27 妹の本音
総菜屋の裏口に着いた私は荒い息を整えながら周りを見渡した。どうやら兄はまだ来ていないようで安心した。
まさか小野さんに呼び出されるとは……。
手紙の内容もハピネスさん本人のようだったし疑いもしなかった。
兄のことが好きであそこまでしてしまうのだから狂気だ。……ストーカー、怖い。好きな人の家族を脅迫する発想が恐ろしい。
以前兄から中学で寮に入る前にストーカーにつきまとわれて苦労した話を聞いてはいたが、兄と同じ家に暮らすようになって実際に遭遇したのは初めてだった。
しかし、考えてみればの人の目を惹きつける美兄にストーカーの一人や二人いても不自然ではない。今まで姿を現さなかった方が変だったのかもしれない。
――もしかして、兄はこの事実を隠そうとしていたんじゃないだろうか。
最近やけにポストをマメに見に行ったし、思い返せばこの前一緒に帰った時も背後を気にしていた。恐らく私に被害が及ばないように守ってくれていたんだろうけど、素直に喜べない。
「そんなに頼りない、かなぁ」
「何が?」
漏れてしまった独り言を拾われて私は振り返った。
「い、和泉さん!?」
兄は走ってきたのか、息を切らしていた。いつの間に来ていたんだろう、気付かなかった。
「ごめん、遅くなっちゃって寒くない?」
と兄は私の頬に伸ばしかけた手を引っ込めた。
またか……。
兄の態度に寂しさと苛立ちが織り混ざった感情を覚えた。
「寒いです」
「じゃあ、今すぐコンビニでカイロを買ってくるから」
くるりと踵を返して兄はコンビニ向かおうとした。その兄の手を咄嗟に掴まえて止めた。
「行かないで下さい」
「え、でも」
兄は困った顔で私が握っている手を見下ろした。離して欲しそうにしている兄を無視してぎゅっと強く握りしめる。
「和泉さんがいれば必要ないですよね」
「そういうこと言わないで……悠子ちゃん、この前からちょっと変だよ。熱があるんじゃないの。早く帰って寝た方が」
以前、同じ理由で私のポケットに手を入れて恋人繋ぎまでしてきた人が何を言っている。私を勝手に病人扱いしないで欲しい。
「最近、変なのは和泉さんの方ですよね。いくら私だって気付きますよ。私に触られるのが嫌なら嫌ってはっきり言ってください!」
佐藤さんは今の調子で頑張れと応援してくれたけど、兄は女性が苦手なのだ。私に気を遣って口に出来ないだけかもしれない。
この際だからはっきりさせて欲しかった。一度は誤魔化されてあげたけど今日こそは兄の本音を聞きたい。
「お、俺は嫌じゃないけど悠子ちゃんが嫌なんじゃないかと」
苛立ちを隠さない私に兄はおどおどしながら答えた。その返事を聞いた瞬間、カッと頭に血が上った。
「そんなこと誰も言ってませんよ!」
「言ったよ。触らないでって泣きながら拒否されたこともあったし、俺がソファに押し倒した時も怯えてたし、抱き締めようとしたら逃げられたし……俺、悠子ちゃんが優しいからって調子乗ってたよね」
た、確かに。特に同居を始めた頃は、兄からの接触にかなり抵抗があった。けど少しずつ私も慣れていったし、それが兄に伝わっているものだと思っていた。
「だから考えを改めたんだ。今まで迷惑ばかりかけてごめんね。まだ完璧じゃないけど、これからはちゃんと理想の兄になるから」
「――――理想の兄って誰のことですか」
自分でも思いの外、低い声が出た。
「それは、貴士みたいな」
「何でそうなるんですか!! 私の兄は、和泉さんだけです!!」
兄は息を飲んで目を丸くした。
「っ無理して他の誰かになろうとしないでください。和泉さんはスキンシップが激しいというか、つい避けちゃったりすることもありますけど癖というか、本当に嫌なわけじゃないです……」
こんな恥ずかしいこと言いたくないが、言わないと兄には解ってもらえない。
「けどあの時、俺が上着を脱がせようとしたら抵抗したよね……?」
イベントで売り子をして帰った日のことを兄は言っているのだろう。
兄の疑いの眼差しに私は真っ赤になって言い返した。
「あ、あんな所で全部脱いだら痴女じゃないですか!!」
コートに下にアリアのコスプレをしているというのもあったけど、常識的にありえない。
すると私の反論に兄は、驚き眼で私を見つめていた。その様子に違和感を覚えずにいられない。
「えっと、俺はコートだけ脱いで欲しかったんだけど」
ありのままの姿を見せてってそういう意味だったの!?
