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妹ですみません  作者: 九重 木春
ー腐女子街道編ー
37/97

9 妹の狼狽

 兄と約束した土曜日を迎え、私は朝から台所に立っていた。ピクニックと言えば重箱。ずっと使う機会がなくて捨てようか考えた重箱だったけどとっておいて良かった。


 油揚げの中に酢飯を詰めながら、まな板の上に並べていく。今日はいつものお弁当より気合を入れて作っている。いなり寿司に鮭の南蛮漬けに海老と帆立の春巻き、蒸し鶏と搾菜の和え物と重箱に相応しいおかずになるよう頑張って考えてみた。


「おはよう、悠子ちゃん、今日の朝食は何かな?」

 料理に集中している所に、背後から声を掛けられて身体が跳ね上がる。そして隣に回った兄の顔を見た瞬間、即座にまな板に視線を戻した。


 み、見間違いじゃなければ、真新しい装備品が兄の琥珀色の瞳に装着されていた。


「びっくりさせちゃってごめんね。いなり寿司が朝食なんてめずらしいね」

「い、いえ、これはピクニック用お弁当に」


 兄と喋りながら、私の心は暴れまくっていた。

 何で兄は――眼鏡を掛けているのか。しかも、私や仲島が掛けている平々凡々なものではない。穂積君とそっくりのシルバーの眼鏡だ。


 私は昔から不思議と眼鏡を掛けたキャラばかり好きになる。最初の内は、アイテムとして好きなのかとも考えたが、これまでにハマった眼鏡キャラを並べて気付いた。傾向として、温厚・真面目・眼鏡、この三拍子に弱い。


 その私にとって神器ともいえる銀縁眼鏡を美の化身である兄が装着したらどうなるか。向かう所敵無しの最強である。


「わざわざ作ってくれてるの!?」

「ご迷惑でしたか?」

「ううん、悠子ちゃんの手料理に勝るものはないよ――その服もとてもよく似合ってる」

「ど、どうもありがとうございます」


 眼鏡を掛けた兄の賛辞はダメージが大きい。うっと心臓を押さえたくなった。

 今、私着ているボーダーのシャツと白いロングスカートは昨夜兄がプレゼントしてくれたもので「服は足りてるからいいですよ」とお断りしたのだが「お願い、俺を喜ばすと思って着て欲しいな」と懇願されて受け取るしかなかった。あれは確信犯や……。


 しかも、気の所為でなければ兄が着用しているシャツは私の物とお揃いである。

 ペアルックって……よく私相手にこんなことを思いつくと思う。


「ねぇ、さっきから目を合わせてくれないね。コレ、似合ってない?」

 その声に顔をあげて見ると、クイッと兄が眼鏡のブリッジを人差し指で持ち上げた。


 そ、そのポーズはやめて下さい。スチルに相当するから!! 

 神器の威力に私は息の根を止められそうになった。

 眼鏡に殺されそうになる日がくるとは、恐ろしい人! 


 必死で表情を取り繕っている間も兄は不安そうな顔で私の反応を待っている。ここは恥ずかしいけど、眼鏡ファンである私には嘘はつけなかった。


「と、とてもお似合いです。か、かっこいいと思います」

 情けないことに口から出てきたのは、蚊の鳴くような声だった。けれど兄の耳にはちゃんと届いたようで、少し驚いた顔をしてから神々しい笑みを放った。


「悠子ちゃんが俺の事かっこいいって言ってくれるの、はじめてだね。嬉しいな、これから毎日かけようかな」

「心臓に悪いんで止めてください」


 冗談じゃなく、割と本気で。

 ますます顔が赤くなる私に兄は嬉しそうに笑っていた。






 重箱を入れた手提げを持って玄関を出ると兄が車を出していた。歩きで近所の公園に行くと思っていたので驚いた。


 中から扉を開けてくれた兄の顔を見ないようにしながら助手席に座る。鞄から携帯を出して手の中においた。車に乗っている間、仲島への返信が打てるだろう。今日は朝からお弁当を作っていたからメールを返せていなかった。携帯を開いて、仲島の長文メールに対して返信メールを打ち続けていたら兄に声を掛けられた。


