ニース
ニースだ。あの、ニースだ。
俺は内心で嬉しさを噛みしめていた。
生きていた。
ニースが、生きていたのだ。
表異世界では多くの時間を彼女と共有した。
俺達の間には、絆があったと思う。
最近は、色々あって、微妙な距離感があったけど、それでも共に過ごした時間はなくならない。
その彼女が、こちらの世界でも生きていた。
俺は顔が綻びそうになるのを堪えていた。
だが、俺の感情とは裏腹にニースの態度は硬い。
言葉も、ニースと思えない。
にゃ、という語尾がニースの個性だったのだが。
それがなくなっている。厳めしく、拒絶するような雰囲気がある。
ニースも、竜族の侵攻で変わってしまったのだろうか。
ニースは、広場に視線を走らせる。
「竜族の死体……これは、おまえがやったんだな?」
ニースは油断なく俺と一定の距離を保っていた。
すぐにでも剣を抜きそうな勢いだ。
集落の近くで、これだけの戦闘を行えば警戒して当然だ。
「ああ、そうだ」
ニースは僅かに驚愕していたが、それも一瞬の変化だった。
「人が、これほど……おまえは何者だ」
「ちょっと特殊なただの人間だ」
死んでも生き返るし、スキルとか持っているけど。
言及するつもりはないようで、ニースはそれ以上の質問をしてこなかった。
ならば、今の内に会話を繋げよう。
「俺は日下部虎次。俺達はリーンガムからここまで逃げてきた。
竜族に見つかって追われていたけど、何とか撃退したところだ」
「……何とか、ね」
ニースは表情を険しくしながら、俺を観察する。
足元から頭の先まで。
血に汚れた俺を見ていた。
そして今度は、結城さん達に視線を移した。
ある程度、観察すると、再び俺を睥睨する。
「なぜ、ここにいる」
「さあ。出所は覚えてない。前に、亜人の住処がここら辺にあるって聞いたはずだ」
完全な嘘だが、結城さんにも同じように話している。
部分的に記憶を喪失している体での情報だ。
だが、俺の考えが間違っていなければ、ネコネ族の集落の場所を知っている人間がいてもおかしくはないはずだ。
ニースは訝しがりながらも否定はしなかった。
「アランか、ドッチ辺りが話したのか……あいつら」
恐らく、それはネコネ族と交渉していた行商人の名前だろう。
ネコネ族は変装魔術を用いて、人の住まう場所へ行き、物資を調達している種族だ。
だから、情報が漏れる可能性はゼロではない。
勝手に勘違いしてくれたらしい。
俺は無言で、ニースの次の言葉を待った。
「ここにいる理由はわかった。わたし達の集落に迎え入れろと言うんだな?」
「ああ、そうだ。俺達はリーンガムから逃げて、ここまでやってきた。
匿って欲しい。勿論、俺達にできることは何でもする」
ニースはジト目で俺達を観察している。
特に俺以外の人間を入念に見ていた。
目立った風貌なのは俺のはず。なのに、どうして他の人間を見ているのか。
胸中の疑念を面に出さず、俺はニースが応えるまで待った。
そして。
「断る」
予想通りの答えが返ってきた。
突然やってきた人間を助ける必要は、彼女にはない。
正直に言おう。俺は今のニースを見るまでは、匿ってくれるだろうと高を括っていた。
だが、目の前にいる彼女は、俺の知っているニースではない。
長い間、戦い、鍛えてきた戦士の顔だったからだ。
そんな彼女が、簡単に俺達を受け入れるとは思えなかったからだ。
さて、どうするか。
ここまで、俺の独断でみんなを連れて来た。
もちろん、他に選択肢はなかったが、リーダーとして目的が達成できなかったという責任がある。
全員が、どういうことだと目で言っている。
にわかにざわつき、話が違うという言葉も聞こえた。
ニースは顔をしかめながら、片手をあげる。
すると、弓を構えていたネコネ族が、腕を降ろした。
同時に、ネコネ族達が竜族の死体を回収し、何やら魔術を唱え始める。
すると、竜族の血痕や異臭が消えた。
なるほど、これで痕跡を消すのか。
今まで、ネコネ族の集落が見つからなかったのは、結界が張られているということもあるだろうが、証拠を隠滅する手法があったかららしい。
僅かな時間で、凄惨な情景は何事もなかったかのように変わる。
血の跡も、死体もなくなっていた。
「さて人間。ここはネコネ族の領地だ。人も竜族も、足を踏み入れることは許さない。
出て行け。さもなければ攻撃する」
どうする?
