限界の先へ
みんなが寝静まってから、俺は墓の前に座り込んで、これまでのことを報告していた。
「――なんてことがあったんだ。大変だったよ。けど……やり遂げた」
莉依ちゃんやみんなに話していた。
墓には綺麗な花が飾られている。
ニースができる限り、花を供えてくれているらしい。
面倒くさがりなのに、こういうところは律儀でしっかりしている。
長らく話していた。
けれど次第に一方的な言葉をなくして、無言になった。
空は白んでいる。
朝だ。
三人はまだ寝ている。
いや、今さっき寝たばかりだけど。
「……莉依ちゃん、みんな」
ダメだったのだろうか。
沼田が、あそこまでしてくれたのに。
みんなは……生き返らなかった。
死んでから時間が経ったからか。
それとも何か問題があったのか。
戦争で死んだ兵達は生き返っていたようだった。
ならばやはり時間が経ちすぎたのか。
俺が、もっと早く神を倒していれば、こんなことには……。
「意味は、ないよな。そんなことを考えても」
後悔なんて消えるはずがない。
みんなが死んでしまったという今があるのならば、どんなことを考えても納得はできないのだから。
莉依ちゃん。
俺は、まだ君のことを忘れられない。
忘れられるはずがない。
こんなに好きなのに。
愛しているのに。
誰がなんと言おうと関係ない。
俺は、この想いを忘れないし、捨てない。
だから。
「頼む……頼むよ、莉依ちゃん」
お願いだから。
「戻って来てくれ。俺の下に……みんな、みんな……。
莉依ちゃん。前みたいに笑ってくれ。喜んでくれ。はしゃいでくれ。
泣いて、笑って、怒って、それでもまた笑って、俺の傍にいてくれ。
前みたいに、ずっと一緒に……。もっと君を大切にする。もっと君を好きでいる。
だから……だから、お願いだ……っ、お願い、だから……頼む、頼むから……」
涙が枯れるなんて嘘だ。
思い出が薄れるなんて嘘だ。
涙は枯れない。
思い出は風化しない。
時間が経てば経つほど想いは強くなる一方だった。
大切だとわかっていたのに、それでもまだ足りないと。
愛し足りないと。
離れれば想いは募るのだ。
その想いが本物ならば、他の誰でも埋められるはずがない。
それは代用だ。
本当に愛しているならば、そんなことはできない。
愛しているから、辛くても心を苛まれても何もできないのだ。
誰かが優しくしてくれても、心の表面は薄皮で覆えても。
ぽっかりと空いた穴は決して埋まらない。
一人だけ。
心の底から愛しているのは一人だけなのだから。
俺には、その穴を埋めることは一生できない。
莉依ちゃんじゃないと。
「君じゃないと……俺は、ダメなんだ……莉依ちゃん、莉依……。
君以外の人じゃ、俺は、ダメなんだ……ぐっ……うぐ……」
涙しても何も応えはない。
それでも俺は泣くことしか、懇願することしかできない。
泣いて俯いて、地面に伏して。
神を殺した俺は、何も乗り越えてはいない。
莉依ちゃんがいなければ、俺は前に進めない。
泣きじゃくり、慟哭して。
それでもまた泣いた。
そして。
奇跡は起きた。
「……え?」
数百にも及ぶ、墓の上に、光の球が舞い降りる。
一つ一つ、墓にその光は消えていく。
温かな光は周囲を照らした。
眩い。
目を瞑りたくなるほど光。
だが、俺は決して目を閉じなかった。
「な、なに!?」
「これ、どうなってるの?」
「にゃにが起こってるにゃ!?」
家から出てきた三人は異常な光景に狼狽してる。
俺は呆然と莉依ちゃん達の墓を見ていた。
外の様子に気づき、目を覚ましたらしい。
光は徐々に強くなり、そして少しずつ弱まった。
そして収束する。
光の塊が墓の上に生まれ、人の形に変貌した。
それから。
それから。
「莉依、ちゃん」
目の前に現れたその人の名を呼んだ。
俺は震えた手を伸ばす。
光が収まると、その姿が見えた。
綺麗な髪。
長い睫毛。
華奢な身体。
白い肌。
ぷっくりと膨らんだ、朱色の頬。
愛らしい顔に、歳不相応な落ち着いた所作。
睫毛は震え、瞳が開かれた。
「虎次、さん?」
目の前にいる。
ずっと想い焦がれていた人が。
莉依ちゃんが。
そこにいる。
俺はまともに動けない。
だが、俺の伸ばした手を莉依ちゃんは優しく掴んでくれた。
小さな手は温かく、俺の情けない心を包み込んでくれた。
それだけで。
「莉依ちゃん……莉依、莉依……」
俺はゆっくりと莉依ちゃんに近づき、抱きしめた。
この体温。
忘れない。忘れるものか。
この幸福な時間を。
愛しい人の感触を。
「虎次さん……私……覚えてます、全部……見てたんです、全部」
「そう、か」
「……ありがとう、虎次さん、私の、私達のために、すごく頑張ってくれたんですね」
莉依ちゃんはぎゅっと抱きしめてくれた。
背中に回された手が俺の服を掴んだ。
「会えた……やっと、虎次さん、虎次さん……!
