15 妹の絶交
夏コミの翌朝、朝日で目を覚ました私は部屋の惨状に目を瞬いた。足元には昨日片づけそびれたカートが床に倒れ、同人誌やカタログが広がっている。
昨日の夜の途中から記憶がない。パジャマに着替えもせず私服のまま布団に入って寝落ちしたようだ。ベッドを降りると足の裏がずきずき痛んだ。
昨日は足が棒になるまで歩き続けたからな。足はパンパンになり筋肉痛だ。
部屋の掃除は後回しにしてまずは顔を洗ってスッキリしたい。
簡単に髪だけ結んで部屋を出た瞬間、私は即座に後ろ手で扉を閉めた。
――兄が部屋の前に立っていたのだ。
今一瞬だったけど部屋の中見られなかったよね? 心配になって恐る恐る兄の顔を見上げてみるといつもと様子が異なっていた。
「悠子ちゃん真面目な話があるんだけど……」
神妙な面持ちの兄は覇気のない声で語り掛けてきた。
「はい、なんでしょう?」
昨日、徹夜でもしたのかな。まさか朝まで薄い本に読み耽っていた私じゃあるまいし。元気がない様子の兄に首を傾げた。
「悠子ちゃん俺はね、高校生の恋愛は一過性のものに過ぎないと思ってる。今の若者は不純異性交遊の危険性をまったく理解していないよ。だから簡単に相手の家に泊まりたいとか結婚したいとか口に出来るんだと思わない……? 悠子ちゃん」
これは真面目な話らしいから貴方も若者でしょうよ、と口を挟んではならないのだろう。しかし、真剣に耳を傾けても一向に話の要領が掴めなかった私は兄に問うた。
「あの、つまり何が言いたいんでしょうか」
「悠子ちゃんは昨日、新しいお友達と日帰りで旅行に行ってきたんだよね?」
高校生の恋愛、危険、宿泊、昨日、新しいお友達……兄のキーワードを繋ぎ合わせて出てきた答えに唖然とした。
仲島と私が交際していると思われている、酷い濡れ衣だ!
「事実無根です!! 仲島はあくまで友達であってそういう仲じゃありません」
「でも普通、お友達と好きとか結婚して欲しいとか部屋に泊まりたいなんて話す? 昨日引いてたカートには、旅行グッズとか入れてたんじゃないの」
ノー! カートの中は行きは空っぽで帰りは同人誌しか入れてませんし、部屋に泊まりたいのは飛人の部屋で、結婚して欲しいのは推しカプの話なんですー!! と言いたいことが全て言えない。
ん? ……でも、待てよ。そもそも私は兄の前でそんな会話をした記憶はない。
「もしかして、和泉さん。昨日の仲島との会話を盗み聞きしてたんじゃないですか!?」
「興奮した様子で話してたね。――声、外まで聞こえてたよ」
開いて塞がらない口から、一瞬魂が抜けた。
兄に萌えまくった会話を聞かれた……。一体どこからどこまで耳に入ってしまったんだろう。最初から最後まで? 昨日仲島としていた談義を思い出そうとしても寝不足の頭がそれを許さなかった。
「お願いだから、俺の質問に答えて」
混乱の中、気付くと眼前にその美貌が迫っていた。扉にぴったり背中がくっつき、顔の隣には兄の腕、身動きが取れない。絶対絶命のピンチに冷や汗が背筋を流れていった。
「ねぇ、あいつにはどこまで許したの」
スッと兄の手が頬に触れる。頬に触れた手は、まるで蛇のようにゆっくりと私の身体を這い始めた。顎に首筋、鎖骨を撫でて肩で弧を描くと、腕から爪の先まで落ちていった。
瞳を射抜く双眸は、何故か切なげに揺れていて息が止まりそうになる。
骨ばった手はそのまま私の腰にまわされ、兄の身体と密着させられた。
「ここにも、仲島は触れた?」
親指を私の唇に押し当てられ、かっと顔が赤く染まった。
「なっ、仲島とこんなこと出来るはずがないじゃないですか、友達なんですよ」
「男と女の間に、友情が成り立つの?」
そんなことも知らないの? と子供のように首を傾げる兄に絶句した。
首を傾げたいのはこちらの方だ。
「成り立ちます。だから私は和泉さんに何を言われようと仲島との友達付きあいはやめませんし一緒に出掛けたりもします」
「じゃあ、その時は俺もついてってもいい? この目で見ないと不安で……」
そう言われてもオンリーイベントにもフラバタのコラボカフェにも兄に付いてこられたら非常に困る。しかもこれだけ友達だと一生懸命伝えているにも関わらず兄は全く私の言葉を信じていないのだ。
言葉のキャッチボールをさせてくれない兄に苛立ちが弾けて、勢いよくジャンプした。兄の顎に頭突きをお見舞いすると兄の身体がよろけて反対側の壁にドンッとぶつかる。その音を聞きつけて階段を挟んだ向かいの扉から両親が出てきたが私の口は止まらなかった。
「私の言葉、ちゃんと聞いて下さいっ。傷ついてるのは和泉さんだけじゃないんですよ」
仲島とあることないこと疑われて、何とも思ってないと思っているのか。
「でもっ」
「でももだっても聞きません。和泉さんとは絶交です! もう口もききませんから」
え、とこぼした兄は瞳を大きく見開いて視線が中空を彷徨った。
構うものか、ぷいっっと顔を逸らして兄を無視した。
両親は壁に寄りかかる兄の傍によって声を掛けている。悪いのは全部兄なのに。盗み聞きして、仲島との友情を認めない兄が悪いんです!と訴えようとすると、
「悠子ちゃん、これ以上はやめてやって」
父は困った顔で兄を擁護し、
「言い過ぎよ、悠子」
母は、怒り狂う私を窘めた。
何でお父さんも母さんも兄に同情的なの。二人とも私より兄の方が大切なんだ。私の味方はここにはいない。母さんだけは私を一番に考えてくれていると思ったのに。
零れそうになった涙を飲んで、自分の部屋に走った。バタンッと乱暴に扉を閉めて、枕に顔を埋める。胸が痛くて家族の言葉が胸に突き刺さったまま抜けない。
仲島と友達になったっていいじゃないか。学校に一人も友達がいない私にようやく出来た仲間なのだ。過保護な兄が反対するのは、反対するのはわかってたけど、両親まで兄に毒されてしまうなんて。
あそこで私の趣味を兄に暴露すれば良かったの……?
ううん、話したところで仲島と友達なのは変わらない。
ぐすぐすティッシュで鼻をかみながら落ち込んでいるとコンコンと部屋の扉を叩かれた。
「悠子ちゃん、泣いてるの?」
「泣いてまへんっ」
出てきた声は鼻声で隠しきれなかった。けど泣いてたなんて兄に知られたくなかった。
「さっき、私は口を利きませんって言いました! もう私には構わないで下さいっ。今後はバイトのお迎えもしなくていいです。私がどこに出掛けて、誰と友達になろうが私の勝手でしょうっ。普通の兄だったら、妹の私生活にまで口出ししませんよ」
扉の先にいる兄に向かって叫んだ。扉を開けて兄の様子を見たいとは到底思えない。バッと布団の中に潜ると微かに兄の声が聞こえてくる。私は両手で耳を塞いだ。
今は、何も聞きたくなかった。
本日の活動報告で15話の挿し絵の一部が見れます(///∇///)