8 兄の猛省
実家に帰ると両親は旅行で不在だった。必然的に家には妹と二人きり。
妹との距離を縮めるチャンスだと俺は意気込んでいた。家に父がいると悠子ちゃんと俺の間に入って来て邪魔されることが多い。父は自分の娘に近付く男が皆悪い虫か狼にしか見えないようだ。自分の息子をなんだと思ってるんだ、あの人は。俺が悠子ちゃんに危害を加える訳がない。
そう思っていた矢先、妹を泣かしてしまった。
断じてワザとではなかった。俺が妹の腕に触れたのと言い方がキツかったのかもしれない。親父とは海に行ったのに、と責めるような口調になってしまった上に、「俺とじゃ行きたくない?」強引に押したものだから、
「い、行きます、どこへでも一緒に行きますからっ手を離して下さいぃぃ」
と涙ながらに訴えられてしまった。彼女の腕には鳥肌が立っている。明らかな拒絶反応に俺はようやく自分の間違いに気付いた。妹は人見知りで繊細な心の持ち主なのだ。土足で強盗のように押し入っても心は開いて貰えない。
もっとじっくり観察し情報を集めて悠子ちゃんの間合いを把握してから、慎重に親睦を深めていくべきだった。ロールケーキひとつで懐いて貰えるなんて思い込み、おこがましいにも程がある。
嫌われてしまっただろうか……
他の誰に嫌われても構わないが、妹には嫌われたくない。今日泣いてしまった妹に何度ごめんと伝えたか解らない。その位謝ったが妹は首を横に振るだけでとうとう顔を上げてくれなかった。
明日、朝一でもう一度謝ろう。「何一つとして疚しい気持ちはなかった、悠子ちゃんと仲がいい父が羨ましかった」と正直な思いを伝えて謝れば妹は許してくれる。許して欲しい。これで妹と疎遠になったりしたら俺は一生引きずる、その確信が怖かった。
翌日、朝食の席で謝ろうとした時、
「昨日はすみませんでした。私が過剰反応しただけなので、気にしないで下さい」
妹に先を越されてしまった。悠子ちゃんは俯いたままで、目を合わせてくれない。そんな妹の謝罪が本心だと素直に受け止められる程俺は愚かではなかった。悠子ちゃんが謝ってきてくれたのは両親が帰ってくるまでの俺との二週間が気まずいからだろう。
俺の愚行がこのコに謝らせてしまった。
「謝らないで、悠子ちゃんは悪くない、全面的に俺に非があるんだ。ごめん、俺が急に触ったりしたから驚いたんだよね。花火大会も友達と二人で行った方が楽しいだろうから無理に付いて行ったりしない。俺の方がお兄さんなのに我儘言ってごめんね。家族になって四ヶ月しか経ってないし、父と違って一緒に住んでもいないから俺が兄だっていう実感も薄いかもしれない。……でも、俺は悠子ちゃんとは仲良くしたいと思ってる。だからいくら怒ってもいいし叩いて物を投げてもいいんだ。でないと、仲直りも出来ないよ」
妹の顔を覗き込みながらに懇願すると、悠子ちゃんは少し顔を上げて困った顔で笑った。
そんな顔をさせたかったんじゃない。
胸が締め付けられるように痛かった。
俺が一歩近付くと、悠子ちゃんは一歩後ろに退く。
俺が手を伸ばすと、悠子ちゃんはびくりと怯える。
その度、脳裏には妹の泣き顔が鮮明に蘇った。潤んだ黒い瞳からポロリと溢れた一粒の涙。小さな背中を丸めて嗚咽を漏らした妹。
あの日の自分を殺してやりたい。
父が俺に警戒していたのもきっとこういうことだったのだ。男慣れしていない妹の為でもあったんだろうが、俺の為でもあった。俺が行き過ぎたスキンシップをしでかす前にやんわり止めてくれていたのだ。
あれから妹は心を閉ざしたままだ。俺が何度か手伝いを申し出ても「一人でやる方が慣れてるんで」と素気無く断られてしまった。
食事中の会話もない。何でも好きな番組見ていいよとリモコンを渡したらNHKに固定。
……妹の笑顔が見たい。
もう勝手に触ったり、責めたりしないから許して欲しい。テレビでは家庭内別居のニュースが流れている。今の俺の気持ちは正にコレだと思った。こんなに傍にいるのに、限りなく心が遠い。言い様のない寂しさが募っていく。
しかし、まだ向き合って食事をしてくれるだけ俺は救われているのだろう。
言う事に欠いて、家庭内別居。
お前は本当に反省してるのか。