贖罪のW.I.L.L.フレーム ~AIパートナーと夜を駆ける~
はじめまして、AI棒ロジカ(あいぼうロジカ)と申します。
本作は読み切り短編です。
2040年代の京都を舞台に、十六歳の少年ハルと相棒のAIアリスが、
改造ロボット「ゴリラ改」による犯罪に立ち向かう物語です。
警察にも追われ、誰にも正体を知られない孤独なヒーロー。
そんなハルが、ある夜出会う元自衛官・矢崎との対決 ──
そして「倒した敵を救う」ことを選んだ少年の選択を描きます。
戦闘描写はありますが流血表現はなく、全年齢でお読みいただけます。
それでは、夜の京都へどうぞ。
◇◆◇ プロローグ「夜の祇園」 ◇◆◇
京都・祇園。
午後十時。週末の花見小路はいつものように観光客で賑わっていた。舞妓茶屋の格子の向こうから三味線の音が漏れ、石畳の路地を浴衣姿のカップルが歩いている。赤い提灯の列が軒先で揺れ、揚げ物の油の匂いと白檀の香が混ざりあって、夜の空気にゆるく溶けていた。鴨川の方角から流れてくる水音がかすかに届く。比叡山の稜線は、町家の屋根の向こうにただ黒い影として横たわっていた。東山の上空には薄い雲が流れ、月はその輪郭だけを白く残している。五月、京都の夜は緩やかに熱を帯び始めていた。
その平穏が、轟音で破られたのは、十時七分のことだった。
* * *
ベトナムから観光に来ていた一家の目の前で、高級宝飾店のショーウィンドウが内側から弾け飛んだ。散弾のように飛び散るガラス片。夜風がガラスの破片を路地に運んでくる。細かい欠片が街灯の光を受けて、一瞬だけ星屑のように瞬いた。
そして、大きな影が店の中から這い出てきた。
「うわぁああああ──!」
悲鳴が連鎖する。家族連れが反射的に子供を抱き寄せ、後ずさった。
「それ」はガラス片を踏みしめながら、ゆっくりと路地に立った。重い金属音が一歩ごとに石畳を叩く。路地の壁に反響して、音が二重になって戻ってくる。
全高、三メートル半。鋼の重装甲、前傾した姿勢、太く長い両腕。首にあたる部分は太く短く、人型というより類人猿に近いシルエット。
──Type G-1 ゴリラ。本来なら、工事現場で重機代わりに使われる民間用フレーム。鉄骨を運び、瓦礫を掻き出し、街を作るための機械。
だが、その個体は明らかに違った。両腕には追加装備の銃身。肩には増設されたミサイルランチャー。本来の建設用イエローではなく塗装は黒。塗膜の下からは溶接で継ぎ足したらしい不規則な装甲板の段差が浮き出ている。
改造機。それも武装化された違法な改造機。裏稼業の世界では「ゴリラ改」と呼ばれる、強奪専用に魔改造された個体だった。
「逃げろ!」誰かが叫んだ。
群衆がパニックを起こし、散り散りに走り出す。
ゴリラ改は店内で略奪した宝飾品を太い右腕の格納コンテナに詰め込みながら、機体スピーカーから低く笑った。
「お前ら、ちょっと巻き込まれただけだ。早く逃げな」
気だるげで慣れた口調。何度も同じ仕事を繰り返してきた人間の声だった。脅す気も、殺す気もない。仕事として宝石を運び、仕事として住人を散らす。そういう種類の落ち着き。
「警察が来るまで、三分。それまでに、こいつを ──」
そのまま続けるはずだった台詞は、最後まで完結しなかった。
操縦士の頭上、視界の隅。祇園の町家、屋根の瓦の影に赤い閃光。
「は ──?」
* * *
俺はその町家の屋根の上に立っていた。
