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妹ですみません  作者: 九重 木春
-ひとつ屋根の下にて-
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2 兄の安寧

 「ありがとうございましたー」


 店員に渡された紙袋を手に俺は百貨店を出た。

 日が暮れる前には帰宅できそうだ。

 

 クリスマスプレゼントとして父には革のベルト、義母にはカシミヤのストール、義妹にはシュシュとヘアピンを購入した。十七年間生きてきて、家族にプレゼントを用意したのは初めての経験だった。雑誌やネットを参考に吟味した結果、この贈り物に辿りついた。

 素早く電車に乗り込み手にしたプレゼント達を見下ろす。家が一駅ずつ近くなるごとに心が浮足立った。毎年憂欝だったクリスマスがまるで嘘のようだ。


 七年前のクリスマスには考えられなかった。

 俺は自分の意思で実家に戻る事も、父親を許せる日も一生来ないと思っていたのだ。




 ―七年前―


 「父さん、帰って来ませんね」

 チキンにケーキに炎が揺れるクリスマスキャンドル、その光の向こうに座る女性は父の不在を気にした様子もなく、微笑んだ。俺はその思わせぶりな笑みに寒気を覚えた。ブルブルと携帯電話が震え画面を覗くとそれは父からのメールだった。


 『今年中には帰れそうにない。瞳さんにもそう伝えてくれ』


 俺は唇を噛み締め、無言で携帯電話を閉じた。

 なんでこのメールを自分の妻に送らず、俺に嫌な役を押し付けるんだよ。謝罪ひとつない無神経な内容に溜息を吐いた。


 「正輝さんから?」

 「はい、帰って来るのは来年になるそうです」


 「いいのよ。じゃぁ、はじめましょうか和泉君。メリークリスマス」

 「……メリークリスマス」

 差し向けられたグラスを無視する訳にもいかず、自分のグラスを渋々持ちあげた。何でこんな茶番に付き合わされなければならないんだ……。カツンとぶつかるグラスの音が嫌に大きく聞こえた。


 瞳さんは俺の三番目の母親だ。

 俺を産んだ女性は俺が二歳の時に浮気がバレて離婚。

 その後、すぐに結婚した女性は父が強い束縛に堪えられなくなり、三年間の結婚生活に終止符を打った。

 その又、三年後に結婚したのが今の義母、瞳さんだった。最初は家政婦として雇っていた女性の為、家事は万能でたおやかな人だった。父より九歳下の二十四歳、容貌も母と言うよりは姉に近かった。常に笑顔で感情の起伏がない義母が俺は嫌いだった。

 今の義母だけじゃない。前のヒステリー持ちの義母も、歳の近い従姉妹も、隣に住むクラスメートも担任の教師も、女性であれば皆嫌いだった。


 俺は十歳にして悟っていた。女性に関わると碌な目に遭わない。

 それもこれも全て恵まれ過ぎた容姿のせいだった。


 長過ぎる睫毛に、さらさらの亜麻色の髪、小作りな顔に白魚に喩えられてしまうような肌。ロシア人だった祖母と駆け出し女優だった母、モデル体型の父親の血が混ざった結果だった。


 抵抗手段のない幼少時代は常時怯えながら暮らしていた。狙われ、傷付けられ、攫われ、助け出されたと思えば新しい捕食者(おんなのターゲットにされる繰り返しの毎日。外でも家でも周囲では争いが堪えず生きる楽しみも知らなかった。自分を守るだけで精一杯だった。


 三番目の母親は喚き散らしこそしなかったが、俺とコミュニケーションを積極的に取ろうとするひとで鬱陶しかった。父がもっと家にいる人だったら違ったのかもしれないが、フリーカメラマンの父は海外で活動することが多く、今日も日本にはいない。必然的に義母と二人きりのクリスマスを過ごす事になり俺は黙々と食事を腹に詰め込んだ。


 早く部屋に戻りたい、その一心で夕飯を食べ切り俺は自室のベットに倒れ込んだ。


 食事中、「おいしい?」と聞かれて頷いた食事の味は解らなかった。義母は嬉しそうに赤い唇を塗った唇の端を持ち上げた。瞬間、吐き気が襲ったが強引に飲み込んだ。部屋に戻っても吐き気は治まらずひたすら堪えていると部屋の扉が開いた。


