一人の時
半日程度レベル上げに勤しんでいると、何とか身体を動かせるようになった。
「くっ……身体が重い……ッ!」
歯噛みし、ようやく席から立ち上がった。
過去の記憶を掘り返すと、飛行機内で這いずって移動したはずだ。
あの時よりは大分、悪くはない状況だ。
座席の頭部分を掴んで、体重を支えつつ通路へ出た。
視界も多少はよくなっているので、機内の状況は理解できた。
大量の白骨死体。
全員がすでに死んでかなりの時間が経っているらしかった。
これでは食料類も腐っているだろう。
俺が死んでいる間に、相当な時間が経過しているようだ。
何があったのかという疑問はあったが、考えることが億劫になっていた。
頭もまともに働いていない。
とにかく、ここから出よう。
空腹だし、空は橙色に染まっているため、出歩くべきではないかもしれない。
だが、機内に留まっても大して意味はないようにも思えた。
俺は覚束ない足取りで、外に出た。
見覚えのある場所だ。
やはりグリュシュナで間違いないらしい。
森の中を進んだ。
獣道に沿って歩を進めると、不気味な虫や小動物がそこかしこに散見された。
魔物、ではないようだが。
噛まれたりすると死ぬかもしれないので、慎重に進んだ。
死ぬことに関しては俺以上に詳しい人間はいない。
大量の死の経験によって、死の予感がなんとなくある。
生き抜くには、危機回避は必然だ。
警戒しつつ進もう。
鬱蒼と茂った草木を縫い、俺は進んだ。
日が沈むことはわかっていたが、先に進むことの方が重要に思えたからだ。
心情的に、少しでも状況を理解したかったという理由もある。
しばらく歩くと、日が落ちた。
森の中、完全な闇の中、一夜を過ごすことになる。
この経験も以前したので、抵抗感は薄い。
ただ、不気味であることに変わりはない。
時折、ガサガサと聞こえる。
気味の悪い、何かの生物の鳴き声も。
それでも俺はじっとその場から動かず、座ったままだった。
時間が過ぎるのを待ち続け、空腹に耐えた。
眠りたい衝動に駆られたが、何とか我慢した。
魔物にでも遭遇して、寝ていては簡単に殺されるからだ。
俺……神を殺して世界を救ったんだよな。
なのに今は、こんな森で孤独と空腹と睡眠に耐えているとか。
どんな運命だよ。
深い、それは深い嘆息を漏らした。
最初からわかっていたことだ。
俺は、そういう星の下、生まれたのだと思うしかなかった。
――やがて。
ひたすらに耐えて、ようやく空は白んだ。
「……行くか」
俺は、初めて転移した時のような、ただの高校生ではない。
数々の困難を乗り越え、強敵を倒し、多くの民を従えている王だ。
この程度でへこたれるはずもない。
王様……なんだけどね。
なんでこんなことになってるんだ。
考えないようにしよう。
考えると、色々と落ち込みそうだ。
俺は思考を遮断して、身体を動かした。
そして街道に出る。
見たことがある景観だ。
ここは、エインツェル村へと続く道。
以前は確か、ここを通る時に村人の男が逃げて来た。
そうだ。
トロールが村を襲っていたのだ。
まさか、今回も……?
そう思い、警戒しつつ村へと向かったが、誰の姿もなかった。
やはり、過去の焼き直し、というわけではないようだ。
幾つも相違点がある。
グリュシュナであることは間違いないが、俺が知っている過去とは違うのかもしれない。
空腹を感じつつも、脚を動かした。
そして。
目の前に広がった光景に、俺は言葉を失う。
目を見開き、呆然としてしまった。
やがて、無意識の内に言葉を紡いだ。
「どう、なってるんだ、これは……?」
廃村。
エインツェル村だった場所には、寂れた村があるだけだった。
家屋は何かに破壊され、半壊している。
人気はない。
誰もいない。
だが、その村は間違いなくエインツェルだった。
俺が初めて訪れた村だ。
村長に裏切られ、そして……村人達は人体実験の末に魔兵化された。
しかしその過去も、聖神を倒した後、創造の力により改ざんされた。
だが、これは。
この状況は一体。
これではまるで魔物に襲われた後のようだ。
俺が死んでいた、数ヶ月以上。
その間にトロールが襲来した、ということか?
