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妹ですみません  作者: 九重 木春
-波乱の腐女子編-
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10 兄の我慢


 日曜日、目覚まし時計のアラームを止めて目を擦った。起き上がりカーテンを開けると空は一面、曇り空に覆われている。今日は、悠子ちゃんと一緒にスーパーへ行く日だ。雨が降らないことを願いながらパジャマから私服に着替えた。


 昨日、悠子ちゃんは予定の時間通りに帰宅した。帰ってきた時、悠子ちゃんは明るい表情だった。舞台もハピネスに会えたことも大満足だったんだろう。その様子に胸が痛んだが、俺は小さなことには目を瞑るべきだと心を改めた。


『かむちゃんに近づくもの、何でもかんでも排除して孤立させたりしないで下さいね』


 以前越田に言われた言葉が蘇ったからだ。中年の男が現れて悠子ちゃんが傷つけられるという最悪の事態にはならず、人見知りの妹に同性の友人が増えたことを兄として純粋に喜ぶべきだ。俺はどうしても悠子ちゃんのことになると心が狭くなってしまう。気をつけなければならない。





 二人で朝食を食べた後、悠子ちゃんと歩いてスーパーに行くことになった。最近は車で出掛けることが多かったので悠子ちゃんは運動不足を気にしているらしい。つい「昨日も結構歩いたのに?」と零れ出てしまった言葉は悠子ちゃんの耳まで届かなかったようで安堵した。


 本音を言えばもう少し全体的にふっくらしてくれた方が嬉しいんだけどな……。ただでさえ悠子ちゃんは減り張りのある体をしているのだ。電車で出かけた時も隣で悠子ちゃんの胸元ばかり上から覗こうとする輩がいたり、抱きしめて隠してやりたい位だった。





 家を出ると外の空気は冷たく息が白くなった。庭が彩りが減って寂しい季節だが、この寒さの中でも椿だけは赤い花を咲かせている。

 門扉を出ると悠子ちゃんはマフラーに口元を埋めて、コートのポケットに手を入れた。どうやら手袋は忘れたらしい。

 スッと右手を悠子ちゃんのポケットの中に入れて小さな手に触れてみると案の定指先まで冷えていた。

 

「……私のじゃなくて自分のポケットを使って下さい」

 悠子ちゃんは、じろりと俺を見上げた。その返答は想定内だ。


「でもポケットより俺と手を繋いだ方が温かいと思わない?」

 ポケットの中で手を握れば悠子ちゃんの顔は一気に林檎のように赤く染まった。


「少しは人の目とか気にして下さいよ!」

「俺は見せつけたいの」

 ポケットから手を出し指の隙間を塞いで手に力を込めた。悠子は手を振って可愛い抵抗するが離してあげない。浮かれた気分で歩き続けていたら悠子ちゃんは溜息を吐いて抵抗を諦めてくれた。



「不思議ですね」

 そのまま小さな手を握って歩いていると、ふと悠子ちゃんは独り言をこぼすように言った。その視線は俺と繋ぐ手に向けられている。


「偶にね、思うんです。数年前の自分には考えられませんでした」

 その気持ちは俺も同じだ。親父が妃さんと再婚してなかったら俺はまったく違う人生を選んでいただろう。


 高校で寮を出ることもなく、きっと情報処理関連の専門学校に進学していた。どうすれば出来るだけ女と関わらずにいられるか、そればかり考えていたし、そもそも生きることにあまり執着がなかった。


「俺も悠子ちゃんに会うまでは、こんな幸せがあるなんて思いもしなかったなぁ」

 今は毎日が幸せすぎて怖いくらいだ。現状維持がどれだけ難しいことなのか、俺にはわかっている。親父が妃さんと出会う前、再婚する度に辛酸を嘗めさせられてきたのだ。油断は禁物だ。不安を隠すように悠子ちゃんの手を強く握った。


