解決編 file.4
「何かが違うはずです。
そもそも、犯人が藍色の花から青色の花に切り替える計画だったという説には、大きな欠点があります。ねこ助さんは暑がりで、夜中だとしても暖房を付けない人だったという事実です。仮に花の色が変わるとして、ねこ助さんがダイイング・メッセージを残そうと今際の際に思い立ったとき、咄嗟に花を握ろうと考えた……現場の状況から僕達がそう読み解くことは有り得ません。暖房が入っていることで、それはねこ助さんが残した手掛かりではなく、彼女の暑がりを知らない犯人が偽装した偽のダイイングメッセージであると明白になっているのですから。
ややこしいでしょうか? つまりは『ねこ助さんが花の変色を加味したダイイングメッセージを残したこと』と『暖房が付いていたこと』はシンプルに矛盾するわけです」
森岡くんは自説を自説で否定した。
「やはり、花の色が……茎が取り替えられていたのでしょうか? いえ、これは藍染さんが藍色の花を折った事実から、警察に委ねるまでもなく完全に否定されました。
別の道筋はないかと思い返してみると、議論の中で一度、否定されたパターンがありました。それはもしも、瑞姫ちゃんの人影を目撃した証言が先に話されていれば、容易に残されたはずのものです。しかしこのパターンは、あのとき、ある人物の話術によってのらりくらりと却下されてしまいました」
「それは何だね、遠回しな説明はもうこりごりだ」
身動きの取れない馬場社長は、胴間声を上げて威圧した。
「すみません。どうやら僕は率直に物事を話せない性分のようです。……話を戻しますと、それは『被害者が花を握ったパターン』です。これは当初、茎だけを犯人が残すはずがないという理由で却下され、暗黙的にもう一方の『全て犯人が偽装したパターン』で話し合いを進めることとなりました。
そしてここに至り、『全て犯人が偽装したパターン』は犯人不在で間違った推理であったことが判明しました。ここまで説明しなければ、『全て犯人が偽装したパターン』を消せなかったことを、どうかご了承ください。
それから僕は話の冒頭で、犯人に関する嘘を付いたことも謝らねばなりません。部外者の分際である僕の推理をひたむきに聞いてもらうには、効果的な手段だったのです。重ねてご容赦いただきたく存じます」
森岡君はそっと頭を下げた。
「それでは……仕上げに参ります。
被害者が花を握ったパターンでは、論理の道筋がとてもシンプルになります。
凶弾に倒れたねこ助さんは、せめてもの手掛かりを残そうと、今際の際に最後の力を振り絞って、ダイイング・メッセージとなる藍色の花を一輪握りました。犯人はそれを見逃して冷房を付け、犯行現場を立ち去ります。二回目と思われる未明の往復時には、落とし物か手掛かりの隠滅か、あるいは暖房にだけ切り替えて再び現場を立ち去りました。真偽に関わらず、被害者のダイイングメッセージという意味合いがなくなった以上、暖房は犯人が付けたと知られても何ら問題はありませんから不自然ではありません。死亡推定時刻を誤魔化す為だと思われ、実際にその通りなのでしょうから。
そして二回目でもその人物は、被害者がダイイング・メッセージを残していることに気付きませんでした。夜が明けて死体発見時、ついに犯人はそれに気が付き隠滅を試みますが、残念ながら物証を残していました。それでも彼は話し合いで上手く立ち回り、ダイイング・メッセージは犯人が偽装したものだということを、全員に印象付けました。
そろそろ主語を統一しましょう。巧みな弁論で、真のダイイング・メッセージを偽のダイイング・メッセージに塗り替えた人物。真のダイイング・メッセージに死体発見時という際どいタイミングで気付き、処分しかけた人物。被害者のねこ助さんが、死の間際に力を振り絞って残した手掛かりから推測できる人物。……それは馬場藍染さん、あなたです」
森岡くんの双眸が、犯人だと指摘した人物をひたと見据える。
皆の視線を浴びた彼は、椅子に座ったまま、拍子抜けした表情で森岡くんを見返していた。
