18 兄の解答
「いただきまーす!」
「はい、召し上がれ」
ぱくりとホットケーキを口にすると悠子ちゃんの顔はふわっと綻んだ。
こういう顔をしてくれるから悠子ちゃんって料理の作り甲斐がある。もぐもぐハムスターのように頬張って食事をする様に癒されながら俺は話を切りだした。
「悠子ちゃん、遊園地のチケット貰ったんだけど今週末一緒に行かない?」
「あ、すみません。土曜はバイトで日曜は友達と出掛けるので」
「……そっか、残念」
「ら、来週じゃ駄目ですかね」
「このチケット、今月までなんだよね」
同窓会と称して俺を合コンに誘い出した友人、日野がお詫びにと遊園地のチケットをくれたのだ。カレンダーに何の印もついてなかったし、てっきり悠子ちゃんが週末に出掛ける予定はないと思っていた。
残念だが貰ったチケットを使うのは諦めて遊園地デートはまた今度にしよう。少なくとも行きたくないとは言われなかったから希望は残っている。
「じゃあ、佐藤さん誘ってみてもいいんじゃないですか? チケット勿体ないですし」
「うーん、流石に男二人では勘弁かなぁ」
思わず貴士とコーヒーカップに乗る想像をして顔を顰めた。
「私は男同士でも楽しいと思いますけどね」
ふふふと楽しげに笑う悠子ちゃんの頭の中が透けて見えるようだった。
恐らく聖とアベルが遊園地で戯れる想像でもしているのだろう……。
あの二人はそういう世界観じゃないと思うんだけど、まったく問題はないようだ。想像力の幅が広くて感心してしまう。
ひとしきり悠子ちゃんを眺めてホットケーキを切り始めた所でピンポーンとインターフォンが鳴った。
「俺が行ってくるよ。悠子ちゃんは先に食べてて」
サッと立ち上がって玄関へ向かい、扉を開けてみるとそこには誰もいなかった。
子供のイタズラか……?
玄関まで出たついでに門扉まで行きポストを覗くと白い封筒が入っていた。蓋を開けて封筒を手にとってみると宛名には俺の名前、差出人の名前はないが筆跡的には小野の字に見える。
手作り菓子は止めても手紙は継続か……。
封を切って中に入っていたのは、一枚の写真だった。
確認した瞬間、怒りで腹の底が煮えたぎった。その写真は俺と悠子ちゃんが外で手を繋いで歩いている時のもので、悠子ちゃんの顔だけ黒いペンで乱暴に塗りつぶされている。服装や周囲の風景から判断するにこの前一緒にスーパーに行った時に盗み撮りされたのだろう。
写真からは悠子ちゃんへの悪意を感じる。
被害に遭うのが俺だけならまだしも、悠子ちゃんにまで――?
許せない、絶対に許せない。
何かあってからでは遅い。早めに対策を練らないと……。
ぐるぐると脳裏に黒い解決方法が浮かんで止まらない。犯罪行為には犯罪行為で対抗してもいいんじゃないだろうか。自分がどれだけ罪深いことをしているのか思い知るべきなのだ。相手が誰であろうと悠子ちゃんを傷つけようとしている時点で俺にとっては制裁対象だった。
「ただいま、和泉君」
集中している所に突如背後から声を掛けられてびくりと体が震えた。
振り向くとベビーカーを押す妃さんが立っていて背筋が凍った。咄嗟に写真を封筒に戻してポケットに突っ込んだ。
「お、かえりなさい、妃さん。豊と一緒に散歩に行ってたんですね」
「ええ、今日はとてもお天気がいいから」
帽子被って行くんだったわ、と玄関に向かう妃さんについていく。
良かった、さっきの写真は見られていなかったようだ。
「ベビーカーしまいますよね。俺が豊を抱いていきますよ」
「ありがとう――それはそうと」
妃さんは綺麗な笑顔を浮かべて振り返った。
「さっきの写真の話、あとで聞かせてね」
「え」
「夕飯の後で私の部屋で話を聞くわ。忘れないように」
有無も言わさぬ迫力のある笑みに俺は小さく首を縦に振った。知らないふりをしても妃さんは見逃してくれないだろう。
俺が豊を抱くと妃さんはベビーカーをたたんで自分の部屋へ戻っていった。
まさか妃さんに見つかってしまうなんて……。
あれは、怒っていたよな。怒るに決まってる。
愛娘の顔を塗り潰された写真を見て怒りを感じない親はいない。
憂鬱な思いを抱えてリビングに戻れば、テレビを見ている悠子ちゃんが振り向いた。
「あれ、豊が帰ってきたってことは、さっきのは母さんだったんですね」
何の不審も抱いていないようでホッとしてしまう。さっき背中に立っていたのだが妃さんじゃなくて悠子ちゃんだったら取り返しのつかないことになっていた。
豊を抱いたまま椅子に座ると、悠子ちゃんのホットケーキが席を立つ前から減っていないことに気付いた。
「あれ、先に食べててって言ったのに」
「一緒に食べた方がおいしいに決まってるじゃないですか。豊にも分けてあげるからね~!」
そう当たり前のことのように言う悠子ちゃんに冷えていた心が温まる。