「豊が大きくなった時も和泉さんは同じこと言ってそうですね」

「言うよ、いつまでだって。俺のどんな未来にも悠子ちゃんはいるんだ。だから笑っていられるんだよ」


 俺の目に映る悠子ちゃんはどんどん変わっていく。

 スーパーで食べ物を選ぶ時も以前は安さ優先だったけど、豊が生まれてからは成分表示を見て少し質のいい物を買うようになったし、秋にバイト先の人から貰ったという柿を冷凍してシャーベットにしたのを豊のおやつとしてあげたり、エプロン姿の悠子ちゃんが豊を泣きやますその姿はまるで母親のようだ。


 前は「いいお嫁さんになれるね」なんて気軽に言えたけど今は言えない。もう彼女を誰にもやりたくなかった。


「ずっと俺の妹でいてね」

 願いを込めて伝えると、悠子ちゃんは顔を俯けた。


「和泉さんは、ずるいです」

 悠子ちゃんの優しさに甘えてしまう俺に反論の余地はない。ずるい俺はその小さな呟きに微苦笑をこぼした。






 スーパーで買い物を終えると二人とも両手が荷物でいっぱいになっていた。


「買いすぎちゃいましたね、和泉さんもう少し私が持ちますよ」

「このくらい平気平気」

 スーパーに入る前に流れていた微妙な空気は消えていて、俺はほっとした。悠子ちゃんが何となく沈んでいるのはわかっていても前言撤回は出来なかった。


「いっそ家に送っちゃえば良かったね」

「配送料を払うのはちょっと」

「だって悠子ちゃんと手繋げないのはもったいない」

 最近は車で買い物に行くことが多いから悠子ちゃんの手を握りたくても握れない。


「それはまた次の機会にして下さい」

 一瞬空耳かと思い、隣にいる悠子ちゃんを見たらそっぽを向かれた。


「うん、じゃあまた今度ね」

 腰を低くして悠子ちゃんの桃色の耳に囁くと、悠子ちゃんは何も言わずにスピードを上げてスタスタと早足で逃げていく。その反応に思わず頬が緩んだ。俺は幸せを噛みしめながら悠子ちゃんの後ろをついて行った。






 家族五人で過ごす休日の時間の流れはいつもより早く感じる。今日の夕飯は親父の希望で親子丼だった。親父は明日から海外へ飛ぶから暇さえあれば豊を抱っこしていた。


 冬休みを終えてから両親は忙しそうにしている。妃さんは翻訳の仕事が複数抱えていて部屋にこもっている時間が長く、親父はしょっちゅうクライアントと連絡を取っていた。それでも二人は合間を見つけてはスマホで連絡を入れてくれたり、出来るだけ食事を一緒にとるよう努力してくれていて俺はそれが嬉しかったりする。



 夕食の後、風呂に入った俺は部屋の椅子に座ってデスクライトを点けた。


 大学の図書室で借りてきた参考書を数冊、鞄から出して机の上に置く。大学のレポートの提出期限は明日。いつもなら土曜の午前中に終わらせておくのだが昨日は悠子ちゃんを見守るという大事な用事があった為、後回しにしていた。今からやれば朝までには終わる。睡眠時間を削る覚悟を決めて俺はペンを握った。



 ――ピピピとスマホの音がして俺は時計を見上げた。深夜三時、一度ペンを机に置き背筋を伸ばした。スマホを手に持ちパスコードを入力する。こんな時間に連絡を寄越すのは貴士くらいのものだ。

 届いてるのはメールが一件、相手は悠子ちゃんからだった。深夜に悠子ちゃんからメールを貰うなんて初めてだ。タップしてすぐに内容を確認した。




 ハピネスさんへ


 こんばんわ、早速今日更新された聖アベ小説読みました!

聖君が目の前の狼が変身したアベルとは知らずに本音を吐露してしまうシーンに泣きそうになってしまいました。吸血鬼であるアベルを殺す為にヴァンパイアハンターになったのに、愛しくて殺せなくなってしまった心情のせめぎ合いに切なくなりました。

 今回も続き物、ということで嬉しいです! 気長に続きが更新される日を待ってますね。


 ゆたんぽより



 

 これ、俺には絶対送っちゃいけないヤツだよ、悠子ちゃん!!

