解決編 file.5
ホールに張り巡っていた緊張の糸が解けつつあるのが、体感として分かった。
このままでは藍染さんが殺人者という汚名を着せられて、警察に引き渡されてしまうことくらい、わたしにも容易に判断が付いた。
違う、彼が犯人のはずがない。理屈ではなく感情がそう訴えかけてくる。さっきは抜け殻のようだったわたしの心にも、危機感が募っていた。焦りながらも、必死に頭をフル回転させる。この四日間、彼が目に入る場面では、ずっと彼のことを見てきた、彼の声を聞いてきた。だから、わたしにだけ分かる何かがあるかもしれない。自惚れだと思いながらも、祈るような気持ちで考えて考えて、考え続け、――不意にわたしは、手漕ぎボートで短いデートをしたときの会話を思い出していた。
「馬場さん、すみませんが、藍染君にも両手に縄だけ掛けさせてもらいます。これは彼のためでもあるとご容赦いただきたい」
「……好きにするがいい」
馬場社長を縛っていた麻縄が取り払われ、そのまま藍染さんを父と兄が取り囲む。
わたしは死ぬ気で思考を巡らせた。
そして、
「藍染さんは……」
おずおずと、しかし疑念の余地なく言う。
「違います」
藍染さんの腕を取っていた父達を含め、ホールにいる七人全員の目が、不思議そうにわたしに向いた。
「なぜなら、藍染さんは、……凶器の銃を知り得たはずがありません」
誰もが水を打ったような静けさの中で、わたしは喋り続けた。
「兄がねこ助さんから銃を受け取った一年前は、馬場社長も藍染さんも、この島の別荘に来ていませんでした。それに、今回の滞在中は、兄は厳重に銃を管理していました。部屋を出るときにも、ドアの施錠を必ずするほどに、です。そして藍染さんは、この滞在中に兄の部屋に入っていないと、ねこ助さんの家に行くボートの上で言っていました。本当かどうかは、兄に確認すれば分かります。……だから、藍染さんだけは、凶器に銃を使用することは、絶対に出来ないんです!」
わたしは言い切って、早鐘のように打つ心臓を抑えながら、みんなを見渡した。ほとんどの人が困惑顔で互いに視線を送る中、神藤女医だけはいち早く冷静だった。
「そうね。青磁君が藍染君を部屋に招いていないのなら……」ちらりと兄を窺いながら、「藍染君は犯人ではないことになるわね」
女医のお墨付きをもらって、わたしの考えは間違っていなかったことに一安心する。途端に力が抜けて、椅子に腰かけるのもやっとの状態だ。手足が小刻みに震えていた。森岡くんは、よく長い間喋り続けられたなあと、ちょっとだけ感心する。
「だったら何だ、結局犯人がいなくなっちまったんじゃねぇのか?」
兄は訳が分からないといった体で、片手で顎をさすった。
「いいえ……、森岡くんの推理通りに進めるならば、彼が話した前提での犯人像は、反故になったわけですよね」
女医の発言は止まらない。
「だったら犯人が二回目に現場に行ったとき、暖房を付け、プリザーブドフラワーを変色させて藍色から青色にしようと計画した仮説は、根底から違っていたんですよね」
「それは、僕も言いましたよ……。伝えたいことは端的に仰ってくれませんか?」
今まで迂遠な推理の果てに犯人を指摘した森岡くんが、苛立たしげに諫言した。年下のわたしに推理を否定されたからか、癪に障った表情で爪を噛んでいる。
女医は意に介さず、
「現場の花籠は横倒しになっていました。私は初め、花を手に取る際に起きた二次的な出来事だとばかり思っていましたが、理由はあったのだと今は思います。そして私達は長い間、色ばかりに囚われていたんです」
ここが正念場というように、一語一語丁寧に彼女は発言する。
「無我夢中で花籠を、そして最終的には藍色の花を一輪握ったことが、ねこ助さんの残した本当のダイイング・メッセージだとすると……色以外で、専門的な知識なんていらない、もう一つの分かり易い告発があると思いませんか?」
神藤女医のその声は、後半になるにつれて何故か震えを帯びていた。
「色以外の意味ですか」
