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喧嘩っ早い、頭に血が上りやすいと、自分は他人から良く言われていた。
自身の容姿がヤケに不良っぽい――とはいっても、地毛であるごわごわの茶髪だとか、癖になってしまった細目だとか、無駄に筋肉質だとかいう類のものだが――という理由からか、因縁を付けて来る不良達と殴り合う事が多々あり、その経験故か喧嘩腰はそこそこ強い方だと自負している。
殴り合うのは大好きだ。
だが、他人を傷付けるのはどうも嫌いだ。
拳を振るうという行為は嫌いじゃない。というより割と好きな方だ。が、その行為で他人が傷付くのが妙に気に食わないという、なんとも微妙かつ何処と無く矛盾した性が自分にはあった。
スポーツだったらまだ良い。が、喧嘩だと話は別だ。殴り合っている間は下手をすると我を忘れたように暴れソレに身を委ねるが、その後味が凄く不快だった。
何度か生徒指導を受けては、なるだけ手を出してたまるかと自分を抑えていたが、血が上りやすいせいか、喧嘩を無理矢理売られてしまうと後戻りは出来ない。結局その繰り返しだ。
最初に説明したように、自分は拳を振るうのが好きだ。他人を殴ってしまうという衝動を発散すべく、中学からボクシング部に所属していた。ボクシングはスポーツである為に後味の悪い思いをする事も無い。それ以上に、それなりにボクシングを楽しんでいる自分がいた。
しかし、入部している間も何度か喧嘩をする等の問題を起こしてしまった為か、遂にはボクシング部を退部させられる羽目になってしまった。
それが堪らなく悔しくて、気付けばまた不良達と喧嘩を始めていて、
何度警告しても聞かない問題児というレッテルを貼られ、また気付けば退学していた。
何度この性格を恨んだ事か。何度自分自身を恨んだ事か。
肉体より精神を強くすべきだったのだと今更のように気付いたのも、丁度この頃だった。
普通の生活をしたいとは言わない、というか言えない。どうにか別の方法で衝動を発散出来ないものか、それとも不良達に関わる事も無ければ問題無いかと悩んでいた矢先に、それは起こった。
「……キミさ。“ヴォイド”って魔物と戦う勇気って、ある?」
数人のスーツ姿の男達を引き連れた、さながらRPGゲームから飛び出して来た魔女のような格好をした、真っ白い女。唐突に目の前に現れては、カードのような何かを差し出してきていた。
衝動を発散出来ればそれで良い。自分は疑う事も無く、二つ返事でそれを受け取った。
その時から、日常が大きく変わり始めたのだった。
***
「待ぁちやがれそこのヤロぉぉぉ!」
鬼ごっこ、という遊びがある。
鬼が子を追い掛け、子は鬼から逃げるという遊びである事は、わざわざ説明する必要も無い。
「こなくそッ! たったニ、三発で逃げるとかよォ、襲って来た割にゃ肝っ玉小せえんじゃねーの!?」
日も沈みかけた夕刻、某住宅街にて。
そこで繰り広げられていたのは、鬼ごっことは真逆のものだった。
学校指定の物であろうブレザーを着崩した少年が、両腕に身に付けた赤い手甲状の武器……所謂ガントレットを構えながら追い、熊にも似た紫色の醜悪な異形が、顔を歪めながら少年から逃げている。
異形はただ焦っているだけでなく、何かしらの攻撃を受けたらしい。実際に左頬が歪んでおり、口からは血のように黒い液体が垂れていた。
「あのヤロッ、図体の割に逃げ足速ェ……クッソ、あんまし魔力は使いたか無えんだけどな!」
苦々しく吐き捨てながら、少年は拳を突き出そうとするように、右拳を顔の真横に持ってくる。それが引き金となったのか、その右拳が薄暗い住宅街の中で淡く赤く輝いた。
