凍った時を……
どれくらいの時間が経ったのか。
時間の感覚も麻痺して、ただ呆然と墓を見つめる。
莉依ちゃんとの思い出、みんなとの思い出を噛みしめる。
こんなこともあった、あんなこともあった。
楽しかった、辛いこともあったけど、楽しかった。
幸せだった。
生きていると実感ができた。
このために俺は生まれて来たのだと。
みんなと幸せになるために、俺はこの場にいるのだと。
そう勝手に思い込んでいた。
けれど違っていたのだ。
俺がいたから、みんな不幸になったのだから。
みんな、死んでしまったの、だから。
俺のせいだ。
俺がいなければ。
高台は自然の音しか生まれず、静かな場所だった。
周辺に村はないためか、人通りもない。
世界中で戦争は続いているのだろうか。
神は、己の手で滅ぼすつもりはないのか。
奴が本気になれば、すでに世界は崩壊しているはずだ。
リーシュが言っていた、無数にあるこの世界の結末。
戦争により人類は滅亡した。
その未来を辿らせようとしているのだろうか。
俺や、みんなを殺した。
ハイアス和国を滅ぼした。
それは、俺が深く関わった場所だったからなのかもしれない。
俺の影響が深い場所だけは手ずから滅ぼしたのか。
俺が死ねば、世界は正しく滅ぶ、そういうことなのか。
「……ど………いい……」
どうでもいい。
何もかも、どうでもいい。
俺は心を喪失していた。
五感が薄れ、生きているのかどうかもわからなくなり。
ただ視覚だけを意識した。
莉依ちゃん達の墓を見つめるだけが、俺の使命だった。
何かが聞こえた。
いつもと違う音だった。
普段聞こえない音。
近くの地面が継続的に音を生み出していた。
それが近づくと、消えた。
「ク、クサカベ……こ、これは一体、どうしたのにゃ!?」
聞き覚えのある声だった。
だが、あまりに久しぶりで俺は何も思い出せない。
誰かの声を聞くのも、その誰かの声を聞くのも懐かしい。
そんな感覚の中、俺は微動だにしない。
動く気力もなく、動ける体力もなかった。
「な、何があったのにゃ!? クサカベ!? ど、どうしたのにゃ!?
こ、こんな、だ、大丈夫かにゃ!?」
俺の目の前にそいつは顔を覗かせた。
ああ、そうだ。
覚えている。
「ニ…ス…………」
亜人、ネコネ族の少女だ。
彼女は人間の姿で俺の前に現れた。
亜人である彼女は、亜人の姿で人目に触れたくはなかったのだろう。
ニースの顔を見ても、心が動かなかった。
ただ、少し、ほんの少しだけ。
よかった、生きていたのか、と思った。
それ以上、俺の頭は動けなかった。
「そ、そうだにゃ、ニースだにゃ! みんなはどうしたにゃ!?
こ、このお墓は……まさか、みんなの……と、都市もなくなっていたにゃ!?」
「みんな……死んだ……こ、ろさ……れた」
「そ、そんにゃ……ほんと、に……」
ニースはその場に座り込んだ。
呆然とした。
しばらく動かずにいた。
そして脱力したまま墓を見渡すと、咽び泣いた。
「……みんな、死んじゃったのかにゃ……ババ様も、莉依にゃんも……。
ううっ……どうしてにゃ、こんにゃの、ひどいにゃ……」
ニースは俺の隣で泣き続けた。
しばらく泣くと、やがて、力なく言った。
「ク、クサカべ……朱夏にゃんと八重にゃんは……途中で、いなくなったんだにゃ。
だ、誰か、よくわからない奴に、連れて行かれて……し、知らないかにゃ?」
「朱夏……も、結城さん、も……死んだ」
「二人も……にゃ……し、死んだ……そんにゃ……。
一体にゃにがあったのにゃ……クサカベ……ッ!」
俺はニースの問いかけに答えようとしたが、口が動かなかった。
何をするにも気力が必要なのだ。
俺は、説明することさえできなくなっていた。
心が、もうまともに稼働しない。
活動を停止している。
ただ生きているだけだった。
俺の様子を見て、ニースがはっとした顔をした。
「い、いや、それより、君のことが先だにゃ! 怪我をしたのかにゃ!?
……こんなに、痩せ細って……食事はしてるのかにゃ……」
俺は何も答えなかった。
「と、とにかく、こんなところにいたらダメだにゃ。ど、どこか家に」
「イヤ……だ。こ、こ……から、離れ……た、く……ない……」
「で、でも……寒いにゃ……わたしは大丈夫だけどにゃ……」
寒い?
