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妹ですみません  作者: 九重 木春
-波乱の腐女子編-
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22 兄の辛抱

 悠子ちゃんとの接し方を改め始めて一週間が経った。残念ながら経過は良くない。悠子ちゃんは俺の態度に対して引っ掛かる所があるようなのだ。


『あの和泉さん、……この前のこと怒ってますか?』

『え、怒ってなんかいないよ。俺普通でしょ』

 そう答えた俺に悠子ちゃんは疑わし気な目で見ていた。怒ってるなんてとんでもない誤解だ。でも本当のことは言えない。


 最初は違和感があっても慣れてくれば、それが日常になる。全ては悠子ちゃんの為なのだ。


「なのに俺は駄目だな……」

 椅子の背もたれに背中を預けて掌の見つめる。

 さっきは危うくこの一週間の努力が水の泡になるところだった……。悠子ちゃんが寝ていて気付かなかったからいいものを、この所の悠子ちゃん不足で体が勝手に動いていた。


 ソファで猫のように丸くなってすぅすぅと寝ている悠子ちゃんを見てしまったばかりに……!!


 お風呂上がりの悠子ちゃんの髪をタオルで拭きたくても、玄関で迎えてくれる悠子ちゃんを抱き締めたくても、電柱にぶつかりそうになった時でさえ、触れないように気をつけていた俺が。

 無防備に寝ている悠子ちゃんを見たら我慢出来なかった。

 


 悠子ちゃんの額に冷却シートを貼った後、ふと首筋の白磁のように滑らかな肌に目を奪われて――俺は唇を寄せていた。心の中が満たされた余韻に浸って、すぐ代わりに襲ってきたのは罪悪感だった。

 

 無意識の内にしてしまった自分に背筋が凍った。

 借りてきたDVDの家族ドラマでは兄妹は決してこんなことはしなかった。ハピネスや日野に言われたことは正しかった。だからこの俺は、間違っているのだ。


 自分が家族を壊す害悪になる。それは絶対にあってはならないのに彼女の傍にいると築き上げた牙城が意図も容易く崩れ去る。


 すやすやと眠る悠子ちゃんを見下ろして後ずさった。

 何をしでかすかわからない自分と理性を失わせる妹の存在が怖くなって、俺は負け犬のように自室に逃げ帰った。






 翌日、俺は早起きしてキッチンで朝食を作っていた。昨夜はあまりよく寝れなかった。一言で言えば滝に打たれて心頭を滅却したい一夜だった。

 寝てもどんな夢を見るか保証などない。だから寝るのは諦めて、朝日も上がらぬ内から静かに朝食の支度をすることにした。


 コトコト煮込んだポトフのジャガイモが柔らかくなってきた頃、パジャマ姿の悠子ちゃんがリビングに顔を出した。雪から顔を出したウサギのようなきょとんとした悠子ちゃんを見て、昨日の失敗を思い出してしまい後ろめたい気持ちになった。


「お、おはようございます、和泉さん早くないですか?」

「おはよう。偶々、早く起きちゃってね」

 と苦笑いを零すと悠子ちゃんが俺の背後から回って鍋の中を覗いた。


 ゆ、悠子ちゃんの肩と腕が俺の右腕に触れている。

 その近さに一瞬ぎょっとした。


「美味しそうですねぇ……」

「あ、味見してみる?」

 唇に指を当ててポトフに夢中な悠子ちゃんに平静を装いながら聞いてみれば「じゃあお言葉に甘えて」と頷いたので味見用の小皿をとって渡そうとして固まった。


 あの悠子ちゃんが目を瞑って、口を開けた状態で俺がポトフを入れるのを待っている……?

 え、何、いつからそんな餌付けタイムが実施されるようになってたの!!

 初耳なんだけど、誰にでもこんなことやってるわけじゃないよね!?


 無言でパニックになっていると悠子ちゃんがうっすら目を開けて、照れながら「あの、まだですか?」と様子を伺ってきた。


 ていうかその顔は反則……。

 俺にはもうポトフを待っている顔には見えない。

 ――完全に末期だ.


 俺の前にいるのは、可愛い小動物。母親に餌を求めて口を開ける小鳥と同じ。

 早く餌をあげないとかわいそうだろう……!


 震える手でジャガイモをひとつ箸で摘み、フーフーと冷ましてあげてから悠子ちゃんの口に放り込むと「あ、あふっ」と声を上げて片手で口を塞いだ。はふはふしながらジャガイモを咀嚼する悠子ちゃんに俺は慌てた。


「っまだ熱かった? ごめん、悠子ちゃん」

「へ、平気れす。美味しかったです!」

 絶対熱かったろうに。小さく落ち込んでいたら、悠子ちゃんが「ほ、本当ですよ」と俺の顔を窺っていた。


 心臓への負担が大きすぎる。血のめぐりが良くなり過ぎて鼻血が出そうだ。そうならないようすぐに顔を片手で隠して天井を仰いだ。

 