会いたかった、こうしたかった。ずっと、ずっと……あなたを、愛してます。
好きです、虎次さん……好き、好き……」
「俺も、愛してるよ……莉依、心の底から、君を愛している。これからもずっと。
想いは変わらない。ずっと君を想っているから……」
「虎次、さん」
俺は莉依ちゃんの身体をひしと抱きしめる。
もう離したくない。
強い想いが俺達を捕らえたままだった。
顔を上げると、周囲の墓の上に、みんなの姿が生まれた。
生き返ったのだ。
ハイアス和国の人達。
死んでしまった人達は。
一年の時を経て、生き返った。
神の奇跡だ。
この瞬間、一瞬だけ。
俺は創造神の能力に感謝した。
そして……沼田に。
命を懸け、すべてを懸け救ってくれたのだ。
俺はみんなを見渡した。
「おやや? これは一体全体どうしたにゃじゃ?」
「……何やら見慣れぬ場所に」
「……こ、ここは……ハイアス和国の近く……?」
「あれ、お兄ちゃん? ここはどこなの?」
「ん? なんだ、どうなってんだ、おーい、母ちゃん!」
ババ様、ハミル、アーガイル、ディッツ、リアラちゃん、ラカ、みんな。
そして……莉依ちゃんを。
戸惑ったままの人も多い。
だが俺は。
泣きながら笑い。
言った。
「おかえり、みんな!」
●□●□
世界中で生き返る人間が溢れた。
ハイアス和国の人間だけではない。
エインツェル村の人達。
エシュト皇国内で亡くなった、サラやエシュト皇国元皇帝、それに俺が殺した人達。
ララノア山で死んだ傭兵達。
オーガス軍との戦争で死んだ、オーガス兵達。長府も含まれた。
傭兵団バルバトスの団員、ロルフ達と、ハイアス和国を出た連中。
山賊達も、生き返ったようだった。
世界総力戦で死んだ兵達、国民も。
『転移してから俺に関わった人達』はすべて生き返ったのだ。
それだけ俺に宿った命の量は多く、沼田の与える力で生命を得たのだ。
だが、聖神の存在を忘れたからこそ、記憶に齟齬があった。
そのため、俺のことを忘れている人間は多かった。
ハイアス和国の民は全員俺のことは覚えていたが、聖神のことは忘れている。
異世界人のみんなはすべてを覚えていた。
これは、何かしらの力が作用しているのだろうか。
「どうしたの? 日下部君」
俺は物思い耽っていたようだった。
「いや、何でもない」
結城さんに声をかけられ、我に返った。
正面には、結城さん、朱夏、剣崎さんと金山が立っている。
ここはニースと俺の家があった、墓があった高台だ。
墓には誰も入っていないから、撤去している。
――すでに神を殺して数週間が経過していた。
背後には見送りに来たハイアス和国のみんながいた。
俺の隣には莉依ちゃんとニースが立っている。
双方とも、哀しそうに顔を歪ませ、唇を噛んでいた。
「そんな悲しそうな顔しないでよ……あ、あたしも、うう、が、我慢できなく、なる」
結城さんが泣きそうになって、いやむしろもう泣いている。
大粒の涙をぼたぼたと流していた。
「にゃにゃ……寂しいにゃ、寂しくなるにゃ!」
「み、みなさん、お、お元気で……」
今にも泣きそうなニースと莉依ちゃん。
朱夏は苦笑していた。
「もう決めたことでしょ? あんまり泣くと離れがたくなるよ」
「だ、だっでぇ」
結城さんは我慢できず、何度も手で目を擦ったが、止めどなく涙が溢れていた。
「剣崎さんも元気でな」
「う、うん……ボク……ごめんね、色々と」
「いや、よくわからないけど」
「ボクは、帰りたかったんだ。だから……だから帰る方法を調べた。
こうなることはわかってたんだ。道筋はわからなかったけど、結果はわかってた。
だから、ケセルに協力したんだ」
剣崎さんの能力は、どんなことでも知ることができる知識だ。
限定的な条件があるが、それでも確実な返答が望める。
彼女の行動はよくわからないことがあったが、なるほど、すべて今に繋がっていたのか。
