解決編 file.2
兄は目を細めて、まっすぐに森岡くんを見ながら言う。
「話し合いの最中にも、俺が同じ疑問をぶつけたはずだ。エアコンの切り替えの温度を何度にすれば死亡推定時刻を誤魔化せるのか、神藤さん以外の素人には余程の計画性が無い限り分からねぇはずだ。それに暑がりを知らなかった人の方が多い。あるいはねこ助さんが自殺に見えたか? 俺には見えなかったぜ。何を言いたいかというと、被害者が暑がりだから、犯人は暖房にしなかったという意見は筋が通らねぇってことだ。犯人がエアコンを駆使して、最後に結果的に暖房になっていても不自然じゃねぇ。それなのにさっきから暖房暖房暖房って……お前はどれだけ暖房に拘るんだ?」
兄の弁を、森岡くんは聞き役に専念してずっと薄い笑みを浮かべていた。
聞き終えると小さく息をついて、
「はい。青磁さんの発言は全くもってその通りです。実際には犯人がどこまでの考えで冷房と暖房を使い分けていたのか……。未だに僕にも窺い知れてはいません。下手なことを言えば、犯人は三度も四度も往復し、出鱈目にエアコンを切り替えた可能性だって残されています。しかし、今から僕が話すことを聞いてもらえば、犯人が未明に意図して暖房を付けた、より蓋然性の高い理由が分かってもらえると思いますよ。どうか、もう暫く我慢してご清聴ください」
そう言われては兄も反論を続けるわけにいかず、成り行きを見守る姿勢に戻った。
「仕切り直しまして、ここでようやく、我々を大いに悩ませる謎となった『なぜ被害者がプリザーブドフラワーの茎だけを持っていたか』の話をすることにしましょう。話し合いの中では、犯人が茎だけを残した意図に混乱させ続けられてきましたが、ある事実が判明し、一気に真相へと近づきました。それは皆さんご存じのとおり、藍染さんのジーンズにあった花屑と塗料の染みであり、花を折ったのは藍染さんであることが公の事実となりました。彼が咄嗟にポケットに隠したことから、深夜であればその必要性がありません。余裕を持って処分が出来ます。よって彼は瑞姫ちゃんが同行した死体発見時に花を折り、咄嗟にポケットに入れたことが分かります。
犯人は藍染さんだったのでしょうか? 犯人を絞るには、まだ話すべきことがあります。ただ、証拠を隠し続けたことは、証拠隠滅罪に値するかもしれませんね……。
さて、この事実も非常に重要であり、犯人がダイイング・メッセージの花を、二回目の未明の往復時には折っていなかったことと同義になります。
犯人は二回目に現場を訪れたときにも、おそらくエアコンを暖房に切り替えただけで、花には手を付けてはいなかった。――これはいったい、どういうことなのか。
そのパズルのピースは、僕がぐっすりと眠っていた時間帯の会話の中にありました。そうです、大人達のみで開かれた深夜の酒宴での、薫子さんが語ったプリザーブドフラワーについての特性です。
犯人が二回目に家を訪れた理由。それが万一落とし物や手掛かりの消し忘れだとしても、暖房にしたことが気掛かりでした。では、エアコンを暖房にすることで、犯人に利することは何かないか。現場で変化が生じるものはないだろうか。考えあぐねていたときに、花の特性を聞き、思い付いたんです。犯人はなぜ二回も現場を訪れたのか。それは、室内温度を高めること、それ自体が目的だったのではないだろうかと。
そう推測すると、花の特性の話がぴたりと当て嵌まります。
別荘にあるプリザーブドフラワーは、一階廊下のそれは、深い緑色から白みがかった黄緑色に。二階廊下のそれは、ピンク色から真っ白に変化するとの話でした。
このことから、もし現場の花が変色するとしたら、藍色から薄い青色に変化するであろうことは誰でも容易に想像出来たことでしょう。実際、現場の花は別荘に飾ってある花と違い、変色しなかったのですが、この話は追々。
変色する気温の話も、酒宴で出ていました。簡潔に言うと、二十五度付近の温かさでは薄く、十八度以下の寒さでは濃くなります。
もう予想は付いていることでしょう。つまり犯人が暖房を付けた理由は、花を変色させるためです。それも青色に変える為でした。
繰り返しになりますが、犯人が現場で忘れ物をしたり、証拠を隠蔽するために戻った可能性はあります。しかしそれと同時に、あるいは花の色を変化させるためだけに、二回目の小島の往復を遂行したのです。