俺が村を救う手助けをしなかったから?
俺が死んでいたから、なのか?
俺は村を見回った。
どこか違和感がある。
トロールは棍棒や大槌の類を武器にしていたはずだ。
その跡がない。
地面や建物を見てみたが、巨大な何かに破壊されている様子はない。
部分的に家屋に穴が開いていたり、裂傷が走っているが、規模は小さい。
鋭い何かに貫かれているような。
人間と同じくらいの体躯の、何かの仕業なのか。
人間にしては、家屋の破壊状況に違和感がある。
壁や柱を破壊しているのだ。
村を襲うために、大砲やバリスタのような攻城兵器を用いるとは思えない。
ならば、やはり魔物の仕業だろうか。
トロールではない、別の魔物?
それは一体?
とにかく、誰か人を探さないと。
少しでも情報が欲しい。
「……腹が空いたな」
その前に何か食べないと、餓死しそうだ。
そろそろ丸二日、食事も睡眠もしていない。
聖神にハイアス和国が滅ぼされた時、俺は傷心のあまり、食事をせずに居続けた。
その時は『餓死しなかった』が、その状況のままという確証はない。
アナライズがまともに機能していなかったのだ。
ならば他の能力も発動するかどうかはわからないのだから。
不用意な行動は抑えた方がいい。
俺は十数ある建物を調べた。
大概の死体は白骨化しているが一部の死体は、まだ新しかった。
新しいとは言っても、腐りかけだ。
飛行機内の人達の状態と比較すると、もしかしたら、エインツェル村の人達が死んだのは、時期的に後なのかもしれない。
土に返してあげたいところだが、俺にも余裕がない。
最低限、死者を冒涜しないように心掛けて、村を見回る。
不幸中の幸い、ドライフルーツと硬焼きパンがあった。
井戸の水も透度は高く、飲料には問題がなかったので、水筒に入れた。
俺は広場に出て、地面に腰掛けた。
どうも他人の家で寛ぐのは居心地が悪かったからだ。
久しぶりの食事に舌鼓を打つ。
味気ないが、胃袋が満たされるだけで満足感が生まれた。
簡単に食事を終えると、建物の影に隠れて、寝ることにした。
「久しぶりだな、こんな……感じは……」
安寧の中の疲労と、先行きの不安な状況の疲労とでは、負担が段違いだ。
現状、俺には緊張感が生まれている。
ハイアス和国にいた時の平穏とは全く違う。
危険、不安定、不穏。
懐かしい感覚。
忌避したいような、享受したいような。
どこか高揚を感じつつ、俺は睡魔に身を委ねた。
●□●□
数時間の睡眠の後、俺は村を後にした。
エインツェル村からなら、皇都に行くか。
現リーンガム、つまりハイアス和国となった港町へ行くか。
それとも、ネコネ族の集落へ行くか。
基本的には三択しかない。
状況がわからない状態で、皇都に行くのは危険だと思う。
指名手配されているとすれば、敵地に飛び込むようなものだ。
ネコネ族の集落も同じ。
俺の存在を知らないババ様やニースと会っても警戒されるかもしれない。
もちろん、彼女達の性格を鑑みれば、助けてくれる可能性も高いが、時間がかなり経過している。
その間に何かがあったかもしれないし、何より、ここが本当に過去のグリュシュナなのかという確信がない。
状況証拠だけで考えれば、過去だという回答が出るだろうが、それでも俺は慎重にならざるを得なかった。
様々な経験から、不用意に行動するべきではない、と考えたからだ。
人が多く、身を隠すことがある程度はでき、その上で近い場所となればリーンガムしかない。
近いといっても、徒歩だと一ヶ月程度かかるが……。
多少遠いが、幸いにも食料と水は手に入れた。
量もそれなりに確保できた。
鞄も衣服もあるし、旅の準備はできている。
ちなみに制服から、拝借した服に着替えてある。
さすがに血だらけの服では問題があるからな。
完全に窃盗だが、状況が状況だ、
余裕ができたら後で代金なりを支払い、墓を建てることにしよう。
俺はリーンガムへ向けて出立した。