もし、彼女が同じ行動をとらなければ、同じ結末はなかったのだろうか。
「君は俺達に危害を加えていないだろ。気にする必要はないさ」
「……そう、だね……けど、沼田君は」
「君が何をしようと、沼田は同じようにしたと思う。
……俺がこんなことを言うのは身勝手だとは思うけど、あいつは……。
あいつは必死で生きて、必死で戦っただけだ」
「……うん」
沼田、おまえの望みは叶えたぞ。
満足、したんだよな?
そうだったら、いいと思う。
別れを惜しんでいる面々。
少しずつ、全員が別れを終えた。
「はよぅ、してーな。儂だけ蚊帳の外で居心地悪いわ」
金山が気まずそうに言った。
それはそうだろう。
俺は知らないが、奴は全員の金を持ち逃げした。
その上、俺達とは大して関わりがない人物だ。
同じ異世界人ではあるが、だからといって、深く付き合いがあるとは限らない。
それはそれでよかったのかもしれないが。
そして。
「そろそろ」
「う、うん……」
「わかったよ」
莉依ちゃんやニース、他の見送りの連中は少しだけ後方へと下がった。
俺が先頭に立ち、朱夏と結城さん、剣崎さんと対峙する。
「じゃあ、少し離れて」
全員が俺から距離をとる。
この世界。
異世界に転移した時。
俺達は飛行機に乗っていた。
飛行機は地球上で墜落し、その衝撃で俺達は能力に覚醒した。
その後、グリュシュナに転移した。聖神の手によって。
そう思っていた。
だが、神は俺達を転移させてはいない、と言っていた。
嘘だとは思わなかった。
俺も感じていたことだった。
沼田の言っていた通り、本当に飽きたから、この世界に俺達異世界人を呼んだのか、と。 だが、考えれば考える程に違和感は広がった。
沼田の仮説で、その部分だけは間違っていたのだ。
俺は墜落する時、こう思っていた。
『死にたくない』
そしてこうも思っていた。
『この世界とは別の世界に行きたい』と。
前者はその瞬間に抱いた、強い思いだ。
後者は長い間、心の奥底に抱き続けた思いだった。
俺の能力を考えればわかることだった。
兵装のように瞬間的な強い感情や思いで開花するスキルもあれば。
長い間、拷問や修行などで開花するスキルもある。
強い思いを一瞬だけ抱くか。
弱い想いを長い期間抱くか。
どちらかで俺の能力は開発されるのだ。
そう。
転移したのは、俺の力だった。
俺が全員を巻き込んだのだ。
だが、誰も俺を非難しなかった。
その理由は同じだった。
『全員が何かしらの思いから、別の世界に行きたい』と思っていたからだ。
たまたまなのか、それとも何かの理由があるのか。
みんなに具体的には聞いていない。
俺だってよくわかっていないのだ。
もしかしたら。
誰もがこことは違う場所、違う世界に行きたいと思っているのかもしれない。
それが強いか自覚しているのか、それくらいの違いしかないのかもしれない。
沼田とリーシュだけがこの世を去った。
勝手だと思う。
だけど、俺は二人に対して負い目を感じていなかった。
共に過ごし、二人のことを俺は知ったからだ。
リーシュは悠久の時を超え、ひたすらに世界を救おうとしていた。
神とはいえ、長い時間を一人で過ごす苦痛は計り知れなかったと思う。
それでも……彼女は世界を救おうと時を繰り返していた。
それは、聖神の、創造神の僅かな人間的な感情だったのかもしれない。
神の中の良心であるリーシュの願いは叶えられたのだ。
ならば憂いてはいけない。
胸を張り、生きることこそ、彼女の思いに報いることになる、そう信じた。
沼田も多分、満足しているはずだ。
あいつは異世界に来て良かったんじゃないかと思う。
死を何度も経験した俺だから思う。
死んでも、それでも叶える望みもあるのだと。
もし、俺が神を殺す時、死んだとしても後悔はなかったと思う。
沼田も同じ気持ちだったと。
あいつはこの世界で大切なものを見つけたのだと。