ストーカーなんかに負けていられない。俺が家族を守らなければ。
「はい、豊あーん……って! 和泉さんまで口開けないで下さいよ」
「え~、豊だけ?」
「豊だけです!!」
悠子ちゃんが小さくちぎったホットケーキを豊の口に運ぶと腕の中の豊は嬉しそうに声をあげた。悠子ちゃんのお皿の中のホットケーキはどんどん豊の口の中に消えていく。その様子を見て俺は自分のホットケーキを悠子ちゃんのお皿に移した。
「和泉さん、全然食べてないじゃないですか!」
「もう胸がいっぱいだからあげる」
――この和やかな空気の中にずっと浸っていたい。
俺は悠子ちゃんがおやつを食べ終わるまで、二人のやりとりを傍で見続けていた。
「さぁ、さっきの写真のこと説明してくれるわよね?」
足を組んで椅子に座る妃さんの前で言葉に詰まった。
夕飯を終えて俺は両親の部屋に来ていた。親父が仕事で海外に行っていたのはせめてもの救いかもしれない。
「あの少し前から俺に付きまとっている女子高生がいまして、たぶんその女の仕業だと思います……」
「少し前?」
ギンっと睨まれるように見上げられた。
「はい、冬休みが終わった後位からです」
「女子高生って解ってるってことは相手は知ってるコ?」
「自己紹介されたので……学校やバイト先も知ってます」
「そう……」
はぁっと長いため息を吐く妃さんに申し訳なさで自分の首を絞めたくなった。
妃さんに呆れられてしまった。ストーカーされるトラブルメーカーな息子なんて迷惑以外の何者でもない。しかもそのせいで自分の娘に被害が及ぶとなれば……息子失格もいいとこだ。
「あの妃さん、申し訳ありませ」
と頭を下げる途中で妃さんの人差し指がおでこにささった。瞬きをして妃さんの顔を覗くと妃さんは首を振った。
「謝らないでいいの。和泉君が悪いことをしたなんて欠片も思ってないわ。私はね、結婚する前に和泉君がどういう理由で寮に入ったか正輝さんに聞いてるし、気にかけて欲しいとも言われてる。和泉君が悠子や私に拒否反応が出る可能性があることも承知で結婚したの。でも実際一緒に暮らしてみると問題なく過ごせていたから気を抜いちゃってたわね。優しい和泉君の性格を考えれば私や悠子には話しづらいだろうって少し考えれば解ったのにね……」
妃さんは組んでいた足を床に下ろして両手を膝の上に置いた。
「私は家族が困っていたら、何だってするわ。借金しようが犯罪に巻き込まれようが崖っぷちでも絶対に見捨てない。――でもどんなに傍にいても、覚悟があっても、後の祭りだったら何の意味もないのよ」
怒ると思っていた妃さんは悲しげに呟いた。いつも気丈な妃さんが落ち込んでいるようで俺はおろおろしてしまった。
こういう時、どうするのが正解なのか。謝るのも励ますのも違う気がして、何も言えなくなってしまった。
「和泉君、もっと早くに気付いてあげられなくてごめんね」
その言葉が静かに胸に響いて、涙腺が緩んだ。
妃さんのつらそうな表情を見て後悔した。
こんなに俺のことを思ってくれている妃さんを信じられなかった自分が情けなかった。
傍にいても頼って貰えないつらさを俺は知っていた筈なのに。
守りたいと思っている家族を俺自身が一番傷つけていたのだ。
「そもそも俺が言わなかったのがいけないんです。今度からは、妃さんに相談します」
妃さんは、決して俺を責めなかったがたぶんこれが答えだった。
ようやく今になって理解することが出来た。
「そうして頂戴。私の大事な子供達に危害を加えるような輩は、放置できませんからね」
と強かに微笑んで指を鳴らす妃さんにホッとして、俺も笑顔で頷き返した。
「早速だけど和泉君のことをストーカーしてる女子高生の子のことを教えて貰ってもいいかしら。未成年だから親御さんからも注意して貰いたいし、直接お話したいわ」
「……あの、警察には相談しますか?」
「それは最終手段。まずは話し合いで解決させたいわね」
妃さんの言葉を聞いて安心した。出来るだけこの事は大事にしたくない。
「妃さん、その前に俺からそのストーカーに忠告に行ってもいいですか」
「いいけれど……和泉君、女性相手に平気なの?」
正直、小野に触られた時、拒否反応も出たし不安はある。けれど引くことは出来なかった。
「今後の為にも自分で頑張りたいんです。たぶんこれからも似たような事が起こると思います。その度に妃さんのお世話になるのは申し訳ありませんし、俺は母親に頼ってばかりの子供ではいたくありません」
妃さんの気持ちは嬉しいけれど成人男子としては逆に母親を支えられる息子でありたい。
俺の決死の覚悟が通じたのか「一度だけよ」と妃さんは肩を竦めた。
「悠子も和泉君も変な所が似てるのね」
そう苦笑をこぼした妃さんの言葉がくすぐったくて、笑わずにはいられなかった。




