それは堕落か、必然か
四週間。
雨音が外から響いている。
久しぶりの雨らしい。
執務室での作業は続く。
続くというか、この作業は俺が王である限り永遠に続くのだ。
もうやだ、やだ!
なんでこんなことしないといけない!
俺は手に持っていた羊皮紙を投げて、立ち上がり、アバババア! と叫びながら部屋を走り回り、ヘイン! と叫びながら三回ほど空中で回転した。
着地するとなんだかとても虚しくなった。
『そうしているとただの変人だね』
「うっさい! うっさい! もうやなんだよ!
こんなの人間のすることじゃない!」
『一説では王は人とは違う。逸脱した存在らしいよ』
「そんな話はしてない! 聞きたくもない! 俺は休みたいの!」
地面に転がりじたばたした。
もう、精神的に色々と限界だった。
最初期に比べると眠れてはいるし、作業時間は減っている。
だがそれは多少、という言葉が頭につく。
外に出るのは、サボる時だけだ。
それも最近では見張りがいるし、警備局の連中はハミルの味方で「王様、もう戻ってくださいよ、マジで」とか真面目な顔で言われたら戻るしかないじゃないか!
「はあ……しんどい」
『楽しい、とかドヤ顔で言っていた君はどこに行ったんだい?』
「そんな俺は俺じゃない。
俺に見えて俺じゃなく、俺という言葉は俺という俺に塗り潰された」
『つまり、そんなこと言った覚えがないってことか。
なんとも潔いね、別の意味で』
リーシュが呆れ顔のまま姿を見せた。
身体は透過しており、反対側にある本棚が見える。
実体はない。
正確には、彼女はこの世界には存在していないのだから。
「だって辛いんだ。もう休みたい。せめて気分転換したい」
『そう言いながら、いつも部屋を抜け出すじゃないか』
「最近はそういうことはなくなった」
『……そうせざるを得なくなっただけでしょ』
ああいえばこういう邪神だな、こいつは。
俺は清掃の行き届いた床に横たわり、ゴロゴロと転がった。
しばらくそうしていると無心になって行き、やがて起き上がる。
「……仕事、しよ」
『賢明だね。後回しにすると、もっと増えるよ』
「仕事は増殖するものだったんだな……」
とぼとぼと机に戻ると、硬い椅子に座った。
この椅子、お尻が痛い。
こういう何気ない時に、現代の利便性を改めて認識する。
便利さって当たり前になってありがたみがわからないけど、なくなると痛感するんだよな。
不便なままであればわからないのに、便利さを知ってからまた元の不便な状態になったら、不満が爆発するものなのだ。
それを俺自身もわかっているから、色々と配慮はしているんだけど。
と、
「王!」
扉が開いた。
ノックはない。
もう俺に対する遠慮はそこにはなかった。
ハミルは俺を王とは思っていないらしい。
「なんだよ……仕事はしてるよ、頑張ってるよ」
ドタドタと床を踏み鳴らし、慌てた様子でハミルは俺の正面に移動した。
「そんなことはどうでもいいのです!」
「ど、どうでもいい!? 俺がこんなに頑張って」
「戻ってきました、調査隊が!」
言動と表情から、一瞬にして俺は意識を変えた。
ただ事ではないと判断し、俺は即座に立ち上がる。
「案内しろ」
「はっ」
いつの間にかリーシュは消えていた。
気分屋だから、突然に現れたり消えたりする。
まあ、また出て来るだろう。
そう思い、駆けるハミルの後に続いた。
●□●□
総合事務局、対合室。
各申請や説明を受けるために訪れていた国民達の姿も見える。
その中に、人が集まっている箇所があった。
「どいてくれ」
俺達が近寄ると、野次馬達はそそくさと道を開けてくれる。