そう思った。
俺は正面に手をかざして、目を閉じた。
想像の力。
本来、俺の創造は己だけに作用する。
だが兵装のように、己の力を増幅し、異常な程の力を得ることもできるのだ。
魔法のように火を生み出したり、水を発現させたりはできない。
なぜならばそれは人間ができることではないからだ。
だが、俺達は三次元生物。
移動ができる。
歩ける走れる瞬間的に移動できる。
ならば、その速度をより向上すれば。
向上させることができるほどの加速度と移動力を持っているとすれば。
実際、俺ができることの延長だけではなく。
俺ができることの概念を増幅できるのならば。
そして。
『それが可能だという強い思いを持てば』創造できる。
墜落の衝撃、能力の開花した時の爆発的な力。
それが作用し、大規模な転移が起こったとしたら。
今の俺ならば、多くの経験を積み、あらゆる苦難を乗り越えた今ならば。
俺自身が転移する能力を作りだし。
共に移動できる能力を生み出せば。
誰かを転移させることも可能ではないか。
俺の力は内なる創造。
だが、俺の身体が覚えている。
今の俺ならば、その感覚を理解し、再現できると信じている。
空間転移という事象は、物理的に可能でもある。
あくまで机上の空論。
しかし実際に可能でもあった。
それほどの力。
それほどのエネルギーを持てば。
それだけのために、力を費やせば実現できるはずだ。
その考えは、間違ってはいなかった。
力を込めるというよりも、力を置く感覚。
そのまま、故郷を思い出すと。
目の前の空間が開いた。
あまりにあっけなく、俺の中で驚きが生まれる。
円状の穴が開き、そこから情景が見えた。
日本だ。
ビル群と行き交う人の姿が見えた。
洋服に身を包まれた人達。
忙しそうに行き交うサラリーマン。
楽しそうに談笑している学生たち。
その姿を見て、現地人の国民はあれが、異世界なのか、と感嘆していた。
かなりの体力を持って行かれた。
いや……体力とは違う、何かを俺はその瞬間失った。
直感が浮かんでいた。
もう二度と転移させることはできないだろう、と。
それほどに転移には力を使用したようだった。
それは事前に想定していたことでもあった。
俺は創造の力を一時的に得た経験からか『転移関連の能力に関して、直感的に理解した部分があった』
それゆえに、今回の転移に至ったのだ。
だから、何度も話し合った。
考える時間をみんなに持たせた。
結果、帰還を望んだのは四人だった。
……その話し合いには長府や江古田、小倉も入っている。
その話は機会があればしよう。
俺は目を細める。
久しぶりに見た、現代だった。
郷愁に駆られた。
だけど、もう決めたのだ。
この世界で生きると、そう決めたのだ。
だから、俺はその想いを振り切った。
「ほんなら、儂から行くわ」
躊躇なくさっさと穴を潜っていった。
あいつはあれでいいんだろう。
もう、会うことはないのだから。
「じゃあ」
「ああ、元気でな」
剣崎さんが続いた。
彼女は、恐らく日本に帰りたいとずっと思っていたのだろう。
仮に、転移前までは心の底で別の世界に行きたいと思っていたとしても。
実際に体験し、改めて故郷を想うこともある。
「虎次」
「朱夏……」
華奢で中性的な友人は柔和な笑みを浮かべて俺の正面に立つ。
結局、こいつの性別はわからなかったな。
知ったところで何があるわけでもないが、気になりはする。
だが、別れの瞬間に聞くのも野暮だ。
わからない、それでいいのかもしれない。
そう思っていたら、朱夏がおもむろに俺へと歩み寄り、耳元に顔を寄せた。
「あ、ああっ!」
莉依ちゃんの叫び声が聞こえたが、俺は硬直して動けない。
「な、なんだ?」
「僕ね、女の子だよ」
「え? あ、え?」
俺は戸惑って、聞き返すことしかできない。
あれ? ってことは元は男ってこと?
