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妹ですみません  作者: 九重 木春
-波乱の腐女子編-
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29 妹の夢路

 あれから二か月が経ち、兄の異様な行動はすっかりおさまった。兄としては私の為を思ってしてくれたことだったらしいが、急に微妙に避けられるようになった方の身にもなって欲しい。


 しかし、私にも反省すべき点があるのは確かだった。だからこの二ヵ月間は、兄からのスキンシップに対して強く言い過ぎないよう頑張っていた。

 けれど最近の兄はリミッターが外れ気味で我慢の限界を感じた私は、先日恥を忍んで父から兄にやんわり忠告して貰えないか頼んだところだ。


 兄の上に座るのがデフォルト化し、その間も髪にキスとか耳の裏の匂いを嗅がれたり、ひたすら羞恥心と闘う私を兄が愉しげに観察する日々……。人の純情を弄ぶなんて悪趣味過ぎやしないだろうか。何事も程ほどが一番だと兄には学んでほしい。



 季節は春を迎え、ようやく暖かくなってきた。今日からダッフルコートは止めて薄手のコートを羽織って家を出た。歩道には桜の花びらが点々と落ちている。高揚した気分で私が向かうのは麻紀ちゃんの家だ。


 春と言えば春コミ、そして待ちに待った春アニメ!

 今週からブラハンのアニメがスタートしたのだ。


 麻紀ちゃんの家の前に着き、ピンポーンとインターフォンを鳴らした。今日は麻紀ちゃんとハピネスさんと私の三人でブラハンアニメの上映会だ。兄には女子会だと伝えて出かけてきた。


「いらっしゃーい、かむちゃん。もう幸さん来てるよ。さぁ入って、入って」

 第一話の放映は昨日の深夜で、三人共勿論閲覧済みだが魂の震える興奮を語り楽しみたいが為に集まっている。


 麻紀ちゃんの部屋に入ると机の上にはケーキの箱が置いてあった。そこに私が買ってきた飲み物とお菓子も追加して置かせて貰う。いつも原稿を手伝っている時に使っている机だから荷物を置くのは新鮮だ。


「悠子ちゃんはどのケーキにする?」

 早速ハピネスさんに聞かれて、三種類のケーキを見て悩んだ。バナナのシフォンケーキと苺のババロアと抹茶のガトーショコラ、センスが光るチョイスだ。どれも美味しそうで迷ってしまう。


「どうぞハピネスさんが先に選んでください」

「遠慮しないの。あとこれからはハピネスじゃなくて幸でいいよ。私もゆたんぽさんじゃなくて悠子ちゃんで統一するね。さっき麻紀ちゃんにもそうお願いしたんだ。ハンドルネームだと人前で話す時に困ることもあるだろうから」

 確かに。だから私は小野さんの前で本名を名乗ることになったのだ。今後、兄と一緒にいる時に幸さんに会うことだってあるかもしれない。


「了解です。……あとハピ、幸さんには聞きたいことがありまして。あの、小野さんってどうしてますか」

 テレビの前で上映の用意をしてくれている麻紀ちゃんには聞こえないように小声で尋ねた。

 あれからずっと気になっていたのだ。友達に本当のことを話せたのか、兄のストーカーを続けているのか、私の秘密をバラしに行ったのか。それが知りたくてあの後、何度か喫茶店を覗いてみたのだが小野さんは居なかった。


「あぁ、喫茶店のバイトは辞めてね。今は自分で部活を立ち上げて頑張ってるみたいだよ。好きなことをしながら友達と話すのが楽しいんだって」

 自ら部活を作るとは、行動力がある。けど小野さんがいい方向に歩き始めているのがわかってホッとした。


「悠子ちゃんのお兄さんのことはね、望みが薄いから諦めたみたいだよ」

 それならストーカー行為はしていないだろう。兄に私の趣味のことを話した可能性も低い。良かった、私も兄もこれからは、小野さんの陰に怯えなくていいのだ。


「あ、なになに、何の話?」

 用意を終えた麻紀ちゃんが戻ってきて、自分のお皿にババロアを乗せた。ちゃっかりしている。


「好きな人がかっこいいと苦労するねって話」

 そう言ってウィンクした幸さんに私は激しく動揺した。


「へ、そ、そんな話してなかったですよね!?」

「え? けどそうなんだよね?」

「な、なんで幸さんが」

 私の好きな人をご存じなのか……? 


「さぁ、何ででしょう?」

 机に肘を突いてにっと笑う幸さんに私は撃沈した。

 麻紀ちゃんの時もそうだったけど、そんなにも私はわかりやすいのか……。


「幸さん、もしかしてお兄様に会ったことがあるんですか!」

「何度か、喫茶店にお客さんとして来てくれてるのを見かけてね」

「あぁ、お兄様目立ちますもんね」

「あの人、コスプレ向きの体型だよね。アベルのコスプレとか似合いそう」

 不吉な会話の流れに私はすぐさま起き上がって割り込んだ。

 

「いや、しませんからね! そもそも兄には腐女子ってことは内緒にしてるんですから!」

 兄がアベルのコスプレとか、に、似合っちゃうだろうけどリスクが高すぎる。観客の中に腐女子紛れ込んでる会場に兄が現れたらどうなるか……妄想の的になること間違いなしだ。


「アリアのかむちゃんと兄妹セットも良し、聖の幸さんと絡むのも良し! 一粒で二度美味しいお兄様、素敵……」

 麻紀ちゃんが両手組んで完全にトリップしている。


「実現させないよ、麻紀ちゃん」

「えぇっ、そんな後生な!」

 涙ぐまれても譲歩するつもりはない。


「ほら、それよりテレビ見よう。今日はその為に集まったんだから」

 私は机の上のリモコンを持ってサッとスタートボタンを押した。

 兄をディープなオタクの世界に招き入れるなんて恐ろしすぎる。


 オープニング曲が始まると麻紀ちゃんも幸さんもすぐに画面に集中し始めたのでホッと胸を撫で下ろした。




 それから、私達はリピート再生を繰り返してブラハンの第一話を見続けた。特にオープニングの曲が格好良くて、歌詞を見なくても三人で歌えるようになった。CDが発売したらすぐに買おう。


