5 妹の嫉妬
冬休みもそろそろ終わろうとしている土曜日。今日は兄と一緒に携帯ショップに行く日だ。前もってスマホのカタログを見てみたが、どれも携帯に比べれば高機能……決定打がなかった為、兄と同じ機種で色違いの物を選ぶことにした。
あくびをしながら玄関へ向かうと豊を抱く母と兄が立っていた。
「あれ、母さんも一緒に行くの」
「行きたいけどね、翻訳の仕事が残ってるから。今、和泉君に買ってきて欲しい物を頼んでた所」
兄が母から渡された買い物メモを見せてくれた。そこには豊の靴や靴下におむつなど他にも日用品が書かれている。
「妃さん、仕事忙しいだろうし豊も一緒に連れて行こうと思ってるんだけど、悠子ちゃんいいかな?」
「豊と一緒に出掛けて靴を選べるなんてご褒美ですよ! じゃあ、お出掛け用の豊グッズを持ってきますね」
「悠子ならそう言ってくれると思ってたわよ。はい、お願いね」
準備万端の母から豊のおむつポーチやおもちゃに下着やミルクセットなどが入ったトートバックを受け取る。豊のことは和泉さんが抱っこしてくれた。
「和泉さん、先に携帯ショップに行ってからショッピングセンターに行きましょうか」
「大丈夫だよ、ショッピングセンターの中にも携帯ショップ入ってるからね」
それは、助かる。駅前の携帯ショップは待たされる上に狭く、トイレも1つしかないから豊が泣いたり、おむつを変えたい時は不便なのだ。兄は私の心配も察してくれたようだ。
「余ったお金は自由に使っていいからね。気を付けていってらっしゃい」
玄関前に立つ母に見送られながら私は車に乗りこみ、兄と豊と共にショッピングセンターへと向かった。
家から少し遠いショッピングセンターには子供服のお店やドラッグショップや食品売り場もあり偶にしか行けないが重宝している。受付ではベビーカーも借りられるので家から持って行く必要もないし、何よりここには地域で一番大きな本屋があるのだ!
兄と一緒にスマホを購入して母からの頼まれ物を全て買った後、私は兄に豊と本屋の入り口で待ってもらい漫画コーナーへ走った。先月から買いたかった新刊が溜まっているのだ。目当ての漫画を次々と手にしてレジでお会計をお願いした。
「あと、このくじも三回分お願いします」
まだ残っていて良かった! もしかしたら無くなっているかもしれないと危惧していたがポスターが本屋の前に張り出されていたからあると思ったのだ。
残念ながら近所の本屋ではブラッディーハンターの一番くじをやっていなかった。フラバタの時はあったのに……恐らく出版社とファンの購買層の違いだろう。人気作品ではあるが腐女子を狙い撃ちし過ぎている。
ドキドキしながらくじを開いてみて、当たったのはアベルのタオルと缶バッジ、あとは一番欲しかった聖君のアクリルスタンドだった。
マーベラス……!!
片足を前に出して、細身の剣を片手にこっちを睨んでいる。その勇ましい表情と美しいポージングが堪らない。このままうっとりと眺めていたいがあとでじっくり部屋で観賞しよう。
あまりのんびりしていると兄が心配して本屋の中まで見に来てしまう。急いで本屋の入り口に戻り、足を止めた。兄が、誰かと話をしている。
兄のリア充仲間ならあまり傍に寄りたくない。目を凝らして相手の顔をよく見てみると兄の友人である佐藤さんだった。何度かウチに来たこともあり、挨拶したことがある。
あの人は怖くない。髪も染めてないし、佐藤さんは中学から野球一筋で兄と一番親しい友人だそうだ。そういうスポーツマンは、腐女子的にも美味しい……とつい思ってしまう。
「お久しぶりです、佐藤さん」
「いつも話に聞いてるから久しぶりって感じもしないけど、妹ちゃんも元気そうで良かったよ」
「いつもって……和泉さん、変なこと話してませんよね?」
「一言じゃ言い尽くせないけどここで聞く?」
兄の問いにぶんぶんと首を横に振った。公開羞恥プレイは遠慮したい。
「にしても今日は、妹ちゃんだけじゃなくて弟君も一緒なんだね。弟君、大人しいなぁ」
佐藤さんがしゃがんでベビーカーに座る豊と視線を合わせると豊はあうあうと手を伸ばした。佐藤さんは人差し指を豊に握られて悶えている。
