17 妹の相談
あれから数日、兄と一言も口を聞いていない。最初の内は兄がご機嫌を取ろうとケーキを買ってきたり、私の好きなご飯を作って顔色を窺いながら話しかけてきたが無視していたら何も言わなくなった。
「いらっしゃい、かむちゃん」
「突然来ちゃってごめんね」
「何言ってんの、私とかむちゃんの仲じゃん」
麻紀ちゃんに兄と喧嘩したとメールを送ったら「ウチで話そうか」とすぐに返信をくれた。私は友人に恵まれている。
麻紀ちゃんの部屋に入るとインクの匂いがした。今日はちゃんと歩くスペースがある。麻紀ちゃんの修羅場と重ならなくて良かった。
小さな机の前に麻紀ちゃんと座って向き合うと、喧嘩をしてしまった理由と現状を話した。麻紀ちゃんは最後まで私の話に相槌を打ちながら聞いてくれた。聞き上手過ぎるよ、麻紀ちゃん。
「かむちゃんが三次元の人間相手にお泊まりしたいとか言えるはずないのにねぇ」
「よりにもよって和泉さんにそう思われるなんて最悪だ……。仲島のことも友達だって言ったんだけど信じて貰えず」
「私の忠告通りになっちゃったね……」
ハァーと長い溜息をついた。
「お父さんも母さんも落ち込んだ和泉さんの味方しちゃって、あの家に私の居場所はないよ」
あれからお父さんは心配そうな顔で私と兄を見ているし、豊も私達の間に流れる険悪なムードを敏感に察したのか、泣き出してしまう始末だ。可愛い弟の泣き声を聞くと心が揺れた。でも自分から謝ることも出来なかった。
「絶交はよくなかったかも、それはお兄様には禁句だよ」
「麻紀ちゃんまで……」
泣きそうな顔で麻紀ちゃんを見上げた。
「私はね、数回しかお兄様とお会いしてないけどかむちゃんのことがと凄く好きなんだって知ってるよ。傍で見ているかむちゃんの両親はそれをもっとよく知ってる。喧嘩に気づいたタイミングも悪かったと思うけど……だから注意したんだと思うよ。かむちゃんも大好きな弟君に絶交だって言われたら傷つくでしょう?」
目に入れても痛くない程可愛がってる豊に言われたら泣くわ。麻紀ちゃんの言葉に微かに頷いた。
「かむちゃんはどうしたいの」
「和泉さんに仲島とは友達だとちゃんとわかって貰って仲直りがしたい。でないと仲島と友達でいる限り同じことを繰り返すと思うんだ」
仲島の友達をやめる気持ちは一切ない。
兄が嫌がるからと言って、私は友達を諦めたりしたくないのだ。
「かむちゃん、難題に挑むね」
「そう思う?」
「だって私達は、男の子達の友情を見て恋愛に発展させてるくらいなんだよ。男女だったら余計に勘違いするよ。街中で男女が歩いてたら皆カップルに見えるし。その上、腐女子だってことを隠すとなるとお兄様からすれば浮気だ! くらいの気持ちでいるんじゃない」
確かに客観的に言われてみると超難問だ。私だって飛人の傍にアヤカがいるだけでムッとしてしまう。たとえアヤカが友情だと言い張っても私は飛人を虎視眈々と狙いおって……としか思わない。
腐女子であることを隠しつつ、仲島との友情を認めてもらいたい。自分で蒔いた種が回収できず、勘違いの花が立派に咲いた状態で果たしてどうすればいいのか。
「あぁ、でも逆にすればお兄様の誤解も解けるかも」
逆? 意味が分からず首を傾げた。
「友情は説明するのは難しいから、愛情で証明しよう」
何でそうなるのか、理解が追いつかなかった。
そんな私を察して麻紀ちゃんは噛み砕いて説明してくれた。
「だから、仲島よりお兄様の方が大切なんだよってわかってもらえばいいんだよ!」
そ、そっちですかー!? 驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。無理だ。あの美形の兄に対して、自分から愛情を示すなんて。愛の告白でもしろと言うのか。私の兄であることを誇りとしているような兄に。
「かむちゃんはお兄様に対してツンデレなところがあるから、不安なんだと思うよ。もう少し態度で示せるといいかもしれないね」
ツンデレのつもりはない。でも麻紀ちゃんには私がそう見えるらしい。出来る限りは事実を説明して兄に理解をして貰う予定だが、麻紀ちゃんの案も頭に入れておこう。
「考えてみる」
小さな声で返事をすると、麻紀ちゃんは「応援してるね」と笑顔で頷いてくれた。
麻紀ちゃんの家から自分の家へ帰り、私は自分の部屋で机に向かって座った。真っ白なノートを広げて手に鉛筆を握った。手紙の目的は兄の誤解を解くこと。頭の中で情報を整理して、紙に書き始めたが麻紀ちゃんの言っていた通り説明が難しい。
仲島と旅行じゃなくてどこに行ったのかは秘密、共通の趣味も詳しくは内緒、仲島が男なのを隠してたのは引き離されると思って。
と理由を並べてみると誤解要素しかないような気がしてくる。
手紙にすれば言い間違えもなく確実に伝わるかと思ったんだけどな。直接、仲島が兄に付き合ってない事実を伝えてくれればいいのか? しかし、腐の仲間である仲島に自分の兄に会って欲しいお願いするというのも変なものだし、仲島も了承するかわからない。
もう少し、手紙で頑張ってみよう。私は何度も消しては書いて、破っては捨てて繰り返し、ゴミ箱の中に紙の山を築き上げていった。