「今夜はいい夢が見れそう」

 うっとりテレビの中の聖君を思い出す。二人が出会った瞬間、それは恋に落ちた運命の一瞬……。何度見てもいい。

 

「私はいい本が描けそう」

 麻紀ちゃんは私の言葉に頷きながら、ノートにネームを描き出していた。麻紀ちゃんの好きなルナールとグレアムが出てきたのはオープニングとエンディング、あとは本編でグレアムが一瞬出てきただけだった。果たしてあれだけでどんな物語が浮かんだのか、気になる所だ。


「楽しみにしてるね、麻紀ちゃんの新刊」

「ありがとう、やる気が漲って止まない。でも私の本よりかむちゃんは読みたい本があるんじゃないかなぁ」

 麻紀ちゃんはにやにや笑って肘で幸さんを小突いた。

 すると、幸さんは私に一冊の本を差し出した。


「はい、悠子ちゃん。コスプレして貰う時に書くって約束してた本、遅くなってごめんね」

 幸さんに渡されたのは聖アベの同人誌だった。しかもいつも表紙は文字だけなのにこの本にはイラストがある。誰の絵なのかは見てすぐにわかった。


「今まで書いたの見直してたら加筆したくなっちゃって時間が掛かったんだ。今回は、絵の入稿もあったしね」

「幸さんに頼まれて頑張っちゃった、カラーで箔押し! かむちゃんへの感謝の気持ちを込めて気合入れたよ~」

 小説が幸さんで麻紀ちゃんのイラストとか豪華過ぎるでしょう……ハピネス×バッカスの夢のようなコラボ本に喜びで手が震えた。

 想像以上の厚みと美麗イラストから二人の努力が伝わってくる。少しだけ捲ってみると挿絵まで入っているのが見えた。

 麻紀ちゃんは常に締め切りに追われてるし、幸さんは趣味とバイトで日々忙しそうにしている。そんな中、私の為にこんな本を用意してくれていたとは。


「ハピネスさん、麻紀ちゃん、ありがとう……!!」

「またハピネスに戻ってるよ、悠子ちゃん」

「ハピネスさんは、私の憧れの作家さんなんです! 話せるようになっただけでも嬉しいのに本までプレゼントして貰えて呼び方だって戻りますよ。この本は大切にしますね、読んだらすぐに感想送ります」

 そして、二度と送信相手は間違えない。同人誌が折れないように慎重に鞄の中にしまう。そんな私を麻紀ちゃんと幸さんは笑みを浮かべながら眺めていた。




 夕日が落ち始めた頃、麻紀ちゃんの家を出て私と幸さんは途中で別れた。

 帰ったら速攻で読む。楽しみ過ぎて心が逸る。

 うきうきしながら歩いていると兄の後ろ姿を見つけて駆け寄った。兄の両手にはエコバック。スーパーの帰りのようで、パッと覗くと食材が入っていた。


「今日の夕飯は何ですか」

「それは出来てからのお楽しみ。悠子ちゃんは越田さんの家からの帰り?」

「はい、楽しかったですよ~。友達が買ってきてくれた抹茶のケーキも美味しくって。話してたら時間忘れそうになりました」

 でも途中で幸さんのスマホのアラームが鳴って現実に戻ったのだ。幸さんは資金稼ぎへバイトへ向かった。


「悠子ちゃんが楽しそうにしてると俺も嬉しいな」

 またそういうことをさらっという……。

 照れを誤魔化すように兄からエコバックを奪いとった。思いの他、重いが持てない重さではない。


「俺が持つから無理して持たなくていいよ」

「和泉さんの手が冷えてるかなぁって思ったんですけど、い、いいんですか?」

 兄の顔を覗きながら尋ねてみると、兄はパァッと笑って私の手を取った。こうすることで兄の安心に繋がるなら私も嬉しい。


「あったかいね」

「もう春ですからね」

 空を見上げると夕日をバックに雲が棚引いている。少し前までは暗くなっていた時間帯も今は明るい。心地よい空気が流れていた。


「来年も悠子ちゃんとこうしてたいなぁ」

 兄がまるで夢を語るように呟いた。決して叶わない夢じゃないのに手の届かない場所にあるようにひっそりと。――私はやるせない気持ちになって、繋ぐ手に力を込めた。


「私の未来にも和泉さんがいますよ。来年も再来年も十年後だって。私と和泉さんはその頃、豊の授業参観に行ったり、家族でバーベキューしたり、一緒に地平線を見に行ったりしています」

 形は違えど、兄が私のことを考えてくれているように私も兄を思っている。


「変わらない未来はありません。でも変えていく楽しさもあると思うんです」

 兄に少しでも伝わればいいと思う。

 私の思いも、願いも。


「だから沢山、夢を見て下さいね」

「悠子ちゃんは、今以上の幸せなんて……あると思う?」

 不安げにする兄に私は自信を持って頷いた。兄が知らず知らずの内に諦めていることも、私はどんどん拾い上げていきたいし、見付けていきたい。


「ありますよ、和泉さんはもっと幸せになっていいんです」


 小さな願いも、大きな夢も、ゆっくり一緒に形にしていけばいい。

 そして、それが私の幸福になるのだ。


 一陣の風が吹いて、桜の花びらを舞い上げていく。目が合った兄は「ありがとう」と泣きそうな顔で笑っていた。









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