5 妹の動揺
夏休みが折り返し時点に入った。ひりひり日焼けで肌が痛い私はソファーの上で転がっていた。
日焼け止めもちゃんと塗って家を出たのになぁ。
塗り直しが足りなかったか。
私は真っ赤になった肌に時折アイスノンを当てながら、戦利品を読んでいる。この基本インドア派の私が長時間外にいなければならなかった理由はただひとつ!
夏コミに行ってきたからである。
電車は始発で目的地に六時半着。会場前で三時間半待ち。熱中症になるかと思った……!一緒に行った麻紀ちゃんが途中で『精神と時の部屋に比べればマシ』という励ましをくれたが私は果たして何に試されているんだ。太陽が黄色かったからか。
被害は日焼けだけに止まらない。筋肉痛、寝不足、ついでに金欠。
去年も同じことをしていたものだから母親は呆れていた。
その母は今、日本にはいない。父はよく仕事で外国に行くのだが、母は「楽しそうだから私も行ってくるわ」と追いかけて一昨日、出発した。四ヶ月遅れの新婚旅行だと私は思っている。
斯くして、私は悠々自適の生活を満喫中だ。自堕落ではない!人生のご褒美である。トゥルルルル、と電話が鳴り私は重い腰を上げた。
(母さんだな)
私は気軽に出た電話が快適な暮らしの終わりを告げる鐘の音とはこの時、思いもしなかった。
「はーい、か…冴草です」
「悠子ちゃん?兄の和泉です」
おっふ、電話の相手を知って、私は後悔していた。
受話器をとる前にナンバーディスプレイを確認すれば良かったのか!?
でも兄の番号を知らないから無駄か。
間違えました、ってあっちから電話切ってくれたらいいのに。
しかし相手が私の名前を出している以上、明確な意思を持ってウチに電話して来たのだろう。
「もしもし?悠子ちゃん聞いてる?」
「え、あっはい、聞こえてます。父さんなら家にいませんよ」
「父の話はしてないよ。明日、家に帰るからよろしくね」
今、兄は聞き捨てならない言葉を口にした。
「い、いいいいいえ、ってウチのことですよね?」
「ふふっ、他にどこに実家があるって言うの。そうだよ、君が住むその家の事を指しています」
「それは三週間後とかには……」
「夏休み終わっちゃうよね。明日だと都合が悪いの?」
悪いです。防波堤になってくれる両親が帰って来るのは夏休みの終わり。
つまり私一人で兄をもてなさなければならないのだ。
マンツーマンは遠慮したい。
「うん、大丈夫そうだね。悠子ちゃんは、好きなお菓子とかある?お土産に買ってくよ」
「……ロールケーキが好きです」
そうですか、無言を肯定と取りましたか。好みのお菓子まで聞かれるし。そこまで気を遣われて断れる程、私は勇者じゃなかった。誘惑に負けたからではない。頷かざるを得ない状況に持っていかれただけなのだ。
「お昼頃には着くと思うから。ご飯お願いしてもいいかな」
その頼み方はずるい。人としての良心が断っちゃダメだぞ☆って言ってる。
「わかりました、準備しておきます」
でも何を作ろうか悩む。せっかく作っても兄の嫌いなものとかだったらどうしよう。
「うん、俺好き嫌いないから安心して」
先程から私の思考を先読みされてる気がするのは気のせいだろうか。
「じゃぁ明日、悠子ちゃんに会えるの楽しみにしてるね」
なんと、返せばいいのか解らなかった。
コレなんていう囁きCD?主に後半の台詞がいらない。
そうやって私が返事を迷っている内に、手に持った受話器はツーツーと無機質な音を告げていた。
私はリア充に敗北した……!!
フローリングに手足を付きながらじわじわと襲ってくる羞恥。あんなデートを楽しみにしてる彼氏みたいな台詞を甘ったるい声で囁くように言わなくてもいいじゃないか!!
私が男に免疫のない女子だと見れば解るだろうに。
女嫌いらしい兄は実はとんでもないタラシなのかもしれない。
そして私は兄が肝心な事を言っていない事実に気付いてしまった。
果たして明日から、いつまでいるんだろう……。
よろよろと立ちあがり、私は家の鍵を手にした。
今日は月曜日だ。コンビニに行って週刊の少年に元気をもらおう。
夜が明け、天国から地獄に変わってしまう前に。