「誰とメールしてるの?」

「最近、出来た友達です。共通の趣味で仲良くなったんです」

「へぇ、どんなコ?」

「普通ですよ。眼鏡を掛けてて、髪は染めずに真っ黒ですね」

 他に目立つ特徴と言えば八重歯とちょっと吊り目気味なくらいだろうか。


「悠子ちゃんに似てるんだね」

「いえ、そんなに似てません。ヤツの方が背が高いし目付きも悪いですし」

「ヤツ……?」


 兄の視線が鋭くなって自分の失言を悟った。浮かれてついぺらぺらと話してしまったが兄は仲島の手紙を最後までラブレターだと思い込んでいたし警戒していた。相手が仲島だと言えば、会うな、喋るなと仲島との友達つきあいにひびを入れようとするかもしれない。


「ショ、ショートカットで八重歯の可愛いコです! ほら、運転に集中しないと危ないですよ」

 慌てて女の子に聞こえるように情報を付け加えた。きっと仲島の母親くらいは可愛いと思っている筈だ。


 仲島に限らず、兄は私に近づく男全般を警戒しているのだ。仲島と友達でいたければ真実は口にしない方がいい。兄に携帯の中身が見られないよう気をつけながら仲島のメールを読んだ。






 三十分後、辿り着いた公園内は土日のせいか思ったよりも人がいたが、入り口から離れていくと静かになっていった。歩道の両端では立葵が鮮やかなピンクや白い花を咲かさせている。緑あふれる自然の中を歩いていると心が落ち着いた。


「シートはここらへんに敷こうか」

「ですね、今日は日陰の方が良さそうです」


 兄と一緒に数分歩いて、大きな木を見つけたのでその下にシートを敷くことにした。広げたシートに荷物を下ろして周囲を見渡すと豊と同じくらいの赤ちゃんを連れた家族連れも居て、長閑な雰囲気だ。


 私は靴を脱いでシートの上に乗り、鞄から水筒を出した。今日は天気が良く、少し汗ばむくらいの陽気だ。兄も喉が乾いただろう。コップに冷えたお茶を注いで兄に手渡した。


「はいどうぞ、和泉さん」

 兄は礼を言いながらコップを受け取った。今日の兄は朝からずっと笑顔だった。最近は言い争う日も少なくなかったので、こうやって朗らかな兄と一緒に過ごせるのが嬉しかった。


 せっかく出掛けるからには楽しみたい。家から持ってきた重箱を広げると兄は「みんな美味しそうだね」と目を細めた。

 眼鏡越しの理知的な瞳に胸のドキドキが止まらない。こんな所で鼻血を流したくない。平静を装い重箱の鮭の南蛮漬けに箸を伸ばした。

 

 その時、正面からパシャリという音がしてを上げた。驚く私に兄は手元のスマホでもう一度写真を撮った。


「勝手に撮らないで下さいっ」

「だって悠子ちゃんが可愛いから」


 どこで、そういう殺し文句を覚えてくるんだ!

 これを天然で言ってるんだから兄は魔性だ。


「偶然だな、冴草」


 声を掛けてきた男を見上げて、小さくヒッと悲鳴を上げた。明るい茶髪の髪に、耳には三つのピアス、ポケットに両手を突っ込んだまま、不躾な視線で私を見下ろしていた。その後ろには二人の綺麗な女性が控えている。見るからにチャラいピアス男が恐ろしくて、咄嗟に兄の背中に隠れた。


「冴草がこんな所にくるなんて意外、二人で仲良くデート中?」

 どうやらこのピアス男は兄の知りあいのようだ。二人が並ぶとリア充オーラが増大して近寄りがたい。自分が場違いな場所にいるように思えた。


「霧谷の方こそ。わざわざ俺に声を掛けなくても良かったのに」

 兄は朗らかな声で対応しているようだけど、喋りは淡々としていて背筋がぶるりと震えた。


「またまたオレ達友達だろ。ミステリアスな冴草の普段の姿が見れるなんて貴重過ぎて目が離せないって。今あっちの会場で肉フェスやってんだけどそこの彼女も連れて一緒に行かないか」

