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妹ですみません  作者: 九重 木春
ー腐女子街道編ー
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13 妹の興奮

夏コミ当日の朝、私は早起きをして家を出た。兄に一言? 勿論言うはずがない。

引き止められるとわかっていて声を掛ける程、私は愚かではないのだ。


仲島と共に夏の祭りに参戦して数時間後、会場を歩き回った私は東ホールの隅に立っていた。周囲には薄い本を読んでいる腐の仲間がわんさかいる。うん、この空気落ち着くわ。


「はい、これ頼まれてた再録集、仲島の分もペーパーも貰っておいたよ」

「お、助かる! こっちのコピー本は危なかった……お前から残部少だって聞いてたから早めに行って正解。最後の一冊だったぞ」

「ありがとう、心の友よ……!」


 賞状を授与するように仲島から両手で本を受け取り、カートの中にしまった。私達は目当てのサークルの位置が近く、互いに何冊か本を頼んでいたのだ。

 仲島のおかげで今日は絶対欲しかった本は全て購入することが出来た。いつもは必ず完売本があって悔しい思いをしていたから、喜びもひとしおだ。仲島様様である。


「この後はバッカス様とのお食事だな。場所はお前に任せてたけど、どこにしたんだ」

「原宿のフラバタコラボカフェ、三人分予約確保済み」

 携帯を開いて抽選予約当選のメールを仲島に見せた。


「っおまっ、オレを極楽浄土へ送るとは」

「って私はゴーストスイーパーか!!」


 ネットで情報を公開された瞬間から、フラバタファンの間では話題沸騰。カフェのキャラにちなんだメニューもさることながら、二階には特別展示もあってファンのハートをがっちり鷲掴みする企画になっている。


 今日夏コミにサークル参加している麻紀ちゃんとは、アフターにカフェの前で待ち合わせにした。待つよとも言ったんだけど片づけもあるし、ちょっと新刊を読んでからにしたいらしい。手に入れた本はすぐに読みたいよね、わかる。私も既にここで半分近く読んでしまった。残りは楽しみとしてとっておいて家で読む。





 コラボカフェの前に着くと、そこには腐女子と思わしき人だかりが出来ていた。しばらくカフェの前で何のメニューを頼むか仲島と相談していると、私を呼ぶ麻紀ちゃんの声が聞こえた。


 振り向くと三つ編みを頭の上でアップしている麻紀ちゃんが手を振っていた。今日買った本は全て配送にしたのだろう、手には小さな可愛い鞄ひとつでとても身軽だ。


「お待たせ! かむちゃん」

「あの麻紀ちゃん彼がね、」


 隣でカチンコチンに固まっている仲島を紹介しようとすると、麻紀ちゃんはさっと片手で出して私の言葉を制した。


「わかってる、典型的な真面目委員長受けね」

 初対面の人間でも容赦なく麻紀ちゃん節は炸裂する。麻紀ちゃんの目は仲島を観察しながら爛々と輝いていた。きっと彼女の頭の中では、BLストーリーがめくるめく展開されているに違いない。


「バッカス様にそう言って頂けるなんて光栄です! どうぞこちらをお納め下さい」


 って仲島もそれでいいのか。私の前での小生意気な態度はどこに消えた。麻紀ちゃんは仲島の差し出した御布施という名のクッキーの詰め合わせを貰うと、口に手を持ってきてフムと目を伏せて思案に耽った。


「……失礼、私の勘違いのようね。眼鏡に惑わされたわ。やんちゃ舎弟受けに変更で」

「ありがとうございます!」


 それはお礼をいうところじゃない。仲島は憧れのバッカス様に会えたことで自分でも何を言っているのか理解していないのかもしれない。


 麻紀ちゃんは舎弟風の仲島にもヒいた様子はない。許容範囲が広すぎるよ、麻紀ちゃん。まぁ、けど喧嘩になるよりはいいのか。思い直した私は二人を引き連れてコラボカフェの中に入っていった。







「私は、《居城家風ディナー》と《ずんだの抹茶ラテ》にする」

「じゃあオレは、《真先家風の朝ご飯定食》な」

「と、なると私は《さとみちゃんの応援ランチ》ね」


 案内された席に着いた私達は、早速店員さんにメニューを注文した。席に置いてあるコースターをお互いに見せ合いつつ、コラボカフェの空気に浸る。周囲には机の上に堂々と同人誌を広げる仲間達の姿もあり、このカフェは腐に占拠されているように見えた。


