23 妹の主張
長いようで短い夏休みが終わってしまった。始業式、体育館の中で座りながら退屈な先生の話を聞く。この暑い最中、マイクの前に立った先生はスーツを着ている。偉いもんだと遠目に見ながら考えてしまう。
早く教室に戻って手紙を読みたいんだけどな……。
今朝、出かける時に兄から渡された手紙の内容が気になって仕方がない。
『とっても大切なことが書いてあるから必ず読んでね』
とにっこり笑って差し出された白い封筒は、二ヶ月前の仲島の手紙を思い起こさせた。
仲島の手紙をラブレターだと思いこんでいた兄だぞ。
しかも私は……遠回しにだけど「特別な人です」と告白して行動でも愛情を示したつもりだ。少し、期待してしまう。
先生の話が終わり、周囲の生徒達が立ち上がる。慌てて私も立ち上がり前の生徒について体育館を出ていく。
「おい、冴草」
後ろから声を掛けられて振り返るとそこには仲島がいた。
「自分のクラスの列、外れてここまで来たの」
「早く捕まえとかないとお前、すぐ帰りそうだしな。帰りに冴草から借りてた本返したいんだ」
私達の間で本と言えば暗黙の了解で同人誌と決まっている。穂×飛の小説本を貸したのは夏休み前だったからかなり読み込んでくれているはずだ。
「じゃあホームルームが終わったら視聴覚室ね」
「あぁ、お互いに早く終わるといいな」
始業式は午前中に終わるんだから、皆早く帰りたいに決まっている。ホームルームが長引く要素などないだろう。
「……教室に戻ればわかる。じゃあな」
気が重そうな声を出して仲島は隣の教室に入っていった。私も教室に入って席につくと黒板の前には担任の教師と学級委員が立っていた。
何が始まるんだと事の次第を見守っていたら、学級委員がチョークを手にして黒板に《文化祭の出し物について》と書き始めたではないか。
――仲島が言っていたのはこれか。
あまり興味がないから忘れていたが、我が校では二ヶ月後に文化祭を控えている。出し物に関しては当然クラスの多数決で決まる。しかしそう簡単に決まるものではない。
他人任せで申し訳ないが無難な候補が上がったらそれに一票を投じよう。私は、鞄の中の手紙を読みたい気持ちを抑えて皆の意見が黒板に書き出されていく様子を眺めていた。
先生の「解散」の声を聞いて、一斉にみんなが教室から出ていく。文化祭の出し物は一時間で決まった。長いホームルームだった……。ウチの学年では最後じゃないかと思いながら、仲島のクラスを覗いたら全員席に着いている。
まだ時間が掛かりそうだ、先に視聴覚室に行って待っていよう。
早く終わることを祈るしかない。
誰もいない視聴覚室に入り、机に鞄を置いた。兄から貰った手紙を見るチャンスだ。
鞄から白い封筒を取り出して丁寧に封を開ける。
一体なんて書いてあるんだろう、ドキドキしながら手紙を開く。
悠子ちゃんへ
高校生になって危険なことも増えてくると思います。ここ最近テレビで流れる
ニュースは物騒なことばかりで、俺は毎日、悠子ちゃんが心配でなりません。
出来る限り次の三つの内容を守って下さい、お願いします。
《異性と関わる際の三カ条》
ー、触らない
二、与えない
三、触らせない
※尚、上記の事項は家族には適応されません。
どこかで見たことがあるような文言だと思ったら動物園の注意書きだ。
勝手に触らないでね、餌を与えないで下さい、近づくのは危険です。
これが兄の言う、とっても大切なことですか!!
期待した私が馬鹿だった……。
これはどう考えても仲島に向けた注意書きだろう。あれだけ友達だって言ったのにまだ信用してないのかな、あの人は。破り捨てたいけど、初めて兄から貰った手紙には違いない。一応、とっておこう……。
心の中で涙を飲みながら手紙を封筒にしまっているとガラリと扉が開いた。
「お待たせー、って何焦ってんだ」
「なっ、何でもないよ」
仲島には手紙の内容は言うまい。夏休み中、二回目のコラボカフェで話している時、仲島は「お前の兄貴にはなるべく会いたくない……」と両腕を組んで擦っていた。そんな仲島相手に敢えて兄の話を振る程、私は鬼畜ではない。
「ならいいけどよ。あぁ、面倒くせぇ。オレのクラス、文化祭お化け屋敷になったんだけどお前んとこは」
「和装喫茶だって。浴衣姿でお客さんにお茶を点てたり和菓子を出すらしい」
クラスに茶道部の女子が多かったからその意見が通った。
当然私は裏方を希望する。きっと浴衣を着る生徒は綺麗どころが選ばれることだろう。
「喫茶かぁ、準備が楽そうだな。羨ましい」
「そうでもないよ。クラスの女子、気合入ってたし。二ヶ月間辛抱するしかない」
「文化祭の後にはオンリーが待ってるしな……、それを糧にして生きる」
「仲島も行くんだ! そのオンリー、私も目を付けてた。あの私の好きな小説サークルさんも地方から来てくれるんだよ、行くしかない」
「マジか! これはファンレターを書いて渡すチャンスだぜ」
ファンレターなんて、そんな勇気がいることを……!
