彼女達の事情 2
全員で、俺が寝ていた部屋まで戻った。
どうやらここは空き室だったようだ。
結城さんと莉依ちゃんはベッドに座り、俺は椅子に座った。
ランプだけが光源なのでやや薄暗い。
「まず、さっきの化け物。あれは竜族っていう、外海から来た化け物だよ。
今から十年前くらいに、突然、外海からこの大陸へ現れたんだって。
亜人に近いけど、まったく別物。あっ、亜人って言うのは、わかる?」
「動物とかと人間が合体したような感じの種族だろ?」
「うん。ゲームとか漫画とかに出てくるよね。
で、竜族はその亜人とは違うんだ。獰猛で危険で、とても強い。
戦った日下部君ならわかると思うけど、あれはかなりの下っ端だよ。
上級竜族、えと、竜人って言うんだけど、そいつらはすごく強い。
数百人が束になっても勝てないくらいにね」
「人間、亜人、竜族っていう三種族がいるってことか」
「うん。もちろん、動物もいるけどね」
俺はふとした疑問を口にした。
「魔物は?」
「魔物? って、ゲームとかに出る、あの? ううん、いないよ」
なるほど。
ということは、森の中にいたような生物は動物の類か。
以前、ニースが魔物と動物の違いを話していた。
明確な違いはないが、人を敵視しており、能動的に襲ってくるものが魔物だと。
この世界には、魔物のような存在はいないのならば、敵は竜族だけということか。
いやいや、待て。
亜人と人間との関係性がわからない内に結論を出すのは早計だ。
「亜人というのは、この世界ではどういう立ち位置なんだ?」
「うーん、人間と同じかな。
元々は人に虐げられていたんだけど、竜族が来てからは亜人も人間もなくなってる感じだね。
もちろん、互いの軋轢は残ってるけど、お互いに竜族に狙われてるから、うやむやになってる感じかな」
「そうか。そういえば、ここには亜人はいないみたいだけど」
「ここは、えーとエシュト皇国のリーンガムっていう街なんだけど、人間の街だから。
亜人はトッテルミシュアっていう国に集まっているみたい」
ネコネ族やライコ族達もそこに行ったんだろうか。
表異世界では、俺はトッテルミシュアとレイラシャには行ったことがないんだよな。
「現在、人間と亜人はほとんど残っていない、みたい。
ここにいる人達も全部で100人くらいだし。
皇都、ってこの近くにある、首都みたいなところね、そこにも人は残ってないんだ」
「そこまで追い詰められているってことか?」
「そう、だね。竜族に人は殺されて、エシュト皇国内でも人はほとんど残ってないみたい。
あたし達も逃げ延びて、ここに来たから」
神であるミスカが言っていた通り、人類は絶滅の危機に瀕しているらしい。
この世界が裏異世界で、人類は滅亡寸前だなんて。
みんな死んでしまったんだろうか。
他の異世界人達のことをこの世界の結城さんはあまり覚えていない様子だった。
ならば、聞いても無駄だろう。
それにニース、ババ様、ハミル、ディッツやみんなの情報も持っていないと思う。
みんな無事なのか。それともこの世界に存在すらしていないのか。
だが、俺にはまだ実感がない。
それでも目の前にいる結城さんと莉依ちゃんの姿が、俺を現実に引き戻した。
「各国の軍も残っていないのか?」
「ほとんど残ってないみたい。真っ先に狙われたし。
一部生き残ってるだろうけど、抵抗できる数は残っていないと思う、多分だけど」
人間は竜族に滅ぼされる運命なのか。
ミスカも諦観の面持ちだった。
彼女も、この世界は滅ぶのだと言っていた。
ならばやはり人間には、もうできることはないのだろうか。
俺にはまだわからない。
みんながどういう日々を過ごしたのかも、想像の域を出ない。
でも。
本当に滅んでしまうのか?
