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妹ですみません  作者: 九重 木春
ー腐女子街道編ー
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18 兄の難問

 悠子ちゃんと喧嘩をした翌日も、俺は落ち込み続けていた。夕方、だるい体でキッチンに顔を出すとほ乳瓶で豊に授乳させている妃さんの姿があった。


「妃さん、悠子ちゃんは……」

 いつもならこの時間は悠子ちゃんが夕飯を作っている時間だ。


「バイトに行ったわよ」

 妃さんの言葉でハッとした。夏休みに入って悠子ちゃんはバイトの時間を増やしていたんだった。迎えに行きたいけど、昨日悠子ちゃんに来るなと言われている以上行くことは出来ない。行っても更に嫌われてしまうだけだろう。


 俺は眉を潜めて悩んだ。悠子ちゃんがバイトを終える時間は夜の九時。 暗い夜道の中、悠子ちゃんを一人で帰宅させるという考えは毛頭にない。他に代打を頼む必要があった。真っ先に思い浮かんだのは妃さんだったけれど豊もいるし、やはり女性では心もとがない。


「……父さんは、部屋にいますか?」

 親父に頼むのは気が引けたが身近に頼れる人間は他にいなかった。


「出掛けちゃったわよ。朝から知り合いの個展があるって言ってね」

「そうですか、ありがとうございます」

 何時頃帰ってくるのだろう。落胆しながら階段を上っていき、部屋に入る前に隣の部屋の扉を見た。ドアノブを回して記憶を振り返る。


 あの時、悠子ちゃんと仲島の会話を聞いていなければ……。

 聞いていても、何も言わなければ良かったのかもしれない。


 ベッドに身を沈めて、スマホで親父に電話をしたが応答がない。夜の九時までに連絡が繋がるだろうか。焦燥感に苛まれながら親父が帰宅するのを待った。




 親父が帰ってきたのは、夜の九時の直前だった。玄関で待っていた俺に、親父が驚いた顔をしてみせた。


「お前がお迎えなんて珍しいな」

「そんなことより、何で電話に出なかったんだ。何度か親父に掛けたんだけど」

「あぁ、充電が切れてたんだ。何だ、俺に買ってきて貰いたいものでもあったのか」


 あったとしてもその程度、自分で買いに行く。もっと大切な重要任務を親父には頼みたいのだ。俺はガバリと勢いよく親父に頭を下げた。


「親父、頼む。今から悠子ちゃんのバイトのお迎えに行ってくれ」

「……お前、それは自分の役目だって前に自慢してたじゃないか」


 親父は乾いた声で小さく呟いた。そう、このバイトのお迎えは、兄である自分の役目であって誰にも譲りたくないと食事の席で公言していた。悠子ちゃんを守るのは俺しかいない、そのくらいの気持ちで迎えに行っていたのだ。


「悠子ちゃんに、迎えに来るなって言われちゃったから……」

 俺が迎えに行っても悠子ちゃんはいい顔をしないだろう。

 鼻声で苦情を訴えた時の内容を思い出して唇を噛んだ。


 もう悠子ちゃんのバイトが終わる時間に差し迫っている。早く親父には悠子ちゃんの元へ行って貰いたかった。


「父さん、お願いします」

 親父に頭を下げることで悠子ちゃんの身の安全を守れるのならいくらでも下げる。そのままの態勢で返答を待っていると、ようやく親父が口を開いた。


「――わかった、行ってくる。お前は安心して待ってろ」

 その言葉に、初めて親父を心強く感じた。ポケットから印刷しておいた悠子ちゃんのバイト先までの地図を手渡すと親父は強く頷き、地図をしっかり手に持って玄関を出て行った。





 その後、俺は何度も悠子ちゃんと仲直りをしようと試みた。悠子ちゃんの好きなケーキを買ったり、家事の負担を減らせるよう先回りをして家事を終わらせたり、悠子ちゃんの好物ばかりの夕飯を並べてみたり、その間の悠子ちゃんのお出かけにも口出ししたりしなかった。


 けど何をしても何を言っても梨の礫(なしのつぶて)で、悠子ちゃんは一言も口を利かず許してくれる気配はない。


 やること全てが空振りに終わり、焦り始めていた。

 このまま俺は悠子ちゃんと口が利けないまま一生を終えるのか……?


