13 妹の感動
寒さも和らぎ桜が蕾をつけた頃、私は無事受験に合格し志望校への入学を果たした。大学の受験勉強と車の免許取得を目指す兄が私の家庭教師までしてくれたのだから私は意地でも落ちる訳にはいかなかった。
まぁ、兄が私の部屋で勉強を見てくれている間はBL漫画などの誘惑の数々に手を出せなかった為、結果的には集中出来て良かったのだと思う。
高校の入学式には父と兄が来てくれた。カメラを持つ二人に囲まれ、立ち位置やポーズまで指定され、まるでどこぞの撮影会のような光景になってしまったのは記憶に新しい。あれは周りからの視線が痛かった……。父も兄も異様に記念にこだわるので、現像した写真の多さに母はお腹を抱えて笑っていた。
そして、私が今どこにいるのかと申しますと、――箱根の旅館に来ております。
突然過ぎるって?いいえ、兄は去年から着々と準備を進めていたのですよ。色々兄が計画してくれている間、私も頑張りました。どうにか二人旅行を家族旅行に変更出来ないか、父にお願いしていたのです。でも父は、決して私のお願いに頷いてはくれませんでした。
「悠子ちゃんはもう少し和泉と親睦を深めてもいいと思うよ」
って!?いや、それはもう充分事足りている。
即売会と名の付くイベント以外の外出はどこでもいっしょ。
一歩部屋を出ればいつでもいっしょ。いつのプレステですか。
もうこれは家族じゃなければマのつく職業ならぬ、スのつく犯罪者として訴えられてもおかしくないような気がします。
しかも最後まで父は私の懇願を断り続け、「二人で楽しんで来てね」と車に乗った私に手を振って見送ったのだった……。普段は私に甘い父だからこその違和感だった。父はきっと兄に弱みを握られているに違いないと私は勘ぐっている。
「あ~いい湯だなぁ」
まったり温泉に浸かりながらこの後の事を考える。一泊二日、たかだか一晩宿に泊まるだけだけど、もしかしなくともこれは私の貞操の危機なんじゃないでしょうか。だってお布団二組敷いてあったけど同じ部屋ですよ。誕生日も迎えて結婚可能な年齢にはなったけど展開が早すぎてついていけない。
『悠子ちゃん子供好きだよね?』
『え、まぁ好きですけど』
『俺、もっと頑張ってみようと思って。悠子ちゃんも協力してね』
一年前に旅行の話をした時の会話を思い出すとオタクの私でも警戒心がわく。
それよりなにより自意識過剰すぎる自分の思考がイヤだった。
お気に入りの下着を身につけて夜に挑むとかどこのリア充ですか。
爆発したい……。
考えすぎたらちょっとのぼせてきた。少女漫画的フラグが立つ前に出なければ。突然混浴の時間帯に突入したり、裸で倒れた私を兄が運ぶことになったりしたら目も当てられない。
とまぁ、こんな事を考える時点で私の脳味噌は沸いている。温泉って癒される為にくるところなんだけどなぁ。今夜のことが不安で仕方がない。私は重い溜息をついて温泉から上がった。
旅館で用意してくれた簡易の浴衣に着替え、のれんをくぐると兄が出待ちしていた。浴衣の上に羽織をはおった和泉さんはしっとりとした髪と上気した肌が相まって何とも言えないお色気男子と化してた。周囲の女性たちが兄に声をかけようかあからさまな視線を送っているけれど、それを完璧スルーして私の方へ向かってくる。
「……和泉さん、体が冷えてませんか?先に部屋に戻ってても良かったんですよ」
「悠子ちゃん、こういう所にはね、お風呂から出てきた女性をナンパしようとする不埒な輩もいるんだよ」
またいらん心配をしているなぁ。
狙われてるのは私ではなく、確実に和泉さんなのに。
女性たちは連れである私の存在を見て、蜘蛛の子のように散らばっていく。私が出てこなかったら兄は肉食系女子に囲まれてどうなっていたことやら。部屋に戻るときも背後に視線を感じて怖かった。和泉さんは日常的になっているから気にしていないのかもしれないけど……。和泉さんが女性が苦手になるのも解る気がした。
「ごちそうさまでした」
旅館の食事に舌鼓を打った私は足を伸ばして後ろに手をついた。