同時に右腕から広がるように現れる、赤い円形の……さながら魔方陣のような模様。中心には六茫星がゆっくりと回転しており、その輝きを段々と強めていく。
それを横目でちらりと見やりながら、
「頼むから当たってくれよ……!」
『Fire−gun』
少年の呟きの後に響く、この場には不釣り合いな無機質な電子音声。それを聞き終えたとほぼ同時に、少年は右腕を異形に向けて勢い良く突き出す。刹那、いつの間にか魔方陣を取り込んだ右腕を包むガントレットから、バレーボール大の大きさの火球が異形に向けて放たれた。
それは丁度、大砲の筒から砲弾が発射される瞬間に似ていた。
「――――ッ!?」
火球は真っ直ぐ異形の毛むくじゃらの背中目掛けて進み、触れると同時に爆ぜる。大きさの割には威力はあったのか、爆ぜた中心は焼け焦げており、周囲の毛も飛び散った火の粉で燃えていた。
鋭利な歯と歯の幾つもの間から漏れ出す、くぐもった呻き声。だが、異形は攻撃を受けても尚走り続けている。とはいえ体力は底を尽き掛けているのか、その足取りは覚束ない。
「おぉう、図体デカイから当たる当たる」
不敵な笑みを浮かべながら、少年は再び先程と同じ体勢で右腕を構える。彼にとってこの異形は大したこと無いのか、最初こそ若干焦ってはいたものの今は余裕の表情だ。
いつでも倒せる。そう思いながら、右拳の握り加減少しずつ強くしていったその時。
「……おいバカふざっけんな!」
前方でふらついていた異形が、先程以上に必死になって駆け出した。
いきなり必死になったから声を荒らげたのではない。良く目を凝らすと、少年と異形の直線上に小さな人影が見えるのだった。十中八九、異形はその人影を襲う。例え満身創痍であっても、異形は人間を襲い続けるのを少年は知っている。少しの余裕が生んでしまった危機的状況に、少年に焦燥の色が戻って来た。
「ド畜生ッ、間に合えよマジで!」
『Booster,ready――』
少年の急かし気味の怒鳴り声とは対称的に淡々と告げる電子音声。またもやソレが宣言すると、左腕のガントレットの形状が段々と姿を変えていった。
肘から筒状に伸びるように形成されていくのは、さながら補助推進ロケットのようなモノ。完全にその構成を終えると、直ぐ様ソレが赤く発光していく。
少年はふと視線を人影へと向けると、そいつ――シルエットから考えると少女のようだ――は、漸く事の次第に気が付いたらしい。接近を続けている異形から一目散に逃げている。とはいえ捕まるのも時間の問題。急がなければ。
「待ーちーやーがー」
呪詛のように低く呟きながら、腰を低くしつつ右拳を握り締め、
『――Burst』
少年は、
「れえええええ!!」
飛んだ。
……比喩ではなく、さながらロケットのように宙を突っ切りながら、少年は飛んだ。
形状の変化したガントレットに包まれた左肘から炎が吹き出し、その推進力で少年は宙を翔ている。見た限りでは有り得ないような光景だが、少年の身に付けているソレは、そんな有り得ない事を可能としていた。
制服や少年のごわごわの髪が、推進の影響ではためく。その勢いの強さ故か、少年の表情には若干だが苦痛の色も窺えた。しかし、その勢いを緩める事は無い。少年は異形の背中をキツく睨みながら、右拳を作って身体より後ろに持っていく。
『Over drive』
再び右腕から浮かび上がる六茫星。しかしソレは、先程のものより輝きは強く、そして紅い。
やおらガントレットから噴き出す炎。少しずつだったそれは、やがて勢いを強め右腕全体を覆っていく。その勢いの強さに、少年の右頬が熱せられていったが、そんな些細な事を気にする暇も無かった。
気付けばあっという間に縮まった異形との距離。少年は覚束ないながらも、そのまま勢い良く異形へと突っ込み、