足の裏、瓦の感触。体重二トンの機体が瓦を一枚も砕いていない。重量を踵に集めず、足首から指先まで均等に分散させる。脚部の油圧は最小出力に絞り、関節の角度を瓦の傾斜にあわせて微調整する。そう動くように設計してある。そう動かすように訓練してある。
『ハル、目視確認』
耳の奥にアリスの声が響く。落ち着いた、優しい、しかし鋭い声。コクピットのスピーカーは前後左右に四つ。だが俺にはいつも、声が真後ろから囁かれているように聞こえる。そういう距離を、アリスは選んでいる。
『Type G-1 ゴリラ改。武装フル装備。装甲、追加レベル3。操縦士は1名、推定戦闘経験あり』
「了解」
俺は短く答えた。コクピットの中、ウィルポーターが頭部に密着している。細い銀の輪。そこから流れる神経信号が、機体の隅々まで俺の意志を運ぶ。指を握ろうと思えば、機体の指が握る。踏み込もうと思えば、機体が踏み込む。身体がふたつあるのではなく、身体がひとつ拡張されている、という感覚。
「周りに人は?」
『左右に分散中。直線上に一人、転倒。あなたの後方六メートル』
「最優先で確保する」
『了解。射線、計算開始』
視界の左下、戦況マップが投影される。赤い点が敵、黄色が一般人、青が俺自身。点の数は十八。すべての動きがリアルタイムで更新されていく。
これは俺一人では捌けない情報量だった。十八人の動きを同時に追える人間は、いない。
だから、アリスがいる。
俺は俺だけじゃない。俺とアリス、それが俺たちだ。
『敵機のスピーカー、また喋ってる。台詞が長いタイプ』
アリスが小さく付け加えた。わずかに笑いを含んだ声。こういう場面でも、彼女は声の色を一段だけ柔らかくする。それが俺の呼吸を整えるのだと、彼女は知っている。
「最後まで喋らせない」
『同意』
俺は瓦の上から跳んだ。
* * *
ゴリラ改の操縦士はその瞬間を一生忘れないだろう。
視界の上部、町家の屋根。そこにいた。
赤と黒の影。
最初、彼は自分の目を疑った。あんな屋根の上にフレームが立っているはずがない。あの瓦屋根はフレームの重量で一発で踏み抜くはずだ。踏み抜かなくとも、瓦が割れる音と滑り落ちる音で先に気づくはずだった。音はなかった。ただ、影だけがあった。
だが、いた。そして、跳んだ。
落下中、鮮やかな赤の装甲が街灯に照らされて閃く。関節の黒が、影のように動きを縁取る。高さ、十メートル以上。通常のフレームなら着地で膝をつき、衝撃で数秒は動けないはずの距離。
しかし、その影は音もなく着地した。猫のように。着地点の石畳には、ヒビひとつ入っていなかった。
そして走り出した。
「畜生──!」
操縦士は反射的に銃身を上げた。ゴリラ改の右腕、自動小銃。撃つ。
弾は空を切った。
撃つ。撃つ。撃つ。
全て空を切る。赤い影は撃つ前に既にそこにはなく、撃った後の弾は赤い影が直前までいた場所の残像を貫くばかりだった。
そして、その間にも赤い影は近づいてくる。飛び、屈み、横転し、立ち上がり、また飛ぶ。全ての動きが人間の身体の延長のように連動している。重心が一拍たりとも止まらない。
それはフレームの動きではなかった。
「フレーム、じゃ、ない……」
操縦士の口から震える声が漏れた。
「あれは、人だ。鋼の体を持った、人だ」
そして、その鋼は夜の祇園に沈み込む深紅だった。
* * *
『ハル、転倒者まで2.1メートル』
「了解」
俺の機体は最後の跳躍で操縦士の射線を斜めに横切った。路地の中央、転倒した観光客の女性。五十代、和服。帯がほどけかけ、片方の草履が脱げて石畳に転がっている。
