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問題編 file.4

 その約一時間後。再び食堂に向かうと、昼食の席ではほとんど全員が集まって席についていた。「瑞姫、遅いわよ」という母の声に急かされながら自分の席に座る。わたしを入れて八人。ねこ助さんが来れば九人だ。

 朝の時間帯は寝ているねこ助さんも、昼頃には起きてきて、朝ごはんという名の昼ごはんをこの滞在中は一緒に食べる習慣になっていた。

「ねこ助さん遅いわねぇ、まだ寝てらっしゃるのかしら」

 と母が手持ち無沙汰に言った。

 食堂の置時計は十二時を回っている。

「遅刻する者に食べる権利はありませんな」朝ごはんを半分食べ損なった馬場社長が言う。わたしもだけれど。

「先に頂きましょうか」

 折角の料理が冷めるのを前にして、異論を述べる人がいるはずもない。

 皆でいただきますをして、ランチが始まった。

「深夜遅くまで漫画を描いていたのかしらね」

 母が話題を提供するようにさっそく彼女の話を振った。

「締め切りが近いことを昨日の夕食のときにも話していたな。今晩だけは、用事がない限りは小島に来ないで欲しい。明日の昼食とお見送りはさせていただきますので、お願いします。このようなことを言っていたと思うが」

 父が昨晩の夕食の席を思い返しながら言った。

「なら、無理に起こすこともないわね」

「そんな彼女を、馬場社長は酒の席に呼ぼうとしていらっしゃったんですよ。覚えていますか?」

 神藤女医が微笑しながら咎める。

「ううむ、酒を飲むとどうも気が大きくなりましてな。申し訳ない……。だ、だがのう、思い返してみれば瑛佑さんも、最初は何度も賛同してくれたではないか」

唐突に話を振られた父は、しどろもどろに言葉を返す。

「え、ええ。まぁその、折角の集まりですからねぇ。藍染君のように序盤だけでも参加をと思い、馬場さんの意見につい乗ってしまったのですが……。昨日の酒の場で、仕事に横やりを入れられる気持ちを考えなさいと妻に言われ、ぐうの音も出ませんでしたよ。すみません」

「瑛佑さんはこんなに反省しているのに、社長は罪の擦り付けみたいなことをして、分かってるんですか?」

「面目ない」と馬場社長は頭を垂れた。

もちろん全員が、本気の本気で怒ったり謝ったりしているわけではないと思うけれど、招待した側である父や母が言いにくいことを神藤女医が代弁してくれるのは非常に助かる。馬場社長は昨日の夕食時からねこ助さんと親密になろうと、手練手管の限りを尽くしていたから。

空気を変えようとしたのか、話題はねこ助さんの仕事のことになった。

「ああいう漫画は、最近の流行りなのかしら。少し読んでみたら怖かったわ」

 母もねこ助さんの漫画を読んでいたようだ。

「俺は好きだぜ。主人公が能力を上手く使って勝ち上がっていくんだ。命や賞金が掛かっているから、他のキャラも本気で挑む。その成長していく過程も面白いんだ」

 兄が意気揚々と自慢げに話した。

「ゲームという設定がどうもね。能力と言えば昔は、ファンタジー要素が現実と融合した現代社会を舞台に、火や氷などの魔法を扱う意味合いだったような」

「昔とは何十年前ですかな? 私の時代はファンタジー世界そのものの中で、登場人物達が共に戦い、時には敵対し、努力や友情を持って魔族の手から世界を救っていた記憶がありますがね」

 おじさん達の懐かし話には興味が湧かず、わたしはひんやりと冷たいビシソワーズに口を付けると、ナイフとフォークで黙々とクロックマダムに取り掛かった。

 ねこ助さんは、とある漫画アプリで大人気の連載を書いているらしく、私も単行本になった一巻を読んでみたけれど、あんまり面白さは分からなかった。内容は、強制的に若者たちがデスゲームに参加させられ、参加者が持つ「宝石」を奪い合う話だった。奇麗な宝石という言葉とは裏腹に、グロいシーンが多くて途中で読むのをやめてしまった。

