重版記念SS 妹の写真
「はぁ、ようやく終わった」
がらがらと庭にある物置の扉を開け、俺は正面の棚にシャベルを立てかけた。
悠子ちゃんが帰ってくる前に雪が止んで良かった。
昨日の夜から降り続いていた雪が今日の昼になって止んだ。十二月初旬、関東では十数年ぶりの大雪になった。朝は悠子ちゃんと早めに家を出て、一緒に登校したから心配は無かったが、問題は帰りだった。
大学が午前授業だった為、車で悠子ちゃんを迎えに行くことも考えた。しかし今は車道の上を人が歩いているような状況だ。雪道での運転に慣れておらず事故の危険性も高くなる。
これから帰宅する悠子ちゃんの為に出来ることは何か。
――自らの手で雪を取り除くしかない。
授業を終えて家に帰った俺は、すぐさま雪かきに取りかかった。黙々と雪を掘り進めて数時間、体は汗ばんでいた。途中で「もうここで充分か」と何度か足を止めたが結局、心配になって最後まで続けてしまった。
明日は間違いなく筋肉痛だ。でも心地の良い疲労感だった。これなら悠子ちゃんも安心して帰ってこられるだろう。
物置にシャベルをしまった後、玄関に入った俺はブーツを脱いだ。ホッと一息吐いて、向かうのはキッチンだ。こんな寒い日はあったかい珈琲でも入れて休憩するに限る。
ダイニングに入って真っ先に目に入ったのは、親父だった。椅子に座っている親父は小難しい顔をしながらテーブルの上に写真を並べて見下ろしている。次の写真集に載せる写真を選別しているのかもしれない。通りすがりながら、横目にテーブルの上をちらりと見て視線が止まる。
そこに広がっているのは、親父が仕事で使うような風景写真ではなく大量の家族写真だった。
「あぁ、帰ってたのか。おかえり和泉」
余程集中していたのか、今になって俺の帰宅に気づいたらしい。
……だが、わからなくもない。これは見ているだけで時間も忘れてしまう代物だ。俺は、小さく「ただいま」と返して親父の前の椅子に座った。
俺も悠子ちゃんと家族になってからそれなりの枚数を撮っているが、親父には敵わない。
運動会や家族旅行などのイベントの写真だけでなく、ソファで豊をだっこしてこちらを向く妃さんや、キッチンで俺と悠子ちゃんが並んで夕飯を作る後ろ姿、悠子ちゃんが背伸びをして洗濯物を干すところなど日常的な写真も多い。しかもそんな何気ないシーンでもプロの写真家だけあって綺麗に撮れている。――腕前の差を見せつけられたようで悔しい。
俺は黙って百人一首のようにパンパンと手を伸ばして、悠子ちゃんが写っているものを手元に集めた。
「おい、和泉、勝手に取るなよ!」
「どうせネガもとっておいてあるんだろ、俺にも幸せを分けろ」
「まぁ、そうだけどな……」
親父がぶつぶつと文句を言うが、手を止めるつもりはない。
その中に、予想外の写真を見つけて手が震えた。
え、――何これ。
入学式と書かれた紙の前にランドセルを背負った悠子ちゃんが立っている。その顔は涙目で、小さな手で隣にいるスーツ姿の妃さんのスカートをぎゅっと掴んでいた。
悠子ちゃんは人見知りだから、新しい環境が怖かったんだろう。その不安げな顔を見ているとぎゅっと抱きしめて「大丈夫だよ」と頭を撫でたくなる。
――可愛い。うん、間違いなく決定的に可愛い。
「和泉、それはやらないぞ。妃さんにお願いして貰ったやつだからな。絶対に譲らん」
「いや、これはもう俺のだから」
「スキャナーで印刷してやるからそれで我慢しろ」
「ならそのコピーした方を親父が持ってればいいだろ」
写真をスキャナーで取り込むと多少画像が荒くなってしまう。その位のことは俺とて心得ているのだ。
そうして睨みあっていると「ただいまぁ」と玄関から悠子ちゃんの声が聞こえてきた。俺は咄嗟に手元の写真をかき集めて隣の椅子の座布団の下に隠した。
ダイニングに顔を出した悠子ちゃんに「おかえり、悠子ちゃん」と言う俺と親父の声が重なる。その偶然に俺は眉根を寄せ、悠子ちゃんは笑った。
「雪は大丈夫だった?」
「はい、誰か親切な方が雪かきしてくれてたみたいで助かっちゃいましたよ。おかげで駅から遠回りしないでまっすぐ帰ってこられました!」
「それは良かった」
頑張って雪かきをした甲斐があるというものだ。
悠子ちゃんは俺の隣の椅子にコートを掛けて座った。……座布団がズレないことを祈るしかない。
「二人とも、ここで写真広げて何してるんですか」
つい先程まで昔の悠子ちゃんの写真を巡って争っていたとはとてもじゃないが言えない。咄嗟に答えられなかった俺に変わって先に口を開いたのは親父だった。
「アルバムに入れる写真を選んでたんだよ。段ボールに入れてとっておいたんだけど、量が多いから妃さんに半分くらい処分したらって言われちゃってね」
「確かにそれは多いですね……。あぁ、この私があくびしてる写真とか削りましょう。あとこの髪を梳いてるのとか、庭で蝉から逃げ回ってる写真まである……」
回収回収と悠子ちゃんは次々と自分が写ったものを集めていく。
「それはそれで可愛いからとっておこうよ」
親父の言葉に俺はうんうんと頷いた。
「可愛くないですよ。可愛いって言うのはこういう写真の事を言うんです!」
悠子ちゃんはびしっと人差し指で豊の寝顔の写真を指さす。それも可愛いけど、俺的には悠子ちゃんの可愛さとは種類が違うんだよなぁ……。
動物でも人間でも赤ん坊というものは防衛本能が働いていて可愛く見えるようになっているのだ。
しかし悠子ちゃんは違う。いくつであっても可愛い!!
