表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

我が元に

 大粒の雨が降り続ける中,桐生(きりゅう)咲夜(さくや)はまだ茫然と座り込んでいた。涙はもう,だいぶ前に枯れていた。だが未だに深い自己嫌悪に襲われたままだ。殺人を止められなかった自己嫌悪とは違う,どん底の自己嫌悪だ。


 私の一部が人を殺めていた


 全身を獣に牙で深くえぐられるような思いに苦しむ。そして,果てのないような暗闇に沈んでしまう。どこまでも暗く,暗く,暗く……。

そこに,一条の光が差し込まれた。

『咲夜。』

咲夜はゆっくりと声の主を見る。声の主はランプを2人の間に置く。お互いの顔に,ぼんやりと明かりが照った。

『リクト…!』

今まで気が抜けていて身体に力が入らなかったのだが,咲夜は自分でも驚くほど早く立ち上がった。

『リクト,マイトブルーンは――』

リクト・フォルクスは咲夜が言い終わる前に,強く抱き締めた。離すまいとして,想いを込めて。

『あとで話してくれればいい。今はとりあえず落ち着け。俺はお前のそんな表情(かお)を見たくない。』

相変わらずな命令口調。だが,深い優しさが込められていた。咲夜はリクトのことを散々言っていたのに,甘え,すがっていた。

 徐々に雨はやみ,次第に日が昇り始めた。木々の葉についた雨の露が煌めく。夜明けだ。

『咲夜,大丈夫か?』

この問い掛けに返ってきたのは,規則的な寝息であった。

(どおりで,さっきからやけにすがってくるわけだ。)

抱きつきながら眠ってしまった咲夜を,リクトは横抱きにする。そして,テントに戻った。

 テントに戻ると,スパン・ルジルフとウェルナ・アルキーがどうにかしてたき火を焚いていた。

『ご無事でなによりです。咲夜様,いかがなされたのでしょうか?』

『ひどくショックを受けたらしい。今は眠っているだけだ。ウェルナ,着替えさせてやれ。』

『はい。』

リクトは咲夜をテントに入れ,それからたき火で温まる。雨でびしょぬれになった服が,徐々に乾いていく。

『リクト様はお着替えなさらなくてよろしいのですか?御身体に差し障ると良くないですよ。』

『俺は大丈夫だ。朝食を摂ったら即出発する。咲夜が目を覚まさなくても。』

スパンはうなずき,手馴れたように朝食(パン,干した牛肉,リンゴ)を用意した。

 朝食も済み,テントを片付けて出発となった。咲夜はまだ目を覚ましていなかったのでスパンに同乗させ,咲夜が選んだ馬・フェイにはついてくるようにした。雨でぬかるんだ地に足をとられないよう,注意深く進む。

 昼過ぎ。ムシャルゲ国に到着した。咲夜がまだ目を覚ましていなかったので,リクトだけが謁見し,3人は客間で待機することにした。

 謁見の間でムシャルゲ国の女王に拝謁したリクト。女王は卑しい雰囲気が無く,人を安心させるようなオーラが出ている人であった。

『ムシャルゲ国にようこそ。どうぞ気楽になさってくださいませ。』

まだ20代と若い女王は,にこやかに話し掛けた。モーデ国といい,ラテンカ国といい。腹黒い人に会ってきたから,とても澄んだ気持ちになる。

『こちらにいらしたということは,まだマイトブルーンを捕まえていないのでしょう。』

『お察しの通りです,あと一歩のところまで詰め寄ってはいるのですが……。』

『神出鬼没と云われている人を捕まえるのは至難ですわ。徐々に追い詰めればよいでしょう。』

心中を察して,穏やかに優しく声をかける女王。

『ところで,‘対なる御子’たるお方をお呼びになったのかしら?』

リクトは目を伏せる,咲夜のあの状態が心配なのだ。

『呼びました。ただ,何か強いショックを受けたようで,今は眠っております。』

『薬師は必要かしら?』

『いえ,きっと大丈夫だと思います。』

『そう。何か必要なものがあれば,なんなりと申し付けなさい。出来る限りお手伝いしましょう。まずは少し,お休み下さい。』

『はい。お心遣い,痛み入ります。』

リクトは深々と頭を下げ,退室した。

 客間では。咲夜はベッドで眠り,2人は紅茶を飲みつつリクトを待っていた。

『咲夜様,なかなか目を覚ましませんね。大丈夫なのでしょうか?』

『心配性ですね,スパン様は。咲夜はあれほどのテニスの腕前を持っています。精神力は人並み以上でしょう。大丈夫ですよ。』

ウェルナは強く返す。それだけ咲夜を信じているのだ。だが,イマイチ安心しきれないスパン。そこにリクトが入室してきた。

『お疲れ様です。紅茶を御飲みになりますか?』

『ああ,くれ。』

スパンが淹れた紅茶の湯気を見つつ,この先を考えるリクト。マイトブルーンの囮として咲夜とリクトがこの国にいる以上,マイトブルーンが出没するかもしれない。そのことが頭の中によぎる。