今、女の子なんだよな? ん? あれ? 合ってる?
「じゃあね、虎次」
「あ、ああ、じゃ、じゃあな」
反応に困って、何も言えず、俺は手を振るだけだった。
最後まで翻弄されてしまった。
俺はどぎまぎしたまま、朱夏の後ろ姿を見守った。
横目で、莉依ちゃんが頬を膨らませている姿が見えた。
あれはまずい。
あとで怒られる。
背中に冷や汗を滲ませて、結城さんに視線を移した。
「日下部君色々とありがとう、それと色々とごめんね」
「いいさ、謝ることも感謝もいらない。俺が好きでやったことだし。
謝れるようなことはなにもない」
「そ……か……ふふ、そっか。君はずっとそうだったもんね」
お互いに少し笑い、そして沈黙した。
何か話したいのに、言葉が見つからない。
やがて結城さんがゆっくりと口を開いた。
「……ねえ、ババ様に占ってもらった事、覚えてる?」
「ん? ああ、俺は何も見えなくて、結城さんは」
「最後にわかるって、言われたんだ」
「最後って、今のこと、なのか?」
「うん、今。あたし、ようやくわかったんだ」
「わかったって、何が?」
「あたしね………………君のこと、大っ嫌いだった!」
突然の告白に、俺は言葉を失った。
面と向かって嫌いと言われると、さすがに平然とはできない。
それも長く時間を共にした結城さんに。
俺はどうしたらいいかわからず、ただ結城さんを見つめた。
「あたしは必死で莉依ちゃんを助けてたのに、日下部君は格好良く登場してあたしも一緒に助けてくれた。
エシュト皇国に捕まった時も、あたしと莉依ちゃんを助けるために必死になって。
傷ついて、辛くても乗り越えて、戦って。苦しいのに立ち上がってさ」
結城さんは俺から視線を逸らした。
声が僅かに震えていた。
「それからもずっとみんなのことを考えて、頑張って。
……辛いのに……そ、そんな素振り見せずに、ずっと耐えて耐えて。
ずっとあたしたちを引っ張って……くれた。助けて、支えて、守ってくれた。
いつも先頭に立って……一番大変で辛い思いをして……みんなのことを考えて」
俺は何も言えなかった。
ただ結城さんの言葉に耳を傾けた。
「あたしは君を支えられない、そう思ってた。
けど莉依ちゃんは頑張って、あんな小さな体でできることを探して、君のことを支えようとしていた。
あたし、嫉妬してたんだ。莉依ちゃんに、君に。
すごいって。こんなことあたしにはできないって、そう思ってた。
だから、日下部君達と一緒にいられなかった。辛かったから、一緒にいるのが」
「そう……だったのか」
「だからね、あたしは君が嫌い。
頑張り屋で優しくて強くて弱みを見せなくて、みんなを助けてくれる人だから、嫌い。
大っ嫌い。嫌いで、嫌いで……顔を見てると、泣きそうになるから」
結城さんはゆっくり正面に向き直る。
いつも気丈な彼女は、今日はしずしずと泣いていた。
結城さんは悲しく笑い。
突然、頬にキスをしてきた。
柔らかな感触に俺は硬直してしまう。
何も考えられず、ただ立ち尽くした。
「バイバイ……日下部君」
耳元で囁かれ、答える前に結城さんは身体を離した。
そして転移の穴に入り、一度だけ振り返ると。
「じゃあね、みんな!」
元気にそう言うと、現代へと消えていった。
転移の穴は消え、そこには何も残らなかった。
俺は立ち尽くす。
もう、彼女達には会えないのだから。
少しくらい、この余韻に浸らせて欲しい。
この悲しさを噛みしめさせて欲しい。
静寂の中、誰ともなく、その場から去って行った。
俺は寂寞感を抱き続け、転移の穴があった場所を見つめていた。
隣に、莉依ちゃんが移動した。
二人で無言で前を見据えていた。
やがて、莉依ちゃんは言葉を紡ぐ。
「……虎次さん、結城さんが言っていた、ババ様の占い。私もしてたの覚えてますか?」
「ああ、確か莉依ちゃんは、話したくないって」
「ええ、私、あの時……虎次さんと一緒にいると、死んじゃうって言われたんです」
