17 妹の決心
「良かった、無事間に合ったんだ……」
昼休みになり、麻紀ちゃんのメッセージを読んだ私は安堵した。昨日は後ろ髪を引かれる思いで麻紀ちゃんちを出たけど、今朝お姉さんに原稿を速達で出して貰いどうにか締め切りを守れたようだ。
『おめでとう!新刊楽しみにしてるねv』
『ありがとう、でも実は、』
と頭を抱える白クマのスタンプが送られてきた。そんな気になる所で話を切られたら気になるに決まってるじゃないか。
何があったのか催促してみると、イベントでいつも売り子さんをしてくれる人達が二人共インフルエンザにかかってしまい週末のオンリーイベントに参加出来なくなってしまったらしい。
『お姉ちゃんも知り合いに行けるコがいるか聞いてくれてるから見つかると思うけど。神に祈るよ』
麻紀ちゃんは私と違って人脈が広いからなぁ。
手伝ってあげたい気持ちはあるけど、売り子なんてしたことがない。加えてマイナーカプとはいえ人気急上昇中のジャンルだから《神様同盟》ファンも合わさって普段よりも混雑が予想される。となると私みたいな素人が行っても足手まといなる可能性が高いのだ。
『かむちゃんとケーキ屋に行く約束忘れてないからね~。来週になったら行こう、私の奢りだから遠慮はご無用! じゃ、おやしみXXX』
おやしみ可愛いな……。よっぽど眠いんだろう。
私も短く『おやしみ』と返信してスマホを鞄にしまった。
何気に授業中からずっとトイレに行きたくて我慢していたのだ。私はポケットにハンカチを入れて早歩きで教室を出た。
用を足して廊下に出るとばったり男子トイレから出てきた仲島と出くわした。今週号の話をしたいが残念ながら今ここで出来る話ではない。
仲島の隣には友人らしき男子がいて、肘でつんつんと仲島を小突いている。
それに対して仲島は眉を顰めていた。
「おい、仲島、今日は彼女と一緒にお弁当食べなくていいのか」
「一昨日からずっと彼女じゃないって言ってるだろ。冴草、こいつに説明してやってくれよ」
これは明らかに私が昨日教室から仲島を連れ出してしまったせいだろう。昨日は衝撃の自爆メールで焦っていたから人目なんか構っていられなかった。私は学校では仲のいい女子友がいないから何も言われずに済んだが仲島は色々言われてしまったようだ。申し訳ない。
ここは仲島の為にも全力で否定させて頂こう。
「私と仲島が恋人関係になることは未来永劫有り得ません。仲島は友人としては最高の友達だと思ってるんですけどね!」
「ほら、冴草もそう言ってるだろ」
「え~、本当かなぁ。俺、去年からずっとアヤシいなぁって思ってんだけど」
「徳田、勘弁してくれよ。こいつの兄貴にも散々疑い掛けられたけどさ、友達で何が悪いんだよ。性別の違いなんてな、器の違いに過ぎない。色眼鏡で見ず魂で見るんだ!」
流石BLを読んでるだけあっていいこと言うじゃないか。
短い言葉の中に奥深さを感じる。
「……熱いな、仲島」
「うん、萌えてるね、仲島」
思わず仲島の友人、徳田君と一緒に頷いてしまった。
「二人共ハートで感じたな、それでいいんだ。じゃあ飯食いに行くぞ」
「彼女と一緒に?」
「てめぇ、何聞いてたんだよ!」
半ギレする仲島に徳田君は冗談冗談と笑い、二人は仲良く教室へ戻っていった。喧嘩っぷるの見本を見せつけられたような気分だ。
やっぱり男同士の友情っていいな。
帰ったら聖アベの学園パロ小説を探してみよう。原作設定もいいけど現代物も美味しい。そこに幼なじみのタグがあったらパーフェクトだ。
私は浮き足だった気持ちで教室に戻っていった。
「めっちゃ続き読みたい……」
ハピネスさんの新作が学園物だと誰が予想していただろう。
学校から帰宅した私は自分の部屋のベッドで寝転がりながらスマホを見つめていた。
スクロールバーが仕事をしない……。
――わかってる。本能でわかってはいるのだ。これが一話完結だって。
でもここで終わらせるのは聖アベ殺しにも程がある。
読み返す内にむくむくと感想を書きたい意欲が高まってきた。
私はパッと起きあがって椅子に座り、机の上のパソコンに向かった。
兄にハピネスさんへの感想を送ってしまうという愚行を犯してしまったのは、慣れないスマホで打ったのも原因のひとつだった。これから感想文はパソコンで打つようにしよう。
同じ失敗は繰り返してはならない。
――そうして一時間後、最後の推敲が終わり宛先を何度も確認しているとハピネスさんからのメールが届いた。
『今週末のブラハンオンリー行くなら一緒に行かない?』
というお誘いのメールだった。麻紀ちゃんがサークル参加するオンリーだ。今回はカップリング指定がないし、行こうかちょっと悩んでいる。
冬コミに行って、この前は舞台にも行ったから大きな出費が続いてた。オンリーに参加してもあまり本を買えないと思う。
そして何より、麻紀ちゃんの売り子さんの件が気に掛かっていた。
麻紀ちゃんが苦労して人を捜しているというのに……歯がゆい。
憧れのハピネスさんからの誘いだし行きたい気持ちはあるが、麻紀ちゃんを助けたいという思いもくすぶっていた。
考えた末、私はハピネスさんに相談してみることにした。