てっきり全裸になれということかと……私の勘違いだったとは。
顔に尋常じゃない熱が集まり、恥ずかしさのあまり穴に隠れたくなった。
じ、自意識過剰過ぎる。思わず俯いて両手で顔を隠した。
「あ、俺が言い方が良くなかったよね。だからそんなに照れなくても」
そんなの無理に決まっている……。睨み上げると兄の顔は私に負けず劣らず赤く染まっていた。
「……何で和泉さんも赤くなってるんですか」
「何でだろうね?」
本当に嬉しそうに笑う兄に私もつられて笑みがこぼれた。兄の心からの笑みを久し振りに見た気がした。ここしばらく、兄は私に対して気を張っていることが多かったからこんな風に自然な会話を交わすことさえ出来なかった。
「やっぱりいつもの和泉さんがいいです」
ふふっと口に手を当てて笑った瞬間、私は兄の腕の中に閉じこめられていた。その力強い抱擁にぐっと息が苦しくなる。プッと酸素を求めて頭を上に上げると目があった兄に鼻の頭にキスをされた。
びっくりしていると兄は、愛しげに目を細めてゆっくりと私の腰を撫でた。ぞくりと体が震える私に兄はくすりと笑う。
「ちょ、ちょっと、和泉さん?」
「ん? なぁに?」
その甘すぎる声に私は金魚の如くパクパクと口を開いた。急な変化についていけない私の顔を兄は楽しそうに眺めて「それ、可愛いだけだよ」と前髪に口づけた。
な、なんか前よりパワーアップしているのは気のせいだろうか。
「あの、ここ外ですからっ」
やめて頂けないだろうか。バイト先のおばちゃんに見られたらいつまでからかわれるかわかったもんじゃない。でもあからさまに嫌がるとまた誤解されるかもしれないと思い、気持ち控えめに訴えた。
私の正論に、「あぁ、そうだね」と兄は私から手を離してくれた。ホッと一息吐いていると兄がサッとコートを脱いだ。先程寒いと言ったから貸してくれるのかもしれない。だがこの極寒の二月に兄の上着を奪うことなど出来ない、と断るつもりでいたら兄のコートが頭の上に被せられた。
いきなり何だとコートから顔出そうとすると、何故か兄までコートの中に潜ってきた。 薄暗い中、兄の顔が傍にあるのが伝わってきた。
「これなら誰にも見られないからいいよね?」
良くない。絶対、通りすがりの人に「あの男女、コート被って中で何してんだ」っていかがわしいものを見る目で見られている……。
「悠子ちゃんは前に俺にも話せないことがあるって言ってたの、覚えてる?」
兄に真剣な声で告げられて驚きながらも頷いた。仲島と私がつき合ってると思いこんでいる兄の誤解を解く時に私が兄に言ったことだ。
「悠子ちゃんはそのことをうしろめたいと思ってるのかもしれないけど、気にしないでね。家族にだって言えないことはあるよね?」
随分と物わかりのいいことを言うではないか。今まで散々秘密を暴かれそうになった身としては俄に信じ難かった。
「何で、急にそんなことを……」
「もう本当に大事なことが解ったからいいんだ」
果たして何が解ったのか? もしや小野さんはあの後速攻で私の秘密を兄にバラしてしまったのか……。兄と連絡先を交換してれば可能な筈だ。
思いついてしまった可能性に血の気が引いた。
兄はリア充で少年漫画には抵抗はないようだけど、男同士の恋愛物を好むかと言えば別だろう。兄には私の趣味を否定されたくない。自分の趣味を否定されることは私を否定されるのと同じだ。
怖くなって肩が震えた。
兄は私の肩を抱き寄せて安心させるように優しく背中を撫でた。
「大丈夫だよ、心配しないで。悠子ちゃんが怖がる必要なんて何もないんだ」
正直、不安しかないがまるで悟りを開いているような兄に尋ねる勇気は私にはなかった。
……言いたくないことは言わなくてもいいと――兄は私の性格を見越して逃げる余地を残してくれているのだ。
兄が「泣かないで」と言うから余計に感極まった。
「和泉さんの所為ですよ」
眦に溜まった涙を拭っていく兄をじっと睨み上げた。
「俺の所為?」
「胸が苦しくなるのも、恥ずかしくなるのも、涙が出てくるのも和泉さんの所為です」
私が普段からどれだけ兄に振り回されて情緒不安定になってるか。
悔しくなって兄の胸を叩いた。反応がないから何の顔を覗けば予想外の表情を浮かべていた。
「何で笑ってるんですか」
「だって嬉しいから」
兄は口元に片手をあてて笑っていた。人の話をちゃんと聞いていたのだろうか。兄を喜ばせるようなことを言った覚えはない。私は眉を顰めて首を傾げた。
「悠子ちゃんがそうなるのは全部、俺の所為なんでしょう?」
にやにやしながら言う兄の言葉の意味を理解して私は撃沈した。
完全に墓穴を掘っている。
「そ、そうやって、いつも和泉さんは……っ」
続きが言えなかった。確信を突いてしまえば、兄が妹ではなくなった私を認めるのは難しいように思えて、言いたい言葉を飲み込むしかなかった。
「いいよ。いくら責めてもいいから。そのままの悠子ちゃんでいてね」
そんなこと言われなくたって私は変わりようがないのに、まったくわかってない……言葉で縛りつけようとする兄に仕返しがしたくなった。
「和泉さん、この前私が寝ている時に何かしませんでしたか?」
「え、いいきなり何?」
明らかに兄は動揺している。その様子から覚えてるな、と確信した。
「私の気の所為ならいいんですけど……」
「俺、何かしたかな?」
開き直ったのか兄は完全に白を切るようだ。
「いえ、身に覚えがないならいいんですよ。きっと私の夢だったんですねぇ」
兄はホッとした顔を見せてから、不安そうに私の顔色を窺ってきた。
「そ、それって悠子ちゃんにとって嫌な夢だった?」
「そうですね、まるで悪夢のようないい夢だったかもしれません」
「つまりどっち……?」
「嫌じゃないから、困る夢でしたよ」
駄目押しに「和泉さんはどんな夢だと思います?」と首を傾げて兄を観察しながら問えば、兄の顔は段々赤くなって遂に私から目を逸らした。
私がいつも兄に同じ思いをさせられていることを思い知らせることが出来たようで気分がいい。
最後に小さく「ごめん、許して……」と呟いた兄に優しい私は「何のことですか?」とにこりと知らないふりをしてあげだ。