中央には、一人の調査隊だった男が倒れ込んでいる。
腹部には深い傷があり、矢が背中に差さっている。
……失血が多い。
すぐに治療しないと手遅れになりそうだ。
何人かが応急処置をしようとしているが、痛みを和らげることもできないだろう。
「莉依ちゃんは?」
「今、呼んでいます!」
「お……王、様」
若い男は焦点のあわない瞳を天井に向けている。
見えて、いないようだ。
男は手を伸ばす、俺を探しているらしい。
俺は咄嗟に男の手を握った。
「ここだ」
体温が低くなっている。
これは……もう長くはなさそうだ。
「よ、よかった、ご、報告、を」
ゴフッと吐血した。
彼の命はもうすぐ尽きることは誰の眼にも明らかだった。
「は、話せる状態じゃない」
「もう、話すな!」
応急処置をしていた、恐らくは友人らしき人物達が涙ながらに叫んだ。
しかし俺は手でそれを制する。
不満そうにしながらも男達は無言になる。
俺は瀕死の男に優しく話しかけた。
「続けろ」
「はっ……い、わ、我々はオーガス国……ぐっ……関所を隠れ進み、軍の姿はないことを、か、確認。その、後、王都エシュト方面に、移動。
ハイアス、から、移動した人はい、いない、と、街の人達、の話……が。
消え、た、と……調査しましたが、見つけ、られず、帰還……しようと、がふっ!」
再び血を吐いた。
発汗が激しく、意識は朦朧としている。
だが必死に報告しようと、口を動かした。
「途中、で、賊に襲われ、ました……エ、エシュト軍ではなく、さ、山賊の類、かと。
や、奴らは……ハイアスの独立を聞きつけ……やってきた……らしく。
抵抗したのですが……僕以外は全員……はあはあ」
「わかった。よく報告した。よくやったぞ。ありがとう」
俺は若者の手を握り、想いを伝えた。
若者は笑いながら泣き、そして握り返してきた。
「役に、立ち、ました、か?」
「ああ、とても」
「よかった……ああ、よかった」
何度もよかったと呟き、そして若者は目を閉じた。
「母さん……今すぐ、そっちに」
その言葉を最後に、若者は息を引き取った。
呼吸は止まり、動かなくなる。
まだ手は体温を残している。
俺は、彼の胸の前にゆっくりと手を降ろした。
「ありがとう」
込み上がる想いを噛みしめ、そして抑える。
座り込みまっすぐに若者を見ると、彼は満足そうに笑っていた。
「……こ、こいつ、三ヶ月前くらいに母親を亡くしてたんす。
金がなくて医者にも見て貰えなくて。
母親が亡くなってからは、自暴自棄になっててもうどうでもいいって感じで。
母親想いの奴だったから。でも、王様が来てくれて、独立するって言って。
それから人が変わったみたいに生き生きしだして……。
こんな世界を変えるんだ、その手伝いをするんだって。
大して身体動かすの得意じゃない癖に調査隊に立候補して。
王様の役に立てるって嬉しそうにしてました。
馬鹿な奴なんです、間が抜けている癖に勇気だけはある奴で」
彼の友人らしき若者は悲しげに目を伏せ、眼尻に涙をためながら話していた。
「……そうか」
「って、こんなこと言われても困りますよね。
なんかすみません。
それとありがとうございます、こいつ『は』満足だったと思います。
でも俺はどうしても考えてしまう。どうしても。
……どうしてなんす? どうして、どうしてなんだ?
なあ、あんたは強いんだろ、守ってくれるって言っただろ?
なんでこいつは死んでるんだ? なんで? どうしてだ!?
お、俺達を守ってくれるんじゃなかったのか!?
幸せな未来が待ってるんじゃなかったのか!?
こいつは、なんで死んだんだ? どうして?