結局、バイトの時間まで手紙を書き続けていたが、一枚も封筒に納めることなくゴミが増えただけだった……。私はゴミ袋の持ち手をぎゅっと縛ってバイト先である総菜屋へ向かった。
「悠子ちゃん! この前は代わりに店頭に立ってくれてありがとう、お陰様で風邪はすっかり治ったわ」
裏口から店に入りバイトの制服を身につけていると、後ろから満面の笑みのおばちゃんに声を掛けられた。
「いえ、こちらこそいつもお世話になってますから」
「悠子ちゃんは謙虚ねぇ。はい、どうぞ」
ドサッと置かれた紙袋に二ヶ月前の記憶が蘇る。あの時はジャガイモだったけど……上から覗いてみると見えたのは沢山のトウモロコシだった。
「この前、ジャガイモ喜んでくれたでしょう。実家の母に話したらいつもより多めに送ってきてくれたのよ」
ここまで持ってくるのも大変だったはずだ。私はお礼を言って素直に紙袋を受け取った。ジャガイモも重かったけど、これもかなりの重量級だ。
「ねぇ悠子ちゃん、最近お迎えに来てくれる人、いつもの彼氏さんじゃないのね。お父さん?」
「あ、はい」
彼氏、ではないけど何も言うまい。バイトを始めた頃、おばちゃんには散々説明して徒労に終わった。
兄と絶交した日から、私が兄のお迎えを断ったのを知った父が心配して迎えに来てくれるようになった。私は一人で帰る気満々だったが、結果的には良かったのかもしれない。このトウモロコシを自分一人の力で持ち帰るのは厳しいものがある。
「娘さん思いのお父さんなのね。家族円満が一番よ」
おばちゃんの何気ない一言が深く胸に突き刺さる。
本当にそれが一番なんですけどね……。現実は上手くいかないのだ。
バイトが終わり、携帯を覗くと父からメールが届いていた。すでに裏口の前でお待ちかねらしい。ロッカーの中からどっこいせと紙袋を取り出して「お疲れさまでした」と休憩室のおばちゃんに挨拶をして裏口を出た。
裏口を出ると夏の暑さの熱気がムンっと私を襲った。最近は毎日熱帯夜だ。クーラーをつけて寝ないと寝れない。私が紙袋を引きずるように持って行くと父は何も言わずに軽々と手に持ってくれた。尊敬の眼差しで父を見れば、照れたように鼻の上を掻いた。
「いつも仕事で重たい機材を持ち歩いてたりするからね、軽いもんだよ」
「それでも凄いですよ」
父と会話をしながら歩道を歩き出した。父は車道側に立って、ゆっくりと足を運ぶ。父と兄は身長もほぼ一緒で、父を見ていると以前ジャガイモを持って帰ってくれた兄と姿と重なった。
「悠子ちゃん、最近お友達が出来たんだってね」
「……和泉さんから聞いたんですか?」
尋ねると父はウンと重く頷いた。
「ごめんね、本当にお友達なんだろう。あいつ、彼氏だって言って全く聞く耳持たなかったよね」
「お父さんが謝ることじゃありませんよ!」
勘違いした兄と、させてしまった私にも原因があったのだ。友達が男だということもわざと言わなかったし、夏コミの日もカートを引いてコソコソ出掛けて行ったから変な誤解もさせてしまった。自責の念にかられていると、父は緩く首を振った。
「あいつは、悠子ちゃんに会うまで何も知らなかった。家族で食事を囲む楽しさも、誰かの為に頑張りたいと思える喜びも、自分を大切にしてくれる女性も、みんなね。だから、悠子ちゃんが自分の傍からいなくなることを凄く怖がってるんだ」
それは薄々感じていた。兄は私が妹でないと傍にいられないと思っていて、妹に近づく男は皆、敵とばかりに牽制している。
「そうなってしまったのは、オレにも原因があるから……あいつには嫌われてるんだけどさ。この前、初めて和泉から頭を下げられた。自分は悠子ちゃんを迎えに行けないから、オレに行って欲しいって」
父は昔兄の意志を無視して従姉の安里さんと婚約を了承してしまうような過去もあったし……兄は以前父が何回か離婚しているから信用ならないと話していた。だから父を好ましく思っていないのは知っていたけど、あの兄が父に頭を下げたなんて驚きを隠せない。
「和泉は思い込みが激しくて、悠子ちゃんを困らせることも多いと思う。けどあいつは自分の心を守るためにはそう思い込まないと、生きてこれなかった。オレはそれを知ってるから、どうしても悠子ちゃんには話しておきたかったんだ。和泉のことは許せなくてもいいよ――でも口だけでも聞いてやってくれたら嬉しい」
自分を守る為に――ストーカーが常にいて、誘拐紛いのことをされた幼少時代の兄を思うと胸が痛んだ。男女の友情が成り立たないって言っていたのも、実際そういう経験があって信じられないのかもしれない。
信じてしまえば、裏切られるだけだから最初から信じない。
兄の心の頑なさは長年によって築き上げられてきたものなのだ。父の話を聞いて、そう簡単には私の言い分を信じて貰えなさそうだと思い知らされる。
「許せなくても、いいんですか」
「だって許せないでしょう?」
父は苦笑しながら尋ねた。その気持ちは、ある。でも私は表面上話せるようになるだけでは嫌なのだ。兄は普通と違うところがあってもわかりあえる。私自身がそうありたかった。
「いいえ、私は許すことを諦めませんよ」
そんな私に父は一瞬目を丸くしてから嬉しそうに笑う。
父も本当は私達に仲直りして欲しいのだ。
自分に出来ることは全部やろう、決意を新たにぎゅっと拳を握った。