父が考えるように顎に手をやる。森岡くんがはっと気付いたような顔をするけれど、自分自身で辿り着けなかった答えに歯噛みするように、悔しげな表情で押し黙っていた。
やがて、
「……贈り主、ですかな」
馬場社長の言葉に、「あぁ」とホールのあちこちから感嘆の声が漏れ聞こえた。
神藤女医は自分の発言の正しさを確認し、切歯扼腕の情を押し殺すほどの気概の色を、潤んだ瞳に宿しながら言う。
「そうです。あの花束は元々、誰が持ち込んでプレゼントした物だったでしょうか。話し合いでも幾度と出てきました。――私の友人、小鳥遊薫子が贈った物です」
え、という呆けた声は、気付かないうちにわたし自身の口から零れていた。
全員の視線が、各自の早さで母に向かう。
「二度目の往復は、忘れ物の線も捨てきれないけれど……、瑞姫ちゃんが都合良く酒宴に来たから? こんなこと、思いたくないけど」
親友の懇願めいた追撃にも、母は何かを悟ったかのように、神妙な顔つきで微動だにしなかった。
「……薫子? そんな、お前がやったわけないよな……?」
父の声が珍しく震えていた。
「だってお前にはアリバイが……」
おそらく私がうたた寝から目覚めたときのことを言っているのだろう。しかしあれはアリバイとは程遠い。裏口から母が帰ってきた瞬間に丁度わたしが目を覚まして、声を掛けたともとれる。思えばあのときの母は、涼しい時間帯なのに妙に汗ばんでいた。
そして別荘内を歩き回っていても、数分間姿が見えなくても、不自然ではない。皆が部屋に戻っている良いタイミングを狙って犯行に及べる。
それに母ならば、兄がリボルバーを隠し入れていたトランクに、別荘に来る前から触れることが違和感なく行えた。一年前に別荘で兄がそれを受け取ってから、その存在を知る機会も他の人より多くあっただろう。
様々なことが、想像したくもないのに、噛み合ってしまう。
「……あなたがいけないのよ」
長い沈黙の後、漸く母が口を開いて父に告げる。
「あなたが……。ねこ助さんは、楓さんは、本当はあなたの子だって言うから……! 話し合うだけのつもりだったのに……私はっ! ぁぁぁぁあああああ!!」
母は両手で顔を覆いながら床に頽れた。初めて聞く母の号泣の最中で、話し合いに銃を持っていったのはなぜ? と理性的に疑問を抱くわたしは、冷徹な人間なのだろうか。この一日に多くのことがあり過ぎて、感覚がマヒしてしまったのかもしれない。父も兄も悔し涙を浮かべる姿を見て、そう言い訳しなければ、自分を保てない心境だった。
その後、警察の乗る船が到着して母は連れていかれた。自白はしているけれど、わたし達からも聞き取りは行うらしい。
「本当に、瑞姫ちゃんがいなければ危うかった。感謝せねばなりませんな」
いつの間にか隣に立っていた馬場社長が、真摯な目で言いながらわたしを見遣った。その後で、精魂尽き果てた表情の藍染さんを肩に抱き、共に二階へと上がっていく。帰途に就く準備をするのだろう。
母の友人である神藤女医も、犯人指摘後に堰を切ったように涙を流していた。ハンカチで拭いながら時折鼻をすすり、二人の後について二階に向かった。
森岡くんは何を考えているか分からない不遜な顔つきで、何度も痛めた腕の包帯を整えながら自室に去った。
涙を抑えきれない父は、それでも兄とわたしに帰る支度をするよう促す。わたしは心を空っぽにしていた。何も考えないようにしなければ壊れてしまいそうだった。
母が警官に三方を囲まれながらすれ違う際、わたしにだけ届く声量で、
「二人目なんて産まなきゃよかった」
と呟いた真蛇のような表情を、わたしは生涯忘れることはないだろう。
藍染さんを救いたい一心で放った私の恋色の弾丸は、鈍色の言の葉となって跳ね返り、一生消えることのない傷をわたしの心に刻んだのだった。
鈍色の言ノ刃、恋色の魔弾 了
これにて完結です。短編か中編か微妙な塩梅の犯人当てにお付き合いくださり、ありがとうございました。もしよろしければ、いいねや評価、コメントでのご指摘等々をいただけると嬉しいです。




