灰色の世界の中で、死んだように生きる
夢を見ていた。
それが夢だと理解できたのは、自意識と現実感が残っていたから。
死んだのかどうかはわからない。
白い世界。
そこに俺は立っていた。
一人、誰もいない。
何もない。
あるのは白だけ。
俺は立っている。
辺りを見回しても、何もない。
何も。
諦めきれず、同じ場所を見回した。
遠くに、誰かが立っていた。
結城さん。
こっちを見つめ、手を振っている。
俺は近づこうと足を動かしたが、一向に距離は縮まらない。
むしろ離れて行き、結城さんは消えてしまった。
朱夏。
結城さんと同じように、離れた場所に現れ、哀しそうに笑っていた。
俺は走る。
だが動かない。
夢の中、もどかしくも逃げられず、追えなかった記憶がある。
同じだ。
ならばこれはやはり夢の中なのか。
俺は走った。
やがて朱夏は消えてしまう。
剣崎さん、アーガイル、ハミル、ババ様。
みんなが現れ、こちらを見ている。
近づけない。
俺を見て、笑いながら手を振っている。
待って。
待ってくれ、みんな。
俺を置いて行かないでくれ。
走ったが、やはり近づけず、みんなの姿が消えた。
俺は歩く。歩き続けていると、再び誰かが現れる。
莉依ちゃん。
大事な人。
俺の、一番大切な人。
彼女は叫んでいた。
声にならず、何を言っているのかも聞こえない。
「莉依ちゃん!」
声を出しても、莉依ちゃんには聞こえていないようだった。
互いに走り寄ろうとして、叫び伝えようとしている。
なのに何も伝わらず、近づけない。
次第に離れていく。
手を伸ばしても届かない。
再び叫ぶ。
「莉依!!!」
同時に俺は目を覚ました。
目を覚ましたのだ。
全身汗だくにして、半身を起こしていた。
鼓動がうるさい。
全身が熱い。
俺は胸を掻き毟って、痛みを促す。
生きている。
胸に穴は開いていない。
死んでいない。
俺は視界を移動させる。
「ここは……神域?」
リーシュと共に半年過ごした場所。
長らく住んでいた場所。
見覚えがある。
庭園と三階建ての塔。
植物の周りで戯れる小動物達。
先ほどまでのけたたましい衝撃音とは打って変わり、静寂が漂う。
何が起こった?
俺は殺されたはずだ、神に。
誰もいない。誰の気配もない。
リーシュはここにはいないようだった。
「まさか……リーシュが、助けてくれたのか?」
あり得る話だった。
唯一神となってしまったリーシュが最後の力を振り絞り、助けてくれた。
そう考えなければ辻褄が合わない。
リーシュの様子はおかしかった。
姉に誘われるように近づき、そして……。
だが、リーシュはこう言っていた。
俺は魂だけしか移動できない、と。
ということは、これは一時的な退避に過ぎないのでは。
いや……違う。
この時間の意味は……。
「み、みんなは!? 莉依ちゃん!? 生きているのか!?」
もしも時間を戻したのであれば生きているかもしれない。
だが、周りには誰もいなかった。
誰の気配もないのだ。
ここにはいない、のか。
神域に入れるのは俺とリーシュだけ。
いるはずが、ないか。
だったら、どうなったんだ。
時間が戻ったのか、戻ったと同時に俺だけ神域に移動した、のか?