「っ可愛い。……けど似てるね」
と佐藤さんは兄を見上げた。そう、豊の髪色や顔の造作は所々兄に似ていて愛らしい顔立ちをしているのだ。
「和泉さんと耳の形とかそっくりですよね」
「あぁ、和泉だけじゃないけどね」
ちらりと佐藤さんに私の方まで見られて首を傾げた。
「悠子ちゃん、俺のそんな所まで見てくれてるの……!!」
「見えちゃうんです。私が耳フェチみたいに言わないで下さい」
変な所で感動しないで欲しい。他にも似ている所は肌の色とか唇とかもあるけど言わないでおくことにした。
「和泉、妹ちゃんをあまり困らせるな。荷物も多いみたいだし、こいつがどんどん買い足していったんじゃない? 荷物は和泉に持たせればいいからね」
「お前に言われなくても率先して持つし」
兄はじろりと佐藤さんを睨みつけている。だが実際に荷物が増えた原因は私にあるので、兄のことが誤解されないよう自分から説明した。
「あの佐藤さん、どちらかって言うと私が選んだ物の方が多いんですよ。スマホを買うついでに弟の物を買ってたら予定より増えてしまって」
とさりげなく、くじの賞品が入ったエコバッグを豊のベビーカーの後ろに掛けながらごまかした。
「てっきり和泉のせいかと悪い悪い。妹ちゃん、スマホ買ったんだ。じゃあ俺と番号交換しようよ」
「は? 何でお前と悠子ちゃんが?」
気を許している相手だからか、兄の態度が悪い。これで喧嘩にならないのは佐藤さんが寛容なおかげだろう。
「和泉に何かあった時、俺が知ってれば助かるだろうが」
確かに兄が大学で具合が悪くなるようなことがあったら私にも連絡が欲しい。また逆に学校にいる兄と連絡がつかない時、佐藤さんに知らせることが出来れば伝言も頼むことも出来る。
そういうことなら、と兄は渋々許可を出した。スマホの操作は不慣れなので兄が代わりに電話番号を交換してくれた。
「で、貴士はここに何しに?」
「俺は本屋に参考書を買いにな。ここ揃えがいいんだよ」
ですよねー‼ と心の中で激しく賛同する。近所にあったら最高だったのに。
「そういや和泉、この前日野に会ったぞ。合コンだったんだって? 災難だったなぁ」
「――それ以上話したら首を締める」
合コン? 思い当たる日がある。祖父の家に行く前、兄から香水の匂いがした。あれはもしかして女の人に会ってたから?
「……同窓会じゃなくて、合コン行ってたんですね、和泉さん」
「い、行きたくて行ったんじゃないよ! 騙されただけだから」
じゃあ正直に話してくれれば良かったのに。何故話してくれなかったのか。
つい、眉を寄せて兄を見上げてしまう。
「でも参加したんですよね、楽しかったですか」
「全然! まったくの誤解だから‼」
兄は全力で否定している。誤解も何も合コンに参加したのは事実だ。嫌ならすぐに帰ってくればいい。女性が苦手な兄が残ったということは……兄好みの可愛い女の子とかいたのかもしれない。
「お持ち帰りとか、しましたか?」
きっと美形の兄なら余裕で出来た筈だ。この輝かしい兄が本気になったら落とせない女性などいないだろう。この後、空いてるかな? なんて兄に言われたら大抵の女性は頷く。
「してないよ! 二次会無視して、帰りに焼き芋買って一直線に家に帰った。俺、夕方には家に着いたでしょ」
「そうですけど……」
納得がいかない。兄は悲しげな顔で私を見ている。何を言ってもすっきりしない。合コンに行った兄を責めて私は何がしたいのか。思い直した所で、顔が段々火照ってきた。
そもそも己に兄の行動を制限する権利があるのか? 他の女性と会ってきたことを詰るのは、私の個人的な感情によるもの過ぎない。
……自分何様だ。先程の発言が猛烈に恥ずかしくなってきて頭を下げた。
「すみません! 私が口を挟んでいい問題じゃありませんね。和泉さんが女性を苦手なのを克服したのはイイこと、ですし」
「ゆ、悠子ちゃん」
兄に見捨てられた子犬のような目で縋られて、本音を飲み込む。兄を責めて傷つけたい訳じゃない。醜い感情が溢れてきそうな所を善意の言葉で押し隠した。
「あの妹ちゃん、本当に和泉は知らなかったから信じてやって」
