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妹ですみません  作者: 九重 木春
-ひとつ屋根の下にて-
25/97

11 妹の決戦

 決戦は何故か金曜日だった。

 ――聞いてた話と違いますけど?


 学校から帰って来た私が私服に着替えようとした時、玄関のインターホンが鳴った。面倒だな、と思いつつ慎重に階段を下りて、扉の覗き窓から相手を確認する。


 そこにはスーツを着た見たことのないおじさんが立っていた。何の勧誘だろう。無視しようかと悩んでいたら相手からインターホン越しに話し掛けてきた。


「私は冴草正寿という者だ。どなたかご在宅だろうか」


 もしかしてこの人は安里さんのお父さん?

 約束は土曜日の筈だったが勘違いしたのだろうか。


 今、家には私しかいない。出てもいいものか。見た所、危険人物である安里さんは連れていないようだし、相手は礼儀正しい人のようだ。私はあとで兄に怒られるだろうな、と思いつつ扉を開けた。


「どうも、こんにちわ」

「こんにちわ。君が、和泉の義妹の悠子さんかな?」


 渋い顔立ちをしていて体格はラグビー選手のようにがっちりしている。あまり父には似ていなかった。


「はい、どうぞお上がり下さい」


 私が扉の脇に置いた松葉杖を脇に挟んで歩き出すと、伯父は目を丸くしたまま玄関で立ち尽くしている。


「もしかして、その怪我は……」

「あとで話しましょう。長時間立っているのもつらいので」

「そうだな、申し訳ない」


 安里さんはこんなまともな人の血を引いているのか。私は信じられない気持ちで伯父をリビングに招き入れた。


「粗茶ですが」


 コップをリビングテーブルの上に置く。本当なら茶葉から淹れた緑茶を出したいが足の怪我で普段より移動に時間が掛かる為、諦めた。伯父にはペットボトルのお茶で我慢して貰う。私も椅子に座り伯父と向かい合った。


「ありがとう、君は中学生だというのに確りしているね」

「いえいえ」


 もしその比べる対象が安里さんなら余程甘やかしてるんだな、と思う。安里さんは見るからにお嬢様だったから普段はお茶を振る舞われる立場なんだろう。


「あのすみません。勘違いでなければいらっしゃるのは明日じゃなかったですか?」

「……そうだ。しかし正輝も和泉も怒り心頭のようだったからな。直接君と話せないかと思い」

「鬼の居ぬ間を狙ってきた、ということですか」


 この伯父、なかなかやりおる。


「どうも弟も甥も君を閉じこめておきたいようだが、私も真実が知りたかった。急に訪ねてすまない」


 謝ってはいるけれど、強引だ。これは冴草家の血が為せる業なのだろうか。こうも潔く謝られると何も言えない。


「うちの娘は一方的に君が悪いと言うばかりで、正輝から聞いた話とかなり食い違いがある。私とて娘を疑いたくないが、君の怪我の様子を見ているとそうも言えないのだろう。――これを見て欲しい」


 伯父が鞄から出して来たのは一冊の冊子だった。

 そうそれは正しく即売会で見るコピー本、ではない。


 机の上に置かれた冊子の内容を読んで私は眉をしかめた。


「これはもしかして安里さんの言い分ですか」

「そうだ、私が先週の日曜日のことを順を追ってまとめてみた。訂正する点があれば教えて欲しい」


 私は手に取り、エドモンド安里主演による脚本を読み始めた。


 それによると私はとんでもないブラコンのヤンデレ妹と化していた。


 舞台のはじまりは若者に人気のガレット屋。偶然安里さんが兄に会った所から始まっている。安里さんが相席し和泉さんと歓談していた所に妹の私が現れ、「兄にちょっかいを掛けるな」と安里さんは腕を引っ張られ、無理矢理店を連れ出される。


 そして中学生の私に踏んだり蹴ったりされた挙げ句、安里さんを助けに来た兄に私が「安里さんに苛められた」と濡れ衣を着せ、それを信じた和泉さんは安里さんを雨の中の公園に置き去りにしていった、らしい。予想はしていたが、ここまでくるとワンダフルワールドだ。


 しかも三頁目の《現状》には、私の腹パンチによって腹部が痛む為、学校を休み自宅療養中と書かれている。ちなみに私は松葉杖でいつもの倍以上の時間を掛けて学校に通っている。


「もう私を見て矛盾点にお気付きだと思うんですが、私の方が重傷ですよね?」


 私は明日の為に準備しておいた診断書のコピーを見せた。


 頬の切り傷、お尻の打撲傷――それと左足の甲の骨折について詳しく記入されている。骨折と伝えれば自分で歩く事さえ禁止されるような気がして私は兄に捻挫と伝えていた。更に私はマスクを外して、隠していた頬の傷を晒す。猫に引っ掛かれちゃって!なんて誤魔化せるものじゃない。


