宰相、軍師、そして国王。
たった十数名の人達だけが地図を前に、兵士の報告を聞いていた。
「……もう一度、改めて報告を。正確にだ」
マルティス国王の声だけが部屋に響いた。
張り詰めた空気の中、兵士達は震えながら答えた。
「な、南方、ケセル方面から竜族の大群が押し寄せています。
こ、このままだと明日の朝にはここへ到着するかと」
「……数は」
「せ、正確な数は不明です。ですが……視界すべてを竜族が占めていました。
恐らくは、三十万はくだらないかと」
「昨日の敗戦を受けて、即座に集結させたのか。
方角からして、エシュトとケセルの竜人達を集めたというところか……。
となると、あちら側の残党掃討はある程度、終えたのか。
それともトッテルミシュアを滅ぼすことを優先したのか。
どちらにしても、最悪な状況だ」
王の言葉通り、状況は切迫している。
俺達はこれ以上ないほどに追いつめられており、手段もほとんどない。
神に祈るか、奇跡に賭けるか。
軍師らしき老人が口を開いた。
「い、いかがなさいますか……?」
「選択肢は二つしかあるまい。籠城するか、移動するか」
「し、しかし、籠城するにしても相手の数が多すぎます!
一日も持ちますまい。それに外の避難民や国民は……」
「……その時は、見捨てるしかあるまいな」
冷淡な言葉だった。
しかし誰もその言葉を非難できない。
どうしようもない。
食料も兵力もトッテルミシュアには残っていないのだから。
また別の軍師が言った。
「で、では籠城すると?」
「いや、籠城しても、命を僅かに長らえるだけ。
仮に竜燈草が有効であっても、囲まれれば、対抗する手段はない。
ならば……やはり、レイラシャへ行くしかあるまい」
「こ、国民を見捨てて、ですか?」
「希望を持ち、連れて行く。レイラシャへは早馬を走らせよう。
……仮に断られても、我らには向かうべき場所はない。
そしてレイラシャも同じ状況だろう。食料や住居の問題はある。
だが、万端な状態を待つ時間はない。動くしかあるまい」
「あ、相手は訓練された竜兵。こちらは国民達を率いての移動です。
間違いなく、途中で追いつかれますぞ!?
レイラシャまで恐らく一ヶ月はかかります!」
「だが! だが、他に手があるのか!?
籠城し、国民を見捨て、選ばれた者だけを生かし、そして全員で死ぬのか!?
国が滅ぼうと、民が生きていれば希望はある。
全員で心中する選択など、愚か者がすることだ。
少しでも希望があるのならば、それに賭けるしかあるまい」
誰もが閉口し、項垂れた。
もう選択肢はない。
一縷の望みに賭けることしかできない。
「……クサカベ殿。竜燈草はどうだ?」
「ある程度は集めています。ですが、十分な量とは言えません。
燃やすか、潰して毒として武器に塗るかが主な使い方なので、多少の事前準備は必要です」
「どれくらいで準備ができる?」
「……百人いれば一時間ほどで」
すり潰して液状にするには時間がかかるが、大半は燃やすことになる。
煙が竜族には有効なはずだからだ。
もちろん、毒薬として扱えば、それなりに有効なので、二割から三割は毒に塗布するつもりだ。
「ではできるだけ薬学に詳しい人間か手先の器用な者を集めて、即座に作業に取り掛かって欲しい。
他のものは兵士や国民に通達しろ。
二時間後にコルを出発し、レイラシャの首都であるラスクへ向かう。
ここに戻ることはないということを忘れるな。迅速に確実に準備をしろ!」
「は、はっ!」
国王は立ち上がると、険しい顔つきで言い放つ。
「失敗は全滅を意味する。最早希望は一つしかない。
クサカベ殿……そなたが、真の意味で我らの救世主であることを祈るぞ」
「……尽力します。俺の持てるすべてを以て」
俺もこんなところで死ぬつもりはない。
竜神を倒して、莉依ちゃんの下へ帰るまで。