 私はやっぱり恋愛系が良い。身分違いの禁断の恋。教師と生徒、跡取りと使用人、宮廷ドラマも好き。ロミオとジュリエット的な感じの。

 でも悲恋は嫌だ。最後はハッピーエンドが良いな、絶対に。

 漫画の話はともかくとして、ねこ助さん自身はすごく優しくてわたしは大好きだ。一年前にチャットアプリでIDを交換してから、今でも近況報告をそこそこの頻度でしている。

 因みに食事が始まるときにメッセージを送ってみたけれど、レスポンスは未だになかった。

「そういえば彼女、家のエアコンが古くなって壊れてきたって言ってたわ」

 母が父に向って言う口調は柔らかい。

「壊れたなら新調すればいいじゃないか。離島といっても、取り付けまで請け負ってくれるだろう?」

「それがねぇ、港町の電気屋さんに頼んでも足元を見られるらしいのよ。今のエアコンは専門の知り合いに配管やら真空引きをしてもらって取り付けたんですって。その人が今は名古屋に出張中らしくて」

「意外と難儀なんだな。俺の方でも伝手を探してみようか?」

 父の言葉に、母はナイフの手を止めて悩ましげだ。

「うーん。壊れたという表現は変だったかしらね。動くには動くのよ。リモコンのスイッチを入れても、稼働してから冷房や暖房の空気が出てくるまで、五分くらい掛かるみたいなの」

「へぇ、それは絶妙に不便だな。でも買い替えるほどでもなさそうだ」

「まぁでも、ねこ助さんは暑がりだし、夜中に暖房は必要ない人だから、今の時期は大丈夫ね」

「そうだな」

 父は相槌を打ちながら、大きめに切り分けたクロックマダムを頬張った。

「そもそも、ねこ助さんとやらは、どういう経緯でこの島に住んでおられるのかね? 二年前にもこの別荘に招かれたときは、まだ居られなかったと存じますが」

 馬場社長の質問に、父は口の中の物を嚥下してから説明する。

「粋狂な女性ですよ。遠い親戚にあたる人なんですが、昨年の春に突然、お金は払うから島に住まわせて欲しいと懇願してきたんです。躊躇はあったものの、私どもとしても、この島と別荘を持て余していたところに舞い込んだ話でしてね。是非とせがまれるものですから承諾しまして。小島の方にアトリエ的な家を建ててしまったときは、仰天しましたがね。ただし家賃とも言い換えられる住み込み費が或る程度の額でして――」

 父はねこ助さんから受け取っているらしいリアルなお金の話を続けるので、先に食べ終えたわたしは、今度こそ退屈になってスマホを取り出して操る。

 音楽を一曲聴き終え、イヤホンの位置を調節していると、

「僕が呼んできましょう」この耳障りの良い声は藍染さんだ。「休暇で体も鈍っていますからね、ちょっとした運動ですよ」

 どうやら話は、ねこ助さんの家に行く展開になっているらしい。しかも、藍染さんが立候補して行く流れになっていた。

「よし、私も同行し――」

「わ、わたしも呼びに行くわ! か、彼女に借りていた漫画を返さなきゃ!」

 父の声を遮って、咄嗟に嘘を付いてしまった。

「瑞姫、漫画なんていつ借りたんだ? それに彼女が来てから返せばいいだろう」

 父が余計な茶々を入れてくる。

「昨日借りたのよ。――あっ、藍染さん待って、わたしも行く!」

 食堂を出ようとする藍染さんの後ろを付き従う。

 揃って玄関で靴に履き替え、わたしが先行して、建物裏のやや急勾配の階段を下りた先にある係留場に来た。別ルートで八重葎が路肩に生い茂る緩やかな幅広の道もあるけれど、こちらの方が近道で、たったの三十秒で行けてしまう。

