暗雲
親交の深い国・コスタリカに到着したのは、ホークリア国を出て10日目だった。桐生咲夜は安堵のため息を漏らす。初めての乗馬の旅,初めての野宿は身にこたえた。これで,少なくとも1日は綺麗な部屋で寝られる。
一同はまず、王城の裏門に行き,門兵に声を掛けた。
『私はリクト・フォルクスと申します。内々の事で参りました。謁見を願いたい。』
『恐縮でございますが,ホークリア国の王子・リクト様でいらっしゃいますか?』
『そうだ。謁見させてくれるだろう?』
リクトの少し威厳のある声に対して,門兵は恭しく頭を下げる。
『今すぐご案内を致します。どうぞ,こちらへ。』
門兵は失礼のないように4人を通し,謁見の間に案内した。
『こちらでお待ち下さいませ。』
『ご苦労。最後に言わせてもらうが,私が来たことを口外するな。よいか?』
『仰せの通りに致します。』
咲夜は改めてリクトが王子であると思った。言葉だけでなく,振舞い方や威厳がしっかりとしているのだ。
それから20分後,コスタリカ国の女王が入室してきた。女王が位に就いて14年。貫禄がある。高齢ということもあるが。
『久しいのう,リクトや。おぉ,そこの娘がそなたの‘対なる御子’かや?綺麗じゃな。して,如何様で参ったのじゃ?』
年齢のわりに,凛とした声。さすが政を担う女性は強い。
『マイトブルーンのことです。なにか知っていらっしゃることがあれば,聞かせて頂けませんか?』
『マイトブルーンのことなら,我が息子に聞きゃ。』
そう言うと女王はベルを鳴らした。すると,ダークグレイの髪にグリーンの瞳の青年が入室してきた。
『リクトは会ったことがあるかの。息子のダルクじゃ。マイトブルーンについて知りたいのじゃと。教えておやり。』
女王は執務室に下がり,謁見の間は5人のみとなった。
『やはり評議会に従ったのだな。』
ダルクの開口1番これであった。言った内容は,咲夜以外の人にしか分からなかった。
『拒否出来る論がありません。あそこまで言われてしまうと。あ,紹介します。』
『ああ,しなくていい。悪いが調べさせてもらった。情報を集めるのが仕事なんでね。』
リクトに笑って見せる。人は悪く無さそうだ。どちらかと言うと,人気を集めるタイプだろう。そのような印象を見せるダルクは咲夜に顔を向けた。
『君がリクトの‘対なる御子’だね。私はダルク・ケイティー。』
『お初にお目にかかります。桐生咲夜と申します。』
『形式張らなくても良い。堅苦しいのは嫌いだ。それよりリクト,情報を見せよう。』
ダルクは書類をリクトに渡す。
『来ると思って,情報をまとめておいたんだよ。』
『お心遣い,ありがとうございます。』
リクトは熱心に読み出す。咲夜,スパン・ルジルフ,ウェルナ・アルキーは蚊帳の外と
なってしまう。
そのとき,咲夜の身体になにかが走った。身を縮める。
『いかがなされました?』
咲夜はスパンに答えられなかった。冷や汗が流れる。
(胸がざわつく。)
『咲夜様,お気分でも悪いと?』
咲夜は首を振る。熱心に書類を読んでいたリクトも顔を上げる。
『咲夜,どうした?』
『気分が悪くないとしてもおかしい。医者を連れてこよう。』
『いえ。その必要はありません。』
咲夜は息が荒いながらも返事をした。
(この妙な感じはなに?)
奇妙な感覚がまるで血液のように,全身を駆け巡る。もう目を開けていられなくなった。咲夜はぎゅっと目をつぶる。すると,ある情景が浮かび上がった。
(あれは時計台。それから…!!)