 俺の知恵だけでは、悠子ちゃんの許しを得るのは難しいかもしれない。スマホを手にしてラインの画面を開いた。相談したいことがあるから会いたいという文面を打ち、俺はある人物に連絡を取り始めた。






 カランコロン、扉を開くとベルの音が響いた。レトロな雰囲気の喫茶店の中に入るとふわっと珈琲の薫りが鼻を擽る。案内された木製の机は光沢があり天井のランプライトが反射していた。スエードが張られている背もたれに背中を預けて椅子に座り、店員にアイスコーヒーを二人分注文した。


 珈琲はすぐに運ばれて来て、汗を掻いたコップの中で透明の氷が踊った。珈琲に口をつけて涼みながら、呼び出した人物を待った。

 約束の時間から五分後、入り口の扉が開きベルの音で顔を上げる。そこには目当ての人物が顔をきょろきょろさせながら俺を探していた。相手はすぐに俺の存在に気づき、こちらへやってくる。


「相変わらずお前はどこにいても目立つな」

 俺が喫茶店に呼び出したのは中学時代からの友人である貴士だった。夏休み前、親戚のペンションに泊まり込みでバイトをすると話していたから、会えないかもしれないと危惧していたが地元にいてよかった。


「和泉……この店、女の客が多くないか。場違い感が半端ない、男二人で来てんの俺らだけじゃん」

 女が苦手な俺が女性客が多い店を指定したのが不思議なのだろう。貴士は前の席に座りながらコソコソ尋ねてきた。


「気にするな。ケーキが美味いらしいぞ。好きなの頼め」

 メニューを差し出すと、貴士は訝しんだ目で俺を見ていた。


 貴士には言わないが本当はこの喫茶店には悠子ちゃんと来たかった……。でも今だに実現出来ていない。だからせめて下見だけでもしておこうと思い、この店にしたのだ。自分一人より貴士がいた方が女も寄ってこない。


「……これは、相談料か」

「察しが良くて助かる。俺は今、人生最大の困難の壁にぶつかっている。これを解決出来ない限り、俺はお前を帰さない」

「周囲の目が痛い……変な目で見られるから発言には気をつけてくれよ」


 俺は至って真剣だ。貴士の言葉に首を傾げながら話を始めた。

 悠子ちゃんの高校生になってからの変化や、男からのラブレター、新しい友人の話、電話の内容など、順を追って話す。こうして改めて話すと、何故もっと早く気づけなかったのかと昔の自分の頭を殴りたくなる。長くてつらいこれまで流れを話し終えると、貴士は深々と頷いた。


「お前の監視を潜り抜けて、妹ちゃんに近づくその手腕。仲島君とやらは驚くべき人物みたいだな」

 貴士の言葉に同意して頷く。普段から悠子ちゃんの傍に男が近づかないよう、心掛けていたにも関わらず……仲島め。俺はギリギリと歯ぎしりをした。


「で、どんな相手はどんなヤツなんだ。一度くらい会ったことあんだろ」

「特徴はわかるけど会ったことはない。俺もそれは気になったし、悠子ちゃんに友達って言うなら二人のお出かけについて行っていいよね、って言ったんだけど……断られた」

「友達でも出かけんのに兄がついてくんのは嫌だろ!」


「俺はお前と遊びに行く時、悠子ちゃんがいても一切困らない」

「それは、むしろ俺がいらないだろう……。お前に常識を期待した俺が馬鹿だった」


 常識、か。それは悠子ちゃんにも指摘された言葉だった。普通なら兄が妹の人間関係に口出しはしない、と。親父も親父で男女の友情を信じられない俺を異常者扱いしているようだった。


