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妹ですみません  作者: 九重 木春
-波乱の腐女子編-
75/97

19 妹の赤面


「はい、こちらと新刊の二冊ですね。1600円頂戴致します」

 ブラハンオンリー当日、私は《神様同盟》売り子としてハピネスさんの隣に並んでいた。お客さんは途切れる事なく列をなしている。椅子があってもまったく座る暇がなかった。お客さんにお釣りを返してから同人誌を渡すと興奮した様子で声を掛けてきた。


「あの、聖君とアリアの衣装とってもよく似合ってます。あとで写真を撮らせて貰ってもいいですか?」

 期待に満ちたファンの思いにハピネスさんは、笑顔で応える。その横で私は顔を引き攣らせていた。



 まさか、自分もコスプレすることになるとは!?



 電話で話していたハピネスさんの私への願い事――それは私が主人公のアベルの妹、アリアの衣装を着ることだったのだ。

 勿論、速攻でお断りした。麻紀ちゃんが設営準備をしている間、私はコスプレイヤー専用の更衣室で首を横に振り続けた。


「こ、困った時はお互い様とか言いましたけど無理ですよ。断然麻紀ちゃんの方が似合いますって!」

「はじめて会った時にビビッときたんだ。これを着こなせるのは、ゆたんぽさんしかいないって」

 聖君そっくりのハピネスさんの手にはゴスロリ風の黒いドレスがある。原作の衣装を忠実に再現した手の凝ったドレスだ。他にも緩い金髪三つ編みのウィッグやヘッドドレスにパニエやコルセットまで用意してある。


「悠子ちゃん、この服を着たくても着れない人がいるんだよ……この私のように!」

「え、ハピネスさんが、ですか?」

 ハピネスさんは私服もボーイッシュだったし、こういう服に興味があるようには見えなかった。


「そう、昔から可愛い服が大好きなのに似合わないし、でも好きだから作らずにはいられない。ほら、ここの刺繍は一ヶ月も掛かったんだよ」

 指を差した薔薇の刺繍は緻密で細かい。素人目にもそれがどれだけ大変な作業なのかが伝わってきた。


「でも着るのは、私じゃなくてもいいんじゃ……」

「私は誰でもいいから着て欲しいんじゃない。アリアとして理想的なゆたんぽさんだから着て欲しい。小柄な体もケーキを食べてる時の愛らしさも誠実で慎ましやかな性格も私の中のアリア像とぴったり一致するの」

 それは私のことを言っているのか。私は愛らしさの欠片もない腐女子の見本だ。ハピネスさんの目を疑ってしまう。私を美化している所といい、可愛い服を着せようとする所といい、ますますハピネスさんがどこかの誰かさんと重なった。


「恥ずかしがらないで。ゆたんぽさんの知り合いの人にもわからないようにするし、もし何かあっても私が守るよ。ずっと隣にいる」

 燕尾服を着たハピネスさんが私の前に膝まづいて手を取った。聖君に口説かれているようでドキドキしてしまう。聖君がここまでしてくれるのに拒否するなんて人として許されるのか。首を振るに振れずに硬直してしまった。


「この前ゆたんぽさんが気に入ってくれてた小説の続きを書くから!」

 う、その言葉に思わず心が揺れた。私好み過ぎる幼なじみパロの聖アベをもう一度拝めるのか。読みたいに決まっている。

 けどそれを読む為には、あの衣装を……とちらりともう一度アリアの衣装に目を遣った。あれは可愛い乙女が着るもので私が着ていいような代物ではない。


「あ、う、でもですね。誰も私のコスプレなんて期待していません」

「私がしてるよ。それにバッカスさんに楽しみにしてるってメッセージもらったし!」

 ブルータス、お前もか……。

 麻紀ちゃんがハピネスさんの案に嬉々として頷く様が目の裏に浮かんだ。お祭りごととかサプライズとか麻紀ちゃん好きだもんね……。そりゃ反対する訳がない、と変に納得してしまった。


「ゆたんぽさんが着てくれるなら今まで書いた小説の総集編の同人誌を出してもいいって思ってるんだけどな……駄目なら仕方ないよね」

 そう呟いてドレスを畳み始めたハピネスさんの手を私は咄嗟に止めていた。


「い、いいいい今の本当ですよね! 嘘じゃないですよね!」

 興奮で声が震えた。あの普段お忙しいハピネスさんが私が密かにいつか出してくれないものかと心待ちにし続けていた本を出して下さると!!

