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妹ですみません  作者: 九重 木春
-ひとつ屋根の下にて-
23/97

9 妹の反撃

 店の外に出ると、しとしとと雨が降り始めていた。私は濡れるのも気にせず街を歩く。安里さんが途中で雨を気にして店に戻ろうとしたので「逃げる気ですか」と挑発すれば「逃げないわよっ」と肩を怒らして付いてきた。コツを掴めば操りやすい人かもしれない。


 足を止めたのは街から少し離れた小さな公園だった。私は振り返って安里さんと向かい合う。


「私に言いたいことありますよね?」


 それは確信だった。


 二十歳を過ぎた女性が六歳以上年下の私を全力で警戒しているのだ。しかも義理とはいえ妹の私にである。婚約者の家族とは仲良くしておくべきだろう。


「大人しそうな顔して好戦的ねぇ。和泉、騙されてるんじゃないの」


 和泉さんが女性を苦手になった一端に間違いなくこの女性も関わっているに違いない。私の前ではそんな素振りも見せなかったが、安里さんを前にした兄の顔は青褪め、握ったその手は震えていた。


 安里さんは緊張しているだけなんて自惚れていたが、兄は脅えていた。

 相手は兄よりか弱い女性だというのにだ。


「好戦的、ですか」


 いつもの私なら、安里さんのような勝ち気で面倒くさい女性を前にしたら反論もせず謝っていた。良くも悪くもことなかれ主義だから平和的解決方法を選択する。


「妹ってだけで調子に乗らないことね。その顔で和泉の家族だなんておこがましいと思わないの?和泉は生まれた時から私の夫だと決まっているのよ。冴草家当主であるお父様の決定は絶対なんだから」


 そんな私でも今回ばかりは譲れなかった。

 この人は兄を見ていない。


 兄の青白い顔色も、首から覗いた発疹も、苦しそうな息遣いも、冷めた切った声もすべて無視して緊張の一言で片付ける。気にしているのは自分のプライドと和泉さんの容姿だけだ。


「じゃあ、私がその絶対を覆しますよ」


 今まで一番腹正しく、悔しいのは、己の失敗や未熟さだと思っていた。

 でも違った。


 一番許せないのは、自分の大切な人が無下にされた時だ。

 誰も気付かなかったんだろうか。


 傍にいたお義父さんも、

 婚約を決めた安里さんの父親も、

 幼い頃から遊んでいた安里さんも、


 和泉さんの身近な人たち、みんな。


 和泉さんの苦痛に歪んだ表情や拒絶反応という救難信号を見てみぬふりして、保身に回っていたんじゃないだろうか。そうやって和泉さんを犠牲していたんじゃないだろうか。それが堪らなく悔しくて腹立たしい。


「あなたに和泉さんは渡せません。今日一日だけでも安里さんが録な大人じゃないことは中学生の私にだって解ります。人の席に勝手に座って、婚約者の妹に対して喚き散らして、食べ掛けの食事を人に投げ付けるって……みっともないって自覚があったからさっき顔を真っ赤にしてたんですよね?」

「なっ」


「まぁ、例え安里さんが礼儀正しく挨拶してきた所で私は反対してたでしょうけど」

「そんなの私が気に入らないだけじゃないの!」


「そうですよ。あなたは和泉さんを幸せにしようなんて考えは毛頭ない。綺麗なお人形を隣に並べたいだけでしょう」

「馬鹿にしないでよっ」


 怒り心頭の安里さんが私の左頬に強烈な平手打ちを叩きこんだ。パァンという音だけでも凄かったのに、安里さんの付け爪という凶器がガリッと私の頬を引っ掻いた。しかも眼鏡を落とされるという三段攻撃だ。