『スパン,ウェルナ。2人別行動で国中を歩け。マイトブルーンらしき人物がいるかどうか見て来い。夕方には戻ること。いいな。』

『かしこまりました。』

2人はリクトの命令に従って退室した。リクトは再び考えにふける。

(マイトブルーンは――咲夜はそのあとなにを言おうとしたのだろうか。)

リクトは咲夜が眠っているベッドのふちに座る。

『リクト?』

か細い声で,咲夜は彼を呼んだ。

『ごめん。起こしたか?』

『ううん。リクトが来た感じがしたから…。』

ゆっくり起き上がり,リクトを見つめる。その目はうつろであった。生き生きとした瞳ではない。

『ここ,どこ?』

『ムシャルゲ国の王城だ。ずっと眠っていたんだよ,咲夜は。気分はどうだ?落ち着いたか?』

『少しは。』

ベッドから出て,リクトの横に座る。2人の間に沈黙が流れる。だがそれを,リクトはなるべく優しい声で壊した。

『夜明け前,テントから抜け出してから何があったのか話してくれるか?』

咲夜は少しビクッとしたが,両手をぎゅっと握ってうなずいた。それから,夜明け前の出来事を語り出した。何かに誘われてテントを抜け出したこと。歩いているうちに聞き覚えのある啜り泣く声が聞こえてきたこと。その啜り泣き声の主はマイトブルーンであったこと。そして,マイトブルーンの正体は咲夜の寂しい感情の化身であること。それら全てを,とうとうと語った。

『寂しい感情の化身か。奴が咲夜の一部というのは納得出来るな。髪型を変えたばかりなのに同じだったのも,うなずける。』

リクトは咲夜の肩を抱いて寄せ,そっと頭を撫でた。

『辛かっただろ。今はひとまず落ち着いて忘れろ。この先のことは,また夜にでも考えるから。』

とても優しい声。枯れたはずの涙が再び溢れ出した。

 夕方,スパンとウェルナが帰ってきた。リクトは咲夜が語ったことを伝え,まずは3人で話し合った。

『感情の化身なんて。実体として存在しそうにもないことですが……。』

『人の感情は計り知れない。何をしでかすか分からないものだ。強い感情が実体化してもおかしくないだろう。』

『咲夜の感情は起伏が激しいから,そう言えますね。それでリクト様,この先はいかがなさるおつもりですか?』

リクトはウェルナに頭を振って見せ,ため息をついた。

『相手は咲夜の感情の1つだ。矢で射ることはおろか,何一つ出来ないだろう。全ては咲夜次第だ。』

2人はうなだれる。もう何も手を貸すことは出来ない。

 夕食が済んだあと,今度は4人で話し合った。話し合うといっても、3人で話し合ったことを咲夜に伝える程度であるが。

『全て私次第。』

自分の口から言ったことなのにも関わらず,重くのしかかった感じがした。

『しかし,奴が出来るほどのことがあったのか?』

『あったよ。両親が死んだとき,凄く寂しくて。しかも,誰も頼りに出来なかったから余計に寂しくて。だったら寂しい感情なんてどこかに行けばいいって思っていたの。次第に寂しさは感じなくなったわ。どこかに置いてきたみたいに。ううん。みたいにじゃない。実際に置いてきたのよ。だからマイトブルーンが出来てしまったのよね。私が9人も殺して…!!』

手で顔を覆う。実際に自分で手を下したわけではない。それでも,避けられない事実であることには変わらない。自分が恐ろしくなる。

『死んだ人はどうやっても生き返らない。悔いているのなら奴を止め,死んだ人の分も生き抜くことだ。それはそうと,事の発端は両親の死か。俺も咲夜のようになりうる可能性もあったんだな。』

リクト自身にもマイトブルーンのような人を実体化させてしまう場合もあったのだ。それを思って,少し身震いする。だが,すぐに考えをめぐらせた。そしてすぐに,はじかれたように立ち上がる。3人は驚く。