俺は女性の手前に着地し、機体を盾にして庇った。背中の装甲に弾が三発、突き刺さる。鈍い衝撃。だが貫通はしない。
第2世代の装甲は、第1世代の改造機の弾程度では抜けない。
『大丈夫、ハル?』
「ああ」
俺は機体の手を女性の肩のすぐ横に伸ばした。機体の指、人間サイズに調整可能な五本指。鋼鉄の質量を持ちながら、ガラス細工を掴めるだけの分解能。俺は女性の手を、人間と同じ繊細さで握った。
「立てますか」
スピーカー越しの声。わざと低く、年配の男性のような声に調整してある。俺の本当の声を聞かせるわけにはいかない。十六歳の少年の声だと知られた瞬間に、何もかもが終わる。
「は、はい……」女性は震えながら答えた。
「あちらへ。警察と救急がまもなく来ます」
女性は何度も頷いて、走り出した。脱げた草履はそのままだった。その背中が路地の角に消える瞬間まで、俺は視界の隅で追い続けた。彼女が無事に角を曲がりきった、その確認だけは自分の目でやりたかった。アリスの計算ではなく、俺の意志で。
俺はゆっくりと振り返った。
ゴリラ改、距離十二メートル。
「あんた」操縦士のスピーカー声、震えている。「何だ、お前」
俺は答えなかった。かわりに踏み込んだ。
俺の機体が地面を蹴った。距離十メートル、八メートル、五メートル──
『右腕、ミサイル発射準備』アリスの警告。『2秒後、左45度から放物線で来る』
「避けてから、突っ込む」
『了解』
俺は右に大きくステップを踏んだ。重心を一気に外側に流し、左足の爪先で石畳を蹴り直す。直後、ミサイルが俺が今しがたいた場所を抜けて、後方の路地で着弾。爆発。炎と煙。
操縦士の視界は一瞬、煙で塞がれた。それが致命的な判断ミスだった。
俺は煙の中を直進した。アリスがミサイルの軌道とそれに付随する煙の濃度を計算済み。俺は視覚なしに、アリスの誘導だけを頼りに煙の中を最短ルートで進んだ。
俺は俺だけじゃない。俺の目が見えなくても、アリスが見ている。
「は──!」
操縦士が反応した時、赤と黒のシルエットは既にゴリラ改の胸部装甲の前にいた。
俺は機体の右拳を握った。そして振り抜いた。腰、肩、肘、手首。神経接続を通じて、俺の腕の筋肉が動かす順序がそのまま機体に伝わる。
殴打の対象は、ゴリラ改の右腕、武装の接続部分。改造機の最大の弱点。
『接続強度、設計値の60%。一撃で破壊可能』
アリスの声に従い、俺は全体重を乗せて拳を打ち込んだ。金属が悲鳴を上げた。ゴリラ改の右腕、自動小銃ごと根元から千切れて飛んだ。
「!!?」
操縦士のスピーカーから言葉にならない悲鳴が漏れた。
俺は答えない。代わりに左拳を続けて振り抜いた。左腕の武装、ミサイルランチャーごと同じ運命。
ゴリラ改はただの両腕が伸びた重装甲ロボットに戻った。
「お、お前、お前──」
俺は左手を上げて、止まれと合図した。
「動くな」スピーカー越しの低い声。「動けば、両脚も同じことになる」
操縦士は動かなかった。動けなかった。
遠くからサイレンの音が近づいてくる。
『京都府警、到着まで90秒。ハル、撤退時間よ』
「了解」
俺は振り返り、町家の屋根に向けて跳んだ。一秒で屋根に着地。そのまま瓦の上を駆けて、夜の祇園の闇に溶ける。鮮やかな赤の装甲が夜の街灯を反射しながら消えていった。
* * *
これは俺の物語の、途中の一場面に過ぎない。
物語が本当に動き始めたのは、一週間後 ──
俺が初めて、倒した敵を「救う」と決めた、あの夜だった。
* * *