「この《監督のど根性青汁》って誰が頼むんだろうね」

「口コミ見たけど、案外飲みやすいらしいぞ。それより《アヤカの愛情ハチミツレモン》の方がないだろ」


 確かに。仲島の正論にウンウンと頷く。幼なじみである穂積君と飛人の仲を応援する私達はアンチヒロイン派なのだ。


 アヤカの愛情は間違っても受け取ってはならない。


 その新マネージャーのアヤカ、最近は出ずっぱりだったのだが今週号では登場していない。そして、実に五週間ぶりに穂積君が本誌で復活を遂げたのである。久しぶりに見たからか精悍になって戻ってきてくれた気がする。しかも、穂積君はスランプで嘆く飛人の話に付き合った後に「二人で秘密の特訓をしようぜ」と耳打ちするシーンで終わっているのである。


 私と仲島はそれからずっと秘密の特訓とは何かを議題にメールを交わしている。妄想が膨らみすぎて、R指定が掛かりそうだ。


「きっと秘密の特訓はベッドの上でやるんだよ」

「だろうな、最初は柔軟から始めて自然な流れにしてだな。バッカス様はどうお考えですか?」

「私なら? 野球児という利点を生かして体育倉庫。大縄跳びを使ってマットの上で縛りプレイ」


 それは偶然二人が体育倉庫に閉じこめられるのか、それとも穂積君が飛人を体育倉庫に誘って籠絡するのか。いずれにせよ名案としか言いようがない。


「淀みないお答え、流石バッカス様……師匠とお呼びしてもよろしいですか」

「許す」 


 麻紀ちゃんと仲島の関係はどんどん進化していくなぁ。

 初対面とは思えないコミュニケーション能力である。



 それぞれが頼んだフラバタメニューが届き、撮影した後も私達は話を続けた。夏コミで収穫や萌えシチュエーションを語っている内に、時間はあっという間に過ぎていき、テーブルの上のタイマーがピピッと鳴った。コラボカフェは一組八十分制になっており、最後の十分はカフェの二階でお楽しみ企画が待っている。


 私達三人は互いに顔を合わせ、頷いてから席を立ち上がった。狭い階段を上っていき、フロアの正面に設置されたコーナーに私と仲島は走り寄った。


 あれは飛人が使っているバットとグローブ、学習机には赤点のテスト用紙。

 フォトスタンドには穂積君と飛人の小学生の頃の写真までっ!!


 そう二階ではなんと原作者である倉敷先生監修の元、徹底再現された飛人の部屋が見れるようになっているのだ。


 飛人の部屋の前にはポールが立ててあり、中には入れないようになっているが、私と仲島はぎりぎりまで近づいて目を皿にした。感動のあまり、くらりと目眩に襲われる。


 尊い……何でここに賽銭箱が置いてないの。

 先生並びに企画に携わってくれた全ての人に向けてお礼を申し上げたい。


「冴草、拝もう。オレは今日から家で先生に感謝の念を送りながら五体投地する」

「うん、私もそうする」


 私と仲島が両手を合わせて祈りを捧げている間、麻紀ちゃんは飛人の部屋の完成度の高さに感心しながら「参考になるわ」と中を眺めていた。







 十分後、観覧時間が終了すると私達はコラボカフェを出た。仲島と麻紀ちゃんは初のご対面だったが空気が悪くなるようなこともなくて良かった。内心ホッとしていると、麻紀ちゃんはこれから中古の同人ショップに行くらしい。


 私も行きたかったが、既に夏コミで軍資金を使い果たしていた。カフェの前で麻紀ちゃんとは別れ、私と仲島は駅を目指して歩き始めた。


「今日は師匠に会わせてくれてありがとな、マジでバッカス様は神だったわ」

「でしょ、麻紀ちゃんは萌えに忠実だから憧れを通り越して惚れる」

「同い年とは思えない悟りの境地を開いてる。その止まらないフルスロットル感がバッカス様の本には描かれていて面白いんだ。今回の新刊も最高」


 ガラゴロとカートを引きながら駅に着くとやってきた電車は各駅電車だったが疲れていた私達は座れれば何でも良かった。


 お互いに睡魔と戦いながら一時間、地元の駅のアナウンスを耳にして飛び起きた。慌てて仲島も起こして電車を飛び降りる。


「あ、危なかったな」

「うん、咄嗟でも本を忘れなくて良かった」

「これは俺達の命だ。駅員に拾われて中身を確認されたら終わる」


 せっかくイベントに出かけてそんな末路を迎えたら悲惨すぎる。血の気が引いた思いをした私達は一気に目が覚めた。


 私と仲島は駅で別れて、手を振った。もう歩きたくないが、家まであと少し。

 疲れた足でのろのろ歩いていると、急に外の空気が冷え始めた。空には暗雲が立ち込め、一雨降ってきそうだ。


 持ち歩いているカート、防水加工にはなっていないんだけど!