淡々と話したが、衝撃的な言葉だった。
俺は思わず、莉依ちゃんの顔を見た。
負の感情は微塵もない。
まるで、さも当然だと、そう言っているようだった。
「でも、私は虎次さんと一緒にいたかったから。ずっと一緒にいるって決めてたから。
だから何も言わなかったんです。死んじゃったとしても、あなたの傍にいたいって。
そう、思ってたから」
「莉依ちゃん……君は、そこまで」
「ふふ、虎次さんはどう思っているかはわからないですけど。
実は、私は、虎次さんのことが好きで好きで好きでしょうがないんです。
だから、死ぬから、なんて言われても、離れようなんて思わなかった」
俺は緩慢に莉依ちゃんに近づき、そっと抱きしめた。
「気づけなくて、ごめん……」
「いいんです。私が勝手にしたことだから。でも、もっとあなたを支えたい。
もっと強くなりたいんです。もっと……頼られるようになりたい」
「莉依ちゃん、俺は君が思っている以上に、君に頼っている。
君がいない一年、俺がどれほど君への想いを抱いていたか」
「ニースさんとの生活、ですね」
莉依ちゃんは俺の服の袖をきゅっと引っ張った。
「気にしてるのか?」
「気にしますよ。だって好きな人が、別の女性と一緒に暮らしていたんですから」
「……ごめん、でも」
「わかってます。何もなかったってこと。でも……でも嫉妬します。
虎次さんは私の大事な人だから。大好きな人だから、誰にも渡したくないんです」
莉依ちゃんの力が強まる。
俺の腰に捕まり、話す様子はなかった。
「……もしかしてさっきのことも怒ってる?」
「朱夏さんのことですか? それとも結城さんのことですか?
怒ってます。どっちも。別れでのことだから、我慢したけど、でも怒ってます」
「ごめん」
「……そんな風に謝られても許しません。罰としてずっと、ぎゅーーってしてます。
もう……離さないでください。離れたくないから」
「ああ……」
幸福だった。
毎日が大事で、大切だった。
だからこの日々を失わないようにしよう。
これからもずっと。
この人を。
莉依ちゃんを、もう失いたくはないから。
俺はゆっくりと莉依ちゃんの身体を離した。
莉依ちゃんは不服そうに俺を上目づかいで見ていたが、やがて頬を染めた。
恥ずかしそうに瞬きをしていたが、やがて眼を閉じる。
俺はそっと顔を近づけた。
唇から伝わる体温を、噛みしめ。
この時間が永遠に続くように。
そんな身勝手な思いを抱いた。
すべてに限界はない。
限界は己で決めているだけだ。
過ぎて、その先に破滅が待っていても。
その先さえも存在している。
限界を超えろ。
そうすれば。
今の自分を超えられる。
そうすれば。
大望さえも掴める。
レベルの先に。
限界の先に。
本当に欲しい物はあるのだから。
幸福を手に入れるため、望みを叶えるために、俺は限界を超え続ける。
なに、簡単なことだ。
なぜなら、俺はいつでも、限界を超え続けて来たのだから。
俺だけじゃない。
誰だってできるんだ。
自分で限界を作っても、その限界を超えて、また別の限界がある。
ならばきっと、限界は存在しないのだ。
それは幻想。
それはただの言葉に過ぎない。
だったら簡単だ。
超えればいい。
誰でも、己を超えることはできるのだ。
高台からの展望。
見下ろすと、全壊していたハイアス和国があった土地が見える。
そこでは、すでに国民達の手によって復興が始まっていた。
ここは終着地ではない。
まだ始まったばかりだ。
俺と、莉依ちゃんと、みんなとの物語はまだまだ続くのだから。
第一部 完
これにて第一部が完結となりますが、話はまだ続きます。
少し期間を頂き、第二部の投稿を始める予定です。
その間、新作を投稿しますのでよろしければご覧ください。
詳しくは活動報告に書きますので、お手数ですがそちらに目を通していただけると幸いです。