 嫌だ、行きたくない。私は声に出さない代わりに兄の服の裾を引っ張って主張した。


「遠慮しておく、霧谷達だけで楽しんできなよ」

「冷たいなぁ。オレはもっと冴草と親しくなりたいんだけど」


 兄と親しくなりたい? この男、女性とデートしに来ておいて兄も狙っているのか。兄の背中から顔を出して、ピアス男を睨み上げた。


「うわぁ、予想以上。顔はすっぴん、ダサイ眼鏡の根暗系? ってかこのコいくつよ。まぁ、身体はまったくの子供って訳でもなさそうだけど」


 かっと羞恥で顔が赤く染まった。すっぴんを指摘されると女子力の低さを馬鹿にされているようで恥ずかしかった。ダサイとか根暗とかグサグサと槍を追撃し、最後には私の胸に視線が落とされ身の毛がよだった。背が小さい癖に胸が大きいから小学生の時にプールでからかわれて嫌な思いをした記憶が蘇る。私だって、好きでこのサイズなんじゃない。胸を隠すように自分の身体を抱きしめた。


 すると突然、兄が立ち上がりピアス男の胸ぐらを掴んだ。眉を吊り上げた兄はピアス男に顔を近づけてぼそぼそ小さな声で何か話している。


 麻紀ちゃんならBL的に大興奮するシーンなんだろうが、私はそれどころじゃなかった。

 兄が、本気で怒ってる。あんな顔見るのは初めてだった。


 兄の囁きにピアス男の顔色は見る見る内に青白くなっていく。兄が手を離せばピアス男は恐れ戦きながら後ずさった。


「っんでそのこと!」

「隼人、まだ~?」

 ピアス男を待つ女性が手を振っていた。


「早く行ったら? それとも、そんなにばらして欲しいわけ」

 兄はピアス男の秘密を握っているようだ。ピアス男は悔しそうな顔をして女性と一緒に私達から離れていった。


 せっかくのピクニックなのにあの男のせいで台無しだ。その上散々貶されるし……ピアス男の言葉の数々を思い出して落ち込んでいると兄が私の前にしゃがんだ気配がした。


「俺の知り合いがゴメンね……、今日はもう帰る?」

 顔を上げずに首を振った。


「あいつの言ったことは、気にしなくていいからね!」

「でもあの人が言ったことは本当です」

 適当な悪口だったら聞き流せた。真実だったからこそ、傷ついたのだ。


「お化粧ひとつしてなくて、根暗で、ダサくて、私だってそんなことはわかってるんです。和泉さんと歩いてても不釣り合いって目で見られるし、身長差もあるから後ろ姿は完璧に大人と子供でしょうよ」


 昔、同級生の男子にメガネオタクとからかわれたのと同じくらい、言われたくない言葉だった。私には容姿や女子力の低さに対する劣等感が根付いていて、何か言いたくても言い返せない。お洒落よりも趣味に気力とお金を費やしているのだから、普通の人より劣っていても当然なのだ。それでもそれをリア充に指摘されるのは、恥ずかしかった。

 兄は私が一般的な女子が使っているようなアイテムの名前を知らなくても馬鹿にしたりしないけど、ピアス男は明らかに蔑んでいた。


「悠子ちゃん、俺はね、他人の目は気にしないようにしてる。どんな容姿でもさ、自分の好きな相手に好きになって貰えなきゃ意味がないよ。逆に言えば嫌いな相手に何を言われても痛くも痒くもない。悠子ちゃんは霧谷に好かれたかったの?」

 兄は人の視線を集める人だから他人の目を気にしていたらストレスで胃に穴が空いてしまうだろう。そんな風に考えて受け流しているなんて知らなかった。


「……いえ、まったく」

 そう考えると霧谷に好かれるよりは嫌われた方が嬉しい。あんなヤツに好かれたら死ぬ気で逃げる。


「でしょう。肌が綺麗なんだからメイクは必要ないし、内気でも悠子ちゃんの性格は暗くなんかないよ。悠子ちゃんの掛けてる眼鏡だって普通だ。悠子ちゃんは容姿に自信がないみたいだけど、他人の言葉で傷ついたりしないで俺を信じて。俺が追いつけないくらい、日に日に素敵なコになってるんだから」