 止まっている手漕ぎボートにまずは藍染さんが乗って、わたしが乗るときに手を貸してくれた。やっぱり優しい人だ。

 彼はアンカーを曳き上げると、ゆっくりと両手でオールを漕ぎだした。

 潮風が頬を撫で、海鳥の鳴く声が遠くで聞こえる。今日は雲一つない快晴で日差しも柔らかだ。

「心地いいねー。ほんと良い休暇になったよ。来年も招待してもらえたら、是非伺いたいな」

「招待します! 父と母が絶対にダメって言っても、私だけは絶対に招待します!」

「あはは……それはいったいどんな状況なんだろうか」

 藍染さんは苦笑で返すけれど楽しそうだった。二人乗りの向かい合った姿勢だから、彼の表情がよく分かる。わたしももちろん嬉しい。

 ……それに何だか、デートをしているみたい。そう思うと自然と頬が緩んだ。

「青磁君とは、もっと話をしたかったな。結局この四日間にお互いの部屋に行くわけでもなく、ホールで会ったときを機に雑談するだけだったからね」

 藍染さんは今回の滞在の反省点みたいな風に言う。わたしは複雑な気持ちだ。

「そう、ですね。兄も喜ぶと思います」

 せっかく二人っきりなのに、なぜ兄の話をしなければいけないんだと思うけれど、藍染さんはたぶん、共通の話題を探した結果のそれだったのだろう。

 わたしは来年には沢山のミステリ小説を読んでこようと心で誓いながら、今はこの時を楽しもうと気持ちの切り替えをする。

 けれど、小島までのボートの旅は三分も掛からない。

 こちら側には係留場と言える場所がないので、砂浜に乗り上げて、アンカーも念のため落としておく。隣にはねこ助さんが使う用の手漕ぎボートが、同じようにして置いてあった。

 なだらかな道を円を描くように登っていく。その頂上、と言っても高低差は二十メートル程度の場所に、ねこ助さんの家はある。

 その家は頑丈なコンクリート造りの家で、屋根が赤く沿っているところが唯一可愛らしいポイントだ。本人曰く、実用性重視だと言っていた。ねこ助さんは暑がりだから、その辺は拘りがあるのだろう。

 インターホンがないので、ネコが輪っかを咥えた真鍮のドアノッカーを叩いて呼ぼうとした――その直前、異臭が鼻腔をくすぐった。

「……妙だな」

 藍染さんも、当然わたしより先に気付いていて家の側面を見回しているけれど、臭いの発生源に該当しそうな物は見当たらない。

「……瑞姫ちゃんは、少し坂道を降りたところで後ろを向いててくれないか。臭いが強くなっても、僕が驚きの声を上げても、絶対に振り向いてはダメだからね」

 柔和な笑みだが、普段とは違う切迫した目をしていて、わたしは何か重大な理由があるのだと察して素直に従う。

 藍染さんはわたしが離れたのを見届けると、ノッカーを叩きながらねこ助さんの名前を呼んだ。反応が無いことを確かめてから、おもむろに扉を開ける。扉はすんなり開いたようで、異臭も途端に強まり、熱を持った空気がわたしのところまで届く。

 離れていても、そのにおいに堪え切れず、わたしは何度もえずいた。ランチに食べた物を一通り吐き出してしまうと、黄色い胃液しか出てこなくなる。

 涙と鼻水とそれでぐちゃぐちゃになった顔を、スカートから取り出したハンカチで何度も何度も拭った。

「叔父さん達を呼ばなければ……急ごう」

「何? 何があったの?」

 藍染さんに問いつつも、わたしはすでに予想してたのだろう。

「瑞姫ちゃんは知らない方がいい」

 でも、とわたしは藍染さんの腕を掴んですがる。彼は一刻も早くボートに戻ろうと必死な様子で、わたしを引き連れて行こうとしていた。

「……ねこ助さん!」

 ねこ助さんに何かあったんだ!

 わたしは居てもたってもいられず、彼の手から逃れて家に駆け寄る。

「駄目だ! 瑞姫ちゃん!」という呼びかけも無視して、扉に縋り付き、中を覗く。

 後にエアコンの暖房の仕業だと分かる腐臭を伴った熱気の中、わたしは見てしまった。椅子に半ば頽れるように腰掛けて、上向いた顔で虚ろに目を見開いた双月ねこ助さんの姿を。

 そして彼女の胸部には、衣服ごと赤黒い血痕が花のように歪んで咲いていた。

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