 長年のファンとしていくら何でも聞き流せない一言だった。


「うん、勿論。ゆたんぽさんが私のお願いを叶えてくれるならね」

 にっこり笑うハピネスさんにしてやられた気分になりながら小さく唸った。


「着て、くれるんだね?」

「お、お任せ下さい」

 私は欲望に負けた。意志が弱すぎる自分にうなだれる。

 けどあんな餌をぶら下げられたら食いついてしまうのが腐女子の本能なのだ。ましてやハピネスさんが長編好きでいつも小説を完結させるまでに何ヶ月もかかると知っている身としては、これ以上の餌はなかった。



 ハピネスさんは慣れないドレスを丁寧に着付けてくれていった。私は人形の如くされるがままだ。髪を黒いネットの中に隠したり、コルセットを付ける時には上の下着を取られ、腰をぎゅうっと締め付けられて恥ずかしい思いをした。最後には化粧まで施されて鏡で姿を見た時は、自分に見えなかった。


 ハピネスさんが知り合いから借りたというブーツを履いてアリアが完成した。丁度その時、麻紀ちゃんが更衣室入ってきて速攻で傍まで寄ってきた。


「かっわいい! 何ていい仕事をするんですか、ハピネスさん」

「だよね! いじり甲斐があったよ。はぁ、自分の腕を過信しちゃいそう」

 うっとりとした目で二人に見つめられて複雑な気分だ。これは明らかにハピネスさんの技術によるものでウィッグと化粧をとってドレスを脱げばいつもの私に簡単に戻る。アリアは眼鏡キャラなので眼鏡はそのままだから鏡に映った自分の姿がはっきり見えて嫌になる。


 しかし、ハピネスさんの努力の結晶にケチをつけるようなことは言いたくない。本音を言えば谷間が見えるように胸の所に穴が開いているのは抵抗があるし、胸元がきつい。お腹は苦しく、ブーツの踵は高くて歩きづらい。


「ゆたんぽさんって実は、」

「わがままボディ……」

 二人の小さな会話の声が耳に届いた。聞こえてるよ、二人共……。

 私は自分の体のアンバランスさが嫌いなんだけど。恥ずかしさの境地で死ねる。お客さんが殆ど女性なのがせめてもの救いだ。




 そうして、アリアになった私はハピネスさんと《神様同盟》のサークルスペースに立ってお客さんを待った。本の金額は頭に入れておいたし、机には沢山の小銭が用意されている、計算機も持ってきたし準備は万端だ。開場してすぐに人が並び始める。それから新刊が売り切れるまで私達はひたすら接客をし続けるのだった。


 ――開場して、二時間で《神様同盟》の同人誌は完売した。麻紀ちゃん曰く「もっと部数刷っとけばよかった。これもかむちゃんとハピネスさんのおかげだね」とのことだが、これは明らかに麻紀ちゃんの実力だ。でなければマイナーカプでこんなに人が集まる筈がない。ハピネスさんと私は顔を見合わせて笑った。



 オンリーの閉場一時間前、私とハピネスさんは更衣室に戻り私服に着替えた。コルセットから解放され体が自由を取り戻した。スタイルをよく見せる為とはいえ、息苦しいものがあった。ブラハンの舞台である十九世紀の英国ではこれが当たり前だったらしい。コスプレを通して当時の女性の苦労が体験することができた。また着たいとは思わないけど貴重な経験だったのは確かだ。


「お疲れさま、ゆたんぽさん」

 更衣室の椅子に座る私にハピネスさんがペットボトルのお茶を渡してくれた。中身はレモンティー、ごくりと飲むと喋り疲れた喉が潤った。


「ありがとうございます。あの、お金はあとで出しますから」

「お金はいいよ、これはアリアのコスしてくれたお礼として受け取って」

 ハピネスさんはスマートに断って、私の隣の椅子に座った。


「ゆたんぽさんのおかげで夢のような時間を過ごせたよ、ありがとう」

「いえ、私一人じゃパニックになってたと思うんでハピネスさんのおかげで助かりました」

「予想してたけど結構な混み具合だったもんね。《神様同盟》の本は今日初めて読んだけど皆が惹かれる気持ちもわかる。原作へのリスペクトが半端じゃない」

「そうなんです! 麻紀ちゃんはジャンルを問わず話が濃厚なんですよ。原作と辻褄合わせてきたりもするから原作の裏側でこんなことが繰り広げられているのかって錯覚してしまうくらい見せ方が上手いんです」