ばっと目を開き,ダルクを見る。
『ダルクさん,この国に時計台ってありますか?』
『時計台?南の広場にあるが。』
『リクト,行くよ。』
突然の行動に周囲の人は驚く。
『説明している暇はないの。早く!』
咲夜は無礼を承知で退室し,走った。来た道を逆にたどり,王城外へ出る。
『南の広場はどっち?』
『左に曲がって真っ直ぐでしてよ。』
『分かっ…』。
頭上からの,冷たい声。嘲るような声。咲夜は半分しか返すことが出来なかった。声に聞き覚えがあったからだ。
『マイトブルーン…。』
『ハァ〜イ。』
嫌味ったらしく答えて地面に降り立つマイトブルーン。相変わらず頭から足先までマントで覆っていた。そのマントには血が……。
『なんで南の広場へ行こうとしたのよ?』
『あなたには関係ない。』
そう答えつつも,‘時計台の上にマイトブルーンが立っていたのが見えたから…’と口の中でつぶやいた。
『冷たい言い方。まぁ,構わなくてよ。私は帰るから。』
『待って!』
『急いでいるんでしょ?急いでも無理だけど。』
なにかをほのめかすようなマイトブルーン。咲夜は止まってしまう。
『ごきげんよう。』
薄笑いを咲夜に向け,消えるマイトブルーン。その一瞬遅れで,マイトブルーンが立っていた所に矢が刺さる。
『外してしまったか…!』
悔しがるウェルナ。矢を放ったのはウェルナであった。
『咲夜様,南の広場へ行きますか?』
『行かない。もう助からないから。』
『助からない?どういうことだ?』
『リクト,話すのはあとにしよう。ここだとまずい。』
ダルクは4人を自分の執務室に案内した。
ダルクの執務室のソファーに座る5人。召使いが運んできた紅茶を飲み,気を和らげる。
『落ち着いたら説明してくれ。』
リクトにうなずいて見せ,口を開いた。先程身体に奇妙な感じが走ったこと,そして目を閉じたらある情景が浮かんだことを話した。
『時計台の上に奴がいたのを見たから,南の広場へ行こうとしたのか。』
『そう。でも手遅れだった。』
『手遅れ?なにがだ?さっきは助からないと言ってたが……。』
ダルクに問われた咲夜は,すぐにでも泣き出してしまいそうな表情であった。
『さっき,‘もう助からない’って言ったでしょ。マイトブルーンは誰かを殺したのよ。』
咲夜が目を閉じたとき見た情景とはこうである。‘時計台の上に立ったマイトブルーン。そしてマイトブルーンのマントには鮮血。手にはナイフを。’だ。
『‘急いでも無理’とマイトブルーンは言った。それは,‘急いでももう死んでいるから,行っても意味がない’ってことだったのよ。』
とうとう泣き出す咲夜。隣に座っていたウェルナはそっと肩を抱き,ポンポンと軽く叩いて落ち着かせる。ドアがノックされ,ダルクの執事が書類を持って入室してきた。
『ダルク様,これを。』
『ありがとう。下がっておれ。』
ダルクは受け取った書類に目を走らせる。それには南の広場にマイトブルーンが来たこと,犠牲者は3名だということ等が書かれていた。
『咲夜さんが言っていたことは当たりだ。犠牲者は3名。即死だそうだ。』
『急いでも無理,まさにそうですね。』
『リクトの言う通りだ。さて、淑女方にはお部屋で休んでいただこう。』
ダルクはベルを鳴らす。すると先程の執事が入室してきた。
『淑女方を部屋に案内してくれ。』
『かしこまりました。』
執事は咲夜とウェルナの荷を持ち,2人を連れて退室した。それをしっかりと確認してから,ダルクはリクトに向いた。
『やはりマイトブルーンは彼女に関係があるようだな。』
『そのようですね。咲夜にとって辛いでしょうが。』
『辛くても立ち向かってもらわねばならん。』
きっぱりと断言するダルク。
『殺人を止められなくて泣いた子だ。リクトが心配しなくても,うまくやれると思うぞ。』
リクトはうなずく。だが頭の中では,‘うまくいけばよいが…’と不安が漂っていた。
次の日の早朝、4人はコスタリカ国を出た。再び馬に揺られての旅だ。
『次はモーデという国に行く。多分明後日には着くだろう。大丈夫か?』
