6 兄の発見
冬休みを終え大学に登校する日、玄関の門扉の取っ手の所に紙袋が掛かっていた。この家に帰って来て三年、久しぶりに見てしまった。
中には『冴草和泉様へ クッキーどうぞ召し上がって下さい』と書いてあるピンクのメッセージカードと袋詰めされたクッキーが入っていた。メッセージカードに差出人の名前はない。
ストーカーとか、勘弁してくれ……。
これを家族の誰かが先に見付けなくて良かった。気味の悪いプレゼントをすぐに捨ててしまいたいがその場面を見られていたらストーカーが逆上することも考えて止めた。大学に着いた俺は真っ先に洗面所に設置してあるゴミ箱に密かに捨てておいた。
講義が終わるとざわざわと周囲が騒がしい。意味深な目で見てくる女達を無視しながら学食へと向かう。貴士は先に椅子に座って昼食のラーメンをすすっていた。
「久しぶりに登校すればまた変な視線が増えてんだけど」
さっき捨てたゴミと関係しているのか。周囲の目が気になった。
「和泉、冬休みの自分の行動を振り返ってみろ」
冬休みは妃さんの実家に帰省したり、あとは……偶々貴士に会って悠子ちゃんに合コンに参加した話を暴露されたんだ。
「もしかして合コンのことが噂になってるのか? てか何で貴士は参加しなかったんだよ。知ってたんなら教えろよ」
「俺はその日、他に予定が入ってたからな。そもそも指名された店が女の好きそうな店って時点で気付けただろ。勘が鈍ったな、和泉」
返す言葉もない。少し前の俺だったら気づけた筈だ。平穏な日常が続いていたから油断していた。家を出た時、玄関にあった不審物の存在を思い出して唇を噛みしめた。
「にしたって、あいつら俺が女を苦手だと知っていてこの仕打ち……」
もう一度同じことをされたら許せそうにない。幼かった頃に比べれば自分の身を守れるようにはなったが、俺の女性恐怖症が治った訳ではないのだ。
「妹ちゃんと仲良くしてるのを知ってるから治ったと思ったんじゃないか」
「悠子ちゃんとその他諸々はまったくの別物だろ!」
だから悠子ちゃんもあの時、俺が女性を苦手なのを克服したから合コンに参加したなんて誤解をしたのかもしれない。
「しかも、よりにもよって悠子ちゃんの前で合コンの話をするなんて……最悪だ」
「そんな合コンなんて百万回行ったような見た目しておいて、今更」
「だからだよ! せっかく懐いてきてくれたのに女を漁りに行くような男だと思われたら真面目な悠子ちゃんに軽蔑される……」
家事も覚えて、将来の夢の為に勉強も励んで、理想の兄になれるように頑張ってるのに、女に現を抜かすような軽率な男だと思われては水の泡だ。
「あの時悠子ちゃん、怒ってたし」
家でスマホの使い方を教えてる時はそんな様子はなかったけど、内心怒ってるんじゃないかとヒヤヒヤしていた。
「……怒っていたっていうより、あれはヤキモチ妬いてるように見えたけど」
「やきもち?」
「お前が合コンに行ったのが嫌だったんだろ。結構わかりやすかったぞ」
ヤキモチ、妬いてくれたってことは、悠子ちゃんに好かれてるってことだ。顔が赤くなってたのは怒っていたというよりは照れていたからかもしれない。
え、可愛い。可愛すぎて抱きしめたい。自然と笑みがこぼれた。
「あと噂になってんのは合コンのことじゃない。ショッピングセンターでお前を見た奴がいたみたいだ。弟君の靴、妹ちゃんと一緒に選んでた所」
「つまり、悠子ちゃんと豊のセットが可愛くて噂に?」
「ち、が、う。お前が実は結婚してて、奥さんと一緒に子供の靴を選んでたって噂だよ」
悠子ちゃんの愛妹弁当を持ってきてるだけでも彼女だって誤解されているのに今度はそれ以上。否定する必要性をまったくもって感じない。