それでいいのだろうか。
いいも悪いもなく、このままでは必然的にそうなるのだろう。
だが、何もせず滅んでしまって、それでいいのか。
俺にはまだわからない。
だが、小さな違和感が俺に残った。
「君、本当に転移して間もないの? すごく順応している気がするんだけど」
しまった。不用意に、状況を受け入れ過ぎたか。
俺は内心で冷や汗を掻いたが、平静を装う。
「元々、あんまり動揺しない性質なんだ。それに、一ヶ月あれば色々と慣れるしね」
「そっか、そう、なのかな」
俺の答えは彼女の疑念を完全には払しょくできなかったようだ。
だが一応は答えになったようで、結城さんは一先ずは納得したようだった。
「んっと、簡単に言えば、こんな感じかな。他に何か質問ある?」
「そうだな。二人はずっと一緒にいたのか?」
結城さんは、かなり顔に疲れが出ているが、俺の知っている結城さんでもあった。
だが、莉依ちゃんは……。
「うん、転移してからずっとね。三年前、転移した当初は大変だったよ。
突然、異世界に移動して、わけもわからず化け物に襲われて。必死で逃げて。
ほんとに……大変だった」
「そうか」
俺には慰めの言葉も、無責任な共感もなかった。
ただ事実を事実として理解することだけしかできない。
「じゃあ、次の質問だ。異世界人ってのはこの世界ではどういう風に見られてるんだ?
現地の人達は俺を見ても、あんまり驚かなかったけど」
俺は黒髪、黒目、完全な日本人顔。
対して現地人は、いわば西洋風の顔立ちだ。
一種族だけではないが、アジア系の容姿の人間は、表異世界にはいなかった。
そして、結城さんや莉依ちゃんも日本人だ。
その割には、特に奇異の視線を感じなかったし、普通に受けいれられている様子だった。
風当たりは強くても、異世界人だからという言葉や態度はなかったように思える。
「この世界には日本人と似た人種もいるみたいで、あんまり目立たないよ。
ま、あたし達にはわかるけどね。他の人種の人達からしたら大差はないみたい。
ここの人達は異世界人だってことも知らないんだよね。
話してないし、話しても信じて貰えないだろうし」
表異世界とは別の状況だ。
なるほど。俺達の容姿は、この世界では目立つようなものでもないようだ。
「ありがとう。この世界の一通りの事情はわかったよ。
その内、また疑問が出ると思うけど」
「その時は気軽に話してよ。あたしでわかることなら教えるから」
結城さんは面倒見がよかった。
その性格は変わっていないらしい。
表異世界の彼女は、現代の論理や考えを持ったままで異世界での生活を営んでいた。
そして最終的に帰還したのだ。
では、この世界の彼女はどういう心境なのだろうか。
さっきの出来事が脳裏をよぎった。
「じゃあ、この集団のことを教えてくれるか?」
本題に入ると、結城さんは顔を顰めた。
話したくないのだろうか。
だが、俺としては事情を知りたい。
でなければ、行動指針も定められない。
俺は無言で結城さんが話し始めるのを待った。
数秒して、結城さんは重い口を開いた。
「その……さっきも言ったけど、みんな、色んな場所から逃げのびてここに来たんだ。
だから、色んな人がいる。
色んな土地の人がいるし、それに、みんなすごく辛い思いをしてきたんだと思う。
オーガス勇国、ってエシュト皇国の隣国なんだけど、あたし達はそこからここまで逃げて来たんだ。
途中、道すがらみんなと合流してここに辿り着いて、隠れ住んでいるって感じ。
大体、半年くらいかな。
隠れつつ、リーンガム内に残っている食料を探して何とか生き長らえている状態」
おおよそは想像通りだ。
「じゃあ、さっきはなんで結城さんが責められていたんだ?
竜族にこの場所が見つかる可能性が出たから、というのはわかる。
けど、結城さんが一方的に責められる理由がわからない。
それにどうして二人だけで外にいたんだ? 食料を探すためか?