「っは、はい」
一瞬、佐藤さんの存在を忘れてしまった。喧嘩なんて人前ですることじゃない。みっともない所を見られてしまい穴に隠れたくなる。
「じゃあ、俺は参考書探しに行くから。買い物の邪魔しちゃってごめんね」
佐藤さんは苦笑して本屋の中に入っていった。兄ともっと話をしていたかっただろうに、気を遣われたのは明らかだった。
買うべき物は全て買ったので今日の目的は終えている。佐藤さんの姿が消えて、私は無言でベビーカーを押して駐車場を目指して歩き出した。
「俺、悠子ちゃん以外の女の子に興味ないからね」
「も、もういいですから」
「隠れて他のコと遊びに行ったりしてないよ。そんな時間があったら悠子ちゃんとデートするから」
「何も言わないでいいです!」
早歩きしながら会話する私達の姿を他のお客さん達が興味津々の目で見ていた。絶対痴話喧嘩だって思われてる! 私は人の目から逃れるように駐車場行きのエレベーターのボタンを力強く押した。
――恋心が反乱を起こしている。
車に乗って帰宅する間、私は自分に言い聞かせた。落ち着け、落ち着くのだ。こんな小さなことで怒ってどうする。海のように広い心を持たねば。今の私にはチャイルドシートに座る豊の寝顔が心の清涼剤だった。
「私は怒ってません。和泉さんは気にしないで下さいね」
明るく努めて、兄に伝えた。
家に帰ると兄はソファで隣に座り、張り切って私にスマホの使い方を教えてくれた。
兄の合コンの件については話をほじくり返したりはしない。兄もその話には触れて欲しくなさそうだった。
先程の気まずさを払拭しようとしているのか、兄との距離が尋常じゃなく近くて困る。戸惑いながら必死にスマホに意識を集中させた。
「ここはこうして」
と兄が私のスマホに手を伸ばすと肩がぴったりくっついた。兄の髪からいい匂いが漂ってきて心臓が飛び跳ね、反射的に両手で兄を突き飛ばしたくなる。限りなく自意識過剰だ。
「他にも悠子ちゃんが使いそうなアプリ入れとくね。家計簿とか単語帳作るアプリとかテスト前とか便利だよ」
「ありがとうございます」
こんなに便利だとパソコン開く機会が減りそうだ。操作方法も思った程難しくなく、尻込みせずにもっと早くにスマホにすれば良かった。
「あれ、どこ行くの」
「ちょっとトイレに」
と言いつつ、廊下で熱くなる頬を冷やした。いつ頬にキスされてもおかしくない距離は心臓に優しくない。
ネットへのアクセス方法を覚えた私は、スマホに早速お気に入りのサイトをブックマーク追加した。ついでに二次創作の投稿サイトのマイページにログインすると何かメッセージが届いてた。
誰からのメッセージか確認して、手が震えた。何と相手は憧れの小説家、ハピネスさんからだったのだ。
『いつも小説の感想ありがとうございます! ゆたんぽさんもブラハンの舞台に興味があるんですね。良かったらチケット二枚あるので一緒に行きませんか』
私は三年前からゆたんぽというハンドルネームでハピネスさんの小説に感想を送っている。ハピネスさんは毎回丁寧に返信してくれるのだが、こんなお誘いを受けたのははじめてだ。
メッセージをくれたのは二日前。何故、もっと早く気付かなかったのか……。二日もお待たせしてしまうなんて、すぐにでも返信しないと失礼にあたる。
ネットでしか話したことがない人だけど、ハピネスさんとはいつか会ってみたいと思っていた。でもネットでの活動が主で、委託や通販はしてもイベントにサークル参加する人ではないからご挨拶にも行けなかった。
……ハピネスさんも勇気を出して私を誘ってくれているはず。なら私も勇気を出すべきではないだろうか。
私は慣れない手つきで文章を打ち、送信した。
『お誘いありがとうございます。ぜひご一緒させて下さい。』
ここで断れば後悔するのはわかっていた。だからこれで良かったのだ。今度会う時、ハピネスさんとアドレス交換することになるかもしれないしそれまでにスマホの使い方を覚えておかないとならない。
私はリビングに戻って、ソファに座り兄のスマホの使い方講座を再開するのだった。