「大丈夫だ。俺が悠子ちゃんと豊を連れて歩く時、基本周りはそう思うみたいだから気にしてない」
それで悠子ちゃんに近づく男が減るならいいことづくめだ。その噂を流した人間には感謝したい。都合が良すぎて笑いがこみ上げて止まらなかった。
「お前の心理がわかる自分が嫌だ……」
貴士は机に突っ伏して嘆いている。
「さぁ、今日の奥さんのお弁当は何かなぁ」
思わず声が弾んでしまう。俺と悠子ちゃんが仲睦まじいという噂であれば俺にとっては痛くも痒くもなかった。
大学で授業を終えても心は晴れ晴れとしていた。俺の不安は杞憂に過ぎなかったのだ。家に帰宅すると玄関は施錠されており、珍しく誰もいないようだった。悠子ちゃんはバイトだから迎えに行くまで時間がある。
何をして時間を潰すか考えて、ふと散らかったリビングが目に入った。こたつの上には市報やメモ帳と鉛筆、豊の前掛けなどが乱雑に置いてある。座布団はあちらこちらに散らばっていた。
今日はリビングの掃除をしよう。部屋に荷物を置いて、散乱している物を元の位置に戻していく。こたつの中にも入っていた座布団を回収しこたつ布団をめくり上げた瞬間、一冊の本が出てきた。
「なんだ、この薄い本は?」
ノート? 雑誌? 手を伸ばして手にとってみると二人の男子高校生のイラストが描かれていた。題名は『恋愛テロリスト』、下には英語で穂積×飛人の表記がある。このかけ算は何だ? コラボか?
恐らく唇の前に人差し指を当ててる眼鏡が穂積で、指でバツを作ってる方が飛人だろう。俺が読んでるフラバタと絵柄が違うが、違う雑誌で描いている番外編なのかもしれない。
試しに中身をめくってみると下校中の穂積と飛人が手を繋いでいた。これは仲違いしていた二人が仲直りした後の話なのだろう。二人は頬を赤く染めていてさながら恋人同士のようだった。いくらなんでも誇張表現のし過ぎではないかと思いながら読み進めていくとよりいっそう二人の距離は近づいていく。
――果たして、今読んでいるのは野球漫画なのか?
疑問に感じ始めた所で穂積が路地裏に飛人を連れ込んで壁に押しつけた。嫌な予感を覚えながら怖いもの見たさで次のページをめくる。
予想は裏切られず、二人の唇が重なっていた……。
俺は無言で首を振った。
これは野球漫画じゃない。穂積と飛人の、恋愛漫画だ……。
気のせいにしようにも、題名が決定付けている。
どう考えても悠子ちゃんの物としか思えなかった。
もしかして、これは悠子ちゃんがずっと隠し続けていた物じゃ……。だとすればこれは見つかってはいけないものだ。俺は咄嗟にその本を自分の部屋に持って行った。
以前話していた少部数の女性向け恋愛小説というのはこの本のことか? けどこれは漫画だし小説も存在するのか検索してみることにした。
ベッドの上に座ってスマホで穂純、飛人、小説のワードを大手検索サイトで打ち込んでみた。ヒットした小説には入力もしていないのに二人の名前の真ん中には×が入っている。名前の順番が入れ替わっていたり、他のキャラの名前が更に追加されているものもあった。わからないことが多すぎる。
――調べるしかない。
これが悠子ちゃんのことを深く知る一歩なのだ。
疑問に思うことを打ち込み続けていると情報は止め処なく出てきた。
コミケ? 同人誌? 総受? オメガバース? 退行? 専門用語の嵐だった。
スマホで検索し続けること数時間。何故男同士をくっつけるのかはわからないが、そういう創作物が世に溢れているということは理解した。もっと読み込めば俺にもその面白さがわかるようになるかもしれない。
さて、これからどうするべきか。
本のことを知ってるよって悠子ちゃんに言ったらどうなるか。