だったらどうして結城さん達だけで?」
「それは、その……」
結城さんは口ごもっていたが、俺は我慢強く待ち続けた。
「その、あたしと莉依ちゃんが、食料とかの調達の仕事をしてる、から」
調達の仕事。
この隠れ場所から外に出れば危険なことは誰にでもわかる。
その役目を二人が担っているということは、どういうことなのか。
「どうして二人が?」
「あ、あたしが、率先してやってるの。
莉依ちゃんは、いつもついてきてくれて。
彼女、治癒能力があるから、いざという時のために、同行してくれてるみたい」
「他の人は? 男性とか、他にもいたよな?」
若い男性はいなかったが、女の子二人に任せるよりはいいだろう。
俺はフェミニストではないが、やはり男性が女性や子供を守るべきだとは思う。
女性、しかも若い女の子二人の背中に隠れるなんて、情けないとしか考えられない。
戦う力がなくても、戦う意思は持つべきだ。
「あたし達は、ほら、能力があるから」
「……他の人達もそれを知っているのか?」
「う、うん。でも、この世界には魔術があるし、特に目立ってはいないよ。
あ、魔術っていうのは、火とか水で攻撃したりする、あの魔術ね。
ほとんどの人は魔術は使えないし、戦えないから。
だから、強いあたしが、外に出てるんだ」
「それで、他の人は何をしてるんだ?」
「え? な、何をって、その、ここにいて色々。家事とか洗濯とか」
「他には?」
俺は詰問口調になっていることに気づいていた。
だが、憤りを隠せなかった。
ここまでの話を総合すれば、どう考えても『女の子二人に危険な役目を押し付けている』ようにしか思えなかったからだ。
さっき広間には、大人も複数いた。
むしろ、そういう人間こそ、結城さんを責めていた。
あの情景、事情を加味すれば、どうしても冷静ではいられない。
端的に言えば、気に食わない。
「結城さんや莉依ちゃんを危険な目に合わせて、自分達は隠れて、家事をしてる、と?」
「そ、それは」
「それで失敗したら、責任追及してるって?
確かにさっきの戦いとか、俺の傷が治っていることを見れば、能力があることはわかる。
けど、それは簡単に勝てるってことじゃないし、安全ってことでもない。
だから逃げてたんだろ? 戦って勝てないから。下っ端の竜族相手でも。
力があるなんて関係ない。それが当たり前だと他人が言っていることが異常だ」
「あたしが、やるって言った、から」
「だからって、君達に依存して、頼りっきりになることが正常だとは思えないな」
結城さんは目を泳がせて、必死で何かを考えている様子だった。
言動からして、他の人達を庇おうとしていることは明白だった。
だが、それは間違っている。
それではダメだ。
結城さんや莉依ちゃんのためにも、他の人達のためにもならない。
人が少ないならば、一蓮托生の状況ならば、団結しなければならない。
互いのやるべきことをやって、互いに支え合い、生きなければならない。
なのに、ここの人達は結城さんと莉依ちゃんに依存している。
他の人間は生きるためにすべきことをしていない。
例え、どんな事情があっても、他人に縋って生きる正当な理由なんてない。
己の足で立ち、歩かない人生に意味はない。
俺はそう思っている。
「みんな、色々あって、とても疲れているんだと思う。
最初は、協力するって言ってくれた人もいたんだよ?
で、でも、今はいない。段々、希望を持てなくなって……それで」
結城さんは口ごもった。
長い間、辛い目にあっていたのだろう。
結城さんや莉依ちゃんだけではない。
むしろ現地人の方が、長い間、竜族達に追われて恐怖に耐えてきたかもしれない。
だが、それがどうした?
他人の足を引っ張り、責任を押し付けて、善意を利用して生きていい理由にはならない。
「だったら一人で勝手に死ねばいい。君達に負担をかけてまで生きる価値はない」
俺は何の感慨もなく、自然な流れで言葉を吐いた。
結城さんは言葉を失っていた。
莉依ちゃんは、ひたすらに俺を凝視している。
「ど、どうして、そんなこと言うの?
ひ、ひどいよ! そんな見捨てるなんて」
「見捨てているのは他の奴らだろう?