言われて初めて、雪が積もっていることに気づいた。
ああ、道理で。
皮膚の感覚がないと思ったら。
もう、どうでもいいことだ。
何度も説得されたが、俺は動くことはなかった。
ニースは頑なに動かない俺を前にし、移動させることは無理だと判断したようだった。
鞄を下ろした後、離れて行ったと思ったら、枝を抱えて戻ってきた。
雪が積もっていない場所に枝を置き、慣れた手さばきで火をつけた。
「ふー、ふー、にゃにゃ……湿気ているにゃ……うう、でもやるにゃ。
やらないといけないにゃ。ふーふーっ」
ニースは何度も火打ち石を使って、枝葉に火をつけようとしていた。
俺はそれをぼーっと眺めただけだった。
何もしない。
手伝おうともしない。
悪いと思う心もなかった。
長い間、ニースは悪戦苦闘していたが、やがて着火したらしい。
「や、やったにゃ……こ、この火を消さないようにしないとにゃ」
ほんの少しだけ温かさを感じた。
気づけば辺りは闇夜に覆われ始めていた。
そんな中、篝火だけが唯一の光源だった。
俺とニースの身体を照らす光がそこにはあった。
ニースは鞄から鍋や野菜と燻製肉、革袋を取り出した。
革袋には水が入っていたようで、それを鍋に流す。
何かの調味料と共に素材を煮込み続けると、香りが充満し始める。
調理の香り。
長らく感じていなかったにおいだった。
ほんの少しだけ、ほんの一欠片だけ、俺の心を温めた。
ニースは味見をして、頷いた。
木製の椀にスープを入れると、木製のスプーンと共に差し出してきた。
「ほら、食べるにゃ。あったまるにゃ」
「…………いら、ない」
「ダメにゃ、食べないとダメにゃ。
食事は大事にゃ。食べることで活力が満たされるのにゃ。
食事をおざなりにしたり、おいしいものを食べなくなると、段々疲れて来るのにゃ。
毎日、毎食おいしいと思えるものを食べることは、人が生きる上で大切なことにゃ。
ちょっとした小さな幸せを積み重ねることが、生きるということなのにゃ。
だから、食べるにゃ。食べないにゃら、無理にでも食べさせるにゃ」
ニースは強引に、んっ! と椀を渡してきた。
顔をそむけても正面に碗を持ってきた。
しつこい。
これは拒否してもずっと続くのではないだろうか。
そう思った俺は仕方なく受け取った。
スープの湯気が顔にかかる。
同時に肉と野菜の嗅ぎなれた香りが漂ってきた。
それでも俺の食欲をそそりはしない。
俺はただスープを見つめるだけだったが、ニースが睨んでくるため、仕方なく手を動かした。
スープを掬い、ゆっくりと口元に寄せた。
ズズッと一口、咀嚼する。
久しぶりに食事をしたためか、胃袋が驚いた。
だが咳き込むことはなかった。
絶食を長期間続けた場合、何かしらの弊害があるだろうが、俺には然程なかった。
そう言えば、転移したばかりの時、食事をしただけで死んだことがあった。
あの経験から、胃袋が鍛えられていたりするのだろうか。
「どうにゃ?」
ニースが困ったような顔をして問いかける。
そんな顔をされては、何も言わずにはいられない。
俺は率直な感想を言った。
「……う、まいよ……」
「そ、そっか。よかったにゃ。ささ、全部食べるにゃ、残したらダメにゃ」
全部食べないと何か言われそうだ。
仕方なく、俺は食事を続けた。
口の中、喉、胃袋がどんどん温まっていく。
旨味を感じ始め、舌が滑らかに動いた。
何度も喉を鳴らし、味を噛みしめる。
ほんの少しの幸せを感じ。
目の前にいるニースが俺を心配そうに見つめている。
その瞳を見つめてしまった。
俺は。
それだけ。
それだけで。
せき止めていた感情が溢れだした。
「ううっ……うっ、うあ、ああ、あああああ、あああああっ!
あああああああああっ!! みんな、みんな、朱夏、結城さんも、ババ様も!
みんな、みんな……うああああ……あ、ああ……り、莉依ちゃん!
うううっ、ああ……ううっ、うううううっ、ぐぅ……」
泣いた。
泣き続けた。
もう枯れたと思っていた涙は、止めどなく溢れた。
隣にいたニースも俺と一緒に泣いた。
泣いて。
泣き続けて。
悲しくて、辛くて。
許せなくて。叫んだ。
「泣いていいんだにゃ……泣いていい……それが当然なんだからにゃ……」
抱きしめられ、久しぶり感じる誰かの体温に、俺の心は氷解する。
凍っていた心は鼓動を始めてしまう。
止まらない。
止められない。
慟哭し、赤子のように泣き続けた。
そして、そのまま、俺はいつの間にか眠ってしまった。