すげえいい奴なんだよ、優しくてまじめな奴なんだ。
なのに、なんで死んだ? どうして? どうしてあんたはここにいるんだよ!!」
胸ぐらを掴まれても俺は抵抗しなかった。
俺は今死んだ若者も、怒り狂っている友人も、横で泣き崩れている友人でさえ名を知らない。
王であるのに、守れなかった。
戦うことさえなかったのだ。
心が痛む、なんてものじゃない。
全身が震えそうになるほどに、強い罪悪感を抱く。
だが、それでも俺はこの出来事はいずれ起きるとわかっていた。
わかっていたし、その上で、彼等を危険な場所へと送り込んだのだ。
そうするべきだと思ったし、その考えは変わっていない。
なぜなら。
「俺は、この国を守る。だけどすべては守れない」
「なんだよ、それ、じゃあ、こいつは守る必要がない存在だったってことかよ!?」
俺は、静かに嘆息し、静かに答える。
この時、俺はいつもとは違い、平静さを失っていたのだろう。
だから端的な答えしか出せなかった。
「違う。そんなはずがない」
「ならなんで死んでんだよ!!」
殴られたが、俺にダメージはない。
だが反撃するつもりはなく、そして相手の拳を壊さないために配慮した。
俺と彼との力量差を考えれば、まともに攻撃を受けるだけで骨折するからだ。
「あの演説は!? 嘘だったのか、口から出まかせだったのか!?」
「そうじゃない」
「じゃあなんだよ!? こいつは……」
「もういいよ! やめろよ、ロッド」
泣き崩れていた友人が立ち上がり、こちらを睨んでいた。
「だけどよ! ケイン、こいつは、シェーンを」
「いいって! もう、いいって。このままじゃシェーンが可哀想だ。
そんな人はもう放っておこうよ。シェーンを落ち着く場所に連れて行ってやりたい」
重苦しい雰囲気の中、俺は言葉を失う。
どうやら……対応を間違ったらしい。
そしてもう弁解する余地は、今はないようだ。
周囲の視線が痛い。
自分の命令で死んだ国民がいる、この事実に俺自身が衝撃を受けていたのだ。
覚悟はしていたが、自分以外の誰かを危険に晒すという恐ろしさを俺はまだ知らなかった。
だから酷く動揺し、冷静さを失った。
それが、この結果か。
今更何を言おうとも彼等は聞かないだろうし、言い訳にしか聞こえないだろう。
彼等以外の国民も俺達の言動を聞いている。
そしてその中には局員も数名いた。
……まずいことになるかもしれない。
シェーンという若者を抱きかかえて、ケインとロッドは事務局を出て行った。
「埋葬の手続きと、手当の支給契約書、それと……手厚く葬る手伝いをしてやってくれ」
俺が数名の事務局員に指示すると、困惑した様子で出て行った。
大きく嘆息する。
わかっていたのに、もっと対応のしようはあったはずなのに。
俺の意図をきちんと伝える機会を逸してしまった。
「王、一度戻りましょう。
彼の言葉通りならば、賊が襲ってくる可能性が高いです」
「ああ、そうしよう」
動揺が顔に出ていなければいいが。
バタンと、扉が開いた。
そこにいたのは、息を切らせた莉依ちゃんだった。
急いでやって来たのだろう、ずぶ濡れになっていた。
「はあはあ、か、患者さん、は!?」
俺とハミルは同時に首を横に振った。
莉依ちゃんは肩を落とし、小さく、そうですか、と呟く。
彼女は優しすぎる。
きっと、顔も見ていない患者に対して申し訳なさを感じているのだろう。
莉依ちゃんは渋面のまま顔を上げ、俺を見た。
そして何かに気づいた様子で、近づいてくる
何か考えている風だったが、不意に言った。
「あの……少し、ここに留まっていいですか?
患者さんは今はいないですし、看護師さん達に任せているので」
「ああ、それは構わないけど」
反射的に言った後に気づいた。
今の俺の心境を知られたくはない。
無駄な心配をかけたくはなかったからだ。
でも、一度言ったことをなかったことにはできない。
「行きましょう」
ハミルの言動もどこか落胆のような感情が込められている気がした。
恐らくは俺の思い過ごしだろう。
心が不安定になっている。
日々の忙しさ、未来への不安、著しい責任感。
それらの要因のせいで気づかぬ内に疲弊していたのか。
これではだめだ。
もっとしっかりしないと。
国民を不安にさせてしまった。
ならば挽回しなければ。
ミスはなくならない。名誉は取り返すしかない。
俺と莉依ちゃんは先を進むハミルに続いた。
背後から視線を感じて、振り返ると莉依ちゃんが俺を見ていた。
小さく笑った彼女の顔を、俺は真っ直ぐ見られず、再び正面を向いた。
その時、情けなくも、俺は自責の念に溺れていた。
無力感と失敗したという事実に心を蝕まれつつ、俺は無心で足を動かした。