三学期が始まり、授業を終えた私は視聴覚室へと歩いていた。先程スマホに麻紀ちゃんからブラハンアニメの続報が届いた。
攻めキャラの聖君の声が、偶然にも穂積君と同じ人とか最高過ぎる。麻紀ちゃん曰くアニメ化を担当する制作会社は評判が良いところとのこと。作画崩壊にはならなそうだ。たとえ崩壊してても自己補正して見るけど! 出来れば綺麗な方がいいに決まっている。
視聴覚室の扉を開けると週刊誌を読んでいた仲島が顔を上げた。
「仲島、聖君の声、穂積君と同じ声優さんだって!」
「マジか!」
ちなみに仲島にもブラハンをすすめたが仲島はハマらなかった。仲島からすると狙いすぎてる感があって駄目らしい。私も絵柄と設定からしてわかってたけど、理性と本能は別物なのだ。
「春の放映が待ち遠しいよ。来週はブラハンの舞台にも行くしね。運が私の味方をしてる」
「アニメ化に舞台化、波に乗ってんなぁ。てかお前舞台に興味あったんだな」
「好きな作家さんがよく舞台に行く人みたいで気になってたんだよね。そしたらその作家さんがチケット二枚あるから、誘ってくれてさ。今度初めて会うんだけど緊張する」
「初めて?」
「うん、ネットで知り合った人だから」
私の返事に仲島が訝しげに眉を潜めた。
「――それ、本当に大丈夫なのかよ。相手、女だよな」
「当然女性です。一つ年上で都内に住んでる聖アベの神だよ」
「行ってみたら親父でデブで足が臭い奴の可能性だって」
「ハピネスさんの足は臭くない‼」
まったく言いがかりもいい加減にして欲しい。
「俺だってこんなこと言いたかないけどよ。ネットで知り合った奴がチケットを高額で売りつけて来たり、付きまとうような奴だっているし気をつけろよ」
そこまで悪い方向に考えていなかったので、一気に私の中にあったハピネスさん像が崩された気分だ。私は年の近い女性だと信じて疑わないが仲島の言う通り、年配の男性が来る可能性も無きにしもあらずなのだ。もう会わないなんて選択肢はないけど、少しは自衛したほうがいいのかもしれない。
真剣に考え込んでいると突然ガラッと視聴覚室の扉が開いた。見たことのない明るい茶髪の女子生徒だ、上履きの色からして同学年なのはわかった。
「あ、ごめーん、誰もいないと思って。てか仲島じゃん、こんな所で何してんの」
「ダチと喋ってるだけだし。お前こそ何しに来た。しっしっ」
どうやら仲島の知り合いのようだ。ギャル相手に普通に会話するとはオタクにあるまじき男だ。
「超失礼なんだけど。私は先生に頼まれて掃除しに来たの!」
「あぁ、じゃあそれは俺がやっとく」
「ラッキー! じゃ、仲島お願いね~」
女子生徒は嵐の如く去っていった。今になって心臓がバクバクしてきた。差別はいけないが先程のコは正直苦手なタイプだ。
「さ、さっきの私達の会話、聞かれてたかな?」
「大丈夫だろ、入り口まで遠いし」
なら良かった。学校で腐バレとか一番嫌なパターンだ。
「お前びびりすぎだって」
「……だってさ、明日には学年中に私達の秘密が広がってて冷たい目で見られたらとか考えちゃうとさ」
学校は嫌でも行かねばならない場所なのだ。お腹を痛めながら登校したくない。
「俺もバレたかないけど、冴草のは想像以上にネガティブだな」
「周りと少し違うってことに女子は特に敏感なんだよ。何が原因になるかわからないから気をつけないと」
いくら教室ぼっちの私でも、ひそひそ悪口を言われるのは御免被りたい。この学校には漫研が存在しないことからして仲間は少ない=オタクは周囲から浮いているのだ。そこへ悪意がプラスされたら教室は針のむしろだ。
「……まぁ、そうだな。声を小さくするとか、あとは場所変えるとかか? 今は屋上寒いしなぁ」
必死に言い募ると仲島は真摯に受け止めてくれたようでほっとした。
「良さそうな教室とか場所がないか私も探してみるね」
バイトの時間が迫っているが、まだここでやる仕事が残っている。視聴覚室の隅にある掃除用具入れから箒を出して仲島に渡した。
「覚えてたか」
「忘れるはずないじゃん、さっさと終わらすよ」
仲島と急いで掃除を終わらせて、私はバイトへ向かうのだった。