『一応。』
‘本当は大丈夫じゃない’と口の中で答えた咲夜。咲夜は自己嫌悪にかられているのだ。殺人を止められなかったことに対して。
2日後,リクトの予定通りモーデ国にたどり着いた。どこか陰鬱で活気がない。なんとなく,風俗店街迷い込んだような気が咲夜はした。
『王の元には俺とスパンで行く。咲夜とウェルナはこの宿にいろ。一歩も出るな。』
咲夜とウェルナは宿に入った。宿と言ってもピンからキリまである。ここの宿は最上級に値するだろう。部屋を地球の言葉に置き換えれば,スイートルームといったところだ。2人はまず汗を流し,ソファーに座った。
『お疲れ。どうぞ。』
『ありがとう。』
瓶(水)を受け取り,ラッパ飲みする。いくら最上級の宿といっても,行儀に構っていられるほどの余裕はない。ウェルナも同様だった。
『ここの国ってあまり明るくないわね。なんだか気味悪い。』
咲夜が何気なく言ったことに、ウェルナは少し悲しい表情をした。少しきまりが悪くなる咲夜。
『ごめん。嫌な批評よね。』
『いや。なにも知らないから,そう言うのは当然だよ。』
それからウェルナはモーデ国について話し出した。この国・モーデにおいて,女性は男性の付属品としか扱われない。そして,男性はそれをいいことに誰と構わず気に入った女性を連れ込むのだ。国王自ら目をつけた女性を夜の相手にするのである。全く非道であるが。
『だから陰鬱に感じたのね。ここの女性はかわいそうだわ。』
咲夜がいた日本ではお金欲しさに身体を売る,いわゆる援助交際が流行った。それはウリをする女性にとって,自分の欲求のために身体を出したということになる。だが,モーデ国の女性は違う。メリットがないのに身体を出さなければならないのだ。
『ヤな国。同じ人間なのに奴隷扱いして。』
『だからリクト様は咲夜と私を連れて行かなかったんだよ。』
ウェルナの言う通りである。もし4人で行き,王が咲夜かウェルナのどちらかに目をつけてしまったら,大変なことになるからだ。
『とにかくこの宿にいれば安全だから。リクト様たちはきっと夕方にはお帰りに――』
最後まで言い終わらぬうちにドアがノックされた。ウェルナは剣の柄に手を当てつつ,ドアに向かう。
『どちら様でしょう?』
『俺だ。リクトだ。』
ホッと胸をなでおろす2人。ウェルナは2人を入れた。
『いかがなさいました!?』
スパンの額には傷があった。
『俺をかばってくれたんだ。王が杯なんかを投げやがったときに。』
リクトはつっけんどんに言う。相当モーデ国王のあしらい方に腹が立ったのだろう。
『王は取り付く島もなしという感じだったよ。‘この警備の中マイトブルーンなんぞ来ない’ってね。大した自信だ。バカげている。』
毒つくリクト。咲夜はウェルナからモーデ国について聞いたばかりであったから,余計に
モーデ国王が嫌な奴だと感じた。
『なにも情報が得られなかったのですね?』
スパンの手当てを終えたウェルナが問う。リクトはうなずく。
『明朝出発しよう。もうこの国とは関わりたくない。』
後半は切に願うことだ。
その日の夕方,咲夜はぼんやりと窓から夕日を眺めていた。
『疲れましたか?』
スパンが横に来て,微笑みかける。
『そうね。疲れたわ。でも今は休むより,この国から早く出たい。』
スパンは少し驚いたようだが,すぐに咲夜を察した。‘この国の悪いところから逃れたい’ということを。
『明日の朝出発です。疲れをとって備えましょう。』
咲夜は軽くうなずく。とそのとき,表情が急に険しくなった。
『あれ…!!』
スパンは咲夜が指している方を見る。何かが飛んでいるようだ。
『鳥?』
『違う。きっと……。リクト,行くよ!』
咲夜は身を翻して叫び,そのまま走って部屋から出て通りに出る。
『咲夜,待て!』
うしろからリクトがきつい声で呼び止める。だが,咲夜は止まらず夕日に向かって走った。
咲夜はとりあえず走った。窓から見たあれに会うまで。
(あれはきっとマイトブルーンだ!)
