7 妹の羞恥
落ち着かない。私は鏡の前に立って再度自分の服装を確認した。
秋に一回しか袖を通さなかった短いダッフルコートとタンスの奥底にあったスカートっぽく見えるキュロット。
さすが兄のコーディネートだけあって妥協がない。基本寒がりの私は真冬になるとダウンコートと長ズボンのワンパターン。そんな私のタンスに何故人並みの洒落た服が入ってるかって?それは母の福袋のお裾分けや最近は父が買ってきてくれるからだ。レースがついた深緑のワンピースや白のニット帽、茶色のパンプスにレッグウォーマーとねだってもいないのに父は私に貢ぎすぎだと思う。
今日は普段より薄着なので防寒具でカバーした。帽子をかぶって、マフラーに手袋、タイツの上に靴下を穿いて腹巻きも巻いた。忘れ物がないかチェックして、時計を見ると兄と家を出る時間が迫っている。私は慌てて鞄を手に取り階段を降りた。
兄はすぐさま微笑みをたたえながら私の元にやってきた。
「和泉さん、おはようございます」
「おはよう、悠子ちゃん」
いつもよりきらきらしているように感じるのは気のせいか?これから向かうのは撮影会ではなく、原画展だよね、と確認したくなるような兄のモデルっぷりに圧倒されてしまう。足長おじさんならぬ足長お義兄さんはまた一歩私に近づいて距離を詰めてくる。
じぃっと頭から足の先まで視姦される身にもなって欲しい。早く外に出ようと促しても一向にその気配がなかった。
「ちょっと待ってね」
兄にいきなりマイマフラーを取られたので何かと思えば兄は自分のマフラーを解いて私の首に巻いた。何かいいにおいがする……ってそうじゃない!!とりかえっこしたマフラーを見て兄はのたまった。
「うん、もっと可愛くなった」
れ、冷静になろう。服装の話であって私のことではない。一般的に見たら地味な黒のマフラーより黄色のチェックのマフラーの方が可愛いだろう?兄が言っているのはそういう事だ。
「お世辞じゃないよ」
「そうそう、悠子ちゃん程可愛い娘はいない!」
褒め殺そうとしてくる兄に必死で抵抗しているのに、今度は父まで参戦してきた。親子でタッグを組むとかやめて下さい。多勢に無勢だ。いっそ殺してくれと思ってしまうのは私の心の弱さだ。鏡を見なくても自分の顔が紅潮しているのが手に取るように解った。
すると今度は兄に手を握られ私はぎょっとした。
強引に私を玄関の方へ連れて行くらしい。
「そんな強く引っ張らなくても!い、行ってきます」
「うん、デート楽しんで来てね」
デートなんて一言も行ってませんけど……。
兄と似たような思考を持つ父に私は呆れを通り越して、恐れを抱いた。父まで私を軟禁するようになったら私はグレる。
行列が前に進み、会場の中に入ると兄は待ち合わせ時間まで別行動を提案してくれた。オタクの心理をよくお分かりで!
萌え萌えしている所を身内に見られるのが一番恥ずかしいのだ。母親の監視付きで十八禁を読む息子のようなものだ。スゴい羞恥プレイですね。この時ばかりは察しのよろしい兄に感謝せざるを得ない。
「行ってきます」
私はビシっと気を付けをしてから兄に畏敬の念を込めて敬礼した。兄はぽかんとした表情で私を見ていたが、既にカウントダウンは始まっている。私は構わず原画の海へ飛び込んでいった。
五分前行動を常とする私とあろう者が、待ち合わせ時間に一五分も遅れてしまうとは不覚である。それと言うのも原画展の限定グッズの前で小一時間悩んでしまった所為だ。
主人公とライバルの幼馴染が睨み合うシーンが印刷されたクッションと主人公のペットのぬいぐるみ。どちらも捨てがたかった。悩みに悩んだ末私が選び抜いたのはぬいぐるみの方だった。クッション緒イラストは漫画や画集でも見れる。でもペットである柴犬のすべすべ柔らかな触り心地や愛くるしさはぬいぐるみでないと実感できないのだ!会計を済ませた私は走って集合場所に向かった。
私が遅刻したにも関わらず、兄は天使の笑みで私を迎えてくれた。しかも出口の傍に特大の原画が飾られていると案内してくれる。もう天使過ぎるだろ、と兄の心の広さに感謝していたら兄に原画の前に立たされた。
「写真お願いしてもいいですか」
兄がチェックのシャツをデニムインしたいかにも私のお仲間っぽい男性に自分のカメラを渡した。え、ここで兄とまさかのツーショットですか!?しかも兄が男の人に渡したカメラは素人目からしても本格的なカメラだな、と思わせる逸品で私は戸惑った。いいのか、そのカメラの出番はここで合ってるのか。
「いいんですか」
「ほら、ここに撮影OKって書いてあるでしょ。はい、俺の横に立って。もっと傍に。カメラににっこり笑ってね」
質問の意味を勘違いされた上に沢山のことを兄に要求され、私はパニックになった。
え、横にって腰に手を回さないで
傍にってこれ以上どう近づけと?