「悠子ちゃん、ここ寒いし、パジャマじゃない方がいいんじゃない?」

「……確かにちょっと冷えますね。着替えてきます」

 パタパタと出て行く悠子ちゃんに俺はハァっと大きな息を吐いた。


 寝起きだからかな? 悠子ちゃん欠乏症という病持ちの俺には刺激が強すぎる。

 早朝の悠子ちゃんには要注意だ。命がいくつあっても足りない。


 まぁ、滅多にこんなことはないと思うけど……。

 せめて記憶の中に先程の悠子ちゃんの姿を焼き付けて置こう。







 ――そう思っていたのだ。土曜日の早朝の時点では。


 しかし俺の予想に反して、その後も想定外のことが二日間も続き俺は内心慌てまくっていた。

 誰かにこの事実を伝えたくて、月曜日の朝、大学の中庭でベンチに座って両手を組み友人を待っていた。


「はよ、わざわざこんな所に呼び出して何の用だよ」

 貴士は寝癖のついた頭であくびをしながら中庭に現れた。

 互いに一限目の講義がないのは知っているから、悪いがその時間を指定させてもらった。


「――変なんだ」

「あぁ、今更だろ。お前は」

 瞬間的にパシンと貴士の頭を叩いていた。


「俺のことじゃない!! 悠子ちゃんが変なんだよ。いつもと違うんだ。……あれは病気じゃないかな。たぶん熱があるんだ。そうに違いない……」

 ぶつぶつ呟く俺の隣に座った貴士は叩かれた頭を擦りつつ「どこがいつもと違うんだよ」と顰め面で聞き返した。


「どこも、かしこも! 悠子ちゃんはソファで俺の隣に座ってきたりしないし、遊園地にも誘ってくれたりしないし、手を繋ごうとしてきたりしないし、味見で自ら口を開けてくれるような子じゃないんだよ。いつもなら!」

 早朝の味見から始まり、土日の悠子ちゃんはおかしかった。俺からならまだしも、あのつれない悠子ちゃんから遊園地デートに誘われた時は、耳を疑った。その遊園地は前に俺が誘って断られた時のだった。チケットまで買ってくれてて、正直嬉しくて速攻で頷きたかった。


 ――けど涙を飲んで断ったのだ。


 自分でも解っている。俺は誰より信用ならない人間だ。流しそうめんの如く欲望に流されてしまう。お化け屋敷に入って悠子ちゃんが怯えてたら腕の中に包み込んであげたいし、頬にアイスクリームをつけていようものなら指で拭ってあげたい。その上、あそこの観覧車は一周十五分もするのだ。あの密室空間で悠子ちゃんと二人きり? 


 耐えられる自信がなかった。


 一生に一度のチャンスかもしれなかったのに。

 俺が断ったから悠子ちゃんは他の誰かを誘うんだろうか。


 ……ハピネスだったら嫌だな。

 後悔の波が絶え間なく押し寄せて引いていかない。


「……へぇ、頑張ってんなぁ、妹ちゃん」

「はっ? 何言ってんだよ、貴士」

「いや、こっちの話だ。で、それのどこが困るんだよ」

「困るに決まってるだろ! 可愛すぎて!!」

「困る必要がどこにある。普段のお前なら奇跡が起きた! って喜ぶところだ」

「っ」

 貴士には俺が悠子ちゃんへの接し方を変えた理由を話していないから正直に言うのも憚れた。


「俺が気付かないとでも思ったのか? 最近のお前は、昼飯の時に妹ちゃんにメールを送らなくなったし、妹ちゃんの話もしなくなって、口数も減った上に表情が消えてまるで昔のお前を見てるみたいだった」 

「そうか? 俺はいつもと」

 変わらない、という言葉を続けようとしたら貴士が勢い良く立ち上がった。


「誤魔化すな、何年お前のダチやってると思ってんだよ! んなつらそうな顔しておいて傍にいる方の身にもなれや!」


 貴士は俺が持っていないものを当たり前のように持っている。一般的な家庭で育って、面倒見もいいから友人も多い。普通の感覚を持つ貴士のようなヤツが兄だったら悠子ちゃんも俺のように警戒しなかったんじゃないだろうか。そんな劣等感も手伝って貴士には言えなかった。


「今更かっこつけんな。俺にはお前の考えなんてお見通しだ。勝手に一人我慢大会しやがって。日野に言われたことは気にすんなって言ったろ。あいつは妹ちゃんがどんな子かもよく知らないんだぞ。お前に一目惚れしてアタックしてくるようなそこらへんにいる女と妹ちゃんを一緒にするようなヤツの言葉を間に受けるんじゃない」


「けど悠子ちゃんの為なら少し距離をおいた方がいいって……」

「それを彼女が望んだのか? 妹ちゃんだってお前にびくついてた三年前と同じじゃない。変わっていってるんだ」

 そうは言われても簡単には信じられない。俺は何度も悠子ちゃんに拒絶されてきた経験がある。その時のことを思い出すと今の自分が間違っていることをしているとは思えなかった。


「お前は後ろばかり振り向いて前を見ていない。欲しいものが過去じゃなくて未来にあるならちゃんと現実を見据えろ。妹ちゃんが変だと思うならその理由を聞くのは俺じゃない。彼女に聞くべきだ」

 頼りにされるのは悪い気分じゃないけどよ、と貴士は片手で頭の後ろを掻いた。


「……貴士には悠子ちゃんの変化の理由がわかるのか?」

 不安げに尋ねれば、貴士は両手を組んで「う~ん」と目を閉じて口を濁した。それだけで何となく悠子ちゃんの意図を理解しているのが伝わってきてしまった。


「俺も貴士みたいな兄になれればな……」

 俺の言葉を聞いた貴士は「お前は、一度思い知った方がいい」と顔を顰めた。


「何を」

「さぁな」

 意味深な言葉を吐いた貴士は、ベンチの上の鞄を手にして一人で講堂へ歩いて行った。


 答えの見つからない宿題と一緒に取り残された俺の脳裏には、真っ赤な顔で遊園地に誘ってくれた悠子ちゃんの顔が浮かんでいた。



















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