やがて理解が追いついたように頬を引き攣らせると、浮ついた口調で、
「…………僕が、犯人だって? はは、何を言うかと思えば、……冗談が過ぎるんじゃないかい? この、……この記憶喪失のッ、何処の馬の骨とも知れない部外者如きがッ!!」
藍染さんは俊敏な動作で立ち上がり、森岡くんの胸倉に掴みかかった。反動で彼の座っていた籐椅子ごと倒れ、縺れ合うように床に叩き付けられる二人。森岡くんは骨折した箇所を強打したようで、表情が苦痛に歪む。それを上回る形相で藍染さんが仰向けの彼に圧し掛かる。腕を振り上げて、顔や首をがむしゃらに殴ろうとしたところで、父達からストップが入った。
さすがに父と兄の腕力には抗えず、何事か喚きながらも森岡くんから引き離されて、両腕を取られ拘束状態にされていた。
馬場社長も泰然として構えた様子で座っているものの、身体が自由であればどちらに加勢していたかは明白に思えた。
「森岡くん、大丈夫?」
明らかに負傷した箇所を抑えながら、
「僕は平気です。それよりもこれ以上の被害を出さないためにも、彼から目を離さずに注意していて下さいね」
「僕ではない。……僕は彼女を殺してないッ!」
「親子二人して血の気が多いですね」腕の具合を確かめながら森岡くんが言う。「しかし論理の道を辿った先には、あなたしかいないんですよ」
「違う……ッ。ねこ助さんの死体を発見した時……藍色のプリザーブドフラワーを咄嗟に折って隠してしまった。その行為は悔やんでも悔やみきれない。握られた花はどう見ても、僕を名指す犯人が偽装した手掛かりだと思い、瑞姫ちゃんが外にいるのをチャンスとばかりに隠蔽したのは、愚か過ぎたよ……反省している」
藍染さんは拘束されたまま項垂れ、声音にも抵抗力が喪失しつつあることが窺えた。
彼の言動が演技だとは到底見えなかったけれど、彼が犯人ではないと言える根拠も、他の人が犯人だと言い放てる合理的な解答も、わたしの手の内に無いことが悲しかった。
馬場社長は思い付く限りの反論を試みるように、
「冷暖房の話はどうなったのだ。神藤女医の検死を踏まえた君の推理によれば、二回目の往復時には、犯人は暖房を付けるために小島に向かったんだろう? 息子を犯人と決めつけるならば、そこの説明に理路整然とした解釈がなければ、私は君の推理を認めはしない」
断固とした態度で、社長は森岡くんに詰め寄った。
「暖房による花の変色が目的ではなくなった今、そこに確固たる理屈を求めることは、ほとんど意味を成しません。二回目の往復は、それこそ現場に重大な忘れ物をしたり、証拠の隠滅に向かった可能性も再度浮上します。無論、暖房を付けに行っただけの場合もありますが。そして冷房と暖房による死亡推定時刻の件ですが、正直、素人の犯行で温度調整など出来ません。花の偽装が行われていない以上、犯人は二度もダイイング・メッセージを見逃した要領の悪い犯人です。犯人像が様変わりした今、普通なら二回目の往復時にでもエアコンを付ければいいものの、冷房と暖房を組み合わせれば誤魔化せるとでも思ったのでしょう。全く、馬鹿な犯人ですよ」
と森岡くんは侮蔑するように推理を締め括った。
社長は納得出来ない表情をしながらも、反論の言葉が出ない苦しさは彼の推理を暗黙のうちに認めることになってしまっていた。
「それでも、僕は彼女を殺してなどいないんだ……」
うわ言の様に藍染さんは言いながら、ホールのフローリングの上にだらんとした態勢で座り込んだ。反抗する気力も霧散したようだった。
父と兄は腕の拘束を解きつつも、藍染さんが唐突に暴れやしないか一挙手一投足を監視していた。
馬場社長もやや離れた位置で静観していて、形容しがたい表情で空中の一点を見つめていた。おそらく息子の無実を主張する何かを、必死の想いで考えているのかもしれない。
誰も次の言葉を発さなかった。フランス窓の外から潮騒の音と、遠くで海鳥の鳴く声が聞こえるのみだ。
父が長い黙考の後で、ふっと深い溜息を付いた。
「……あとは警察に任せよう」
それが最終判決とでも言うように宣言して、席に戻った。