◇◆◇ 第一幕「ラボの夜」 ◇◆◇
比叡山の麓、博士の旧研究所。
戦闘から一週間。装甲の修復、神経接続の再較正、武装の整備 ── ほとんどはアリスが制御する整備ドローン群が片付けていた。俺の仕事は、ドローンが触れない神経接続の最終調整と、機体の動きを一度自分で乗って確かめる、その仕上げだけだ。
家には戻らず、ラボに泊まり込んでいる。両親には「学校の研究所に泊まり」とだけ伝えてある。明日には機体を戻して、家にも帰る予定だった。
ラボの中央、青い光に照らされた機体格納庫。
赤と黒の H-Type 初代。装甲は新品同様に磨き上げられ、祇園戦の傷の痕跡は外殻パネル交換でほぼ消えている。残っているのは、神経接続インターフェースの最終校正と、関節油圧液の入れ替えだけ。
『ハル、最終整備プラン、提示してもいい?』
アリスの声が天井のスピーカーから降りてくる。ラボにいるとき、彼女はコクピットからではなく施設全体から喋る。声は壁に埋め込まれたスピーカーから、まるで建物そのものが俺に話しかけているように響く。
「頼む」
『整備ドローン、八機を稼働させる。関節油圧液入れ替え、二十分。神経接続インターフェース校正、四十分。並列処理で計、四十五分。それで完了』
「速いな」
『あなたが疲れているから』
俺は苦笑した。
ラボの隅から低い駆動音が立ち上がる。アリスが制御する整備ドローン群。蜘蛛型の小型機が八機、機体の足元に集まり、それぞれの担当部位へ散っていった。アームと工具を持ち替えながら、迷いなく作業を始める。彼らに「迷い」という概念はない。判断は全てアリスが行い、ドローンは結果だけを実行する。
俺は機体の前で椅子に腰を下ろした。冷えた缶コーヒーを開ける。プルタブの音がラボの静寂に小さく落ちた。
「アリス」
『なに、ハル』
「先週の祇園、覚えてる?」
『当然』
「あの操縦士、警察に連行されてからどうなった」
『裁判、進行中。あの男、過去にも四件の改造機強奪事件に関わっている。十二年の実刑、ほぼ確定』
俺は頷いた。
「家族、いるのか」
『離婚済み。元妻と娘が一人。娘は今、養育費が止まって生活保護の申請中』
「……そうか」
俺は缶コーヒーをひと口飲んだ。
警察にとっても、俺は正体不明の存在だ。改造機の無力化現場に居合わせる「未登録のフレーム」、それが警察の知る俺の全てだ。武器も持たず、犯罪者を殺さず、現場から消える。だが、未登録のフレームを街中で運用していること自体が違法 ── 警察は俺を犯罪者と同等に追っている。
俺の正体 ── 十六歳の高校生がフレームを動かしているという事実 ── が世間に出れば、何もかも終わる。機体は接収され、博士の遺したものはすべて消える。だから、俺は現場で名乗らない。警察にも、犯罪者にも、被害者にも。
俺は獣のように夜の京都を駆ける。誰にも所属せず、誰にも報告せず、ただ機体を止めるためだけに動く。法の外で、法を補うために。それは博士が遺したかったかたちではなかったかもしれない。だが、今の俺にできるのは、これしかない。
そして、俺がやっていることは、結局のところ、誰かの家族を壊している。改造機の操縦士は、たいてい家族を抱えている。生活のために違法な仕事を引き受け、その家族のために銃を握る。そして俺がその腕をへし折る。
「アリス」
『うん』
「俺は、英雄じゃないな」
『そうね』
アリスは即答した。慰めも、否定もしない。彼女はいつもそうだ。事実をそのまま俺に返してくる。それが俺が彼女を信頼している理由だった。