でも直接会えるなんて滅多にない機会だ。仲島の言うとおりこれは書くべきだという神様からの思し召しなのかもしれない。
仲島に貸した小説の話を語りながら秋のオンリーに思いを馳せる。オンリーの前には文化祭という、クラスメイトと協力しながら喫茶の準備に取り組むリアルとの戦いが待っている。けれど、つらいことの後にはご褒美が待っているのだ。仲島と共にそう自分を鼓舞させた。
時計の針が十二時を差し、私と仲島は視聴覚室を出た。気持ちまだ語り足りないが、始業式は午前で終了の為、二人ともお弁当を持ってきていない。仲島の腹の音が隣でギュルルと鳴った。
「オレ、朝ご飯食ってねぇんだ」
「まだお母さん、帰ってこないの?」
「いや、遅刻しそうだったから朝飯抜いてきただけ」
学校がある時に朝ご飯を抜くとか私には考えられない。空腹で倒れたり、教室でお腹の音が鳴ったりしたら恥ずかしいではないか。鞄から柿の種の小さなパックを出して仲島に渡す。
「今度は柿の種か。……お前っておばあちゃんっぽいよな」
この前は母親かとツッコまれ今度はおばあちゃんとは、褒め言葉には聞こえない。
「いらないなら、別にいいけど?」
「そんなこと言ってないだろ! サンキュー」
早速、兄の三カ条のひとつを破ってしまったが守るとは約束していないし、お菓子をあげるくらいは友情の範囲内だろう。食べ物に罪はない。
上履きからローファーに履き替え、仲島と昇降口を出て行く。校庭には運動部員、周囲にはちらほらと下校している生徒達がいた。仲島とは家までの道程は途中まで一緒だ。ファンレターにどんな内容を書くのか、参考に聞かせて貰おうとした時、仲島が突然踵を返した。
「わ、忘れ物した!! ちょっと今から取ってくるわ」
仲島の顔色が悪い。トイレにでも行きたいのかな。
「じゃあ、ここで待ってるよ」
「いい、先に帰ってろよ。じゃあまた明日な!」
……やっぱりお腹でも痛いんじゃないだろうか。正直に言えばいいのに。
走って校舎の中へ戻って行く仲島に首を傾げていると後ろから誰かに抱きつかれた。
こんな真っ昼間から変態か!?
「遅かったね、悠子ちゃん」
「っ和泉さん、何でここに!?」
へ、変態と叫ばなくて良かった。危うく大声を出す所だった。
だから仲島はいきなり忘れ物をしたなんて言い出したのか。
きっと私より先に兄と目が合っていたのだろう。一人で逃げるとは裏切り者め……。兄の腕から抜け出してぐるんと兄に向き直った。笑顔だけど、目が笑っていない。
「携帯に連絡もいれて、門の所でずっと待ってたんだけど仲島と何かしてたの?」
仲島と夢中でお喋りしてたから携帯が震えているのも気付かなかった。
兄はどれだけここで待ってたのか。注目の的だったに違いない。
「待ってたと言われましても、なるべく学校には来ないで下さいって以前お願いしていると思うんですが」
他人にこのきらきらしい人が兄だと知られて目立ちたくない。今も立ち止まってこちらを見ている女子生徒達の姿が見えて身を隠したくなった。
「ん? でも他人のふりをすれば文化祭とかにも来てもいいって言ってたよね。つまり俺が兄だって周りに言わなければいいんでしょう」
「そういう意味で言ったんじゃないです! 学校に来ても私のことは無視して下さって構いませんから」
「俺は悠子ちゃんに会いたくて来てるのに近寄っちゃいけないの? それこそ意味がないよね。それとも誤解させたくない相手がいるのかな?」
スッと兄の目が眇められる。
「いませんけど……」
「朝渡した手紙、しっかり読んでくれた? あれくらいしないと盛りのついた年頃の男はすぐに勘違いする生き物だから。出来るだけ守ってね」
その割に言葉にとても力がこもってるんですが。
「あの、仲島が友達だって認めてくれたんですよね」
「一応ね、一応。でも友達だからって油断はしないようにね。俺にとっても悠子ちゃんは特別なんだよ。だからこそ特別大事にしたい」
そりゃ、私も和泉さんに言いましたけどそんな特別を連呼しないで下さい……。
顔を赤くしながら俯くと兄が私の頬に触れた。
「ほら、今だって危ない。悠子ちゃんみたいに小さいコは簡単にパクリと食べられちゃうからね」
いや、だからその私が他の男に狙われるという妄想というか前提がオカシイのだ。
この人にはいくら言っても無駄なんだろうけど。
「悠子ちゃんを、俺に一生守らせて」
守って欲しいなんて思ってない。
全てを兄に背負わせる気は毛頭になかった。
昔の兄は自分の心を凍らせて一人で頑張らなければ生きてこられなかったかもしれない。
でも今は私が傍にいる。私の体は小さくて頼りないかもしれないけど、兄を思う気持ちは人一倍あるのだ。
「和泉さん、守らなくてもいいんです。私は家族として支えあいたいんですよ」
兄を見上げながら照れ笑いを浮かべると兄の頬が段々赤くなっていく。
バッと口を塞いだその手の隙間からは、吊り上がった唇の端が覗いていた。