『ねぇ、俺もう同人誌のことは知ってるから隠さなくていいんだよ』
『何で知ってるんですか、私の部屋に勝手に入ったんですか!!』
『違うよ、掃除中に偶然見つけて』
『本当に? 偶然ですか? 人のプライバシーを勝手に覗くような和泉さんとは絶交です!! もう口もききませんから!』
仲島との電話を耳にして喧嘩してしまった時の記憶にがつんと襲われ、膝に両肘をついて眉間に指を押し当てた。
何度シュミレートしてみても悠子ちゃんが好意的に受け止めてくれる想像が出来ない。悠子ちゃんが今まで頑張って隠していた秘密だ。三年間、俺にどこに行き、何を買い、何をしたのかどんなに尋ねられてもはっきり答えようとしなかった。この趣味を知ったことで嫌われてしまうなら……悠子ちゃんには伝えないほうがいい。
けれど同人誌に理解を示しているって知ってくれれば、俺は誰より悠子ちゃんに近い男になれるのではないだろうか。そう思うと諦めきれなかった。
誰かに相談したい。しかも出来れば悠子ちゃんのと同じ本を読み、共感し、同じ立場になって考えることが出来る人間に。
該当する人間は二人浮かんだ――女か、男か……。
俺は翌日、悠子ちゃんには内緒で会いにいくことに決めた。
次の日の夕方、俺は高校の校門の前である人間を待っていた。その間に何度も女子高生に声を掛けられたが「待っている人がいる」と断った。それでも諦めの悪い女子高生たちは少し離れた所で俺を観察していた。
「待ってたぞ」
目的の人物が現れた所で前に出て、行く先を阻む。
「あの、冴草はもう帰りましたけど」
「お前に話がある、仲島」
お、俺ですか、と仲島は後ずさった。不快な思いをしながらここで待ったのだ。逃がすつもりはなかった。
「ここで話せば困るのはお前だけど、どうする?」
ドンッと仲島を壁に追いつめると周囲から黄色い悲鳴が聞こえた。仲島は自分達が目立っていることを早々に悟ったようだ。
「っわ、わかりましたから場所を移しましょう」
周囲の視線に耐えられなくなったのか、仲島を俺の腕を引いて学校から離れていった。
仲島と話す場所に選んだのはファミレスだった。平日の夕方だからか、混雑はしていない。
悠子ちゃんの趣味について相談する相手を考えた時、脳裏に浮かんだのは二人。越田と仲島だった。
越田は悠子ちゃんと中学生の頃から仲が良い女友達だ。前から何故実直な悠子ちゃんが軽薄な越田が友達なのか不思議に思っていたが共通の趣味があるのだろう。
仲島は悠子ちゃんが同じ恋愛小説を読む友達だと話していた。それは同人誌のことで間違いないはずだ。
二人とも悠子ちゃんに近しい人間でどちらに聞くか悩んだが。苦渋の選択の末、後者を選んだ。
率直な所、あの女にだけは頭を下げたくなかった。女というだけでも苦手なのに、いつも会話の主導権は越田が握り思い通りの会話が成立したことなんて一度もない。あいつと二人きりになって普通に話が出来る気がしなかった。
それに比べれば仲島はまともな人間だ。外見からして真面目そうだし、どことなく悠子ちゃんと雰囲気が似ているところがある。悠子ちゃんのことを他の男から聞くなんて悔しいが、今は文句ばかり言っていられない。
「あの、もしかしてまだ俺があいつと付き合ってるとか疑ってるんすか」
「その可能性も捨てきれないが、今日はそのことじゃない」
以前異性としては対象じゃないと言っていたのを信じるぞ、仲島。どうか悠子ちゃんの魅力に一生気づかぬままでいて欲しい。
「実はな、コレのことなんだ」
鞄の中から『恋愛テロリスト』を取り出しスッと机の上に出した瞬間、仲島が目にも止まらぬ早さで自分の方へと引き寄せて隠した。
「ちょ、ちょっと! 危険物を堂々とこんな所に出さないで下さい」