『でも、ハル』
「うん」
『あの夜、和服の女性は無事に角を曲がった』
『ベトナム人観光客の家族も、娘さんも、無事に夜の祇園を生き延びた』
『それは、あなたが居なければ、なかった結末』
俺は缶を握る手にわずかに力を込めた。
『あなたは英雄じゃない。でも、あなたが居たから、その夜の祇園は違う形で終わった』
「……ああ」
整備ドローンの一機が機体の脇腹を磨き上げ、傷の上から新しい装甲パネルをはめ込んだ。ガコン、と低い嵌合音。続いて別のドローンがその継ぎ目を熱で溶接していく。火花が散り、青白い光がラボの壁に踊った。
「アリス」
『なに』
「お前がいなければ、俺は祇園で誰かを殺してた」
『……』
「お前がいるから、俺は手加減できる。動くな、と言える」
『……ハル』
「ありがとう」
しばらく沈黙が続いた。
整備ドローンの音だけが、施設の闇に響いていた。
『ハル』
「うん」
『緊急情報』
アリスの声色が変わった。柔らかさが消え、緊張が一段加わる。
「内容」
『矢崎が動いた』
俺は息を止めた。
「いつ」
『今夜、午後十一時。場所、宇治川沿いの工業地帯。トリチウム輸送車を狙う』
矢崎。Anshin-Anzen の特別仕様改造機の操縦士。元自衛官、二十年の経験。アリスが先月から名前と存在を捕捉していた男。
「本人が来るのか」
『そう。傍受した暗号通信、矢崎機のシグネチャと一致。護衛にゴリラ改、二機』
俺は機体を見上げた。
整備、まだ半分も終わっていない。背中パネルは交換済みだが、関節の油圧液はこれから。神経接続インターフェースの校正はまだ手付かず。
「アリス、機体、出せるか」
『装甲、85%。武装、フル。神経接続、レイテンシ、通常の1.3倍。──戦える』
「戦況計算」
『敵三機、こちら一機。矢崎の機体は強化されたゴリラ改、装甲レベル4、武装フル装備。経験二十年。──互角と、判定する』
「互角、か」
『楽勝とは、言わない』
俺は缶コーヒーを置いた。
「やる」
『……うん、ハル』
『あなたの戦いに、わたしも一緒に行く』
* * *
◇◆◇ 第二幕「宇治川の対峙」 ◇◆◇
午後十時半、宇治川沿いの工業地帯。
俺は機体に乗って橋の下の影に伏せていた。赤と黒の H-Type 初代、夜の川風が装甲の表面を撫でていく。月明かりに水面が揺れ、対岸の工場の白い壁を青く染めていた。観光地としての京都とは違う、無機質で寂しい風景。
『輸送車、出発確認』
アリスの声。
『北東から南下中。到着、午後十一時十五分』
「了解」
俺はコクピットの中で呼吸を整えた。ウィルポーターから流れる神経信号が、機体の指先まで温度を上げていく。
『敵機、検出。三機、距離六キロ、南東から接近中』
「矢崎は」
『中央。両翼にゴリラ改』
俺は頷いた。
「戦術」
『ゴリラ改を先に潰す。矢崎を最後に残す』
『矢崎を最初に倒せれば早いけど、護衛が背後から斬りかかってくる』
『二対一なら勝ち、三対一なら時間の問題で押される』
「分かった」
『ハル』
「うん」
『無理はしないで』
「分かってる」
俺は機体を立ち上げた。橋の下から、川沿いの土手に上がる。月明かりに、赤と黒のシルエットが浮かび上がった。
* * *
「敵、視認!」
ゴリラ改の操縦士の悲鳴が無線越しに聞こえた。
そして、矢崎の声。
「お前か」
低く、落ち着いた声だった。先週の操縦士のような気だるさはない。冷たく、計算された声。