おなかいっぱい、もう入りません。
途中で兄が無理して食べないでいいんだよ、と気遣ってくれたけど私の勿体ない根性がそれを許さなかった。
「どうする?もう寝る?」
正直に言わせて頂けば、とっても眠い。けどここまで来ても私は襖の向こう側の二組の布団と向き合う勇気はなかった。悪あがきだと罵られようが少しでも時間稼ぎをしたい。
「いえ、売店にお土産を見に行きます」
「じゃぁ、少しお腹を休めてから行こうか」
誘ってもいないのに、この感じだと一緒にいく前提なのだろう。うん、そんな気はした。私は浴衣の帯をゆるめてから座り直した。
「さっき温泉に入る前、ちらっと見ておいたんですけどお土産迷ってるんですよね。母さんにメールしたけど返信来てなくて。電話しようかな」
「また悩んでるんだ。グッズを買う時も考え込んでたもんね。すごい想像がつく」
「どっちも魅力的だからこそ悩むんですよ!」
「ふふ、それならまた一緒に来た時に今日とは違うお土産を選べばいいんじゃないかな。あと電話はやめておいた方がいいかもね。今、妃さん手が放せないだろうから、俺が父さんに妃さんに聞いてもらうように頼んでおくよ」
私→兄→父→母とはまるで伝言ゲームのようだ。母と二人暮らしだった時には考えられなかったまわりくどさ。それがなんだかおもしろい。私がへらへら笑っていると兄が私の顔を覗いてきた。
「ゆーこちゃん?やっぱり眠いんじゃない?」
「ねむく?ないですよ」
だからこうして返事もしているではないか。
机に片腕を乗せて前のめりになっているけど私はまだ起きている。
「あーうん、これは目に毒だな」
「どく?」
私が首を傾げると兄がごくりと息を飲んだ。私は毒なんか持っていない。ちらりと見上げて視線で訴えると兄は顔を逸らした。
「今の可愛すぎるからダメ」
「ダメダメっていずみさんはそればっかりですねぇ」
「……一応ね、悠子ちゃんに窮屈な思いをさせてる自覚はあるんだよ、ごめんね」
「もーいいですよ、慣れですね、慣れ」
最初は監視されているようでイヤだったけど今は純粋に心配してくれていると解るからいい。この人がこうなるのは私に対してだけなのだ。だから私は悔しいことに許せてしまう。
「うん、ありがとう。もっと俺に慣れて溺れてね」
兄が何を言っているのかわからない。でも優しく頭を撫でてくれたのは解った。その心地よさに容赦なく睡魔が私を襲ってくる。
ま、だ、ねむりたくないのに。私はこの手に弱過ぎる。
兄のマジックハンドによって堕ちた私は眠りについた。
(いつもと枕がちがう……)
そうだ、私は和泉さんと箱根に来ていたのだ。思い出したところで、私はバッと起きあがった。朝だ、いつの間にか朝を迎えている。私はパタパタと自分の身体を叩いて異常がないか確かめた。
着衣の乱れはないな、よし。
身体も特に痛いところはない、よし。
恐れていた大人の階段を上らずに済んだようだ。桃色なアレコレが杞憂に終わって良かった……!!兄が思わせぶりなことを言うから、心の準備をしておいてねという意味かと深読みまでしてしまった。あーこの恥ずかしさは極限流だよ。
「おはよう、よく眠れたみたいだね」
襖を開けて入ってきた兄は既に浴衣から普段着に着替えていた。ふと、隣を見ると布団が綺麗に畳んである。
「も、もしかしてもう朝食の時間ですか?」
昨日、兄が朝ご飯はバイキング形式だと話していた。朝食を終えたらチェックアウトの時間も近いのでのんびりもしていられない。
「急がなくていいよ。父さんがもう一泊して来いだって」
「えっいいんですか!?」
「そうそう、だから午後は美術館と駅近くのお土産屋さんをまわろうよ。おいしいお蕎麦屋さんもチェックしてあるんだ。楽しみだね」
「はい!」
やったー!!まさかの旅行延長に私は喜んだ。もう夜の心配はしなくていいからゆっくりたっぷりのんびり肩の力を抜いて箱根を楽しめるぞ。と私はお気楽なことを考えていたのだが、その四ヶ月後になってコトの真実が判明するのである。
「子供が出来たの」
「え、ほんとうに!!」