 きょろきょろ周りを見渡してもここは住宅街、民家ばかりで雨宿り出来そうな場所はない。最後のもうひとふんばりだ。私はくたくたの体で走り始めた。普段の運動不足が身に染みる。


 遠雷とカートの音が混じる中、全速力でアスファルトの上を駆け抜けた。










 何とか雨が降る前に帰宅出来た。玄関でゼェゼェ息を吐いていると兄が階段から下りてきた。


「走って帰ってきたの?」

「は、はい、傘持ってなかったんで」

 体育祭より真剣に走った。背後からはザーっと雨が降り始めた音がする。

 間一髪だった。


「今日は沢山動き回って疲れたでしょう。部屋でゆっくり休みな」

 走ってじゃなくて、動き回って? まるで私後ろをついて見てきたかのような発言だ。

 もしや私が東ホールと西ホールを動き回っていたのを知ってるわけではあるまいな? ――ぶるりと背筋が震えた。


「い、和泉さん今日は家にいたんですか?」

「特に用事もなかったし、日中三十五度だよ。出る気になれなくて」

 で、ですよね。三十五度もあったら普通の人は外に出ないわ。尾行はしていないようだ。ホッと胸を撫で下ろした。


「雨が降ってくる前に帰って来れてよかったね」

「はい、夕立直前でしたからね。あと五分違ったらずぶ濡れになって、死んでも死に切れませんでしたよ!」

 自分はいくら濡れても構わないけど、同人誌だけは守らねば。


「和泉さん、お風呂ってもう沸いてますか」

 背中にびっしょり汗も掻いたのですぐにシャワーを浴びたい。けど出来ればお風呂にも入りたかった。


「うん、夕飯も出来てるから」

 お風呂も夕飯も準備済みとは、良妻か!

 思わず心の中でツッコみ、重い体を引きずりながらカートと一緒に階段を上った。




 夏コミの興奮が冷めやらぬ夜、私は自分の部屋で仲島とメールをしていた。同人誌を片手に携帯をいじること二時間、仲島が「電話番号プリーズ」と書いてきた。私もそろそろ頃合いだと思っていた。


 私と仲島は出会ってほぼ一ヶ月、かなりの頻度でメールを交換しているが未だに電話番号を交換していなかった。最初は異性だと思い警戒心もあったが、今は同志として認め合っている。


 今の時間なら兄はお風呂に入っているし、会話しても大丈夫そうだ。

 私が電話番号を書いてメールを送信すると、すぐに電話が掛かってきた。


「よっ、もうメールだと埒があかねぇと思ってな」

「文字を打つ手も疲れてきてたしね、仲島のメールが長すぎなんだよ」

「そこはお互い様だろう」


 私達は弾んだ声で夏コミで購入した本について語り始めた。ヒロインは憎らしい存在だけど、同人誌においてはいい働きをしてくれるあて馬だった。男と女の間で揺れる飛人。愛と常識のどちらを取るかで悩み、スランプに陥るという原作を設定を生かしつつ、BL要素を織り込むというシリアスストーリーは私のストライクゾーンを見事に突いていた。


「原作の飛人はアヤカの誘惑から目を醒まして、穂積君と一刻も早く結婚して欲しい」

『だよなぁ、もう二人の結婚式に飛び込んでくる穂積の同人誌とか読みたいもんだぜ』


「そういうの、私も好き! 今まさに読んでる小説にぴったりだね。読み途中だけどこれは至高の一冊になりそう」

『あぁ、俺も。今日は運命の一冊に出会った。保存用も買っておくんだった。その人、ペーパーにコラボカフェのこと書いててさ、めっちゃ頷いたわ』


 私の読んだコピー本の後書きにもコラボカフェについて書いてる人がいた。というか漫画より後書きの方が熱いとか思わず笑ってしまった。


「でもあの時間だけじゃ短すぎる。出来れば部屋に泊まりたかったなぁ」

『それは皆思ってることだろうよ。あそこで飛人んちの朝食食べたかったぜ。別メニューも食べたいし、まだ満喫しきれてない。冴草もう一回一緒に行かないか?』


「行く! 予約は私がしておくから任して」

『ありがとう、友よ。お前ならそう言ってくれると思っていた。あとまだ借りっぱなしだけどお前から借りてた小説本最高。あの作者さんの本はこれから買いだわ』


「仲島も私と同じ気持ちなんて嬉しいよ、今度その人の他の本も貸すね」

 気にいって貰えて良かった。勧めた甲斐があるというものだ。


『感想は今語りたいとこなんだけどわりぃ、さっきから姉貴が風呂は入れって五月蠅いから電話切るわ」

「続きはまた今度にとっておく。電話待ってるね」

『おう、またな』


 電話を切ってそのままベッドに突っ伏した。今日は夏コミで会場内を歩き回り、その後はコラボカフェに行って、最後はタイヤを引きずって走る野球少年の如く猛ダッシュだ。

 疲れ果てた私はベッドの上に広げた同人誌もそのまま、泥のように眠った。


















コラボカフェのメニューの《ずんだの抹茶ラテ》の《ずんだ》は飛人のペットである柴犬の名前です。

書籍にもどこにも説明が書けなかったのでせめてここで書く!



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