解決編 file.1
馬場社長は、椅子に座らされ手首を縄で縛られていた。抜け殻の様に微動だにせず、中空の一点をただただ見つめている。彼を取り押さえた人物の一人、森岡くんは骨折箇所をさらに痛めてしまい、再び神藤女医の手当てを受けていた。
「馬場さんには窮屈でしょうが、警察が到着するまで大人しくしていてもらいますよ」
そして父は、その息子に向き直り、
「藍染君も下手な行動は慎んでおくべきだ。聡明な君なら、理解出来るね?」
社長のように暴れるようなら色々と不利になると、言外に仄めかす言い方だった。
「……僕は、殺していない」
藍染さんは沈鬱な表情で呟くが、父は聞く耳を持たなかった。
これで事件は終わったのだろうか。本当に?
わたしには俄かに信じられなかった。
藍染さんが犯人だなんて、嘘だ。
けれど、藍染さんはわたし達に嘘をついていた。騙していた。
着替えたジーンズのポケットに入っていた植物らしきものと藍色の染みは、彼がわたしと共にねこ助さんの家を訪ねたときに花を折ったことを、紛れもなく、如実に語っていた。
言葉に上手く表せないこの感情は何だろう……。
わたしは愕然とするでもなく、悲観するでもなく、ぼうっと事の進行を眺めていた。客観的にはわたしの姿も、抜け殻のように見えているのかもしれなかった。
そのとき、
「馬場さんも藍染さんも、犯人ではありませんよ」
潮風のように、唐突な発言が吹き抜けた。
断定的な発言の主は、話し合いでは最も寡黙だった森岡くんだった。
「……森岡君。こんな場で冗談を言わせるために、君を救助したわけではないんだよ」
「僕の頭は至って正常ですよ。それを証明するためにも、話を聞いていただけますか」
彼は父の難色を押し通して、一同を見渡した。
片眉を上げる父の視線を平然と受け流して、「その前に」と、森岡くんは藍染さんに近づいた。
「藍染さん、重要なことをお訊きするので答えてください。瑞姫ちゃんと二人で遺体を発見したとき、藍染さんは花以外の物に触れましたか? 特に、エアコンのリモコンを操作しましたか?」
「……してない。……僕は何もしてない」
「しっかりしてください!」
上の空な藍染さんの額を空いている左手で押さえ込み、正面を向かせる。あわやビンタしそうな気迫だ。
「ああ、いや……すまない」藍染さんは目に若干の光を取り戻すと、「本当に僕は花以外の証拠を隠蔽していないし、ねこ助さんの家で触れた物も、それに加えてドアとノッカーくらいだ。……誓うよ」
わたしは死体発見時のことを思い返した。胃液がこみ上げそうになるのを堪えながら、藍染さんがドアを開けたあのとき、熱風を感じたのを覚えている。室内に入ったときも暑く、すぐにエアコンを利かせてどうにかなるものではない。そもそも、ねこ助さんの家のエアコンは微妙に壊れていて、すぐに室温を上げることは出来ないのだから。藍染さんが触れた物については確信出来ないけれど、暖房は付いていたはずだと、わたしは心の中で答えを出した。
森岡くんは満足そうな表情で自分の席に戻った。
そして自信たっぷりに、
「事件の真相が分かりました」
そう宣言した。
「……何だと」
父が驚きの声を上げ、馬場父子も弾かれたように顔を上げた。
「少しばかり長くなりますが、話し合いを元に僕が導き出した解答を訊いてもらえませんか」
真犯人が分かったと言われて、話を聞かない人はいないだろう。
父も黙って席に腰掛けると、彼を訝しげに凝視する。
全員が席に着き、自身に注目していることを確かめた後で、森岡くんは滔々と長い推理を語り始めた。
「最初に推理の起点として、二人が聞いたという午後九時五分頃の金属音について考えてみました。この金属音は、状況は違えど、偶然にも窓を開けて静かにしていた馬場さんと瑞姫ちゃんが耳にしたと証言しています。一人ならば嘘や聞き違いの線も追わなくてはなりませんが、お二人が結託していない限り、間違いなく金属音はしたと断定出来る非常に重要な手掛かりです。
