8 兄の買物
妃さんから有力情報を得た日の翌日、大学の講義を終えた俺は眼鏡屋に直行した。
鏡の前で何本も掛け試しして、最後はシルバーと黒縁の眼鏡どちらかで悩んだが、シルバーの方にした。悠子ちゃんの好きなキャラも似たような眼鏡を掛けてるし、嫌いではないはずだ。
眼鏡を購入した後は、街中の店を見てまわった。ふとウィンドウに飾られていたカットソーが気になって、実物を確認してみる。肌触りもいいし悠子ちゃんに似合いそうだ。このボーダーのカットソーに白のロングスカートとか可愛いだろうな。
「そちらは夏の新作で人気なんですよ」
商品を手にして考え込んでいたら店員が寄ってきた。
まだ相手が男なのが救いだ。
「彼女さんへのプレゼントですか? よろしければ、こちら同じデザインでメンズ物もありますのでちょっと、持ってきますね」
悠子ちゃんの服を品定めしていると必ずと言っていい程、恋人へのプレゼントかと聞かれる。妹へのプレゼントを選んじゃいけないのかと文句をつけたくなるが、面倒なので言わないようにしている。
戻ってきた店員から渡された男物のシャツを手にして、悠子ちゃんと自分が着た姿を想像する。
……お揃い。うん、いい! この服を着て悠子ちゃんと一緒にお出かけしたい。
「二つとも買います」
「ありがとうございます、彼女さんに喜んで頂けるといいですね」
本当に喜んでくれるといいんだけど……。
悠子ちゃんは俺が服を買って帰ると決まって眉をしかめる。節約家だからな、どうしてもお金のことが気になるようだ。素直に受け取って貰える魔法の言葉があったら教えて欲しいくらいだ。
会計を済ませた後、悠子ちゃんの働く総菜屋の前にある喫茶店に入った。鞄から薄型のパソコンを取り出してキーボードを叩き始める。俺は偶にデータ入力の短期バイトを入れるようにしている。中学の時は、在宅で出来る仕事がしたいと考えて多少勉強していたからパソコンに向かうのも苦ではない。家族以外の異性と関わらないで済むという点では、今でも悪くない仕事だとは思うけど、収入や安定性を重視して情報学部は止めて法学部に変更した。
数時間後、スマホのアラームが鳴りパソコンを打つ手を止めた。喫茶店を出て、総菜屋の裏口に回って待っていると扉が開いた。
裏口から出てきた悠子ちゃんは大きな紙袋と学校鞄を手にしている。紙袋に何が入っているのか気になったが今一番聞きたいのは他のことだった。
「昼休み、行かなかったよね?」
昨日悠子ちゃんが仲島新という男から貰ったラブレター、その呼び出しが今日の昼休みだった。
大学にいる間も仲島の告白を断りきれない悠子ちゃんの姿ばかりが頭の中を巡って気が気じゃなかった。
「行きませんでしたよ」
その割に悠子ちゃんの声は上擦っていた。
「本当に? 悠子ちゃんは押しに弱いからなぁ」
俺が悠子ちゃんの顔を覗きながら尋ねるとサッと顔を逸らされる。
これでは嘘をついてますと言っているようなものだ。
「……アヤシい」
「大丈夫です、私みたいなの狙う奴はいません」
そこだけは自信満々に答える悠子ちゃんに頭を抱えたくなる。
本当に、彼女は何もわかっていないのだ。
「ううん、いるから。くれぐれも男には気を付けるようにしてね」
「和泉さんは私への評価が甘すぎるんですよ……」
甘くなんてない。正当な評価だ。どれだけ可愛いと言葉を重ねても、暖簾に腕押し、糠に釘。悠子ちゃんはかなり自分に劣等感を持っていて、自分が他人の目にどう映るかなんてわかっていない。
家庭的で照れ屋さんで小柄で臆病で。悠子ちゃんは庇護欲をくすぐるタイプだと思う。下手すると男の嗜虐心さえ煽るだろう。
「今日はバイト先のおばちゃんにジャガイモもらったんで明日は沢山じゃがバタ作りますね」
と笑っている悠子ちゃんが開いた紙袋にはごろごろとジャガイモが詰められていた。おばちゃんから野菜を貰えるのも悠子ちゃんの人徳だし、その手料理で男の胃袋を掴むのはとても簡単なことなんだけどな。本人にはまったくその自覚がないから困る。
俺は車道側に立って、悠子ちゃんと二人で歩道を歩き始めた。
「ねぇ、悠子ちゃん、日曜日俺と一緒に出掛けない?」
出来れば、今日買った御揃いの服で悠子ちゃんと出掛けたい。実に一ヶ月も悠子ちゃんとデートが出来ていないのだ。お出かけスポットの雑誌は全て読み尽くし、計画ばかりが溜まっていた。
雨の日でも風の日でも雪の日でも俺の中では何通りものデートコースが決まっているからどこにでも出掛けられる。悠子ちゃんはその身ひとつで助手席に座ってくれればいい。
「その日は先約がありまして……」
「もしかして、最近俺の事を避けてる?」
また先約……先週は本屋、先々週はCDショップ、その前は豊と病院、その又前は越田とお出掛けって俺はどれだけ後回しにされればいいの。
悠子ちゃんは申し訳なさそうな顔をしているけど、実は俺と外出したくなくて意図的に予定を入れてるんじゃないだろうかと悪い方に考えてしまう。
「そ、そんなことないですよ、土曜日でもいいですか」
「勿論! 公園でピクニックと映画だったらどっちがいい?」
前言撤回はさせない。俺はすぐさまあらかじめ考えていた案を悠子ちゃんに伝えた。
騒がしいところは、悠子ちゃんが苦手そうだから静かで落ち着ける場所を選んでみたのだ。
「ピクニックとか、いいですね」
「じゃ決まりだね、約束だよ」
悠子ちゃんの手から紙袋を貰い、小指を絡めて上下に振ると悠子ちゃんは赤面しながら頷いてくれた。