 とりあえず泥に浸かった眼鏡は拾わず放置する。今はそれどころじゃない。


「図星でしたか」

「違うわよ!私は、私は本当に昔から和泉が好きで、誰にも負けないんだから」


 再び、平手が飛んできたが素直に叩かれる私ではない。しゃがんで避けて相手のみぞおちに拳を打ち込んだ。安里さんはゆらりとよろめいたが倒れず踏みとどまった。


「暴力女!」

「先に手を出したのはそちらですよね」


 また叩かれると思って警戒したら今度は左足に激痛が走った。足の甲を五センチはあるだろうヒールで踏まれたのだ。声に出せない痛みに堪えていると安里さんがにやりと笑うのが見えた。私は油断している安里さんに右足で太ももに蹴りを入れてやる。


「いったい」

「時間の長さで、思いの強さで、ましてや勝ち負けで決まると思ってるならそれは愛なんかじゃない、ただの自己満足です!和泉さんが目の前で苦しんでたのに何で素知らぬふりをするの。十七年間も好きなら気づいて下さいよっ。和泉さんが何をすれば、喜んで悲しむかなんていくらでも気付く時間がいくらでもあったじゃないですか。自分の気持ちを押し付けるだけのあなたを私は認めない。これ以上和泉さんに苦痛を与えるつもりなら私が受けて立ちます」


 降りしきる雨、睨みあう二人の女、人気のない静かな公園は絶好の戦いの場と化していた。


 掛かってこいやと、と待ち受けていたら安里さんは姿勢を低くして相撲取りのように頭から突進してきた。予想だにしていなかった安里さんのエドモンド本田並の突進技に私は悟った。


 あ、これダメなやつだ、と。


 ちびの私は物の見事に背中から泥水の中へダイブした。倒れた私には仁王立ちする安里さんは巨人兵のように映った。私を見下ろす安里さんのどや顔で私を挑発している。くそぅ大人げないぞ、安里嬢。


 目に物みせてやる。ぎゅっと手に泥を掴んで、振りかぶったその時、背後からその腕を止められた。


「俺はもう大丈夫だからやめて」


 振り返るとそこにいたのは息を切らした和泉さんだった。


「帰ろう。体も冷えてるよ。せっかく風邪治ったのに。ほっぺも血が出てる。早く手当てしないと」

「平気です。死にゃしません」


 私は頬の血を手の甲で拭った。


「それより私の眼鏡、そこらへんに落ちてませんか」

「それより?どれだけ俺が心配してるか知らないでしょう。すぐ戻るって言ってたけど戻ってこないし、ねぇこれが悠子ちゃんの言う《話し合い》?」

「……もう拳で語り合うしかなかったんですよ」


 私だって好きで泥パックしてる訳ではない。

 暴力は反対派だ。しかし解かって欲しい、引くに引けなかったのだ。


「アレは話の通じる相手じゃないからね。どうせあっちから手を出してきたんだろう。直情的ですぐに逆ギレ八つ当たり。で、最後は泣き真似して周りの同情を誘おうとするから」


 アレって……和泉さんは安里さんの名前も言いたくないのか。結構重症だな。


「いずみ、」


 言ってる傍から安里さんは涙目で和泉さんに刷りよってきた。

 私は立ち上がってそれをすかさずガードする。


「こら、危ないからやめて」


 私を背中に隠した和泉さんは華麗に安里さんをスルーして私と公園の出口を目指した。


「なんで?私が一番だって言ったじゃないっ」


 背後から悲劇のヒロインの声がする。私がちらっと和泉さんを見上げると解ってるよね、と言わんばかりの笑顔を向けられた。はい、アレに構っちゃいけないんですね。


「絶対に諦めないんだから」


 安里さんの力のこもった悔しげな声がこれまた演技臭い。膝から崩れ落ちた安里さんが目の端に映る。もしかして今は感動のシーンなんだろうか。こんなザーザーぶりの雨の中、同情を引こうにも人なんか全く歩いていない。何と言う無駄な努力。それに本当に好きならみっともなくても追いかけるべきだろうとお節介ながら思ってしまう。