 本命カプでもないのに、麻紀ちゃんの本のことになるとつい熱くなってしまう。《神様同盟》の新刊を広げながら二人で考察していると、背後でプシューッと何かが弾けるような音と同時に背中に何かが掛かったのを感じた。じわっと液体が背中に染みてきて……嫌な予感がした。


「――ハピネスさん、私の背中どうなってますか」

「む、紫色に染まって……たぶん炭酸ジュースだと」

 ですよね! 葡萄の甘い匂いが漂ってます!


「す、すすすすみません!! わざとじゃないんです。飲もうと思ってフタを開けたら、ジュースが水鉄砲みたいに、わ、私お洋服洗面所で洗ってきます。もし無理ならクリーニング代お支払いします!」

 私に炭酸ジュースを掛けた女の子は私の正面に回って、ぺこぺこ頭を下げて謝罪した。泣きそうな顔で必死に謝ってくれる彼女に怒る気にはなれなかった。


 これがハピネスさん渾身の作であるアリアの衣装だったら物申しただろうが、濡れたのは私服だ。クリーニングに出す程の物ではない。

 同い年くらいだろう彼女も普段は節約しながらオタ活に励んでいる筈だ。出来ればお金は貰いたくなかったので私服を脱いで洗って貰うことにした。


「洗ってる間、寒いし下着姿じゃ困るよね! はい、ゆたんぽさん」

「……ありがとうございます」

 まさか再びこの服に袖を通すことになろうとは。

 笑顔でハピネスさんにドレスを渡された私は断れる筈もなく受け取った。けれど今度はコルセットとパニエ無しで着たので先程より楽だ。


 服を汚してしまった彼女に私服を渡すと急いで洗面所に走っていった。

「その服良かったら貸すからそのまま帰りなよ」

「どんな無茶ぶりですか!」

 ゴスロリ服を着て街中を歩けるような度胸は私にはない。


「上着を着れば隠せるじゃない」

「私の上着はショート丈のダウンコートですよ。あと兄には腐女子だって隠してるので、ブラハンに繋がるものは見せたくないんです」

 フラバタは爽やかな野球漫画だが、ブラハンは耽美な吸血鬼漫画。私がブラハンを読んでいると知れば、兄は自分でも読み始めそうだ。


「じゃあ、私のコートを着てみたら隠せるんじゃないかな。立ってみて」

 ハピネスさんはトレンチコートを脱いで私に着せてくれた。長身のハピネスさんのコートだけあって大きかったが、スカートは隠れるし袖を捲れば何とかなりそうだ。


「けどハピネスさん寒くないですか?」

「私は中に厚着してるしマフラーと手袋があれば平気。寒さには強いんだよね」

 それは羨ましい。とても寒がりの私には耐えられない。ハピネスさんと話していると女の子が洗った服を持ってきてくれた。


「本当にすみませんでした。これ、良かったら体を温めて下さい」

 とココアの缶まで渡してくれ、恐縮する彼女から私は笑顔で受け取った。





 この後、麻紀ちゃんは自ら主催するルナグレのオフ会でハピネスさんはこの後すぐにバイトだったので会場で解散する事になった。


 電車から降りて地元の駅を出た私は冷たい風に体を震わした。

 今日は色々あったけど麻紀ちゃんの本は完売したし、ハピネスさんとは更に仲良くなれたし、売り子として参加して結果オーライだ。


 友達は少なくても、私はかなり恵まれている。同人漫画家の麻紀ちゃんに、レイヤーでありながら小説も書くハピネスさん、学校で萌談義に興じてくれる話しやすい仲島。オタ友として最高の布陣じゃないだろうか。