「確かに私は反撃はしましたが先に手を出したのは娘さんですし、顔は長い爪で引っ掛かれ、足はハイヒールで踏まれ、お尻は突き飛ばされた時に出来た傷です。娘さんの言葉に比べれば、初対面の私の言葉なんて信じがたいかもしれません。――けど、私は兄を婚約者と言いつつ物のように扱う安里さんや、本人の了承無しに婚約を結んだ貴方が許せなかった」


「和泉も納得した上での婚約だ。君が口を出す問題じゃない」


「和泉さんの女性嫌いが貴方の娘さんによるものであっても?安里さんの傍にいるだけで蕁麻疹が出て、呼吸困難になっても?――安里さんの名前も呼びたくない程嫌っていても、貴方は強制する気ですか!」


 私は堪らず怒りで声を荒げた。


「私はそのような話は本人から聞いていない」

「そうでしょうね。どうしったって貴方は娘の安里さんの方が大切で、安里さんの証言を信じる。だから兄は然るべき所に訴えてでも謝罪させる、と」


「本気か」

「電話で弁護士の方に相談してましたよ。この冊子に書かれた安里さんの証言も虚言だとすぐに解るでしょうね。特に最初のお店のくだりは目撃者も多いですし。私に非がない上、安里さんは未成年の私に暴行を加えたんですから、うちの方が有利だと思います」

「そうなるともう君と娘だけの問題ではなくなってくる。こちらにも社会的立場というものがあるんだ」


 先程まで淡々と話していた伯父に焦りの色が滲み始めていた。本当に娘を信じていればその必要はない筈だ。やはり父親から見ても娘の証言に不審点があると気付いていたのだろう。


 だからこそこの人は娘を連れずに、私だけの時間を狙って我が家にやってきた。

 小娘一人、簡単に言いくるめられると思っていたに違いない。


「ええ、そうでしょうとも。有名な不動産会社の社長さんともなれば色々不都合があるとお察しします」

「金か」

「大人と違って、子供の喧嘩はお金で解決しないんですよ」


 私はにこりと笑って、伯父に救済案を打ち出した。


「二度と、安里さんを兄と会わせないで下さい。約束して頂けたら、父と兄には私から取り下げるように話しておきましょう」

「娘はきっと、素直に私の言う事を聞かないだろう」


「じゃぁ、今度はストーカーとして訴えればいいだけですね」

「……分かった。説得しよう」


 伯父は苦悶の表情を浮かべ項垂れた。

 私は子供より自分の身の方が可愛い親に同情しない。


「ありがとうございます。今日お話出来ましたから、明日は来て頂かなくて結構です。約束、しましたしね」


 伯父は黙って頷き、スッと立ち上がった。

 見送るつもりで立ち上がろうとすると制止させられる。


「君は怪我をしているのだから無理をしてはならない。こんな小さい体でよく安里や、私にまで立ち向かったものだ。――私は正輝や和泉が君を隠してしまいたい気持ちが少しだけ解った気がするよ」


 伯父は苦笑して私の頭を撫でた。最初は似てないと思ったのにその下がった眦は父に良く似ていた。


「すまなかったね」


 最後の最後に伯父は謝った。礼儀正しくて、強引で、不器用な伯父は私に頭を下げてから家を出て行った。私は家の鍵を掛けてからバタンとソファの上に倒れ込んだ。


 力尽きた……


 突撃晩ごはんならぬ伯父の来訪に私のライフゲージは極限まで擦り減った。人と極力関わりたくないオタクに何やらせとんじゃ、ボケ。と言えるような人間になれたらどんなに楽か。


 これから洗濯物取り込んで、晩御飯のメニューを考えないと。


 簡単な事も今は怪我をしている為、全てが億劫だった。







「ただいま、悠子ちゃん」


 びっくぅぅぅぅ!!耳元で吹きかけられた息に腰のあたりがゾクっとした。どうやら私は耳のうしろが弱点らしい。驚きと刺激のWパンチで私は顔を上げられなかった。


「こんな所で寝てるなんて珍しいね。体冷やしちゃうよ」

「だ、大丈夫です」


 むしろ暑い。


「でも……スカートめくれてるから」


 その言葉で私はすぐさま起き上がり、スカートを手で抑えた。

 絶対、下着見られた。私は赤い顔を自覚しながらキッと兄を睨んだ。


「あ、あの、わざとじゃないんだよ。けどいきなり目に飛び込んできたと言うか。ご、ごめんね?」

「いーえ!!私こそ帰ってきて早々見たくもないものをお見せしてしまってすみませんでした!!」

「そんなことないから、ピンクのレースって可愛いよね。俺は見せてくれるなら毎日でも」

「見せません!!」


 私は息を切らしながら反論した。下着を褒めたのはフォローのつもりかもしれないけど、それは紛れもなく余計なひと言だった。そこは嘘でもいいから見てないと言って欲しかった。