窮地は幾つも乗り越えてきた。
でも。
今回は、過去最高に最低な状況だ。
本当に死ぬかもしれない。
そう思いながらも、俺は前を向いた。
今までの経験で得たこと。
それは決してあきらめないということだったからだ。
●□●□
すべての準備が終えたのは、五時間後だった。
野営に必要な食料や天幕、その他の必要な道具を馬車に積載。
全国民に通達後、都市前で整列させた時間。
たったその二つだけで、かなりの時間を要した。
それも仕方がない。
なんせ兵士は二万、一般市民は十万人もいるのだ。
通達するだけで時間を費やすし、その後の移動も簡単ではない。
その上、みんな疲れ切っている。
食事も満足にできず、一ヵ月もの移動をこなすには体力が残っていない。
心が疲弊し、立ち上がることさえしない人も少なくなかったのだ。
隊列は縦に伸び、十から十五列くらい。
中央付近にはマルティス国王と将軍達、本軍が集結している。
二万の兵では完全に国民を守ることは難しいので、分隊を作り、列をおおまかに囲むことしかできない。
国民の列は左右に並ばせている。
五人組みの班で、一人は竜燈草を抱えており、一人は薪や火打石等を持っている。
他の二人は弓兵と歩兵。
残りの一人は数少ない魔術師だ。
竜燈草を燃やし、竜族達を近づけさせない役がある。
当然、まだ有効かどうかを試していない。
そのため全員が不安そうだ。
しかし、他に方法もないので、誰も文句は言わない。
いや、その気力がないのだろうか。
俺達は列の後方にいる。
後ろからの方が全体像が見えるし、対処がしやすいとのことで、この位置になった。
ミーティアは危険なので、中央部隊付近に移動してもらった。
「……みんな疲れてますね」
莉依ちゃんが呟くと、誰しもが顔をしかめる。
この状況で元気を出せと言える人がいるだろうか。
誰もが地面を見つめ、機械的に足を動かしている。
彼等の目には希望という光は見えていない。
「それも仕方がないことだ。この状況ではな」
ニースは腕を組み、どうしたものかと考えているようだった。
俺達も同じ立場だ。
多くの危険と遭遇し、何とか乗り越えて、今ここにいる。
でも、前向きに生きようとしている。
俺はまだこの世界に来て日が浅いから、偉そうなことは言えないが。
仲間達は、彼等と同じように生きてきたはず。
それでも必死に生きようともがいているのだ。
責めるつもりはない。
けれど、前を向かず、ただ誰かに己の運命を任せることが、彼等にとっていいことなのだろうか。
俺にはそうは思えなかった。
しばらく歩き続けると、前方の人達の速度が徐々に緩まり、歩みを止めた。
どうやら休憩のようだ。
気づけば、もうかなりの時間を歩いていたようだ。
夕方になりかけている。
昼食をとらず、ひたすらに歩いていたため、みんなの疲労が色濃い。
俺達は問題ないけど、コルにいた避難民達は特に疲れているようで、休憩になると即座にその場に座った。
遠くで煙が幾つも上っている。
夕食の準備をしているらしい。
一日、一食だけか。
食料がないから仕方がないが、これでみんなの体力が持つのだろうか。
仲間達は文句も言わず、ただ休息をとっていた。
数十分後、食料が配布された。量は非常に少なかった。
スープと一かけらのパン。
それだけを何度も咀嚼して、ゆっくりと飲み込む。
そしてまた、歩き出した。
どうやら暗くなる寸前まで歩くらしい。
空が暗くなる。
当然、人数が多すぎるため、森や岩場のような場所に行くことはない。
そのため、ただの平原で俺達はその日の進行を終えた。
天幕の数も限界があるため、基本的に兵士や地位の高い人間が入って休むことになる。
俺も使うことを許可してもらっていたが、仲間達は入れないというので断っておいた。
地面に横たわり、就寝する。
毛布だけが唯一の癒しだった。