ところが,走りは中断された。向かいから大きな馬車が走ってきたからだ。咲夜は轢かれてはいけないと,はじに避けて通り過ぎるのを待つ。
(急いでいるのに!)
心の中だけで悪態をつく。通り過ぎるのを待っていたが,一向に馬車は通り過ぎない。それどころか,止まって中から人が降りてきた。縦より横の方が広く,頭はピカピカに禿げている。明らかに中年の男。咲夜は知る由もなかったが,実はこの男,モーデ国王であった。
(たぬきジジイ。ったく誰だか知らないけど,さっさとどいてよ。誰か殺されたらどうするつもり!?)
『今宵はこの娘じゃ。』
食用蛙のような,気色悪い声。それに寒気を感じつつも,咲夜は冷静にこの人物が誰なのか当てていた。こんなセリフを吐くのはある人しかいない。そう,目をつけた女性を夜の相手にする王様だ…!
咲夜は寒気をこらえ,勇敢にも立ち向かった。
『王様,お断り致します。』
凛とした,凄みのある声で答えてみせる。しかし,笑いを買っただけであった。
『余にそのように歯向かうとは,ばかな娘じゃ。我に逆らえぬのが分からんのか。ほれ,
さっさと馬車に乗らんかい!』
『嫌です!私はここであなたの相手をしているほど,暇ではございません!!』
全身から沸き起こる嫌悪感によって,叫ぶように言い放つ。そこに,第三者の声がした。
『国王陛下,お止めください。その女性は私の連れです!!』
リクトだ。声を上げての拒否。
『リクトの連れじゃと?構わん。ここは余の国,余が全てなのじゃ。下がっておれ。』
モーデ国王は力ずくで咲夜を引っ張り,馬車に乗せようとした。しかし……!!
スパッ
切れのよい音がして,咲夜を引っ張っていたモーデ国王の右腕が切断された。
『ひっ…!』
スパッ
また切れのよい音がした。今度はモーデ国王の首が落とされた。
凄まじい光景。
咲夜はあまりのことに茫然としてしまうが,腕を掴んで放さないモーデ国王の右腕を振り落とす。
『マイトブルーン!!』
馬車の上に立っているマイトブルーンを指して叫ぶリクト。
『エロじじいが。咲夜を手に出すとは,痴れ者め…!』
『マイトブルーン,あなたが?』
『当たり前でしてよ。咲夜が汚れたらたまらないもの。』
『だとしても殺すなんて……。』
『犯されずに済んだのだから,感謝した方がよろしくてよ。』
茫然としていた頭が,一気に覚める。
『人を殺しておいて,感謝しろですって?どうかしてるわ!!』
『どうかしている?あなたのためにしているのよ。分からなくて?』
『分かるわけない!!』
『考えてみなさいよ。ちょっと!!』
マイトブルーンの視線が咲夜からウェルナに変わった。ウェルナは矢でマイトブルーンを狙っていたのだ。
『私を殺すと,この子も死ぬわよ。それでも良くて?』
『どういうことだ?』
『考えてみなさいよ。フフフフフ。』
疑問を投げつけて消えるマイトブルーン。4人は錯乱しそうだった。しかし,実際に錯乱している人がいた。そう,殺されたモーデ国王の従者だ。
『国王陛下が〜。』
『静かに!!』
リクトがきっぱりと言って黙らせる。幸い通りには咲夜たち以外はいないのだ。モーデ国王の死の真相を嗅ぎつかれることもない。
『国王陛下の亡骸をすぐ,王城へ運べ。もちろんばれぬように。その後は王子にでも頼め。このことは口外するな。よいか!?』
従者はしきりにうなずく。モーデ国王が死んだ今,動転している自分に必要なのは強い命令だったのだろう。
『厄介なことになる前に出国する。』
それから20分後,リクトが命じた通り一同はモーデ国を出国した。
咲夜はまたしても自己嫌悪に陥っていた。殺人を止められなかったからだ。
(また止められなかった。犠牲者は合わせて4人。)
コスタリカ国で見た予兆,モーデ国で発見したマイトブルーン。事が起こるのは分かっていた。それなのに止められなかった。
自分の非力さにうなだれる咲夜であった。