交渉するにしても手札がない。
俺達にできることは何でもすると言ったが、できることも渡すものもないのだ。
精々、戦うことくらいだが、他の人間にそんな覚悟はない。
そも、俺達を必要としているかどうかもわからない。
ニースは頑なに俺達を拒絶している。
彼女に何があったのかわからないが、人を嫌っていることはわかった。
この場に居続ければ、殺されるだろう。
ここは引くしかないが。
だからといって、どこへ行けばいいのか。
みんなはかなり疲弊しており、次の目的地に移動する気力はないだろう。
自然の中で生活することは難しいと、この数日でわかった。
彼等にはその精神力はない。
人家に住まないと、生きていけない。
それに、竜族を殺した俺達を、奴らは執拗に追って来るだろう。
ネコネ族の隠滅能力は有用だ。
そうではない。必須なのだ。
戦力も何もない俺達には彼女達の力がなければ、いずれ殺される。
竜族達の追跡能力は身をもって知った。
全員は守れない。
俺は平静を装い、胸中では焦燥感を抱いていた。
再び、ネコネ族達が弓を構える。
「最後通告だ。ここを去れ。そして、忘れろ。それができないのなら、ここで殺す」
一度、去った方がいいか。
二度目はないだろうが、俺だけであれば何かあっても対処できる。
今は、全員がいるため、不用意な行動がとれない。
出直す、か。
俺が口を開こうとした時、ニースのすぐ傍に、虎柄の毛並みをした少女が近づき、耳打ちした。
「それは、本当にババ様が?」
小声だったが、確かに聞こえた。
ババ様も、生きているらしい。
色々と世話になった、ネコネ族の長老。
あの人も生きている。
だが、そのババ様がニースに何を伝えたのだろうか。
俺は事の成り行きを見守ることしかできない。
伝令を終えたのか、虎柄の少女はすぐに姿を消した。
すると、ニースは明らかに不服そうな顔をしながら、俺を睨んだ。
「……ついて来い」
声音が低すぎて、何を言っているのか、一瞬わからなかった。
俺の返答を待たず、ニースはさっさと森の奥へ移動し始める。
他のネコネ族の半分は彼女に続き、半分は俺達の移動を待っていた。
前後で挟む配置になるようだ。
「行くぞ」
俺はまだ、冷静になっていない全員に声をかける。
大半は、現状を理解していない様子だった。
一部の奴らは俺に何か言いたげだったが、閉口した。
結城さんと莉依ちゃんが率先して、俺の隣に移動する。
「と、とにかくついて行こう」
俺の言葉では従わなかった連中も、結城さんの言葉を受けて動き始める。
なるほどな。そういう方向になったか。
まあいい。人気取りをするつもりはない。
俺はニースの背中を追った。
その後ろから全員がついて来るが、まだ竜族との邂逅から立ち直っていないらしい。
動揺が残ったままで、身体が思うように動かない、といったところか。
死を目の当たりにしたのだ。死ぬと思っただろう。
過剰な程の恐怖を感じ、気を抜く暇もなく、まだ危機的状況なのだ。
精神が不安定になってもおかしくはない。
ババ様はニースに何を言ったのか。
ニースと同じように、ババ様もまた変わってしまっているとしたら。
俺達に対して友好的な判断をしたとは限らない。
頼むぞ、ババ様。
この状況じゃ、あんただけが頼りだ。
そう祈りつつ、俺はニースの背中を追った。
●□●□
「くっさ! お主、くっさ! もう、くっさいにゃじゃ!
ぷんぷんにゃじゃ! なんで、そんな恰好にゃじゃ? お風呂入れにゃじゃ!」
開口一番がこれである。
張り詰めた空気の中、森の中を案内され、結界を抜けて、ネコネ族の集落に入った。
見慣れた光景に、活気のある集落。
この世界に来て、ようやくまともな場所にやってきたという安心感と、これからどうなるのかという不安感がないまぜになっていた。
代表である俺と、結城さん。それと莉依ちゃんもついてきて、ババ様の家に移動した。
他の面々は、広場に待機し、ネコネ族の若者達に見張られている。
案内されたババ様の家は俺の知っている構造と同じだった。
郷愁が胸の内に広がる中、ババ様と会った。
変わっていない。小さい身体に、細い目。
掴みどころのない雰囲気。
さて、一体どんな用事なのか。
と思っていたら。
「もう、ほんっとくさい。くさいにゃじゃ! もうやだ、やだぁ、鼻曲がるぅ。
ニース、話の前に、沐浴させてやるにゃじゃ!
それと、他の連中にも、もてなしをしてやるにゃじゃ」
これだ。
いっそ清々しいほどババ様だった。
「でも、ババ様。こいつらは人間だし……それに、奴らの仲間かも」
「儂は、バーバにゃじゃ! 占いが得意なババ様にゃじゃ!
儂の占いの的中率はぁ!? 六割!」
ズビシッと俺を指差したババ様。
ツッコみたくてしょうがなかったが、今の立ち位置的にできないので、無言で通した。
くっ! なんだよ、ババ様。
いつも以上にはっちゃけちゃって。
ここまで心配した俺が馬鹿みたいじゃないか。
「儂の占いで、こやつらを迎え入れた方がいいよ! と出てるにゃじゃ!