当初の計画ではおそらく、偽のダイイング・メッセージとして藍色の花を被害者に持たせ、藍染さんを偽の犯人にしようと企んだのだと思われます。このままでも構わなかったのですが、犯人はより蓋然的な状況に仕立て上げようと考え直したのでしょう。凶器に使ったのは青磁くんのトランクから盗んだリボルバーであり、花の特性を聞いたことで、これは好機だと犯人は考えました。青と名の付く彼に照準を合わせ直し、二回目の往復時には冷房から暖房に切り替えて立ち去りました。
犯人はなぜ、暖房に切り替えたのに、花の色が変わらないことに気付かなかったのか。それも今日の昼食時の会話にヒントがありました。ねこ助さんの家のエアコンは古くなっていて、リモコンを操作してから五分ほど待たなければ風は出てこないとのことでした。現場の滞在時間は減らしたいのが心理。それ故に、犯人は変色の確認を諦めたのだと思います。息を吐いて確認する方法もありましたが、微細な証拠を警察が拾う可能性を恐れたのかもしれませんね。
さて、思った以上に長話となりましたが、ここまでが今回の事件の真相と犯人の行動の全てです。質問のある方はいませんか?」
「一つある」
質問は、手を挙げることの叶わない馬場社長からだった。
「犯人はなぜ、あの時間に犯行を行ったのかね。ねこ助さんは夜型という話だった。二回目の往復が出来るならば、その時間に決行した方が安全ではないかな」
「犯人の心理に関わるので難しいところですが……深夜零時頃から始まった酒宴は、いつまで続くか分かりません。現に瑞姫ちゃんが談話室を訪れなければ、それこそ未明まで飲み交わしてした可能性はありそうです。馬場さん自身、心に問い掛けてみてはどうでしょうか? さらに、日が昇り始めれば見つかり易く、焦りも出てくるでしょう。酒宴に未参加の、早くに寝た若者が起きてくる場合も有り得ます。薫子さんの言葉を借りれば、クールタイムとして各々が部屋に戻っていた時間帯に犯行を行う方が、心理的に楽だったのではないでしょうか」
「それは何だね、我々大人達の中に犯人がいるような言い分ではないか」
「そうは言っていませんよ。酒宴が開かれることを知らないことは、誰も証明出来ませんから」
「けれど、ほとんどの人間はクールタイム中とはいえ起きているわけだろう。もし小島に渡る瞬間を誰かに見られたら、どうするんだい?」
今度は父が質問を飛ばした。
「手漕ぎボートでの往復路は、一階と二階の廊下の窓から半分見える程度です。そして瑞姫ちゃんが人影の顔や輪郭さえ証言出来なかったように、夜の帳が降りている中では、誰が漕いでいるか判別が付きません。もし、係留場に行き来する場面を見られてしまったら……その可能性は高いとは言えませんが、その状況になったらこう言い訳すれば済みます。
私が酒宴のことを訊いてきました、やはり参加はしたくないそうです、と」
あれ、とわたしは不思議に思う。けれど上手く言葉に変換出来ない。
それを父が代弁してくれた。
「それはおかしくないか。犯行前ならともかく、もしも犯行後に別荘に帰宅した瞬間を目撃されたらアウトだ。一時的には誤魔化せても、今頃は縄で縛られて椅子に座っているだろうさ」
その疑問にも、森岡くんは動じることなく答える。
「事実とイフの話を混ぜてはいけません。僕が言いたいのは、もし見つかってしまった場合の対応の話です。その時点で死体が発見されていない以上、犯人は臨機応変に対応出来ることを忘れてはいけません。
具体的に言えば、二回目の往復で、死亡推定時刻などを検視出来ないほどに、遺体を損壊したでしょう。あるいは海に遺棄したかもしれません。そして死体発見の日にちや僕達の話し合いも、最悪の場合はめいめいの命さえも、……のちの警察の初動捜査も、何もかもが様変わりしていたでしょうね」
「なるほど……」
父は納得したように頷いた。
「他に質問はないでしょうか? ――それでは、ここから判明した事実を照らし合わせて、犯人を絞っていきます。……が、少し喉が渇きましたね。飲み物を取ってきても宜しいでしょうか?」
「それなら私が……皆さんの分もご用意します」
母が椅子から立ち上がり、食堂へ駆けていった。
そんなわけで緊張感の緩みが生じて、トイレ休憩も挟むこととなった。さすがに父はホールに残って目を光らせていたけれど、神藤女医と兄は各々の部屋に一度戻った。
わたしはこんなタイミングで休みを入れて大丈夫なのかと不安だった。
真相は彼によって暴かれた。後は犯人を確定させるだけだと言う。犯人の立場だったら、恐ろしいことを企む最後の機会なのではないだろうか。
しかし、わたしの心配も杞憂に終わり、再び八人が席に着いた。
森岡くんはそれを確認すると、勿体ぶらずに語り始めた。