 私の前だとなりふり構わなかったのに、和泉さんが来てからはスッと大人しくなった。変わり身が早いぞ。私はあなたの頭突きを忘れていないんだからな。


 やはり外で話して正解だった、と私は深く頷いた。








 今、私達は休業した店先で雨宿りしている。冷たい雨がなんと雹に変わってしまったのだ。顔に当たると地味に痛い。そして沁みる。

 にしても、眼鏡は諦められるがそれ以上に諦められないものが私にはあった。


「和泉さん、私の荷物は……」

「雨で濡れるといけないから、駅のロッカーに入れてあるよ」


 ブラボー!流石解っていらっしゃる。

 時間の長さなんか関係ない。


 ちゃんと相手の事を見ていれば私が、兄が、何を大切にしているかなんて解ってしまうものなのだ。


「和泉さん、ありがとうございます。心配かけてごめんなさい」


 私は立ち止まって和泉さんに頭を下げた。

 適当に歩いて見つけた公園だったから見つけるのにも苦労した筈だ。


「アレを連れ出してくれたのも俺の為だったんだろう。俺が具合悪そうにしてたから、原因を引き離してくれたんだ。俺が兄なのに情けないね」

「情けなくなんかないですよ。体が拒否する位、安里さんが苦手なのに私を探しに来てくれたじゃないですか。それにあのまま和泉さんが来なかったら、私ボロボロになるまで安里さんと戦ってましたからね。結果的にも良かったです」


「……どう考えても体格差からして悠子ちゃんの方が不利だよね。悠子ちゃんは拳を交える前に気づいて欲しかった」

「なんかね、止まらなかったんですよ。あの人、全然気付いてないから。ずっと和泉さんの傍にいたのに何してたんだろうって。私だったらもっと」


「もっと、何?」


 和泉さんが身を屈めて甘く、囁くように先を促す。

 私はその砂糖菓子のような甘さに恥ずかしさで顔を逸らした。


「出来ることがあるのにって思ったんです」


 少なくとも苦しんでる姿を無視したりしない。

 それは自分に対する拷問と同じだ。


「俺の好物作ってくれたり?」

「はい」


「俺と一緒に地の果てまで来てくれたり?」

「はい」


「俺の嫌いな婚約者を追い払ってくれたり?」

「任せて下さい」


「俺の胸に飛び込んで来てくれたり?」


 兄は両手を広げて私を待っていた。

 それで兄が喜ぶなら、と私は抱き付いた。


 これも今となってはただの言い訳に過ぎないと解っていた。

 止まらなかった喧嘩の理由も本当は気付いている。


「俺、もっと早く悠子ちゃんに会いたかったなって最近いつも思ってるよ」


 心底残念がる兄に私はクスリと笑った。


「本当の兄妹みたいにですか?」

「最高だね」


 こんなになるまで兄を放置していたお義父さんのことにしろ、我儘お嬢様な安里さんのことにしろ、兄は女性全般に関わらず、家族の縁が薄そうだ。


 だからこそ平穏な家族生活を送れる今が怖いんだろう。

 お互い、水面下では経験のない幸福な時間にしがみつくのに必至だった。


「大丈夫ですよ、たとえばいつか両親が別れても、同じ屋根の下に暮らせなくなっても」


 びくっと震えた兄の不安を拭うように背中に回した腕に力を込める。


「和泉さんは私の大切な人です」


 腕の中で見上げた兄は泣きそうな顔で笑ってた。


「悠子ちゃんが、いてくれて良かった」


 和泉さんは意外と涙脆い人だ。


 私とした未来の約束に泣いて、私との見えない繋がりを信じて泣いてしまうような繊細でさびしい人。


「それはね、私の台詞ですよ」


 あなたに出会わなければ、私は知らないままだった。


 さびしいことも、人に甘えることも、戦うことも、譲れないことも、みんなあなたが教えてくれた。


 だから私はその全てを以て、あなたの孤独を包み込むのだ。























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