ということで、一先ずは村に住まわせてやるにゃじゃ! 嬉しいにゃじゃ?」
「あ、ああ、ありがとう。嬉しいよ」
ババ様の勢いに負けて、絶句していたが、何とか返答だけはできた。
どうやらいつもの占いで、俺達にとって都合のいい結果が出たようだ。
的中率、六割だけど。
「ふみゅ。思ったよりも反応が薄いにゃじゃ。もっと喜ぶと思ったにゃじゃ。
もっと、こう、こう! こうこうこう! あ、お腹痛いにゃじゃ」
ババ様は、留まるところを知らないテンションのままに、身体をくねくねしたりしていたが、突然、お腹を押さえてプルプルし始めた。
「ババ様、無理したらダメだ!」
ニースが肩を貸して、奥の部屋に連れて行った。
彼女の横顔は心配そうで、俺の知っているニースの面影があった。
やっぱり、根っこは変わっていない。優しい少女のままだ。
戻ってきたニースが再び、険しい顔つきで俺に言った。
「ババ様の言葉は無碍にできない。仕方ないから、受け入れてやる。
ただし、一時的にだからな。おまえ達はあくまでよそ者だ。勘違いするな」
勘違いするなら、もっと別の意味でしたいものだが。
とにかく、一先ずは助かったようだった。
俺は思わず嘆息する。
隣で結城さんと莉依ちゃんが顔を見合わせていた。
結城さんは嬉しそうにし、莉依ちゃんは無表情ではあったが、少しだけ喜んでいるようにも見えた。
「おまえ、クサカベとか言ったな。おまえがリーダーでいいんだな?」
俺は肯定しようとして、逡巡した。
数日前ならば即答したが、現状だとどうだろうか。
一時的に、言うことを利かせるためにかなり強引な手法を取った。
そのせいで、集団の信頼は皆無だ。
だが、一応は目的は達成できた。
まだ、リーダーでいいか。ここで迷ったら面倒なことになりそうだし。
「ああ、そうだ。一応な」
莉依ちゃんが横目で俺を一瞥した。
俺は思わず視線を合わせたが、彼女はすぐに目を逸らした。
なんだったんだ、今の。
「わたしはこの集落の長、ババ様の代理をしている、ニースだ。
何かあればすぐにわたしに言え。
この集落のあるものはすべてネコネ族のものだ。
勝手に使ったりするんじゃない。わかったか?」
「わかってる。当然だ」
人の家に上がり込んで、勝手に食事したり、物を使ったりするはずもない。
そういう奴、昔いたけど。
あれなんなんだろうな、未だに理解できないんだけど。
「不本意だが、おまえ達を迎え入れる。外の奴らには一応、敷地内の場所を与える。
食事は出してやるが、それだけだ。家は少ないから、お前たちの分はない。
勝手に住め。それでいいなら、集落内での生活を認めてやる。あくまで一時的にな」
「ありがたい。助かる。代わりと言ったら何だが、俺達でできることなら何でもする」
「……ふん、何ができるとも思えないがな」
軍人のような堅苦しい言葉遣いに、俺は違和感を拭いきれない。
これがニースなのかという疑問はずっと頭にこびりついている。
「おまえは、井戸で血を洗い流せ。案内してやる。
おまえ達は他の連中の下に戻れ。いいか? 勝手に行動するな。
村の外に出るな。許可を取らずに行動するんじゃない。
わかったな?」
「う、うん、わかりました」
結城さんは委縮しつつも、鷹揚に頷いた。
そして扉を出て行こうとしたが、立ち止まる。
「どうかしたの莉依ちゃん? 行こう?」
莉依ちゃんはその場から動こうとしなかった。
結城さんが莉依ちゃんの下に戻り、膝を曲げて、視線を合わせた。
「莉依ちゃん? どうしたの?」
質問に対して、莉依ちゃんは答えない。
彼女は言葉を扱えないのだから。
表情にも変化がない。
結城さんも、莉依ちゃんの心情がわからないようで、困惑していた。
「えと……ここに残る?」
莉依ちゃんは、こくりと頷いた。
結城さんは驚きながら、俺に振り返った。
「えと、大丈夫、かな?」
明らかに大丈夫じゃないよね、と言いたそうな口調だった。
それはそうだろう。
俺、血だらけだし。血生臭いし。
大剣背負っているし、あれだけ無茶苦茶な戦いを目の前でしたし。
まあ、普通に考えれば一緒にいたくないって思うよな。
俺は答えに窮して、眉根を寄せた。
「何もしないぞ」
「あ、ご、ごめん! そ、そういう意味じゃ……」
「いや、俺もそういう意味じゃ」
何かこんがらがったな、今。
お互いに気まずい心境のまま、あたふたとしてしまった。
「早くしろ」
ニースが苛立ったように言った。
結城さんは慌てて、表情を取り繕う。
「ご、ごめんなさい。じゃ、じゃあ、あたしは行くね」
結城さんは莉依ちゃんに視線を投げかけたが、反応はなかったようだった。
戸惑いながらも、扉を出て行く結城さん。
残ったのは俺と莉依ちゃんと、ニースだけだ。
「移動する。ついてこい」
俺は首肯すると、家を出るニースについていく。
肩口に振り返ると、莉依ちゃんも俺のすぐ後ろを歩いている。
何を考えているのだろうか。
俺は、莉依ちゃんの表情から考えをくみ取ろうとしたが、わからなかった。
表情を固定したまま、淡々と歩いている。
質問しても答えられないだろう。
だったら無理に聞き出す必要もない。
そう思いつつ足を動かした。




