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問題編 file.9

 父はそのまま言葉を重ねる。

「因みに、私は仕事中だったと思いますがオフラインでして……データが残っていても証明になるかどうか」

「私はシャワーを浴びた後、窓を開けて夜風で涼んでいましたな。それ故に発砲音に気付けたのでしょう。腕時計に目を遣ったのもそのときですな」と馬場社長。

「私は入浴中だったと思います。三十分以上は入っていたので間違いないかと」

 その場の流れで時計回りに証言をし始めて、神藤女医の次は兄が口を開くことになった。

「俺は……たぶんネットで対戦ゲームをしていたけどよ。名前も国も分からねぇ見ず知らずの対戦相手に、確認なんて取れねぇよ」

ああでも、と兄はわたしを睨んで、

「瑞姫お前、あの時間帯に俺の部屋をノックしただろ。ゲーム中だから開けるなって声、聞こえたよな?」

「……うん。あの刺々した声はお兄だった。森岡さんに布団を運ぶ直前だから、九時十三分頃かしら」

 またもや家族の証言ですな、と意味深長な声は社長だ。

「それに五分程度あれば、片道の時間は確保出来ますぞ」

 つまりそれは、家族でも知り合いでもない森岡くんにも、アリバイは成立しないと言っているようなものだった。

 最後に藍染さんも発言するが、

「客室でミステリを紙の本で読んでいましたからね。残念ながら僕にもアリバイはありません」

「困ったわね。アリバイが一番有り得そうなのは、私と瑞姫ちゃんだけなのね」

 と母。

「だから家族同士の証言は……まあ一時保留としますかな」

 馬場社長は不承不承といった風に譲歩した。

 馬場社長の言うように、五分程度あれば小島から帰って来れそうだ。わたしも含めて、誰にも完全なアリバイがあるとは言えない。けれど、社長が藍染さんの無罪を信じて疑わないように、わたしも母や父、ついでに兄が犯人だとは全く思わない。

 振り返ってみると、ねこ助さんを亡き者にした犯人に対する憤りから、願い出て参加させてもらった話し合いだった。外部犯の線は薄く、犯人はこの中にいるはず。だとしたら、わたしは誰が犯人で、どのような動機なら、納得出来るのだろうか。

 心の裡を探ってみても、その答えは見つからなかった。

「一つ、宜しいでしょうか。その金属音がリボルバーの発砲音だとしまして、……それは生の音だったんでしょうか?」

 神藤女医が新たな論を提言した。

「生?」

 と母は訊く。女医は彼女に頷きつつ、

「自身の証言になってすみませんが、エアコンの暖房だけを鑑みた検死結果としましては、亡くなられたのは午後十一時頃から午前一時頃です。もしスマホでも何でもいいので、発砲音を誤認させる仕掛けをすれば、実際の犯行時刻と違う午後九時五分に殺害されたのではないか、と思わせることが出来ます」

「つまり私はまんまと踊らされたと言うのかね」

「おうおう、だったら全員のスマホを確かめて、消されてたとしても警察に復元してもらえばいいじゃねぇか」

「自分が普段使用しているスマホを使うとは思えません。もしその説が実際に行われたのなら、その何らかの機械は疾うに海の中に沈んでいるでしょう……」

 結局、本物の音か録音された音かを証明する方法はないらしい。

「……神藤さん、私もトリックを利用したのではないか、とは考えました。だから全員のアリバイを確認したんですよ」

 父が真実味を帯びた声で言う。

「しかし、誰もアリバイを持っていない以上、誤認トリックを使う意味がなくなってしまう。私は妻達を疑うわけではないが、最もアリバイが作れそうだった妻と娘でさえ、ホールでうたた寝をしていた娘が偶然起きたからです。そんな偶然に頼ったトリックを使うとは思えないんですよ」

 社長も、全くですな、と頷いた。

「犯人は、どうして音の出る銃を凶器に選んだのかしら」

「偶々、青磁君がリボルバーを持っていることを知ったのは理由の一つになりそうですけれど……抵抗された場合を考慮して、万一犯人の皮膚片等がねこ助さんの爪に残ってしまったら厄介だ、と考えたのではないでしょうか」

 神藤女医が合理的な理由を提示した。

「犯行現場には硝煙を防いだと思われるシーツと、もう一つ穴の開いた枕がありましたな。犯人はそれをサイレンサー代わりにしたのでしょう」

 ふっ、と兄が鼻で笑いながら、

「犯人は枕なんかで音を防げると思ったのかよ。海外の古いドラマなんかで見掛けるけどよ、現実にはほとんど効果はないんだぜ」

「まるで自分が、枕越しに撃ったことがあるような言い様ですな」

「馬鹿を言うなよ。アメリカ人が動画サイトに挙げた検証動画を見ただけだ」

 再度睨み合う社長と兄。

 そんな中で、「あのー」とまたもや呑気な声が森岡くんから発された。

「話し合いが進むまで、恥ずかしながら僕は夜中に酒宴が開かれていることを全く知りませんでした。そこでお願いがあるのですが、例の酒宴で誰がいつ頃席を立ったか、それはどれくらいの時間だったか、それからどんな会話をしたのかを、出来る限りでいいので教えてはもらえませんか?」