 私のどこを見て素敵要素があるのか。兄の私への評価が鰻上がり過ぎる。


「そんなこと思ってるの、和泉さんだけですって」

「うん、俺だけがわかっていればいいって思ってくれない?」


 ――それは、自分だけを好きになって欲しいって意味でしょうか。


「悠子ちゃん、顔真っ赤だよ」

「……暑いだけですよ」

 兄の言葉を信じたいのに、信じられないと思ってしまうのは私の心の弱さなんだろう。

 兄はそれを見抜いていて何度も言葉にしてくれる。

  

「ほら、悠子ちゃんが作ってくれたお弁当食べたいから一緒に食べよう」

 私の気持ちを察して話題を変えてくれた兄の優しさに涙が出そうになる。

 現実から逃げてばかりの自分だけど自分の為にも、兄の為にも強くなりたい。

 そう思わずにいられなかった。





 

 




「今日は麻紀ちゃんちでテスト勉強してきますね、六時までには帰ります。昼ご飯も簡単に作って置きましたからあとで食べて下さい」

「わかった。……昨日はごめんね。俺の知りあいの所為で空気悪くしちゃって」


 申し訳なさそうに謝る兄に首を振った。兄はレジャーシートの他にも虫刺されスプレーなどピクニックのグッズを揃えてくれて、車も出してくれた上に、服まで用意してくれていたのだ。兄がどれだけ楽しみにしていれていたかと思うと余計に昨日のピアス男、霧谷への憎しみが募った。


「気にしないで下さい! また日を改めてピクニックしましょうね」

 にっこり笑って伝えると、兄は安堵した表情を見せてくれた。昨夜はあいつの言葉を思い出して冷静に考えた末、私がいくら下の下の女子であってもそれを口にするのは失礼千万。非常識な男だったと認識を改めた。ピアス男のことをいつまでも気にしていたくない。


 私に出来ることはひとつ。他の日にもう一度あの公園に行って記憶をもっと楽しいものに塗り替えることだ。その時は両親や豊も一緒に行けたら更に楽しくなるだろう。


「行ってきます」

「うん、気を付けてね」


 玄関を出ると眩しい日差しが私の目を襲った。帽子のつばを下げて自転車に跨り、麻紀ちゃんの家を目指してペダルを漕ぎ始めた。

 七月も中盤に差しかかり、夏コミまで一ヵ月を切った。麻紀ちゃんはサークル参加で当選が決まっていて、原稿の真っ最中。兄にはテスト勉強と伝えたが、本当は麻紀ちゃんの原稿を手伝う為にお呼ばれしているのである。


「会うのは一ヵ月ぶりだなぁ」

 別の高校に通っている麻紀ちゃんは、二次元から三次元まで何でもござれの本格派の腐女子で神話を題材にしたBLゲーム『神は万人を愛せない』という作品でサークル活動もしている。

 今、麻紀ちゃんが通っている高校も己の欲望を追及した故の選択だ。元男子校で一昨年共学になったばかりの男女比九対一という、奇跡的な高校を見付けて麻紀ちゃんは嬉々として受験し合格した。


 三次元の男子が苦手な私からすると地獄のような環境だが、麻紀ちゃんは毎日楽しく過ごしているようだ。三日前のメールではクラスメートの男子に希望の構図を頼んで絵を描かせて貰ったと書いてあった。……大物だよ、麻紀ちゃん。


 麻紀ちゃんの家の前で自転車を止めて、インターフォンを押すと麻紀ちゃんが扉から顔を出した。今日はまだ夏コミまで余裕があるからか、三つ編みの髪をきちんとハーフアップにしている。修羅場になると麻紀ちゃん、髪が鳥の巣状態になるからな……。


「いらっしゃーい、かむちゃん! どうぞ中へ入って」

「お邪魔します」


 中はクーラーが効いていて涼しかった。玄関で靴を脱ぎ、麻紀ちゃんの後をついていく。部屋の扉を開けると、既に準備は万端。部屋の中心に置いてある低い机には、原稿の山が詰まれていた。絵の描けない私は消しゴムかけとベタ塗り担当。私の為に消しゴムと筆ペンも合わせて置いてあった。