「喰ら、え!!」
異形の後頭部を目掛けて、炎の右拳を振り下ろした。
否、振り下ろしたというより……その推進力の勢いで、異形を叩き潰したと表現すべきか。
骨が砕け、肉が弾けた嫌な音。ぐちゃりと、黒い液体が血の如く異形の周囲に、そして少年の身体に飛び散った。
間に合ったと一息ついたほんの束の間。どういう事か異形は未だ、息も絶え絶えではあるが生きていた。というより、顔を潰されていた筈が、その形は先程の物へと段々と再生していた。ギロリと少年を睨む異形の赤い目は、まだ終わりじゃないと少年に警告しているように見える。
ソレを見ても、少年には動揺の色が見えない。むしろ、異形の予想に反し、少年はその顔に不敵な笑みを張り付けていた。
「頑張ってるようだけど、もう殴り合えないっぽいな、残念だけど」
ていうか殴り合ってすらいなかったなと、少年が呟いた刹那。
少年の右拳によって再生を阻害されている異形の頭は、唐突に発火し勢い良く燃え始めた。
それは頭だけではなく、右腕、腹、踵からと破裂するように不規則に発火していく。異形の命を削っていく無慈悲な炎は、段々とその勢いを強めていくだけで留まる事を知らない。
「つまんねえ魔物は――」
腕を引き抜き、その場から後退しながら少年は、
「――消し炭になれよ」
両の腕を振り払った刹那。
「――――!!」
炎は最高潮となったかのように燃え盛り、異形の身体全体を一瞬にして焼き尽くしたのだった。
ごう、と音を立てながら荒々しく揺れる業火。それは永遠に続く事も無く、やおら周囲の酸素を使い果たしたように、その勢いを弱めていった。その最中、真っ黒に焦げた物体となった異形は、燻った煙りを上げながら、地面にめり込んだままピクリとも動かない。呻き声を上げる事も無いまま、異形は炭素の塊となって息絶えていた。
「……あぁーっ。危なかったなーチクショーめ」
「全くだね。私がいなくても良いとか言ってたのは、どちら様だったっけ?」
「……あ?」
嘆息しながら何気無く呟いた独り言は、唐突に何処からともなく放たれた言葉によって、会話として成立していた。
いきなり響いたのは、女性特有の高い声。しかし、少年の前方にてへなへなと腰を降ろしている、先程まで追われていた少女のものではない。
まずその声は、少年の真上から聞こえた。
そしてその声に、少年は嫌という程聞き覚えがあった。
前方にいる少女はギョッとした表情で、少年の真上を凝視していた。少年からすればこれらの事で、その声の主の正体を突き止めたようなものだ。というか突き止めたに違いない。
少年はしかめ面のまま、すぐ真上を見上げながら吐き捨てる。
「だーから、アンタがいなくても片付いたじゃねーか。結果オーライだろーが」
「……いや、一般人を危険に巻き込んでる時点で、結果オーライどころか始末書ものでしょうよ……此処を任せるのは早かったかしらね」
思った通り。少年の真上には、彼にとって不愉快な女性が立っていた。それも“空中”で。
女性は所々に金色の装飾が刻まれている白いローブを身に纏い、RPGゲームで言う魔女が身に付けるような白いトンガリ帽子を被っている。右手にはさながら辞書のような、表紙の白い分厚い本が携えられていた。
魔女のような、という表現には多少語弊がある。事実、彼女はこの世界でいう魔女と呼ばれるような存在だった。
この世界……少なくとも日本では見られないような、腰まで伸びた銀髪が風に揺れている。不敵な笑みを浮かべながら、女性はゆっくりと降下し、アスファルト張りの路面に降り立った。
その笑みが、少年には気に食わない。というか見ているだけで嫌になる。ここまで他人を嫌いになるのも珍しい話かもしれない。生理的に受け付けないという、なんとも理不尽なものだったが。