 重い頭を持ち上げて横目に映ったのは、ネグリジェを着た義母の姿だった。


 「来るな!!」

 咄嗟に叫んでいた。サッと血の気が引いて警戒音が頭に鳴り響く。義母は俺の言葉を無視してベットの隅に座った。


 「お父さんがいなくて寂しいでしょう?一緒に寝ましょうね」

 頬に伸びて来た義母の手を振り払い逃げようと立ち上がる。吐き気と立ちくらみが同時に襲い、視界が揺れた。義母はその隙をついて俺をベットに押し付けた。


 「私が和泉君の傍にいるわ。だからどこにも行かなくていいのよ。私と一緒に夜を過ごしましょう」

 嫣然と笑った義母は紛れもなく《女》の顔をしていた。膝で思いきり女の腹を蹴り上げて、俺は家から飛び出した。冬空の下、コートも羽織らず家を出た為凍えるように寒かったが家に戻る気にはなれなかった。家から離れた場所で腹の中の物を全て吐き出した後、重い脚で向かったのは交番だった。交番で電話を借りて父親に電話を掛け、あった事を全て父に話した。恨みつらみを全て父にぶつけた。



 「あんたは俺の面倒を見させる為にあの女と結婚したのかもしれないけど、あんな母親なら居ない方が良かった。俺は親父が連れて来た母親に感謝なんかしたことないよ。家事の代償として体を求められる位なら死んだ方がマシだ。でも何より俺が憎いのは親父、あんただよ。俺を最悪の環境下に置いて、都合のいい時だけ父親面して帰って来て碌でもないあばずれを俺に押し付けていくんだからな。あんたが好きな写真を撮ってキレイな世界に浸っている間、俺が何をされてると思う?俺の世界はあんたと違って醜く汚いもので埋め尽くされてるよ。希望なんか何処にもない。俺はもう目も開けていたくないんだ」


 俺は言いたい事を言うだけ言って電話を切った。その後、以前お世話になった児童相談所で保護してもらい、父が帰ってくるまでそこで過ごした。


 それから年が明ける頃、父と義母は離婚した。だがいつ父が懲りずに新しい女を連れてくるとも限らない。だから俺は進学先に寮のある男子校を選んだ。反対されたら死んでも良かった。この家にいたら生きている事さえ後悔するに決まっているのだから。






 あの忌まわしいクリスマスから早七年が過ぎようとしていた。

 今思うと悠子ちゃんの存在は俺にとって奇跡だった。俺の女性に対する認識を塗り替えたはじめての女の子だった。


 初対面の時、挨拶をした義妹が思いきり頭を下げて落とした眼鏡。


 彼女は自分の失態に固まり、顔を上げられずにいた。俺にはすぐその困惑と焦りが伝わり、拾わなくてもいい眼鏡を俺は手にしていた。彼女が気負わなくていいように笑って、その感情の現れる小さく可愛らしい耳に眼鏡を掛けた。女性に触れると蕁麻疹が出ると解っていても、その手を引っ込める気にはなれなかった。拒絶反応が現れても彼女に触れたい、と思った。


 しかし俺の予想に反して、自分の体に異常は現れなかった。

 おかしい、と思った俺はそれから何度も確かめるように妹に触れた。小さく柔らかな庇護欲をそそる体。触れれば触れる程、俺の身体は彼女の肌に馴染んでいった。離れている時間が惜しいと思う程、彼女に魅かれた。


 妹が笑うと自然と笑顔が零れ、彼女の喜びが俺の喜びへと変化していった。

 俺は生きていて良かった、と思えるようになった。

 この世界がキレイだと理解出来るようになった。

 


 「「「メリークリスマス!!」」」


 父親は楽しそうに、母親は穏やかに、悠子ちゃんは恥ずかしそうに俺を玄関で出迎えてくれた。三人は今か今かと俺の帰りを扉の向こう側で待ち伏せていたようだ。前は奥さんと一緒にこんな事をする父親じゃなかったのにな。四番目の母親は父がはじめて自分から好きになった女性だと父は言っていた。恋の力は偉大過ぎる。


 悠子ちゃんの前ではお茶目で頼りがいのある父親を演じる変貌ぶりに俺は少し可笑しくなった。結局は似た者同士なのかもしれない。キレイな世界には、家庭に無関心な夫も女性を毛嫌いする気難しい兄もいらない。理想の父親と理想の兄が必要なのだ。


 「メリークリスマス」


 悠子ちゃんが抜け出せなくなる位、最上の家族になりたい。

 家族に囲まれながら、俺は切にそう願った。



























 

基本和泉は触られない限り、女性の前では猫を被ってます。

それが一番無難な対応だと長年の経験で学んだからです。

だから義母の前では「父さん」で父には「親父」です。


和泉は三度目の再婚でも父親の結婚には反対していません。

面倒だけど義母も義妹も他人という意識があった為です。

当初は一緒に暮らす予定もなかったし、どの道また別れるだろうと高を括っていたので。

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