 腐女子は一人でも創作物に萌えられるが、仲間の共感を得られると更に楽しさが倍増する。にやにやしてしまう顔を抑えて、私は家の扉を開けた。


 すると、その音を聞きつけた兄がダイニングの方から現れた。

「おかえり、外寒かったでしょ」

「はい、けど腰にカイロ貼ってあるんで」

「こたつついてるよ。コート預かるから入ったら?」


 手を差し伸ばす兄に服を脱ぎそうになって私はぴたりと止まった。

 危ない、この下にはハピネスさんからお借りしたアリアのドレスを着ているのだ。一般人である兄に見せれるような格好ではなかった。


「そのコート初めて見た。誰かに借りた?」

 目ざとい兄の台詞にドキッとした。そんな私に構わず兄は笑みを浮かべている。そう、怖いくらいずっと笑顔のままだ。


「そ、そうなんです! あのちょっとした事故で服が汚れてしまって、友達から借りたんです」

 と言った瞬間、兄の目がすぅっと細められた。

 ひっ、兄の笑みはもう冷笑にしか映らない。

 下手に嘘を吐くと兄に追求されると思ったから正直に答えたのに何故怒っている。


 ここは一時退散するしかない。ダッシュして階段を駆け上がろうとした瞬間、兄が後ろから抱き締めてきた。仰け反って転びそうになった私を兄が体で受け止める。

「何で、他の男の服なんか着ちゃうの?」

 ボソリと耳元で尋ねられて体が震えた。兄の腕の中で身をよじって逃げようとするがびくともしない。


「と、友達は女性ですし、好きで着たわけでは」

「なら、ここで脱げるよね」

 兄は要求に私はたじろいだ。

 ハピネスさんのコートを脱げば、これが腐臭のする漫画の衣装だと気付いてしまうかもしれない。その上この服は胸元が見えて恥ずかしいことこの上ないのだ。

 いくら家族といえども異性と暮らす以上、露出が少ない服を心掛けている私には抵抗があった。


「怖がらないで、ありのままの姿の悠子ちゃんを俺に見せてよ」

 あ、ありのままって……こ、ここで!?

 コートだけかと思ってたけど一体どこまで脱がせる気なんだ!? 


 体温が急上昇して耳まで熱くなったのが自分でも解った。いくら切なげに懇願されても無理な相談だ。迷わず首をブンブン横に振った。


 すると兄は、私の首に巻いてあるマフラーをはらりと解いた。床に落ちたマフラーを拾いたいけれど、そんなことが出来る状況じゃなかった。兄の長い指がコートのボタンに触れて身の危険を覚える。

 兄のことは好きだ。けど何でも許すと思ったら大間違いだ。

 コートのボタンを外されそうになって、私は兄の手を止めた。


「ごめんなさい、和泉さん。私には出来ません」

 ここは順序を守って初心者モードでお願いしたい。

 一体どういうつもりでこういうことを私にするのか。兄は考えたことがあるのだろうか。妹だから何をしてもいいと思っている? 私の気持ちをないがしろにされているようで胸の中に悲しみが満ちた。


「わかった。それが、悠子ちゃんの答えなんだね」

 兄は静かに呟いた。だらんと兄の手から力が抜け、私は解放された。兄は何も言わずにうなだれたまま自分の部屋に戻っていく。

 あっさり離れていった兄においてけぼりを食らって首を傾げた。さっきの様子だともっと問いつめられたり責められたりするのかと覚悟していた。決してそれを望んでいた訳ではないが急に意気消沈してしまった兄に罪悪感が沸いた。


 これってやっぱり喧嘩してしまったことになるんだろうか。

 以前のように兄に無視されるのは嫌だ。そう思うなら脱げば良かったのかもしれないけど臆病な私には出来なかった。勘のいい兄に腐女子だとバレる可能性を作るのも、胸の開いた服を兄に見せるのも嫌だった。

 どうするのが最前だったのか、部屋に戻っていくら考えても解らなくて泣きたくなってしまった。



 夕食の時間が近づき、兄が怒っているのではないかと怯えながらダイニングを覗いた。兄と母と弟が既に食事の席についていた。


「そんなとこで何してるの、悠子ちゃん」

 兄が気付いて傍まで来てくれた。眉間に皺は寄ってないし、不自然な笑顔でもない。至っていつも通りの兄に拍子抜けしてしまった。


「あ、いえ、何でもないです」

「飲み物は烏龍茶でいい?」

 はい、と返事をして椅子に座った。横目に兄を見ても変化は見られない。私の謝罪で納得して貰えたということだろうか。自分から話を蒸し返す気にもなれなくて、私は夕飯に集中した。