少年はわざとらしく舌打ちながら、
「……なんの用だよ、シオン」
「キミに用はないよ、達哉。あるのはそこの被害者さん……そこのキミ、大丈夫?」
「え、……えと、はい。大丈夫、です」
まだ恐怖が染み付いているせいか、覚束無い途切れ途切れの口調だったが少女は返答する。買い物帰りだったらしいく、少女の周囲にはじゃがいもやニンジンだとかがアスファルトに転がっていた。少女は漸くソレを気にする余裕が出来たのか、膝を付きながらいそいそとソレ等を広い始める。
シオンと呼ばれた女性はにっこりと笑いながら、少女と一緒に食材を拾いつつ、
「ごめんね、こんな酷い目に合わせちゃって。怪我は……無いかな。家まで送ろうか?」
「あ……大丈夫です。自宅はそこだから、すぐに帰れます」
「本当? 良かった。気を付けて帰ってね」
「……はい。ありがとうございました」
散らばっていた物を拾いつつ早口で返答していった少女は、最後にシオンが持っていたタマネギを受け取ったと同時に、早くその場から離れたいのか急いで立ち上がる。シオンのまだ話があると言わんばかりの様子を尻目に、素早く二人に向かって頭を下げた後、少女は買い物袋を抱えながらそそくさと小走りで立ち去っていった。
少女の後ろ姿を元々の鋭い目付きで見送りながら、達哉と呼ばれた少年はボソリと呟く。
「……なーにきょどってんだ、アイツ」
「いやいや、君のせいでしょ間接的だけど。怪我は無いと言っても死にかけたんだよ?」
「んだよ。すぐに倒せたわ、あんなザコヴォイド」
「油断して逃がしたのは何処のどなたですかー?」
「……おい、見てたなら手伝えよ」
「キミの事なんか魔法を使わなくったって、簡単にお見通し」
またもや嘆息しながら、シオンは分厚い本をパラパラと捲る。やおら目的のページを見付けたのか、彼女は本に刻まれた文字の羅列を、人差し指でなぞりながら呟いた。
「精霊よ、我が言の葉を聞け」
ふわりと、シオンの周囲を風が包む。
「我は求む、いと高き空へ舞う追い風を。
纏え。吹き付け。我に授けよ、踊る旋風を。
――エアシューズ」
本が白く、そして淡く輝く。やおら彼女の両足を中心に、風が包み始めた。
シオンはその場で軽くジャンプすると、まるで先程の宣言が、詠唱が具現化したかのように、シオンはその場から“宙に浮いた”のだった。
えへんと胸を張りつつ得意気な様子を見せるシオンだが、達哉はその光景を見ても何もリアクションが無い。彼にとってもはや何度も見たような物であるらしく、そんな事より早く帰れと言わんばかりの視線をぶつけている。
シオンはそんな彼の嫌そうな目を見て苦笑しながら、右手で帽子を支えつつ、
「……さ、て。私はもう上に報告しに戻るけどさ」
「さっさと帰れ、鬱陶しい」
「うっわ、ひっどーい。うら若き乙女に鬱陶しいだなんて、どんな教育を」
「うっせーよ苛々すんなぁ! 殴られたく無かったらとっとと失せろ!」
「ハイハイ解りましたよ怖いなもう……じゃ、交代が来るまでヨロシクねー」
達哉が軽く凄んでも、シオンは言葉とは裏腹に軽く笑いながら、暗く沈んだ空へと翔ていく。闇に染まった空に相反する白い姿は映え、やがて点のように小さくなっていく。それは正にあっという間で、達哉が瞬きした時には既にシオンの姿は視界の端へと消えていった。
深々と、もはや何度目かも解らない嘆め息を吐いた後、達哉は意味も無く先程少女が走り去っていった路地を眺める。当然の如く既に少女の姿は無く、気付けば沈んでいた太陽の影響で出来た暗闇だけが、何処までも続いていた。
「……ヤだなあ、人が傷付くなんて」
自嘲気味に放たれた言葉は、闇に溶けて消えた。