――そう考えると赤ちゃんの頃の悠子ちゃんはこれ以上ない可愛さなのではないだろうか。
「悠子ちゃんが生まれた頃の写真ってないの?」
「そんなもの見てどうするんですか……」
悠子ちゃんは呆れたように呟いた。
「愛でる。そして大事に保存します」
「残念ながらウチにはありませんよ。前に住んでたアパートはそう広くなかったので保存場所に困って、小学生以前のアルバムは全部おじいちゃんちに送っちゃいましたから」
おじいちゃんちって……確か、妃さんの実家は林檎が名産の東北地方。すぐ取りに行けるような距離ではない。
「送り返して貰うのは無理なのかな?」
「……それはおじいちゃん次第なので」
悠子ちゃんの顔がひきつっている。目の前の親父は力なく首を横に振った。
「無理だと思うぞ。忠義さんは娘思いで孫思いな方だから。きっと手放したくはないだろう」
妃さんのお父さんの名前は忠義さんというのか。親父は結婚前に妃さんの実家まで挨拶に行ったので会ったことがあるが、俺はまだ会ったことがない。
何度かお正月に家族皆で行こうかと話は出ているのだが都合が悪くて実現していなかった。一年目は両親が父の実家に行った為悠子ちゃんとお留守番、二年目は俺と悠子ちゃんのダブル受験の年で断念し、三年目は妃さんが出産一ヶ月前ということで諦めたのだ。
「オレが忠義さんに初めて会った時は門前払いだったからな。和泉も会う時は覚悟しておいた方がいいぞ」
「父さんの場合は自業自得だろ。俺は後ろ暗い所はないから」
普通自分の娘がバツ三の男と結婚するって報告に来たら反対する。俺だって悠子ちゃんが三度も離婚歴があるフリーランスのカメラマンを連れてきたら、男に塩撒いて追い払うわ。そんな奴に悠子ちゃんの一生を任せられん。
「けど最終的に結婚を許してくれたんですから、お父さんの良さをおじいちゃんもわかってくれたってことですよ!」
悠子ちゃんは優しいなぁ。すかさず親父をフォローしている。
「あ、どうせならこの写真を使っておじいちゃんにアルバムをプレゼントしたらいいんじゃないですか。私達が仲良く過ごしてるのも伝わりますし、安心してくれると思いますよ」
「確かに、それはいい案だね!」
「私も一緒に選んで手伝います、ちょっと制服のままだと寒いんで着替えてきますね。待っててください」
と勢いよく悠子ちゃんが椅子から立ち上がった瞬間、座布団の下に隠しておいた写真がスッと滑り落ちた。
「ん? 何ですかこれ」
悠子ちゃんは足下に落ちた写真を裏返して固まる。
「私が小学生の時の写真……? って座布団の下からはみ出てるのはもしかして」
ばっと座布団を持ち上げた悠子ちゃんは、見つけた写真を見下ろしてからジロリと俺を睨み上げた。
「和泉さん……?」
「何で俺だって思うの?」
「だってここにあるの、私が写ってるのだけですよ。嫌でも察しますよ!」
「そこまで俺の気持ちをわかってくれてるんならいいよね?」
「良くないですっ」
顔を真っ赤にした悠子ちゃんが写真をかき集め、まとめて学校鞄に詰め込んだ。
あぁ、俺のコレクション達が……っ!!
「いつも恥ずかしいって言ってるでしょう! これは没収です!」
「そんなっ、俺は色んな悠子ちゃんの姿をいつだって眺めてたいんだよ? それってそんなに悪いこと?」
「~~そういう問題じゃないんですよ!」
羞恥のあまり首まで真っ赤になった悠子ちゃんはパタパタと階段を駆け上がっていく。
可愛いけど! そんなに照れることないじゃないか。
俺が悠子ちゃんの写真を悪用するとでも思っているんだろうか。
肩を落とす俺に、親父は同情の視線を寄越して「ご愁傷様」と俺の肩を叩くのだった。