 後日学校を終えて、私はハピネスさんに借りた服を返す為、商店街の傍にある公園に来ていた。待ち合わせ時間の五分前、ベンチに座って待っているとハピネスさんが姿を現した。今日の黒のロングコートに白のパンツ姿がお似合いだ。


「ハピネスさん、私服なんですね。一度家に帰られたんですか?」

「ううん、うちの高校が制服ないんだ。おかげで好きなのが着れる」

 服に興味の薄い私からすると制服があった方が楽だが、ハピネスさんのようにファッショナブルな人なら最適な学校だろう。ハピネスさんは私の隣に足を組んで座った。


「服貸して下さってありがとうございました。おかげで風邪をひかずに済みました」

 私はコートとアリアのドレスが入った紙袋をハピネスさんに手渡した。


「いえいえ、お役に立てたなら良かった。それにね、アリアの服を着てくれたんだからこっちがお礼を言いたいよ。そのドレスは完成まで半年位かかったんだ」

「え、そんなに時間かかってるんですか」

「私凝り性だから。作るのは楽しいからいいんだけど父が五月蠅いのには困ってる。家にいる時は部屋にこもって何してるんだって。父親にコスプレの衣装作ってるなんて言える訳ないのにね」

 どこでも腐女子は似たような悩みを抱えているようだ。うちの場合、父は干渉してこないけど兄が私に関心を持ちすぎなのだ。そこは放っておいて欲しいのにぐいぐい迫ってくる。


「私が部屋にも入れないで扉越しに拒否してるから不良娘扱いだよ。父が部屋の同人誌の山を見たら捨てるだろうね。そう思うと怖すぎる。高校卒業したら家を出たい」

「ハピネスさんも家族には趣味のこと隠してるんですね」

「言う必要性ってないよね。自分の首を絞めるだけじゃん」

 自分の思いを代弁してくれたかのようなハピネスさんの言葉が胸に響いた。

 兄に何度も自分の行動を追求される内にまるで自分が趣味を隠すのが悪いことのように感じてプレッシャーになっていた。

 普通の趣味ではないのだから無理して言わなくてもいいんだ……。


 ポツンと手の甲に水滴が落ちて、そこでようやく自分が泣いていることに気付いた。ハイ、と隣にいるハピネスさんがハンカチを差し出してくれた。


「すみません、急に泣いちゃって。ハピネスさんのハンカチ汚れちゃいますからいいですよ」

「いいから使って。それとも私が拭いてあげようか?」

 それは流石に遠慮したい。私はありがたくハピネスさんからハンカチを受け取って涙を拭いた。それから数分、涙が落ち着いてきて私は口を開いた。


「兄に趣味のことを言えないからハピネスさんの言葉が自分と重なって感極まってしまって」

「泣きたい時は思い切り泣いちゃいな」

「ハピネスさんは優しすぎますよ」

「誰にでも優しくするわけじゃないよ」

 初めて会った時からそうだった。舞台のチケットを用意してくれたり、売り子の仕事も急に頼んだのに了承してくれ、信用してコートや大切な衣装まで貸してくれた。そこまでして貰えるのが不思議でならない。


「ゆたんぽさんは私の小説のファンだって言ってくれたけど、私もゆたんぽさんのファンなんだよ。偶にしか更新しないのにいつも丁寧な文章で感想をくれて、楽しんでくれてるのが伝わってきたから励まされた。話やキャラの好きになるポイントも同じだし、いつか会いたいって思ったまま三年も経っちゃった」

「い、いえ私は勝手に感想を送ってただけです。大したことでは」

「大したことだったんだよ。あの頃の私は父親に無理矢理女子校に通わされて、鏡を割るような本当に痛い中学生だったから」

 学校に通いたくなかった時期は自分にもあったからよくわかる。ただし私の時は鏡を割るような激しさの代わりに、ストレスでお腹が痛かった。


「ゆたんぽさんはそんな私の心の支えになってくれたから、手を貸したくなる。それだけ」

 ハピネスさんは私を安心させるように笑ってくれた。


「じゃあそろそろバイトの時間だからまたね」

 とハピネスさんは紙袋を持って立ち上がって公園を出て行った。


 手にはハピネスさんの紺色のハンカチが残っている。


 ――またね、ってそういうことか。


 私は大切にハンカチをしまって家族の待つ家へ帰って行った。









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