「かむちゃん、来てくれてありがとう。いつも優秀なアシスタントぶりで助かってるよ。私の原稿はかむちゃんがいないと完成しない」

「麻紀ちゃんの原稿、どんどん描き込み多くなってくもんね……もう同人誌の域じゃないよ」

「そんな褒めても、イラストしか出さないぞ☆ さぁさ今日も頑張りましょう」


 そのイラストがどれだけ価値があることか。

この前は麻紀ちゃんのサークル《神様同盟》の同人誌が高価買取の一覧に載って驚嘆した。


 互いに座布団に座り、向かい合いながら原稿に取り掛かり始めると、

「ほら、このコマが実際にポーズをとってもらった絡み絵。気に入ってるんだ」

 麻紀ちゃんが原稿の中でも大きな一コマを指差した。


 わぁ、上半身裸の太陽神アポロンが奈落の神タルタロスを地面に押し倒している。


「メール読んだ時も思ったけど、よく協力してくれたね」

「まぁ、あの高校実際そういう人もいるしね。面白がってやってくれたよ」


 麻紀ちゃんの高校では普通高校に通う私には考えられない、BL漫画のような世界が広がっているようだ。可愛い麻紀ちゃんが狙われないのならそれでいい。


「BLを否定されるよりはいいよね。私ね、この前腐男子を友達になったんだよ」

 仲島は腐男子であることを隠しているようだが、麻紀ちゃんは高校が違うし、言いふらすような人はないから話しても問題ないだろう。


「男子を苦手とするかむちゃんが。それはレア過ぎる」

 自分でもそう思う。高校生活をぼっちで終えるとばかり思っていた私に友達が出来た上に男子とは。


「メールはマメに交換してるし、学校でも偶に話してるんだ。あんなにフラバタについて話せる相手は初めてだよ。問題は逆カップリングだってことなんだけど、仲島の飛人と穂積君に対する愛は本物だね」

 こうして麻紀ちゃんと話している間にも、メールの届いた着信音が聞こえてポケットから携帯を取り出した。開けて画面を確認すると案の定、相手は仲島だ。


『俺は新たな真理を見つけたかもしれない。冴草の中で最高だと思う小説本を一冊持って来てくれ』

『当然、穂×飛になるけどいいの』

『それでいいんだ、頼んだぜ』

 意味深なメールだな。逆カプの癖に穂×飛を読みたいだなんて。私は頭の中で最高の一冊について考えを巡らした。


「それ、その仲島君から?」

「うん、逆カプ本が読みたいんだって。ヤツはMなんじゃないだろうか」

「かなり親しくなったんだね、彼と友達になったことお兄様に話したの?」

「話してない」


 麻紀ちゃんは既に何度か兄と会っており、兄のシスコンの悪化ぶりを知っているから心配してくれているのだろう。


 本当は腐バレの確立が上がるから麻紀ちゃんに兄を会わせたくなかったんだけど……兄に麻紀ちゃんとのお出掛けを尾行されて会わせざるを得なかった。


 でも私の心中を察してくれた麻紀ちゃんは興奮しながらも兄に漫研や腐的な話はしなかったから助かった。麻紀ちゃんがぽつりと「ヤンデレ攻め最高」と呟いた時は流石に焦ったがリア充の兄には通じていない筈だ。


「大丈夫? お兄様、後から知ったら怒るんじゃない?」

「いつ知っても怒るよ、和泉さんは」


 それだけは断言できる。原稿に消しゴムを掛けながら、手紙に気付いた時の兄を思い出す。呼び出された場所には行かないと伝えた時、兄は心の底から安堵して私を抱きしめていた。私が異性から手紙を貰っただけでラブレターだの彼氏だの見当違いの心配をする兄に、仲島の話をしても悩みの種を増やしてしまうだけのような気がした。


 私としてはこれからも仲島とは友人として仲良くやっていきたい。でも兄はきっと縁を切れとか言うんだろうなぁ。考えるだけで心がすり減る。


 ピピピピと今度は、電話の着信音がして携帯を確認してみると兄からだった。


「麻紀ちゃん、作業中ごめんね。ちょっと和泉さんの電話取るね」

「どうぞどうぞ」

 麻紀ちゃんは瞳を輝かせて頷いた。


『悠子ちゃん、今、越田さんの家? テスト勉強は捗ってる?』

「はい! 私と麻紀ちゃんは得意分野が違うんでばっちり助け合ってますよ」

 麻紀ちゃんはペン入れと私はベタと消しゴムかけ、テスト勉強ではないけど助け合ってるのは確かだ。


『良かった、そこに越田さんがいるなら変わってくれる?』

「えっ、麻紀ちゃんにですか」

 私は驚きを隠せなかった。兄は自分を《お兄様》と呼び、理解出来ない発言をする麻紀ちゃんを嫌厭している。その兄が自ら麻紀ちゃんと話したがるなんて……今日は雪でも降るのか。