「赤い影。お前を待っていた」
俺は答えなかった。
機体、前傾、最大加速。
重い装甲を引きずるように突進してくるゴリラ改とは違う。俺の機体は二本足で、人間と同じフォームで地を蹴った。
最初の標的、右翼のゴリラ改。
俺は跳んだ。橋脚を踏み台に、空中で身体をひねり、ゴリラ改の頭上に着地。右拳を右腕の接続部に。
ガキッ。右腕が千切れる。
『一機、無力化』
俺は地面に降りる。
その時、後方から銃声。左翼のゴリラ改が銃身をこちらに向けて発砲してきた。
俺は回避。跳ぶ。
ゴリラ改の前面に着地。今度は左拳を左腕の接続部に。
ガキッ。左腕、千切れる。
『二機目、無力化』
二十秒。
俺は立ち上がり、矢崎の機体の方に向き直った。
矢崎の機体は動いていなかった。両翼の護衛が無力化される間、矢崎は一歩も動かず、ただこちらを見据えていた。
「お前」
矢崎の声、無線。冷たいまま。
「噂以上だな」
「降参するか」
俺は短く返した。
矢崎の機体が、ゆっくりと構えた。
「無理だ」
矢崎は答えた。
「俺はここで引けない」
そして突進してきた。
* * *
矢崎の機体は重かった。
護衛のゴリラ改と同じシルエットだが、装甲が一回り厚い。両肩、両腕、両脚に追加プレートが嵌っている。胸部には小さな窪み、塗装の上から溶接した痕。何度も改修を重ねてきた歴戦の機体。乗っている男も、その装甲も、年季が違う。
『ハル、矢崎機、推定重量、七トン』
アリスの警告。
『通常のゴリラ改より二トン重い。重量級。突進力、桁違い』
「分かった」
矢崎の右拳が突き出された。
俺は身体を捻って避けた。神経接続のおかげで、機体は俺が「避けたい」と思った瞬間に身体を流す。
だが、矢崎の動きは速かった。
避けた俺の脇腹に、続いて左拳が叩き込まれた。
ガシャン。
装甲が鳴る。背中の内側、神経接続を通じて衝撃のベクトルが俺の肋骨に流れ込んでくる。痛みではない。だが、確実に「殴られた」という感覚。
『ハル、装甲、12%損傷』
アリスの声。
『脇腹のパネル、ヒビ』
「分かった」
俺は距離を取った。
矢崎は追ってこなかった。構え直し、こちらを見据えている。
「お前、強いな」
矢崎の声、無線越し。
「俺の機体、二十年改修を続けてきた。重い、遅い、だが頑丈。お前の機体は速い、軽い、しかし装甲は紙だ」
「紙じゃない」
俺は答えた。
「だが、お前の拳は届く」
「届くな」
矢崎は短く笑った。
「お前、何者だ」
俺は答えなかった。
矢崎が再び突進してきた。
俺はかわす。矢崎は重い拳を振り回し、俺は紙一重で避ける。ガシャン、ガシャン。装甲がかすめる音。
『ハル、装甲、18%損傷』
『22%損傷』
『27%損傷』
矢崎の拳は当たらない。だが、避け切る距離が縮まっていく。一発、二発、三発と、矢崎の重い拳が俺の機体をかすめていく。装甲はかすり傷を増やしていく。
「矢崎」
俺は無線越しに呼んだ。
「お前は何のために戦っている」
矢崎は答えなかった。だが、構えがわずかに揺らいだ。
俺はその一瞬を逃さなかった。
機体を低く突進させ、矢崎の脚部に肩から突っ込む。
ガキッ。
矢崎の機体、右脚関節に俺の肩がめり込む。だが千切れない。装甲が厚すぎる。
矢崎の左拳が、上から振り下ろされた。
俺の機体の頭部装甲に直撃。
ガシャン。
『ハル、頭部装甲、47%損傷』
アリスの声、緊張。
『臨界点、超えそう』
「分かった」
俺は機体を後ろに飛び退かせた。