「声が大きいぞ、仲島」
「あなたのせいです!」
はぁはぁと仲島は肩で息をしている。その懸命に隠そうとする様が悠子ちゃんを彷彿とさせた。
「昨日、家で見つけたんだ。今では、この本がどういった趣旨の本なのかも理解している。その事実を悠子ちゃんに話すべきか否か……」
「それは、言わない方がいいですよ」
「どうしてだ」
「いや、これは本当に繊細な問題なんで。あいつ趣味のことを人に知られるの怖がってました。……少しでも周りと違うと周りからハブられるって思ってるみたいです」
俺なら絶対にそんなことはしないのに。怖がらないでいいんだよって伝えてあげたくなる。
「それに趣味の事を隠してはいますけど、俺達は皆に理解されたいって思ってるわけじゃないんです」
「?」
「秘密を共有する友達っていうか、少数派でいいんです。だからこそわかりあえる。皆と輪になって仲良しになりたい訳じゃない」
「俺じゃ秘密の仲間になれない?」
越田や仲島と電話で喋っている時の悠子ちゃんは心から楽しそうにしている。あんな風に俺も話してみたい。
「どの角度から見てもリア充にしか見えません! 諦めて下さい」
俺のどこがリアルが充実しているように見えるのか。悠子ちゃんと秘密の仲間になれない時点で充たされていない。
「あと別の話になるんですけど、今度冴草がネットで知りあったハピネスとかいう奴と舞台を見に行くんですよ」
「始末していいってことだな」
「違います。あいつ、相手は女だって言い張ってたけど確証はないですし、冴草のこと気にかけてやっておいてくれませんか」
悠子ちゃん何故自分から狼の胸に飛び込むようなマネを……?
「よくぞ、知らせてくれた」
俺の質問には正直に答えてくれたし、悠子ちゃんの性格も察しつつ、危険も報せてくれるとは。思ったよりいい奴なのかもしれない。
「仲島、スマホ出せ」
「え、いきなりなんですか」
「連絡先を交換しよう。今後も悠子ちゃんのことで何かあったらすぐに連絡するように! 特に、男関係のことは即送ってくれ」
悠子ちゃんが学校にいる時のことは俺には探れないが仲島なら可能だ。
「それは俺の仕事じゃないような……」
「逐一報告しろとは言わない。重要なことだけでいい」
「そう言われても俺と冴草はクラスも違いますし、四六時中一緒にいる訳じゃないんですよ」
「でも仲島は悠子ちゃんに信頼されてるからこそ仲間になれたし、そのハピネスのことだって話してくれたんだ。俺だってその壁をすぐにでも取り除きたいけど……無理なんだろう? だから、頼む」
頭を下げて真剣に頼みこむと仲島は長い息を吐いて――鞄からスマホ出した。
「……………俺が頷くまで諦めそうにありませんしね。わかりましたよ、協力します。大したこと報告出来ないと思うんで、くれぐれも期待しないで下さいね!」
「あぁ、報告待ってるぞ、仲島」
こいつは根が真面目だ。いい仕事してくれそうだ。
「あれ、名前が《隊長》って登録されてますけど、これお兄さんのことですか」
「俺をお義兄さんと呼ぶんじゃない。それはコードネームだ。悠子ちゃんの為にも俺とお前が繋がってることはバレないようにした方がいいだろう」
「なるほど。俺が何隊に所属してるのかは怖いので聞きませんけど……了解しました、隊長」
咄嗟に考えたコードネームだが、これなら悠子ちゃんにもわからないだろう。これからは悠子ちゃん警備隊の一員として仲島の活躍を期待しよう。
「あ、隊長ついでにこの本、俺から冴草に返しておきますよ。冬コミの時に混ざったことにしておきますから」
――俺は最強の味方を手にしたのかもしれない。
仲島の提案に俺はありがたく甘えることにした。