笑顔は完全に引き攣っていたと思う。
この状況で笑うとか無理だと思うんだ。シャッター音が終わり、私は力なく肩を落とした。
兄は隣で写真を撮ってくれた男の人にお礼を言っていた。
ぜったいこの人リア充め、って思ってるYO。私だって他人が同じ事目の前でしてたら思うもの、仕方ないのだが納得いかない。私たち兄妹で恋人同士とかじゃないんだからね!とツンギレたい。そうしたら私がソウルメイトだってこと解って貰えると思うんだ。
会場を出てからも無言の私に何を思ったのか兄は、「せっかくだから一緒に来た記念に残したかったんだ」 と申し訳なさそうにしながらはにかんだ。
そういう必殺技や・め・て下さい。
リアルで男の人の笑顔に可愛いなんて思ったのははじめてだった。
しかもその内容がまた純で!私の邪なオタク心が罪悪感で悲鳴を上げた。
「あんまり家族写真撮ったことがないので、少し恥ずかしいけど新鮮でした」
嘘ではない、けど本音でもない。とっても恥ずかしかったです!!せめて、場所が違えば、頼んだ男性も一般人であれば、あんなに密着されなければ、私だって快く受け入れたんだけどなぁ。
それから兄はこれからは一緒に色んなところへ出掛けようよ、と誘ってくれた。遊園地に動物園に地球の果てと言われた時は思わず吹き出してしまった。それも冗談ではなく、地球の果てを見れる場所がモンゴルの地平線だと教えてくれた。
夢見る少年のような顔で悠子ちゃんと一緒に行ってみたいと語るので断る気も起こらなかった。コミュ障の私でも兄と一緒なら外国でも何とかなるだろう。果たしてモンゴルは何語で話す所なのだろう。予習が必要かもしれない。
「その時は旅行代金は私も払いますから、金額教えて下さいね」
あ、パスポートも作る必要があるのか、と色々考えていたら兄に抱き締められた。ありがとう、と言いながら私をぎゅうっと力強く抱き締めるのでこれは何という格闘技なのかと責めたくなった。しかも離せと言っても離してくれない。
私は抵抗を諦めて兄の胸に顔を埋めた。寒空の下、人通りのある道の真ん中で抱き締められながら顔を晒す勇気は私にはなかった。
その後、兄が遅めの昼食に連れて行ってくれたのはガレットのお店だった。女性が好きそうな内装でセットメニューには全てデザートが付いてくるようだ。もう皆美味しそうで、嬉しいけど困る。候補を二つに絞り込んでうだうだ悩んでいると「じゃぁ、俺がこっちのメニュー頼むから分けっこしようか」と言ってくれた。
お礼を言うとその方が俺も嬉しいから、って天使で紳士ってどういうこと?
異性に免疫のない私には刺激が強すぎる。
兄が注文をしてガレットを頼むと店員の女性が顔をポッと赤く染めた。うん、解る。こんなイケメンに話しかけられたら赤くもなるわ。出された水を飲みながら冷静に周りを見渡すと女性の視線を四方八方から感じる。その視線の先には勿論兄がいた。羨ましくはない、むしろ同情する。私なら外に出るのが嫌になるレベルの注目度だ。
「よくこんなお店知ってましたね」
「下調べしといたから。悠子ちゃんに気に入って貰えたみたいで良かった」
そんな風に言われるとますますデートみたいで困る。私はさりげなく話題を逸らした。
「そういえばさっきのカメラ格好良かったですね。いつ買ったんですか?」
「あぁ、あれは前に父さんに貰ったヤツなんだ」
「だからあんなに本格的だったんですね。私が持ってるデジカメよりレンズも大きいですし高級感がありました」
「ずっと使う機会がなくてお蔵入りしてたんだけどね。これからは出番が増えるかもね」
それは私を撮るという意味なのか?自意識過剰みたいに聞こえるから言わないけどひしひしとそんな予感がした。
「前に悠子ちゃんが父さんと海に出掛けた時の写真を見た時も独り占めしてずるいな、って思ったんだ。知ってる?父さん、それ葉書にして俺に送ってきたんだよ」
「えぇ!?わざわざ、年賀状でもないのに?」
よく子供が産まれると年賀状に赤ちゃんの写真を送る人がいるけどその感覚で作ったのかな。
にしても中学生の娘の私としては照れくさい気持ちが先立つ。
「そう、海辺で貝殻拾ってる写真。あの時髪解いてたよね、何で?」