そのオンリーにサークル参加する友人が売り子さんを探していて、自ら手を上げたいけど仕事を完璧にこなせる自信がない。恐らく一般参加してもそのことが気がかりになってしまう。
売り子をしたことがあるか、ハピネスさんに尋ねてみた。
『あるよ~私の得意分野だね。もし良かったら私が行くよ。なんてサークルさん?』
『あの、《神様同盟》っていうサークルで、この前舞台に行った時にハピネスさんと交換したプロマイドあげた友達です』
『あぁ、ルナ×グレって言ってた! ちょっと待って今、調べてみる。うわ、人気サークルさんだ。てか絵上手すぎでしょう。壁側だけど売り子一人で足りるの?』
確か麻紀ちゃんは二人って言ってたような気がする。
スマホで麻紀ちゃんにメッセージを確認してみると二人との返答だった。しかもまだ見つかってないようだ。
『じゃあ、ゆたんぽさんも一緒に売り子やろうよ! 私がフォローするからさ』
『い、いいのですか!? バイトでも接客しないで基本裏方で働いてる私なんぞで……?』
『大丈夫だよ。普通の仕事に比べれば、お客さんだって優しい人が多いし!』
確かに。一般人相手よりオタク仲間の方が心の負担が少なそうだ。ハピネスさんもフォローして下さると言ってくれている。
急な話なのにここまで協力的なことを申し出てきてくれているのだ。
これは絶好のチャンスと捉えるべきだろう。
同じ後悔でもやらないで後悔するよりやって後悔した方がいい。
――不安はあるけど、ハピネスさんの優しさに背中を押されて迷いは消えていった。
『ありがとうございます! 売り子やってみます。なるべく出来ることは頑張るんで、不束者ですがよろしくお願いいたします』
『やったね! 私は一緒に行ければ売り子でも一般参加でも嬉しいから! あとその時、ゆたんぽさんにお願いしたいことがあるんだけどいいかな?』
『ええ、勿論いいですよ。困ったときはお互い様じゃないですか! 詳細が解り次第、すぐに返信するんで少々お待ち下さい!』
私は即行スマホで麻紀ちゃんにメッセージでハピネスさんと一緒にオンリーに参加したい旨を伝えた。
すると意外なことに麻紀ちゃんは『かむちゃんには原稿も手伝って貰ったのに悪いよ、かむちゃんはハピネスさんと買い物を楽しんで』と断られてしまった。まさかのお断りに一瞬茫然としてしまったが、諦めるつもりはない。
『麻紀ちゃんのことが気になって純粋に買い物が楽しめないよ。それに手伝った原稿が本になって人の手に渡るところまで私も見届けてみたい。』
麻紀ちゃんはいつも同人誌の後書きに「原稿を手伝ってくれたKちゃんにスペシャルサンクス!」と感謝の言葉を添えてくれている。その一文がどんなに嬉しいか。麻紀ちゃんの努力の結晶に関われることが自分にとっても誇らしかった。だから一度くらいは新刊を最後まで共同作業で見送ってみたい。
『最後まで一緒に感動を届けよう、麻紀ちゃん』
どうか断らないで欲しいと願いながら送信した。
先程まで間を置かずにメッセージが届いていたのに返ってこない。
どうしよう、せっかくハピネスさんも手伝ってくれるって言ってくれて私も決心がついたのに……。
そのまま三分程待ってようやく返信が来た。
『かむちゃん、ごめん。私、本当はね、藁にでも縋りたい。
さっきのは私のかっこつけたやせ我慢です』
『……うん、そうかなって思ってた』
はじめて私に原稿の手伝いをお願いしてきた時も「私が指示した所を塗りつぶしたり消しゴムかけたり、何なら私が居眠りしないように見張ってエールを送ってくれるだけでもいいから」と言ってきたような麻紀ちゃんだ。今になって遠慮されるのは寂しい。
『私と一緒に漫画を作り上げてくれたかむちゃん以上の売り子さんは世界のどこにもいないと思う。
ありがとう、ありがとう、ありがとう!
どうかお願いします。私もかむちゃんと一緒に本を売りたいです』
そのメッセージを読んで三年越しで夢が叶ったような気分だった。
私の方がありがとうって言いたい。私は小学校の時に自分で描いた絵を馬鹿にされてから描かなくなったし、妄想はするけど小説も書かない。
そんな読み専の自分に同人誌を作るお手伝いが出来る機会なんて、麻紀ちゃんに頼まれでもしなかったらなかっただろう。
麻紀ちゃんの部屋でアニメソングを聴いて、趣味や家族、学校の話をしながら原稿に勤しむ時間を私も何だかんだで楽しんでいるのだ。
麻紀ちゃんがOKしてくれて良かった。ただ、接客が苦手な私からすると嬉しさと不安が半々だ。
売り子として用意した方がいい物とかあるんだろうか。既刊と新刊を合わせて何冊持って行くのかも気になる。待ち合わせ場所や時間も決めておきたい。
週末に向けて気を引き締めて行かないと!
スマホで長々文章を入力しているとコンコンと部屋の扉が叩かれた。
「悠子ちゃん、ホットケーキ焼いたから一緒に食べよう」
「いただきます、少々お待ち下さい」
「珈琲と緑茶と紅茶どれにする?」
「緑茶でお願いします」
最近兄が作ってくれるホットケーキには、私の好きな抹茶と小豆が混ぜられていて大好物なのだ。冷める前に食べに行かねば。
私はベッドの上に戻り、頬を緩めつつメッセージを打った。
今週末――ブラハンのオンリーイベントで自分の身に何が起こるのか、何も知らずに。