母のまさかの告白に私は度肝を抜かれた。休日の朝から、家族四人ダイニングテーブルに集められたから何かと思えば母からの妊娠報告。母の隣で父がニコニコ嬉しそうに笑っている。
「おめでとう母さん!ねぇ、いつ生まれるの母さん。男の子?女の子?」
「悠子ちゃん、落ち着いて」
私の隣に座った兄が興奮気味の私の頭をポンポンと叩いた。そう言われても落ち着いてなんかいられない。憧れの妹か弟が自分に出来るなんて奇跡だ。どんなコでも可愛がる自信がある。
「生まれるのは半年後位かしら。私もこの年になって生むことになるとは思ってなかったんだけどねぇ」
「妃さん、僕も手伝うから何でも言ってね。仕事は一年位休んでも蓄えがあるから気にしないでいいよ。ほら、赤ちゃんの名前辞典買ってきたから悠子ちゃんも一緒に見よう」
「わぁ父さん準備がイイ!ステキ!縁起がいい名前にしましょう」
父が机に辞典を広げたので私と父は夢中になって生まれてくる赤ちゃんの名前を考えた。
その後は父の運転で家族で百貨店へ向かった。そこで昼食をとり、母さん用のマタニティウエアを買って、赤ちゃんの物は下見しておいた。家に帰ってからネットでベビーカーの評価を調べよう。種類が多すぎるからママさん達の意見が知りたい。歩き回った私はエスカレーター横の椅子に兄と座って一休みする。
にしても、喜びがはち切れんばかりの私に比べて兄は落ち着いていた。母からの報告を聞いた時も驚いた様子はなかったし、もっと感動してもいいんじゃないだろうか。
「和泉さんは嬉しくないんですか?もっと私と喜びを分かち合いましょうよ」
ちょっとムッとした顔の私に兄はくすりと笑った。
「悠子ちゃんは本当に子供が好きなんだねぇ。でも俺は結構前から知ってたからさ」
「……どういうことですか」
「じゃぁ、ヒント。俺と悠子ちゃんは四ヶ月前どこにいたでしょう?」
四ヶ月前、といったら箱根……?
もしかして、もしかしなくても私達が旅行に行っている間に出来た子ですか。
今思えば思い当たる節がある。一泊だった筈が二泊三日に変更になり、その前から和泉さんは母さんが電話には出れないとか言っていた。もっと思い起こせば、兄が旅行を発案し子供の話をしたのは一年以上前で全ては兄の計画通り……。尊敬を通り越して恐ろしさを感じる。
「和泉さんってすごい先の事まで考えてるんですね」
「そうだよ。これは俺と悠子ちゃんのこれからにも関係してくるから。悠子ちゃんが前に両親が離婚して俺と他人になっても大切だって言ってくれたけど親が離婚しないに越したことはないんだよね。父さん何回か離婚してるし俺としては信用し難いんだよ。遅くに出来た子供って可愛いって言うでしょう?そうじゃなくても父さんは妃さんにベタ惚れなんだけど子供がいた方が絆も深くなるしね」
おぅ、なんか兄から黒いオーラが漂っている。
それは深く考えすぎというか、心配性にも程がある。
「だから悠子ちゃんは結婚しないでずっとウチにいてね」
にっこりと笑いながら放った兄の要望に私はクリティカルヒットをくらった。これはエドモンド安里の頭突きの比じゃない。私の意志を無視してなんという計画を立てているのだ。
「そ、それはちょっと約束出来ません」
ここは正直に言わねばあとで大変なことになるだろう。
「ん?何か言った?」
まさかの空耳扱いされた!?
兄は家族の愛情に飢えた人だから、私と家族であることに固執するのだろう。家族も増えることだし、私もしばらくはこの家にいるつもりだ。弟妹の子供時代って黄金期だと思うのですよ。それを見逃すとかとても私には出来ない。
「和泉さんの期待に添えなくて申し訳ないんですけど、私も譲れないんですよね」
「悠子ちゃんが誰かと結婚してもすぐに離婚させるからね」
その独占欲がどんなに嬉しいか和泉さんは知らないのだ。
だから兄が低い声で私を脅しても私にはまったく効かなかった。
私は笑いそうになるのを堪えて言った。
「それ、きっと困るの和泉さんですから」
目に毒=上目遣い+浴衣肌け+机に胸乗せ
トリプルコンボです。