だったら、他のみんなは。
……夢のようだった。
さっきまでの情景が嘘のようだった。
本当は、みんな生きていて。
これは夢で。
実際は、何もなかったのではないかと。
そう思い込もうとしていた。
どれくらいの時間が経ったか。
思ったよりも長い時間、俺は神域に留まっていた。
だが突然、情景が歪んだ。
波紋のような歪みが浮かび、徐々に光景が変わっていく。
そして、元の場所へと戻った。
ハイアス和国の近く、防壁前の場所へ。
そこには。
都市はなかった。
巨大なクレーターだけが残っており、建造物も自然もない。
遥か遠くに植物が建ち並んでいるだけだ。
胸に鋭い痛みが走っている。
見下ろすと、ぽっかりと穴が開き、血が溢れていた。
目の前には莉依ちゃんがいた
俺は震える手を伸ばす。
「……莉依、ちゃん」
胸に開いた穴から赤い血液が溢れていた。
口腔からも一筋に血が流れている。
頬に触れるとまだ温かい。
だが、動くことはない。
息はしていない。
脈もない。
確かに、莉依ちゃんは死んでいた。
死んで、いたのだ。
俺も意識が薄れていった。
視界の隅に、神が俺を見下ろしていた。
奴は、俺が死にかけていること確認すると、その場を飛び立った。
そして、俺は莉依ちゃんを見つめながら。
死ぬ寸前でリスポーン地点をその場に定め。
死んだ。
そして……生き返る。
リーシュが俺を救ったのだ。
やはり神域の時間で、俺の命は僅かに回復していた。
500の命は、一ヶ月で全快する。
数時間で命は増える。
そのおかげで、俺は生き長らえた。
けれど、それがなんだというのか。
俺が生き返ると、目の前には動かなくなった莉依ちゃんが倒れている。
さっきと同じ情景。
死んでいる。
莉依ちゃんが。
あの莉依ちゃんが。
殺された。
無残に、あっけなく殺された。
俺は震える手を莉依ちゃんに伸ばした。
まだ体温が残っている。けれど、冷たくなり始めてもいる。
ああ、ああ……ああ。これは。
これは、なんだ?
なんだ?
「あああああああああああぁぁ!!
ああああ……ああああああああ! ああああああああああ!
うああああ! どうして、どうして!
なんでだ! なんで莉依ちゃんが、死ななきゃならないんだ!
なんで、なんで、なんでッッ!!」
何度も叫んだ。
莉依ちゃんを抱き、涙を流し続け、俺は叫び続けた。
叫ばなければ胸が張り裂けそうだった。
気が狂いそうだった。
叫んだ。叫び続けた。
喉が枯れることはなく、俺は永遠と叫び続けた。
それは丸一日続いた。
●□●□
一日後、俺は叫ぶことをやめた。
だが、今度は何もできず、ただ莉依ちゃんを抱きしめ続けるだけだった。
呆然自失だった。
何が何だかわからない。
これは夢なのだと、何度も自分に言い聞かせていた。
だが、彼女の冷たくなった体温が現実だと訴えかけてくる。
もう莉依ちゃんは笑わない。
優しく話したりもしない。
動かない。
もう、この世にいない。
死んでしまったのだ。
けれど、それでも。
莉依ちゃんを離したくはなかった。
だが、野ざらしにすることもできなかった。
このままではあまりに可哀想だった。
俺は莉依ちゃんを抱えて、ハイアス和国だった場所を眺める。
クレーターに海水が流れ込み、木片や石材が見え隠れしている。
幸か不幸か、死体の姿は見えなかった。
殆ど、蒸発してしまったらしい。
俺は莉依ちゃんを抱えて、近くの樹林を歩いた。
特に考えがあるわけではなかった。
ただ、殺風景な場所にいたくなかっただけだ。
しばらく進むと、丘陵に出る。
高台からの見晴らしはよく、ハイアス和国があった場所を見渡すことができる。
そこは比較的広く、植物も少ない。
空気も澄んでおり、快適な空間だった。
俺は莉依ちゃんをゆっくりと地面に横たわらせた。
綺麗な顔をしている。
本当に死んでいるのか、疑問に思えるほどに。
俺は、近くにある樹木を素手で切り裂き、簡単な箱を作った。
莉依ちゃんが入れる程度の箱。
そこに彼女を入れ、両手を胸の前で組ませた。
眺めが良い場所の地面を掘り、棺ごと莉依ちゃんを入れた。
そして俺はまた動けなくなる。
俺は莉依ちゃんをじっと見つめた。
「やっぱり……無理だ……」
無理だ、無理に決まっている。
莉依ちゃんを地面に埋めるなんて無理だ。
火葬なんて、もっと無理だった。
死んでいるなんて、まだ受け入れていない。
突然、この世を去った。
そんな現実、受け入れられるわけがない。
俺のせいだ。
俺がいたから。
俺が身の丈に合わない望みを持ったから。
みんなを巻き込んだ。
莉依ちゃんを死なせてしまった。
俺が……。
俺は地面に座り込み、莉依ちゃんをずっと見つめた。
そのまま数時間、半日以上動かなかった。
「このままじゃ……かわい、そう……だよな……」
自分に言い聞かせ、莉依ちゃんが入っている棺の蓋を閉じた。
だが、完全に閉じられず、俺は躊躇する。
何度も閉めようと試み、ようやく閉じた時には夜だった。
棺に土をかけて、丁寧に埋めた。
ゆっくりと埋めた。
動きは緩慢で、身体が言うことを聞かないため、休憩を挟みつつだった。
心が折れそうだった。
それでも、このままにしてはおけない。
そう思い力を振り絞る。
岩場から大きめの岩を探し、持ち運んで長方形に切った。素手で、だ。
洋風の方がいいのだろうか。
それとも日本風の石墓でいいのだろうか。
文字は?