「それは残念だな。けど気を付けてね、ウチにはダレがやってくるとも限らないんだから」


 打って変わって冷え冷えとした兄の声に私は背筋が震えた。兄の見ている方向には二つのコップが並んでいる。先程伯父が来た時のものをまだ片づけていなかった。


「いかがわしいマネ、されてないよね?」

「なっなんのコトでしょう?」

 私はまだ伯父が来たとは言っていない。

 でも兄はダレかが来ていたと既に確信しているようだ。


「こうやってさ」


 ドスンと、ソファに倒れ込んだ私の眼前に兄の美貌が広がる。その近過ぎる唇から漏れる息の熱さから逃れようと私は体をよじった。兄はそんな私の抵抗を見て首を振った。


「押し倒すのなんて訳ないんだよ」


 鳶色の瞳が真剣な眼差しで私を射抜く。片手は私の背中に周り、もう一方の手は左足の太ももの上を滑っていった。正直くすぐったい。しかしその柔肌を感触を楽しむように上下する兄の手に、私は身の危険を感じた。


「だから、俺以外の男はみんな狼だって忘れないで」

「は、はいぃぃ~っ」


 私は半泣きになりながら、伯父が来た事を白状させられたのである。




 洗いざらい伯父との会話を吐かされた私はぐったりとソファの手元に倒れ込んだ。隣に座る兄はぐいっっと私の肩に腕を回して、自分の体へ引き寄せる。かくんと私の頭が倒れた先は兄の肩だった。


「安里の時も感じたけど、何でも一人で解決しようとしないで欲しい。俺は悠子ちゃんが心配で目が離せないよ」


 それが出来れば苦労はない。


 初対面の伯父がいきなり我が家に来たのは驚いたけど、結果的に一対一で話が出来たので良かったのかも、と思っている位だ。きっと土曜日に安里さんと伯父が来ても私の出る幕はなかっただろう。兄と父が主導で話をするのは解りきっていた。


 私からすれば喧嘩を買ったのは私なので口出しされるのも納得がいかなかったし、私の事より兄の問題を先に解決させたかった。


「……善処します」


 渋々私は頷いた。でも恐らく、兄に危険が迫ったら兄の前に飛び出さずにはいられないだろう。兄に苦しみを与える者がいるのなら、遠ざけようと奔走するだろう。


 私の体の傷は、時間と共に治る。

 兄の心の傷は、時間では治らない。


 いつまでも安里さんに与えられた傷で苦しむ位なら、私の心配で頭を一杯にしてしまえ。自分の心の傷も忘れてしまう位、どうにかなって欲しかった。


「悠子ちゃんの為なら何でもしたいから、悠子ちゃんには俺がいないとダメなんだって、俺に思わせてよ」


 兄は知らないのだ。

 既にその状態に陥っているのに、私が隠しているから気付いていない。


 素直じゃないから甘えられないんじゃない。

 頼りないから相談しないんじゃない。


 兄が私の為に何でもしてしまう人だからこそ、振り回したくなかった。


「今のままで充分ですよ。安里さんの事も裁判にしないでください。お金は誠意にならないし、復讐も不要です。時間が勿体ないじゃないですか。和泉さんが私と出掛ける旅行の予定を考えてくれた方が百倍嬉しいです」

 

 いくら謝られても許せない事もある。

 私の逆鱗に安里さんは触れた。


 兄に執着する安里さんにとって一番つらいことが私には解る。

 だから、私が下した判断が最大の罰になることを誰より知っているのだ。


 兄はぽかんとした表情をしてから、宝石箱を開いたかのような輝かしい笑顔で私の頭を撫でた。そういえばあの人も私の頭を撫でていったな、私は疲れ切った体を兄に委ねて眠りに就いた。











 私の足ギブスも取れ、足の傷がほぼ完治した三ヶ月後、兄は教習所に通い始めた。教習所には誕生日の二ヶ月前になると入校出来るらしい。


「学校通いながらだと大変じゃないですか?卒業してから取ればいいのに」

「なるべく早く取りたいなぁって思ってね。来年は悠子ちゃんも高校生になるし、最初は近場で旅行に行こうよ」


「父さんに車出して貰えばすぐにでも行けますよ?そういえば家族四人で旅行なんてはじめてですねぇ」

「ん?旅行に行くのは俺と悠子ちゃんだけだよ。父さん達には留守番を頼むから」


 いやいや、それは無理でしょう。

 いくら家族と言えども年頃の男女が旅行とか、まず父が許さないと思う。

 

「悠子ちゃん子供好きだよね?」

「え、まぁ好きですけど」

「俺、もっと頑張ってみようと思って。悠子ちゃんも協力してね」


 私の思考は一時停止した。

 何故、この会話の流れで子供の話を持ち出してくる。

 そして何を頑張るの言うのだ。


「ま、まずは家族四人で出掛けましょうよ。人数が多い方が楽しいですよ!!」


 不吉な予感がした私はあたふたしながら教習所に向かおうをする兄を玄関で引き止める。


「あれ、百倍嬉しいんじゃなかったの?」


 兄はひどく優しい笑みを浮かべて私の頬に手を当て、頬に唇を寄せた。

 私は咄嗟にずささっと後ずさる。


「夕飯には帰ってくるから、いいコにして待ってて」


 したり顔の兄は私に手を振り、外側からガチャンと鍵をしめた。



 














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