 でも俺は、悠子ちゃんと出会って人並みの人間になったつもりなのだ。生きる目的もなく、女に怯えていた、浮世離れした生活を送っていた頃に比べれば、大分悠子ちゃんに近づいてきたと思う。


「俺は、まだ普通の家族になれていないのか……?」

 家事の経験がまったくなかった自分が、料理や掃除、弟の面倒も見るようになって、しっかり将来設計を立てて法学部にも入った。毎日家族で食事を囲んで、会話して、俺はとっくにまっとうな人間になったと思っていた。

 戸惑う俺に、貴士は眉を寄せて口を開いた。


「お前は育った環境が特殊だからな。昔の世捨て人だったお前に比べれば、ここ二、三年で家族思いのいい男になったよ。だけどな、お前の中に根付いたものは深過ぎる」

 自分のどこが歪なのかもわかってないみたいだからな、と貴士は言葉を付け加えた。


「何で妹ちゃんに男を近づけたくないんだ? どうしてもお前は兄じゃなければならないのか? 何故、お前の目には妹ちゃんが一番可愛らしく映るんだ? お前は色んなことから目を逸らし過ぎてる」


 悠子ちゃんの兄で、他の男から守るのも、世界で一番可愛いと思うのも当然だろう。

 貴士の言葉の意味を飲み込むことが出来なかった。


「正直、お前にはすぐ理解するのは難しいと思うけど考えてみてくれよ。俺はさ、お前には幸せになって欲しいと思ってんだからさ!」


 貴士は、にっと無理に笑って珈琲に口をつけた。貴士が俺の為を思って言ってくれているのが伝わってくる――その言葉を理解出来ないのがもどかしかった。

 メニューを持って何を頼むか貴士が考え込んでいる間も、俺は氷の溶けた珈琲を眺め続けていた。





 俺達は喫茶店で軽食を食べた後、その場で解散した。喫茶店を出て、歩いて帰る間も俺は貴士の言葉の意味を考えていた。


 俺が悠子ちゃんの兄じゃなかったら、他人に戻ってしまう。男女の情ほど移ろいやすいものはないと、三回も離婚をした親父を見て学んでいるから却下だ。


 悠子ちゃんが可愛いのは疑うまでもない事実でそれもいいとする。

 男を近づけたくないのは――俺の我が儘なんだろうか。


 街を歩きながらウィンドウを眺めると、通りの向こう側に高校生のカップルが映し出されていた。夏休みでも制服なのは、部活の帰りだからかもしれない。丸い机を挟んで向き合いながら、一緒にアイスクリームを食べている。男が彼女にアイスクリームを傾けると、彼女はパクリとアイスクリームに口を食した。


 あれが悠子ちゃんと仲島だったら……。

 カップルは人目も気にせずにアイスクリームを食べさせ合って幸せそうにしている。


 その光景に、ぽつんと疑問が落ちて胸の水面を打った。


 悠子ちゃんの幸せを俺が壊していいのか?


 電話をする悠子ちゃんはそれは楽しそうに仲島とお喋りをしていた。興奮して声が大きくなっているのも気づかずに、扉の向こう側であっても悠子ちゃんの笑顔が想像出来るようだった。


 悠子ちゃんの幸せを喜ぶのが、兄として出来ることなんじゃないだろうか。傍に悠子ちゃんがいてくれても、悲しそうな顔をされたらそれは意味がない。


 彼女が笑っていてくれないと、俺は幸せにはなれないのだ。


 俺は馬鹿だ。悠子ちゃんを自らの手で不幸にしようとしていた。


 ――この思いを悠子ちゃんに伝えよう。


 もう仲島とのことは、反対しないよって言ってあげよう。仲島の隣に並ぶ悠子ちゃんを想像するだけでも胸が痛くて張り裂けそうだけど、悠子ちゃんだってきっと苦しんでいる。


 本当は手離したくない……いつまでも我が家に囲っていたい。

 でも今の俺に出来ることはこれしかないのだ。


 俺は決意を胸に、家路を目指した。









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