名前なのか。
宗教ごとに違うと聞いたが。
ここは異世界だ。
宗教は?
聖神を崇拝している世界で、神に殺された人間なのに。
ならばやはり元の世界の慣習に従うべきか。
莉依ちゃんは仏教?
それともクリスチャン?
俺は必死で別のことを考え、作業に集中した。
そうして考えることでしか、現実逃避できなかったからだ。
少し立ち止まると、途端に泣き崩れそうになり、何もできなくなってしまう。
止まるな。
動け。
考えるな。
俺は石を墓に見立てて、地面に置いた。
簡素だが、何もないよりはいい。
表面に何か彫るべきかと考えたが、やめた。
完全に墓と見立てる勇気は俺にはなかった。
国民のみんなの墓も作った。
周囲の木々を除去して空間を作っていった。
最終的に高台周辺の樹木はなくなり、開けた場所になった。
全員分、380。
そして朱夏、結城さん、剣崎さん……金山と、小倉、江古田の分も作った。
木板を立てるだけの墓だったが、気分は違った。
遺体がないため、俺の自己満足だった。
高台は墓で埋まった。
その中に、俺だけが立っている。
作業を終えると、俺は莉依ちゃんの墓の前で座り込んだ。
莉依ちゃんと離れたくなかったからだ。
じっと。
何もせず、じっと。
そばにいた。
眠気が限界に来るとそのまま寝た。
起きて、じっと墓を見つめる。
花を集めて供える。
それをずっと繰り返した。
ずっとずっとずっと。
食事はしなかった。
意識はしていなかったが、どうでもよくなっていたのだと思う。
死のうが生きようがどうでもいい、そう思ってしまっていた。
だから餓死しようが構わない。
そう思っていた。
――食事をせずに二週間が過ぎた。
動けなくなり、花を供えることもやめた。
水分も摂らずじっとしていたせいか、もう俺の命は限界に迫っていた。
餓死すればどうなるか。
過去に何度も考えた。
腹も減り、睡眠欲もある。
ならば餓死すれば、俺はひたすらに死に続け、最終的にすべての命を散らせるのではないか、と思っていた。
実際、普通に生活していれば餓死することはなかっただろう。
丁度いい。
実験だ。
俺は墓の前で座り続けた。
空腹のあまり、地面に倒れてしまう。
意識が遠のく、苦しい、身体が重い。
段々と、死の感覚が近づいてきた。
だが。
近づくだけだった。
それから何日が経過しても俺は死ぬことはなかった。
どうやら俺は餓死することはないようだった。
「ふ……は、はは」
死なない。
死にたいなら己の手で死ね。
そう言っている。
自殺する気にはならなかった。
どうせ死なない。
いや、死のうと思えば死ねるのだろう。
だが、死のうと思うことさえ億劫だった。
何もしたくない。
動きたくない。
ただ、莉依ちゃんの傍にいたい。
俺は地面に倒れたまま、莉依ちゃんのことを想った。
俺は動かなかった。
苦しくても、腹が減っても何もしなかった。
失神するように寝て、起きても同じ格好のままだった。
ただの置物だった。
気づけば雨が降っていた。
どれだけ濡れても俺は動かなかった。
ザーッと継続的に聞こえる。
冷たさを感じながらも、俺はずっと墓を見つめる。
気づけば雪が降っていた。
どれだけ積雪しても俺は動かなかった。
肩に頭に身体に積もる。
かじかんで震えてしまう。
息は白く、唇はまともに動かない。
気づけば強い日差しが俺を照らしていた。
どれだけ暑くても俺は動かなかった。
肌を焼く痛みを感じながらも気にしない。
あまりの暑さに意識を失いそうになったが無視した。
気づけば雷が木々を割っていた。
どれだけ轟雷が落ちようとも俺は動かなかった。
鼓膜を破裂させるのではないかと思うほどの音。
近くの樹木が倒壊してもその場から動かない。
何が起ころうとも。
俺は動かなかった。
ずっとそうして過ごした。