君は見捨てられているのに、見限っていないだけだ。
そうして君が彼等の面倒を見ているから、彼等は何もしない」
「で、でも、それは、そうしないと、みんなが」
彼女らしい言葉だと思った。
けれど、それはやはり間違っている。
「与えられることが当たり前になれば、人間は堕落するし、感謝を忘れる。
当たり前が失われれば、相手に責任を追及する。人はそういうものだ」
親切にすることだけが、優しさではない。
相手のことを考え、行動することこそ肝要だ。
結城さんは優しい娘だ。
だが、相手の望みを叶え、相手の苦労を代わりに背負うことは、相手のためにならない。
相手に労力をかけてしまい、申し訳ないと反省し、行動する人間は少ないのだ。
大半は、依存していることに気づかず、より要求をしてくる。
多くの人は、良くも悪くも流されやすい生き物だからだ。
それが、現状なのだと、俺は明確に理解した。
「誰かに依存するだけの関係はいずれ破たんする。
君もわかってるんだろ? もうこのグループは限界だって」
人は、苦しい思いをした時、理由を探す。
本来は自分の責任の場合でも、楽になるために他人のせいにする。
自分のせいにして、責任を自覚することは難しい。
それが自分の手に負えないことであれば、尚のことだ。
殺されるかもしれないという恐怖の日々の中、誰しもが希望を失っている。
その中でも死にたくないという生存欲求はある。
ギリギリの境界線で生き、その中で親切な人間がいれば、相手にすべてを委ねるだろう。
己の命でさえも、知らず知らずの内に最後の最後まで預けている。
そして死の間際に、こう言うのだ。
『おまえのせいだ』と。
勘違いしてはいけない。その際の、死の原因は竜族だ。
直接手を下す存在こそ、最も憎むべき存在だ。
その要因になった何かは、ただのきっかけで、原因ではない。
そして誰かのせいにする人間の多くは、自分の責任を除外している。
目的をはき違え、言い訳をし続けて死ぬのだ。
死にたくないのに、生きたいのに、その努力を放棄する。
なぜならば人には心があるからだ。
逼迫した状況では心が壊れないようにするのが人間なのだ。
だから現実を見ないようにする。
逃げる。
怖くてしょうがないから。
死にたくないのに、死ぬかもしれないという強烈な感情を覆い隠すために、逃げるのだ。
逃げれば死ぬ可能性が高くなる。
逃げれば逃げるだけ選択肢が少なくなっていくからだ。
そうすべきではないという場合でも、そうする。
異常な状況で理性を保つことはとても難しいからだ。
感情を抜きにして考えれば、協力して生活をする方が、生存率は高まるに決まっている。
だが、危機的状況下で平静でいられる人間は非常に少ない。
彼等は限界なのだろう。
そして、現実逃避しているということから目を逸らし、結城さんと莉依ちゃんを生贄にしているのだ。
どれだけ不幸でも、辛い目にあっても、赤の他人のせいにする道理はない。
彼女達は必死に生き、そして他人のために己を犠牲にしている。
なのに。
それでも尚、批判される。
それが当たり前なのだと、他の人間は思っているのだろう。
俺はまだこの世界に来て間もない。
状況を正確に把握していないかもしれない。
でも、人の汚さ、弱さを、俺は痛いほどに知っている。
敵対し、迎合し、管理してきた経験から、人の心を理解している。
だからわかる。
この集団はこのままではダメだ。
全員が足を引っ張り合い、最後には竜人達に殺されてしまう。
こんな状況だから協力しなければならないのに、相手にすべてを押し付ける。
それでは生き抜けない。
何も生み出せないのだ。
どうしてもそういう生き方しかできなくなっているのならば。
一人で死ねばいい。
他人を巻き込まず、一人で殺されればいい。
それが嫌なら、生きたいと望むのなら。
戦うしかない。
誰に任せるでもなく。
己の力で、勝ち取るしかない。
それが生きるということなのだから。
結城さんは、何か言おうとしたが、声にせずに俯いた。
彼女に非があるわけじゃない。
だがやり方は間違っている。