また、金属音はひどく曖昧な証言でもあります。議題にも挙がったように、それ自体が偽の手掛かりである線は追えるでしょうか。いいえ、追えません。音が小さければ誰にも気づかれず、逆に大きければ全員に聞こえ、大事となっていたでしょう。繰り返しますが、二人だけが金属音を聞いたことは偶然の出来事です。犯人が策を弄して成り立つものではありません。よって、偽装が困難なことから、このことは真の手掛かりであると言えます。
青磁君の弾数の証言(リボルバーは一発しか撃たれていないこと)を信じるとすれば、犯行時刻はこの金属音がした午後九時五分頃というのは真実になります。
この事実を踏まえて、同じ時間帯に誰も確かなアリバイを持たないことから、共犯者はおらず、単独犯であると言えます。後で述べようと思っている死亡推定時刻の誤認によって、犯人達はアリバイを作らなかったのでは? という意見もあるもしれません。ただそれに関しても、両方の時間帯で偽のアリバイを作ることにデメリットはほとんど無く、話し合いの最中に幾らでも機転を利かせることも出来ました。これらを鑑みて、今回の犯行を計画し実行した人物は一人と考えていいでしょう」
すらすらと彼の口から出る論理めいた言葉に大人達は戸惑いつつも、黙ったまま話の続きを訊く。
「次に、犯行時刻が午後九時五分となると、話し合いの中でも、神藤女医の検死結果との矛盾が指摘されました。この整合性を保つには、エアコンの暖房が犯行時から死体発見時まで、三十度のまま付いた状態ではなかったという仮説が俎上に上ります。多少、遺体の状態に齟齬は発生するかもしれませんが、犯行時刻が九時五分頃というのは真実ですので、途中までは冷房が掛かっていたのではないかと推測を立てることが出来ます。それも丁度、犯行時と発見時の中間辺りの時間帯で切り替えたのだろうと。これはあくまで、推測に過ぎませんでした。けれど、犯人の意図は後述するとして、犯人がこの時刻でエアコンを切り替えたのではないかという証言があります。瑞姫ちゃんが、小島に向かう人影を見ていましたね。ねこ助さんは、今晩ばかりは仕事に集中したいと言っていたことから、犯人以外とは考えにくいです。話を聞く中で酒宴に誘おうと最後まで意気込んでいた方は一名いましたが……偽証をしてまで捜査を攪乱させようとする人間はいないと思っていますので。つまりこの人影は犯人と断定でき、この時点で冷房と暖房を切り替えたと考えられるわけです。
ここに至り、私はまず、犯行後に犯人が冷房を付けた理由を考えました。窓を開ければ、夜は十八度以下という、そこそこの寒さを実感出来ます。なら、犯人はなぜ冷房をガンガンに利かせたのでしょうか? それは死亡推定時刻を誤魔化す以外にないでしょう。本来なら、後で冷房を切ったりして、攪乱しよう画策していたはずです。
そして肝心の、二回目の現場の往復です。なぜ二回も犯行現場に赴いたのでしょうか。冷房から暖房に切り替えて死亡推定時刻を欺くためでしょうか? しかし、それは少し妙な話です。なぜなら現状としての検死結果が、金属音のした死亡推定時刻通りに戻ってしまっているのですから。あわよくばアリバイを作ろうと誤魔化すのなら、単に冷房を切るか、更に温度を下げる方が得策です。冷房が切ってあれば、最初から付いていなかったと誤魔化せます。また、さらに低くすれば、ねこ助さんが室温を下げたとも捉えられます。
しかし、暑がりのねこ助さんが暖房にすることだけは有り得ないのです。彼女が暑がりだと知っていれば、この時点で実際に冷房を切ったり、温度をさらに下げて検死結果を有耶無耶にしようと企んだはずです。
それなのに、――どうして犯人は二度目の往復時に、暖房に切り替えたのでしょうか」
「……ちょっといいか?」
と長広舌を振るう森岡くんに、兄が真剣な表情で割り込んだ。