『い,いかがなさいました?』

『少し待て。』

自分の荷から犠牲者名簿を出して,目を通す。次第に苦々しい表情になる。

『迂闊だった。もっと早く気付くべきだったよ。』

リクトは3人にも犠牲者名簿を見せ,指で示す。

『モーデ国王以外,犠牲者は皆肉親を亡くしている。奴は,マイトブルーンは咲夜と同じように寂しさに暮れる人を,寂しさから開放しようとしたのかもしれない…!!』

リクトの推論に、3人は何も言えなかった。それがまさに,事実のように感じるのだ。

『ただ,モーデ国王がどうして殺されたかが分かりませんよね。肉親を亡くしたわけではないし……。』

『嫌だったから。』

咲夜がぽつりと言った。3人の視線が咲夜に向けられる。

『だって,あんな国王に連れて行かれるのは汚らわしくて。怖くて。だから,それを読み取ったマイトブルーンが手を下したのよ。きっと,そうだと思う。』

咲夜はあの時,犯されたくない思いでいた。だから咲夜の一部であるマイトブルーン自身も犯されたくなかったのだろう。‘汚れたらたまらない’と言っていたのだから。

『とにかく。』

リクトは咳払いをして,話を改める。

『モーデ国王はそういうこととして,他の犠牲者8名は寂しさから開放されたんだな。開放という名の‘死’か。あ…。』

リクトは熱を入れて語ったことを後悔した。咲夜がしょげているのだ。

『ごめん。走り過ぎた。』

『ううん。私も,リクトの言う通りのような気がするから。』

言ってから再びうつむく。だが,すぐに顔を上げた。何かを感じている表情を浮かべている。

『来る…!!』

咲夜はベランダに出る。満月と無数の星が見下ろす中,待った。

『マイトブルーンが来るのか?』

リクトの問い掛けに,強くうなずく。そして,心の中で‘戻っておいで’と強く語り掛けた。

強い,強い語りかけ。相手の心に響くような。相手の心を引き付けて離さないような。

それは,届けられた。マイトブルーンがストンッと軽い音をたててベランダに降り立った。その姿はうっすらと透けている。それは,少しずつ咲夜に寂しい感情が戻ってきている証拠であった。

『やっと,どういうことか分かったみたいね。』

『いいえ。推測でしかないわ。マイトブルーン,私の寂しい感情,どうして人を殺したの?』

『咲夜のためよ。』

毅然として答えるマイトブルーン。つい逆上しそうになったが,咲夜はくいとどまった。

『どうして私のためになるの?』

『モーデ国王を殺したのは,犯されるのが嫌だからに決まっているでしょ。私はあなたの一部。あなたが犯されれば私も犯されてしまう。だから奴を殺した。それだけは私自身のためと言えるわね。他の人は全て,咲夜のためよ。寂しさなんていらないと言っていたでしょう。だから咲夜と同じように寂しがっている人を殺したのよ。そうすれば,寂しさは無くなるもの。』

リクトの推論は当たっていた。咲夜はうなだれる。

両親を亡くして寂しく,独りで生活して寂しく……。

その結果として生まれたマイトブルーンの存在と行為。

全て自分の責。止めなくてはならない。

『寂しさが無くなるわけがない。殺された人の親しい人が寂しくなるもの。あなたの行為は堂々巡りよ。マイトブルーン。いえ。私の寂しい感情。もう,私の中に戻って。』

『捨てたくせに何を言うのよ!』

透ける姿であっても,強く反抗する。それだけ咲夜は強く,寂しさを感じていたのだ。

『寂しさが無くなればいいと散々思っていたわ。でも,人間には必要なものよ。喜怒哀楽というでしょ。‘哀’には寂しさも含まれているの。あなたも大切な一部よ。捨てたことは,本当にごめんなさい。戻ってきて。』

『戻ったら完全に寂しさを感じることになるわよ。辛いのは承知でしょ。』

咲夜の胸に,寂しさの辛さが蘇る。でも,逃げてばかりではダメなのだ。咲夜は強くなろうと思った。心を強く。寂しくても,それを乗り越えられるような強さを持とうと。

『辛いわよ。分かっているわ,それは十分に。でも,人が死ぬのはもっと嫌なの。たとえ知らない人でも。だからあなたの行為は許せない。それに,あなたはもともと私の一部。私の中に戻ってくるべきなのよ。戻ってきて。』

咲夜は自分の一部(マイトブルーン)に手を差し出す。

これが咲夜の答えであった。自分でしか解決出来ないことと言われ,短い時間の中で考え抜いた答えだ。

それには,咲夜の生命(いのち)に対する思いが含まれていた。

マイトブルーンは黙って咲夜を見つめた。咲夜は目を離さずに見つめ返す。それが約1分間続いた。それは,まるで折伏のようで。咲夜からマイトブルーンへの,自分自身への折伏。そしてついに。マイトブルーンは咲夜の手をとった。

『ただいま。』

『お帰りなさい。』

挨拶が終わると,マイトブルーンはきらきらと光る粉となって消えた。

 無事,約2ヶ月前に捨ててしまった一部が帰ってきた。咲夜はよほどのことに力尽き,倒れてしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