 電話と麻紀ちゃんを指差して、兄が麻紀ちゃんに変わって欲しいと言っている旨をジェスチャーで伝えると麻紀ちゃんは快く電話を受け取ってくれた。


「もしもし、越田です。お久しぶりですね、お兄様。はい、沢山の素敵な男性に囲まれてますけど、確かに我が家です」


 素敵な男性って同人誌の事だよね!? 

 その手の冗談は兄に通じないから、やめて麻紀ちゃん!


「相変わらずのヤンデレ……好きなんですけど、かむちゃんが苦しむのは見たくないんですよね」

 いつもと話してる内容の雰囲気が変わった麻紀ちゃんに首を傾げた。


「かむちゃんに近づくもの、何でもかんでも排除して孤立させたりしないで下さいね」

 苛立ちのこもった声で麻紀ちゃんは、兄に訴えている。


「いいえ、私がそう思っただけです。私はかむちゃんのことが大好きなんで、お兄様に何を言われても気にしませんがぜひ今後の参考に」

 さっきまで普通だったのに何故、兄に何を言われても麻紀ちゃんは滅多なことでは怒らないのに。


「妹の幸せを祈るのもお兄様の役目なんじゃないですか」

 電話を切った麻紀ちゃんは、力強く私の手の上に携帯を返した。


「はい、かむちゃん。お兄様にはこのくらいがつんと言った方がいいよ」

「和泉さんが何か言った? ごめんね、麻紀ちゃん」

「ううんお兄様はいつも通りなんだけど。私がね、許せなくて」


 麻紀ちゃんはドンっと拳で机の上を叩いた。

 インクの入った瓶が揺れてひやっとする。


「だってせっかく仲の良いフラバタ同志が出来て楽しそうにしてるのにさ、お兄様のこと気にしてかむちゃんがつらそうなんだもん。かむちゃんが可愛いくていいコだから心配なのはわかるけどさ、やっぱりお互いにハッピーじゃないと」

「いやいや、兄の目が特殊なだけだから……」


 昨日のピアス男の言葉は簡単には忘れられない。

 首を振る私に麻紀ちゃんはきょとんとした顔を見せた。


「どこが? 私は男だったらかむちゃんみたいな優しいコと付き合いたいな。私さ、かむちゃんに会うまでは結構浮いた存在で仲のいい友達っていなかったんだよね。いきなり鼻血吹いたり、興奮のあまり教室で叫んだり、テンションが高すぎてついていけないって言われたこともある。でもかむちゃんはそんな私でも受け入れてくれてすごい嬉しかったんだよ」

 そ、そんなに麻紀ちゃんに好いて貰えていたとは初耳だ。


「外見に自信がないのも不思議なくらい。髪はさらさら艶々で、目はぱっちりしてるし、スタイルだっていいじゃん。表情もくるくる変わってかむちゃんは文句なしに可愛い――でもお兄様の前だと特に可愛いよね」

 目を細めて麻紀ちゃんは温かな笑みを浮かべていた。


「――もしかして麻紀ちゃん、私が誰を好きなのか、気付いてる?」

「うん、お兄様だよね。かむちゃん……顔に出るからさ」


 誰にも言ってなかったのに、気付かれてしまうくらい私の態度は露骨だったのか。私は机に肘を突いて両手で顔を隠した。


「……最初は、自分がこうなるなんて思わなかったのになぁ」


 二次元だけで充分だと思っていた。恋なんて腐女子の自分には程遠いもので、物語の中にあるものだったのだ。それがいつの間にか自分の胸の中に芽生えていて、今は当たり前のように存在しているのだから人生わからない。


「そんなもんだよ、絶対ハマらないと思ってた漫画でも、アニメ化したら好きになっちゃうこともあるでしょう。突然落ちてしまうものなの」


 ――それは、とてもわかりやすい。


 何事も好きになろうと思って好きになる訳じゃない。

 深々と頷きながら麻紀ちゃんの名言を胸に刻んだ。









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