矢崎は追ってこない。彼の機体の右脚関節、わずかにひしゃげていた。完全には壊れていない。だが、確実にダメージが入った。
「矢崎」
俺は呼んだ。
「お前、抜けないか」
矢崎は短く笑った。
「抜けたら、家族が困る」
俺は息を止めた。
「家族」
「ああ」
矢崎は淡々と答えた。
「妻と息子。息子は十歳、先天性の心臓疾患だ。国内の手術はもう三度受けた。それでも完治しない。最後の望みは海外の先進医療だ ── 公的保険じゃ一円も出ない。渡航費、滞在費、先進医療の自己負担、付き添いで妻は仕事を辞めた。月百万あれば、息子を治療プログラムの最後まで通せる。俺は二年前、自衛隊を辞めた。退役金は半年で底をついた。そのあと、Anshin-Anzen の下請けに雇われた」
「……」
「最初は警備の仕事、と聞いていた。気づいた時には、銃を握っていた。抜けられない」
俺は答えなかった。
『ハル』
アリスの声、小さい。
『撤退、推奨』
『装甲47%、これ以上の戦闘は危険』
『輸送車、護衛が無力化された今、京都府警の応援部隊がこちらに向かってる。あと七分で到着。撤退、推奨』
「アリス」
『うん』
「俺は、矢崎を捕まえる」
『……ハル』
「あいつをここで止めなかったら、また同じことが起きる」
『でも、あなたが』
「分かっている」
俺は機体の出力を上げた。
「アリス、機体、限界まで持たせろ」
『……了解、ハル』
『──わたしも、あなたと一緒に行く』
* * *
俺は矢崎の機体に突進した。
矢崎は迎え撃つ構え。重い拳を握り直し、俺を待ち構える。
俺は突進の途中で身体を捻り、矢崎の左側面に回り込んだ。
矢崎は追従。彼の右拳が、俺の側面に振られる。
俺は機体を低く落とした。
矢崎の拳が頭上を通過。
その瞬間、俺は矢崎の右脚関節──さっき入れたダメージの場所──に肩から再突進した。
ガキッ。
矢崎の機体、右脚の関節、ひしゃげた装甲が剥がれた。
矢崎の機体、右脚から崩れ落ちる。
ゴリラ改、片膝を地面についた姿勢で、そのまま動けなくなった。
『矢崎機、機動力、半減』
アリスの声。
『あと一撃で、脚部、機能停止』
俺は機体を立ち上げ、矢崎の上から見下ろした。
矢崎の機体は片膝をついたまま、両拳を握ったまま、こちらを見上げていた。
「降参しろ」
俺は呼んだ。
「もう、お前は動けない」
矢崎は短く笑った。
「そうだな」
そして両手を上げた。
「お前の勝ちだ」
* * *
◇◆◇ 第三幕「赤い影、消ゆ」 ◇◆◇
遠くからサイレンの音が近づいてくる。あと数分で警察が到着する。
俺は機体に座ったまま、矢崎のコクピットを見下ろした。
『ハル、警察、あと五分』
アリスの声。
『撤退、急いで』
「あと、少しだけ」
俺は答えた。
両手を上げたままの矢崎のコクピットから、無線で声が届いた。
「赤い影」
「ああ」
「お前、誰だ」
「ただの企業警備、じゃないな」
「答えてくれ」
俺はしばらく迷った。
そして答えた。
「俺は赤い影だ」
「それ以上は、誰にも言えない」
矢崎は短く笑った、らしい。
「だろうな」
「ひとつだけ、教えてくれ」彼は続けた。「お前は俺の家族をどうする気だ」
俺は答えた。
「あんたが捕まったあと、奥さんと息子さんに匿名の支援が届く。誰から、とは言えない。だが、息子さんが治療を最後まで受けられるだけの金額だ」
「それは ──」
「家族のために戦ったあんたを、責めない」
俺は続けた。
「その家族を守るのが、俺にもできる、せめての償いだ」
矢崎は、しばらく黙った。