本人も気づいていたはずだ。
だが、目を逸らしていた。
他の人達とは別の意味で、彼女も現実逃避していたんじゃないだろうか。
そんな中、俺は強い視線を感じた。
莉依ちゃんが俺を見ていた。
無表情だが、その瞳には強い感情が滲んでいる。
それは。
怒りだった。
俺は心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥る。
彼女がこんな表情を浮かべるなんて、俺にその感情を向けるなんて過去になかったからだ。
簡単に言えば、ショックだった。
冷静に考えれば、莉依ちゃんと俺は今日、初めて会った。
莉依ちゃんと結城さんは三年間一緒だった。
どっちが、莉依ちゃんにとって大事な存在か、明々白々だ。
ほとんど赤の他人なのだ。
その彼女から見て、今の状況は、俺が結城さんを責めているように見えるだろう。
今日来たばかりの人間が偉そうに何を言っているのか。
結城さんの苦労も知らずに。
そんなところだろう。
何とか平静を保ち、俺は結城さんを見ていた。
莉依ちゃんの方向は見られない。見たら泣きそう。
だが、俺も莉依ちゃんと同じ立場なら同じように怒りを抱いただろう。
もう少し時間を使って、状況を把握して話せば、違った結果になったかもしれない。
だが、それは難しいと俺は判断していた。
なぜならば時間がないからだ。
竜族を殺したことで、この場所が見つかるかもしれない。
それは誰の責任だとかは別として、現実なのだ。
ここで悠長にしている時間はないだろうと思った。
早く、結城さんにそのことを話さなければならない、と。
『現実を直視し、これからすべきことを理解して貰う必要があったからだ』。
俺は黙して結城さんの言葉を待った。
そして、しばらくすると沈黙は静かに破られた。
「は、はは、そう、だよね。君の言う通り。
わかってるんだ。こんなこと続けてたらダメだって。
結局、失敗しちゃったし、油断して、街の近くに竜族がいるって気づけなかったし」
「結城さんに非はないよ。けど、やり方は間違ってると思う」
「そ、っか。間違ってた、か」
結城さんは落胆し、脱力した。
生気がなくなり、視線を地面に落とした。
緊張の糸が切れた。そんなところだろう。
ずっと義務感や使命感で頑張って来たのだろう。
だが失敗したところで、俺の言葉を聞き、張り詰めていたものがなくなったようだ。
目の前にやるべきことがなくなれば、人は目的を失い、何も考えられなくなる。
疲労していれば尚のこと。
燃え尽き症候群に似た、心境だっただろう。
だが、俺は結城さんの白くなる寸前の心を掴んで離さなかった。
「それで、どうする?」
「どうする……って?」
「結城さんはどうしたいんだ?」
俺は真っ直ぐ結城さんを見つめる。
パチパチと何度も瞬きをし、俺の視線を受けていた結城さんは、ふぅと溜息を洩らした。
「わかんない、どうしたらいいか」
「どうしたらいいか、じゃなくて、どうしたいんだ?
他のことはどうでもいいんだ。素直に考えればいい」
「どうしたい……?」
「そう。何でもいい、状況は考えなくてもいい。望みを言えばいいんだ。
もう一度聞くぞ。結城さんは、莉依ちゃんはこれからどうしたい?」
この質問は、俺の今後を左右するものでもあった。
俺は表異世界にいる莉依ちゃんの下に帰りたい。
そのためには『ミスカが、竜神に奪われた力を取り戻さなくてはならない』。
神であるミスカが力を取り戻せば、俺は表異世界に転移することができるだろう。
つまり、この世界を救わなければ、俺は帰れない。
もしかしたら、また転移の力が俺に戻ってくるかもしれないが、その可能性は低いと、俺は直感的に理解している。
結城さん達を日本へと帰した時から。
それに……。
俺は、眉を八の時にして思い悩んでいる結城さんの顔を覗く。
結城さんが、莉依ちゃんが望むのなら。
「あたしは――」
結城さんは整った唇を震わせた。
「あたしは、普通の生活がしたい、かな」
当たり前の望み。
当たり前の願い。
けれど、この世界では存在しえない幻だった。