 社長は一々思い出すのが億劫そうだったが、話し合いも滞っている状況だ。

「まあ、話して減るものでもないですからな」

 酒宴に参加していた大人達に確認の視線を送りながら、話し始めた。

 社長が言うには、各自の近況報告や思い出話、仕事の進捗、様々な愚痴、子供達がいない中で酒を交わしながら、憚りなく楽しい時間を過ごしていたらしい。

 席を外したのは、馬場社長が午前一時台、父と神藤女医が二時台、母が三時台、に各自一度ずつ五分から十分程度だったと、四人が記憶の照らし合わせをして結論付けた。因みに藍染さんは、二時前に部屋に戻ったらしい。

 わたしが聞き耳を立てていた終わり頃の場面も、話に出た。別荘に飾られたプリザーブドフラワーの変色のこと。社長達が去ってから、ねこ助さんに贈ったプリザーブドフラワーは変色しないことも一応、母が補足して説明をした。

 森岡くんが疑問に思ったことは、その都度遠慮なく質問を返された。長話になった終わりには、中心となって語った馬場社長はくたびれた顔をしていた。

 大方の流れを把握した森岡くんは、考え耽るような姿勢で暫くの間微動だにしなかった。

 ややあって、

「何かが違うはず……」

 彼の視線が水平にスライドしていき、母の座る席で止まった。

「薫子さん、昼食のときの話を伺いたいのですが。ねこ助さんは暑がりで、暖房は必要ないと、そうおっしゃってはいませんでしたか?」

 唐突に質問された母はきょとんとした表情を見せたけれど、淡々と答える。

「え? えぇ、彼女は暑がりでした。今の時期の夜中には暖房はまず付けないと言ってましたねぇ」

「暖房を付けない情報を確実に知っている人は、他に誰がいますか?」

「夫には話したわね。……あとは青磁と瑞姫は知っていたかしら?」とわたし達に母は問う。

「俺も暑がりだとは知ってたけど、どの程度かまでは知らねぇ」

「わたしも、お兄と同じ」

 わたしは兄に同調する。夜中に訪ねたことはないので、そこまで詳しくは知らなかった。

「反対に、確実に知らなかったと証明出来る人は……?」

 胸を張って言いたそうな顔つきの人は数名いるけれど、手を挙げるには至らない。

「やはり、何かがおかしいですね…………」

 彼は呟いた後で、全員に疑問を投げかけるように、

「犯人は、なぜ暖房を付けたのでしょうね……。ねこ助さんは暑がりでした。エアコンを切ったままか、冷房を利かせた方が、違和感はありませんよね。――なぜ、暖房だったのでしょうか」

「別に拘ることか? 知らなかった人のが多いんだから、誰かも言ったように死亡推定時刻を曖昧にしようとしただけじゃねぇのかよ」

「勿論、その可能性も大いにあるでしょう。ですが……」

 森岡くんは中途半端に口を閉ざすと、頬に手を当てて再び考え耽ってしまった。

 然しもの大人達も、議題にする手掛かりが尽きてきたようで口が重い。

 沈黙の帳がホールに降りていた。

 そこに、ふと投げかけられた疑問は、これまでの話し合いで僅かばかり得られた結論を両断してしまうほどの、研ぎ澄まされた白刃のような一言だった。

「関係ないと思って言わなかったんですけれど……」

「またそのパターンですかな」

 馬場社長が自分のことは棚に上げた物言いだ。

 母は気にとめずに、隣の藍染さんに視線を向けた。

「藍染君、ジーンズを履き替えたの? それって初日に履いていた方だよね」

 母の問いに、藍染さんが唾を飲み込んだ瞬間をわたしは見逃さなかった。

 表情にも珍しく余裕がない。

「……これはその、小島に渡ったときに浜辺で転んでしまいましてね。……だから、着替えたんですよ。着替えをもっと、用意するべきでした」

 藍染さんにしては判然としない言い方だった。それに、彼が転んだところをわたしは見てないし、ジーンズを濡らしていた記憶もなかった。わたしを背負った帰りに転んだとしたら、謝らないといけないけれど……。

 違和感を覚えたのはわたしだけではないようで、

「鎌三さん、申し訳ないんですが、藍染君の部屋にある衣類を確認してみても宜しいでしょうか」

 父の言葉は丁寧だったけれど、拒否権は端から与えていないという強い意思が込められていた。

 そして、こんなにも怯えるように俯く藍染さんを見るのは初めてだった。

「まあ、いいでしょう。……私は息子を信じておりますから」

 そう断言する馬場社長も表情は硬い。

 父と社長は揃って二階に上がり、藍染さんの部屋に入ったらしい開閉音がした。

 その間、ホールは居心地の悪い静寂に支配されていた。

 怖い。嫌な予感がする。

 わたしが得体の知れない胸騒ぎを感じる中、突如として、

「うわっ! 何をする!!」

 遠くで父の叫びと同時にドタバタと床板が鳴り響く大小の音が届いた。

 わたし達は目を合わせる時間も惜しく慌てて二階に駆けつけると、父と馬場社長が取っ組み合う形で、藍染さんの部屋の中を転がっていた。「助けてくれ!」父が再び叫ぶや否や、兄と森岡くんの二人が馬場社長を両側から取り押さえていた。

 社長は観念したように抵抗をやめた様子で、荒い呼吸だけが部屋に満ちる。

「……何が、あったんですか?」

 女医が真摯な目で問うと、顔にひっかき傷を負った父が、おもむろに床に落ちていたジーンズを掲げた。ねこ助さんの家に向かうときに履いていた方だ。――そのポケットの裏地には何かを押し込めていたような、千切れた植物らしき屑と、藍色の染みが付着していた。

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