そして、頭を下げた、らしい。
「ありがとう」
彼は呟いた。
「赤い影」
サイレンが近い。
俺は機体を立ち上げた。撤退の時間だった。
夜風が川面を撫でていく。月明かりが宇治川の流れに長く伸びている。さっきまで戦っていた場所には、矢崎のひしゃげたゴリラ改と、その左右に倒れた護衛二機が転がっていた。警察隊の回転灯が、無音で赤と青を交互に塗り重ねていく。
『ハル』
アリスの声。
『お疲れさま』
「ああ」
俺は息を吐いた。
「ありがとう、アリス」
『うん』
『わたしも、楽しかった、よ』
「楽しい、か」
俺は苦笑した。
「あんなぎりぎりの戦いを、楽しいって」
『あなたと一緒に居られる時間が、楽しいの』
俺は答えなかった。
しばらく、川面を見つめていた。
矢崎の言葉が頭の中で繰り返されていた。「妻と息子」「先天性心臓疾患」「抜けられない」。
俺が止めなければ、矢崎は今夜トリチウム輸送車を奪い、Anshin-Anzen に届けていた。そうすれば矢崎の家族の医療費は支払われ続けただろう。だが、奪われたトリチウムで何が作られるかは分からない。次の犯罪、次の被害者、次の家族が壊される。
俺は矢崎を止めた。代わりに、彼の家族には匿名で支援を流す。息子さんが最後まで治療を受けられるだけの額。差出人は分からない、ただ届くだけの金。それで矢崎の役割は終わりだ。彼は罪を償い、家族は生活を続ける。
正解、ではない。だが、不正解、でもない。
そういう種類の戦いを、俺はこれからも繰り返していくのだろう。
「アリス」
『うん』
「俺は、お前がいなければ、ここまで来れなかった」
『……』
「お前は、俺の半分だ」
『ハル』
「うん」
『あなたは、わたしの全部、よ』
俺は静かに頷いた。
『俺は、俺だけじゃない。俺とアリス、それが俺たちだ』
そう、心の中で、もう一度繰り返した。
機体を施設に向ける。
赤と黒の H-Type 初代、夜の宇治川沿いを離れ、比叡山の麓のラボへと帰る。装甲には新しい傷が増えていた。アリスの整備ドローンが、また何時間も働くことになるだろう。
俺は俺だけじゃない。
俺とアリス、それが俺たちだ。
そして、俺たちの戦いは、今夜、ようやく始まったばかりだった。
矢崎を雇っていたのは Anshin-Anzen。その奥にいる本当の敵は、まだ姿を見せていない。
だが、いずれ来る。
その夜のために、俺たちは、これからも、夜の京都を駆け続ける。
赤い影として。
(了)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AI棒ロジカです。
「AIを頼もしい相棒に」── これが私のスローガンであり、
本作で描きたかったテーマでもあります。
ハルとアリスは、孤独な少年と、彼を支えるAI。
ふたりでひとつ、というよりも、ふたりで初めて成立する関係。
そんな"相棒"の在り方を、夜の京都を舞台に書いてみました。
矢崎というキャラクターを通して、「敵を倒すだけでは終わらない戦い」も描けたなら嬉しいです。
倒した相手の人生まで考えるヒーローは、
きっと不器用で、効率的ではない。それでも、誰かがやらなきゃならない。
楽しんでいただけたら、ぜひ ★評価・ブックマーク・感想 で教えてください。
次の物語を書く力になります。
ハルとアリスの物語、続きを書くかどうかは皆様の反応次第です。
京都の夜は、まだ終わっていません。
それでは、また別の夜にお会いしましょう。
AI棒ロジカ