 明らかな間違いメールだった。


 以前の俺なら聖アベの意味も分からなかったけれど理解できてしまうつらさ……。

 今、悠子ちゃんがハマッてるカップリングだよね……。

 

 恐らくスマホに不慣れな悠子ちゃんは寝ぼけて俺に誤送信してしまったんだろう。

 もし俺にこのメールを読まれたと知ったら、悠子ちゃんは今後俺と目も合わせてくれなくなるかもしれない。背中に冷や汗が流れていった。


 この前の同人誌のことといい、うっかりし過ぎだ。こんなに大胆なイージーミスをされてしまうと俺としてもフォローがかなり難しい。俺からアクションを起こせば、既に読んでしまったと言っているようなものだ。つまり俺に残された手はひとつだけ、メールには気付いていないふりをする。


 あとは、いつ悠子ちゃんはこのことに気付くかが問題だ。悠子ちゃんからの連絡は何もない。もう寝てしまったんだろう。


 天に運を任せるしかない……。

 俺はスマホの電源を切って、再度レポートに取りかかった。






 朝までに課題を終えた俺は緊張しながらダイニングルームに入った。丁度エプロン姿の悠子ちゃんがテーブルに朝食を並べているところだった。


「おはよう、悠子ちゃん」

「おはようございます。あれ、和泉さん目の下に隈が出来てます」

「提出物で今日までのがあって、ずっと起きてたんだ」

「目の疲れにはここのツボを押すといいんですよ」

 と自分の眉間の辺りを指で押して見せてくれた。


 悠子ちゃんは嘘をつく時、目を泳がす傾向がある。今はしっかり目を合わせて話してくれたし、たぶんまだ夜中に送った間違いメールには気付いていない。


 家族全員席につき、テレビを見ながら朝食を食べ始める。

 悠子ちゃんはいつ、メールを送った相手が俺だと気付くのか。出来ることなら悠子ちゃんのスマホを奪ってあの送信メールを消してやりたい。


「……おい、和泉さっきから悠子ちゃんのこと見過ぎだぞ。可愛いからって困らせるなよ」

「別に、そういうつもりじゃないし」

 今、悠子ちゃんを困らせたくなくて困ってるのは、俺の方だ。


 ふと、隣を見てみると悠子ちゃんは小声で「かなり視線を感じましたが……」と俺をねめつけた。

 どうやら親父の言うとおりだったらしい。


「心配だなぁ。オレがいない間、お前にはしっかりしてて貰いたいんだが。悠子ちゃん困ったことがあったらオレに連絡していいからね」

「国際電話はちょっと……」

 う~ん、と悠子ちゃんが両腕を組んで悩み始めた。


「え、そこは外国にいる父さんよりも傍にいる俺を頼るところだよね⁉」

「大丈夫よ正輝さん、私もいるわ。安心してお仕事に行って頂戴」

 と豊にご飯をあげつつ、妃さんが何気に辛辣なことを言う。


「うん、バレンタインには帰ってくるから妃さんと悠子ちゃんのチョコを楽しみに仕事頑張ってきます」

「悠子からのチョコだけで充分でしょう」

「オレ、まだ妃さんから一度もチョコ貰ったことないんだけど……」

 バレンタインにチョコを渡すのは妃さんの柄ではないのだろう。親父の要求に妃さんは面倒臭そうな顔をしていた。


「あの和泉さん、おかわりいりますか?」

 親父と妃さんのやりとりを見ていたら、俺の空になったお椀を見て悠子ちゃんが気を遣ってくれた。

 礼を伝えてお椀を差しだすとこんもりご飯をよそってくれる。


「おいしいですよね、今日はご飯にもち麦入れてみたんです」

 バイト先でおばちゃん達が健康にいいって話してて、と悠子ちゃんはニコニコ話している。この笑顔を曇らせたくない。

 俺は憂鬱な思いを抱えながら、また一口ご飯を口にした。











「悠子ちゃんはいいお嫁さんになれるね」は、

-同居に到るまで- 13話の妹の不覚 より

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