16 兄の溜息
「あ、壊れたスマホの代替機届いたんですね!」
「うん、悠子ちゃん中見たいって言ってたよね。ハイどうぞ」
越田の家から帰ってきた悠子ちゃんに小さな段ボール箱の中からスマホを出して渡した。本当は代替機ではなく俺のスマホを初期化したものだが見分けはつかないだろう。実際、悠子ちゃんはまったく疑いを持たずにスマホの受信BOXを見て例の間違いメールが届いていないことにホッとしていた。
「本当にまっさらな状態で来るんですね」
「まぁ一週間位しか使わないしね。それは貸し出し専用だから」
「でもその間、友達と連絡取りづらくないですか? 皆のアドレスとかって……」
「大丈夫、悠子ちゃんのスマホ買いに行った時に念のためにCDにバックアップとっておいたんだ。修理に出したスマホも初期化されて返ってくるけど、CDのおかげで何とかなるしね」
悠子ちゃんに聞かれることは想定内だ。だから極力悠子ちゃんの心の負担が軽くなるよう、貴士と話して答えを用意して置いた。
「それは良かったです! 私も和泉さんを見習ってバックアップとっておきますね。豊の写真とか消えちゃったら悲しいですし」
俺もスマホの中の悠子ちゃんの写真が全て消えたりしたら泣ける。何としてでもデータが復元出来ないかあらゆる手段を探すだろう。だがそれ以前にバックアップさえとっておけばいい話なのだ。これからはマメにデータをパソコンに保存しておこう。
「あの、和泉さん、今日は体の調子は平気ですか?」
下から俺の顔を見上げてくる悠子ちゃんに俺は微笑をこぼした。
「昨日のはただの寝不足だから。しっかり眠って今日は元気だよ。心配掛けちゃったね」
「本当に無理はしないで下さいね。バイト中も気が気じゃなかったんですから……」
あの短い電話でそこまで心配して貰えるとは兄冥利に尽きる。その上、昨日は俺の体の上に乗っかった状態で抱擁に応じてくれたり頭を撫でてくれたり、思い返してみても天使過ぎる対応だった。
「うん、心配してくれてありがとう」
お礼の気持ちを込めて悠子ちゃんの頭を撫でると悠子ちゃんは俯き、俺の手にスマホを握らせて走り去って行ってしまった。
すぐに隠してしまったけど顔を真っ赤にしてた。
可愛いなぁ。あんなに可愛いコ、世界中のどこを探しても彼女しかいないと思う。 にやにやしながらソファに座ってスマホを見てみるとアドレス帳に悠子ちゃんの名前が追加してあって笑いを止めることが出来なくなってしまった。
愛しくてたまらなくなる。
追いかけて、抱き締めて、引き寄せて、その後は……?
――一瞬脳裏を過ぎったのはソファで押し倒されて怯える悠子ちゃんの記憶だった。
目尻を涙で濡らす彼女の背中に腕を回して、もう片方の手は滑らかな太ももの上を滑って……その時の柔らかな感触を思い出してカッと顔が熱くなった俺は、ソファのひじかけに顔を埋めて熱が治まるのをひたすらに待つのだった。
「おい、和泉。またお前目当ての女子高生がたむろしてるぞ……」
窓の外を指さす貴士に重いため息を吐いた。一難去ってまた一難。
俺はストーカー被害に悩まされていた。
喫茶店で会った小野には直接釘を刺したことだし、おさまるかと思えばまったくその様子はなかった。むしろ状況は悪化し、小野は友人共を引き連れて大学の前で俺を待ち伏せをするようになった。
「何で悪化してるんだよ……!! 俺はプレゼント攻撃も止めろっつったのに一向に止める気配はないし警察に訴えてやろうか、あの女」
「まだ警察に連絡してないのかよ。すればいいじゃん、迷惑被ってんだから」
「そうすると家にも連絡が入るだろ……家族には知られたくないんだよ」
警察沙汰になったりしたらウチの前にパトカーが止まって近所の注目も浴びる可能性だってある。今の我が家は平和で穏やかな、そういうのとは無縁の生活を送ってきたのだ。何度も警察や児童相談所のお世話になってひそひそと噂されていた時のウチとは違うのだ。
親父は警察から連絡がある度に嫌そうな顔をして対応していた。
また問題事か、って言葉にしなくても伝わってきた。
俺だって好き好んで問題を起こしている訳じゃない。魑魅魍魎ともいえる女達が俺の日常を壊し、襲いかかってくるのだ。
「そうは言っても、自分の身を守ることだって大切だぞ」
「でも、嫌なんだ。俺は自分のことよりも"今"を守りたい。悠子ちゃんや妃さんに俺が迷惑な存在だって思われたくない」
家族にとって理想的な頼れる兄であり息子でいたいのだ。
だから悠子ちゃんと妃さんにはストーカー被害に遭っているのが気付かれないよう今日まで何とか未然に防いでいる。いつ小野がウチに不審物を置きに来るのか気になり過ぎて以前よりマメにポストを覗きに行くようになった。
「お前の気持ちも分からないことはないけどな。……親父さんには相談したのか」
「してない。仕事で外国に行ってる」
そうか、と貴士は残念そうにしているが俺からすればいつものこと。家にいる親父の方が長年の感覚からすると珍しいのだ。
「早く飽きてくれないものか……。あの女も俺に避けられてる時点で気付いて欲しい」
「お前に夢見てるんだろうよ。和泉は妹ちゃんの前ではいい顔するからなぁ。それをどこかで見てたんだろ」
「するに決まってる。だって好きになって欲しいし、可愛がりたいし、何より怯えて欲しくないんだよ。大切にしたい……のに難しいんだよな」
悠子ちゃんが男が苦手なのは早い時点で気付いてた。俺が近寄る度に距離を取ろうとしてたし、顔はひきつっていた。肌に触れたら鳥肌立てられたこともあったのだ。
だから本当は今も触らないほうがいいのかもしれないけど体が勝手に動くのだ。加えて昔ほど拒否されないからついそれに甘えてしまっている。
「いや、お前は頑張ってるよ。その重、じゃなくて思いは妹ちゃんにも伝わってると思うぞ」
「だといいなぁ」
俺の呟きに貴士は、「そこは心配ない」と自信満々に頷いていた。