「朝起きて、今日も生きててよかった、なんて思わない生活。
美味しいもの食べて、友達と遊んで、色んなお店で買い物して。
たまにはイヤなことはあるけれど、怖い思いもするけれど、それでも普通な生活がいい。
こんな――こんな……辛い……ま、毎日は、も、もう……いやっ……」
結城さんは徐々に嗚咽を漏らし始めた。
だが決して涙は流さない。
それは彼女の矜持なのか、それともそうせざるを得なかったのか。
どちらにしても、悲しいことだと思った。
俺は何も言わずに、ただ結城さんの言葉を待った。
「なんで、どうして……こんな、ことに……なっちゃったんだろ……。
あ、あたし、毎日、退屈で……学校とか、つまんないって、思ってて……。
ど、どこか遠くへ、行きたいって……そう思ってて……。
正直、転移した時、ちょっと、わ、ワクワクしたんだ……。
あたしがバカだった。こんな……こんなの、やだよ……もう、帰りたい。
普通の、生活がしたい……み、みんなに、会いたい……」
彼女の本音はわかっていた。
だって、結城さんは日本に帰ったから。
彼女は、日本に帰ることを選んだから。
彼女は、俺とは違うから。
だからわかっていた。
そしてこんな方法をとったことに、俺は内心で謝罪した。
責任感から開放し、何もないと気づかせ、その上で本音を引き出した。
そうでもしないと、彼女は重責から解放されないと思ったからだ。
今が、彼女にとって転機だったのだ。
このまま、再び結城さんが指揮を執り続けるかどうかの。
王として生きて、こんな姑息な手も覚えてしまった。
だが、泥水を啜ってでも救えるものがあると知っているから。
俺は躊躇わない。
二人を見捨てないと、そう決めていたからだ。
俺は莉依ちゃんに視線を移した。
「莉依ちゃんも結城さんと同じ考えなのか?」
莉依ちゃんは俺を一瞥し、俯きながら、頷いた。
視線はほとんど合っていない。
それがどうしても気まずくて、俺も莉依ちゃんから視線を逸らしてしまった。
「わかった。じゃあ、俺が助ける。結城さんも莉依ちゃんも、俺が守るから」
「……え? き、君が?」
結城さんは涙を拭いつつ、俺を見上げる。
目が僅かに赤い。
「ああ。約束だ。絶対に守ってみせる。今は信じられないだろうけど」
「ど、どうして、そこまで……」
「理由なんてない。俺がそうしたいんだ。
必ず、君達を、みんなを助けるから。見捨てないから。守るから。だから――」
結城さんは、まるで子供のような純粋な視線を俺に向けていた。
「だから、泣いていいんだ」
俺が言うと。
結城さんは。
泣きじゃくった。
「あううぅっ……うああっ、ううっ、ふぐっ……えぐっ……うわああんっ!
あああああああっ! あうぅうぅ、えうぅ、ああああああっ!」
ひたすらに泣いた。
ずっと我慢していたのだろう。
辛くても、じっと耐えて。
そうして三年も。
どれだけ辛かったか俺にはわからない。
だが、同じ辛さは知らなくとも、心が張り裂けるような辛さを俺は知っている。
俺は少し離れた場所から結城さんを見守った。
抱きしめたりはしない。
触れることもない。
ただ彼女が泣きやむのを待った。
俺と、二人との距離は、それだけ開いているのだから。
それでいい。
別に好かれなくてもいいんだ。
いつも通り。いつもと同じ。
俺がやりたいからやるだけだ。
助けたいから、見捨てられないから、幸せになって欲しいから頑張る。
それでいい。
見返りはいらない。
俺は俺のしたいことをする。
それだけのことなのだから。
号泣している結城さんの隣、莉依ちゃんは相変わらず俺に疑念の視線を向けている。
いや、これはそれだけじゃない?
色んな感情が混じっているような気がする。
怒りは、なくなっているようだったが、別の何かの感情が浮かんでいる気がした。
だが、それも一瞬。
莉依ちゃんはすぐに俺から目を逸らした。
嫌われてるな、これは。
やっぱり、莉依ちゃんに嫌われるとかなりダメージがあるな。
うん、死ぬわ。心が。
一人になったら、泣こう。
そう胸中で決意し、俺は結城さんが落ち着くのを待ち続けた。