そんなことよく覚えてるな。しょうもない理由だからあまり言いたくないのだが。
「それは言わなきゃ駄目ですか?」
「ダメです」
来たよ、笑顔で顔近づけて言うことじゃない。離れて欲しい一心で私は真実を口にした。
「海に行く時、車の中でえびせん食べてたんですよ。でも途中で食べ飽きちゃって捨てるのも勿体ないから髪ゴムで袋の口を縛っておいたんです」
「本当にそれだけ?父さんが解いたとかじゃないよね?」
「どういう状況ですか、それ。こんな事で嘘つきませんよ。ああいうお出かけの時にハサミとか輪ゴムって意外と必要になったりするんですよねぇ」
「なら、良かった。悠子ちゃんは若いのに言う事が主婦の知恵っぽくてそういう所俺好きだな」
耳、塞いでれば良かった。好きだな、とか軽く言わないで欲しい。
「そうですか……」
褒め殺しに少しずつ慣れて来たつもりだったけど、無の境地って難しい。
「悠子ちゃん結構父さんと仲良いよね。服も貰ってるみたいだし。父さんも男なんだから警戒しなきゃ」
「はぁ」
何言ってるんだこの人は。自分の父親相手に失礼過ぎるんじゃないだろうか。
「今日してる俺のマフラーは悠子ちゃんにあげるね。悠子ちゃんの服をコーディネートする権利は俺が貰ったから他の人にいじらせちゃダメだよ。解ったね?」
「はい……」
矛盾、してる気がするけど突っ込んだら負けなんだろう。兄のいう事はレベルが違い過ぎて理解したくなかった。
注文していたガレットが来て私は興奮していた。テレビでは見たことあるけど食べるのは始めてだ。ガレットの生地の真ん中から半熟卵と熱々のチーズが顔を覗かせている。お、おいしそう!!
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
兄はガレットに釘付けの私を楽しそうに見ていたがそれ所じゃない。予想以上の美味しさに舌鼓を打ちながらハッと思いついた。コレ、家で作れるんじゃないだろうか、と。
「確か、ガレットってそば粉で出来てるんですよね」
「そうだね、どんな風に作るかまでは俺も知らないけど」
「たぶんクレープと同じ要領で作ると思うんですよね。今度ウチで作ってみようかな」
「それはいいね、じゃぁ俺のも味の参考に食べてみてよ」
フォークにガレットを乗せて「あ~ん」と私に口を開けさせようとするので断固拒否した。風邪の時は弱ってたし、家の中だから渋々食べたけど外では絶対しない。
だから兄がしゅんとした表情を見せても私は決して譲らなかった。でも味見はしたかったので兄からフォークごと奪って食べさせて貰った。うむ、うまい。
「悠子ちゃん冷たい」
「冷たくないです。はい、私のも分けてあげますから」
私が食べているガレットを切って兄のフォーク乗せてあげた。
すると兄は自分の口を指さして入れてくれと催促する。無理矢理フォークを受け取らせようとしても受け取って貰えない。
三分は戦ったと思う。私は仕方なく兄の口に素早くフォークを突っ込んだ。
「な、なんでそこまでして」
「ごちそうさま」
兄は嫣然と微笑んで形のいい薄い唇を舐める。その色気のある仕草に私は目を伏せた。妹相手にこの人は何をしたいんだ。自分がどれだけ影響力のある人間か解っているのにこれだから、振り回されてばかりの私は何だか悔しい気持ちになる。
「ちょっとお手洗いに行ってきますね」
私は鞄を持ってサササと席を立った。常識人の私には公開羞恥プレイは堪らないのです。トイレで少し気持ちを落ち着かせよう。
用を足した後、鏡の前に立って私はため息を吐いた。
赤面症になったら兄の所為だ。
ハンカチで手を拭いて自分の席に向かうと不思議な事が起こっていた。
(あれ?私席間違えたかな)
私の座っていた席に誰か座っている?髪の長さからして女性だろう。近づくとその席の前には兄の姿があって記憶違いではないことが解った。
席の横まで行くと私の存在に気付いた女性がキッと私を睨んだ。相手はよく見なくてもアイドル並の美女だった。
「あなただれ?」
それは私のセリフですが。
私の席に勝手に座る非常識な美女に対して、私が嫌悪感を抱くのは当然の話だった。




