問題編 file.1
問題編を毎日投稿、一日空けて解決編を投稿していく予定です。
登場人物
親族と招待客
小鳥遊瑞姫 (14) わたし 語り手
小鳥遊瑛佑 (42) 瑞姫の父
小鳥遊薫子 (39) 瑞姫の母
小鳥遊青滋 (17) 瑞姫の兄
神藤理兎子 (35) 母の友人 麻酔科医
馬場鎌三 (48) 瑞姫の従伯父 倶利伽羅製菓社長
馬場藍染 (23) 鎌三の息子 瑞姫のはとこ 修士一年
双月島の住人
双月ねこ助 (22) 漫画家 女性 本名は蓬莱楓
漂流者
森岡朔太郎 (17) 高校生 推理作家志望
潮騒の音が聞こえる。潮風が肌を撫でて寒さを感じる。ちょっぴり海の匂いもする。ほんの僅かに、金属のぶつかり合う音が聞こえたけれど、気のせいかもしれない。五感の端々でそんなことを感じ取りながら、私は徐々に意識を浮上させていった。
どうやら私は、ソファでうとうととして眠っていたらしい。
ホール西側のフランス窓が九十度傾いて見えて(寝ころんでいるからだ)、その先には大海原が宵闇の向こうまで広がっていた。
寝ぼけた頭に記憶が蘇ってくる。
ああ、そうだった。私は今、双月島の別荘に来てるんだっけ。それにもうこんなに暗くなってる。肌寒いわけよね。……思い出した。夕食を食べた後にお風呂に入って、湯冷めするという母の忠告を無視してホールのソファで寝てしまっていたんだった。
そんなことをボンヤリと考えながら上体を起こして目を擦っていると、
「やっと起きたの? もう九時過ぎよ。夜に眠れなくなっても知らないからね」
後方から、そんな母の声が飛んできた。
「ん~……分かってるわよ」
「で、起きたんなら、ちょっと手伝って欲しいんだけど」
私はのっそりと体を捻って、ソファの背もたれに身を任せる。まだ眠気が尾を引いている気怠さがあった。
「手伝うって何をー?」
「これよ」
母の姿が見えないと思っていたら、ホールの奥にあるランドリー室から白いもこもこに足の生えた生物が現れて、私は全身の毛が逆立ちそうになった。
もしかしてまだ夢の中にいるのでは? と思うのも一瞬のこと、もこもこが横を向いて、汗ばんだ母の姿が見えた。なぁんだ、とトリックが分かると再び眠気が脳を侵食してくる。
「ほら早く、こっちに来なさい」
私は欠伸を手で押さえながら、仕方なく立ち上がって傍に向かった。
途端に、
「はいこれ」
「きゃっ、もーう、突然なによ」
私はその真っ白な柔らかいものに包まれた。しかもそれなりの重さがあって、しっかりと掴んでいないとずり落ちていってしまうため、不安定な物を抱っこする態勢でそれを受け取る。
「太陽が昇ってる間は温かいんだけど夜はとても冷えるからねぇ、この島。森岡君に渡してきなさい。ほら、ちゃんと抱えて」
私はしぶしぶ仰け反った格好で方向転換した。えっと、右、右に行くのよ。
なんとかホールを横切って一階の廊下に出る。
布団が大きすぎて前も横も見えない。方向感覚を頼りに、すり足で一階の廊下をゆっくりと進む。父と母の部屋、自分の部屋、その二つを通り過ぎた辺りで、視界の端で僅かにドアが見えた。無事に辿り着いたみたい。
私は布団が落ちないようにスナップを利かせてノックをする。
「森岡さーん。お届け物でーす」
「……ま、まて! 今は開けるんじゃねーぞ!」
あれ? 森岡くんの声とは違う。この声は兄の青磁だ。でも、どうしてあんなに焦った声なんだろう。自慰でもしているのかしら。
「ごめん間違えたー」
素っ気なくそれだけ言うと、私は再びすり足で進む。私の隣は兄の部屋だ。どうやらまだ寝ぼけているみたい。
再びドアが横目に見えた。
今度こそ、森岡くんの部屋をノックする。
「はい」
すぐに応答があった。勿論、声も森岡くんだ。
「森岡さーん。お届け物でーす」
ドアが内側に開く音がした。姿は見えないけれど、眼前に人がいる気配がする。
「お届け物ですか? わぁっ、これは随分と大きなわたがしですね」
私は彼の滑っているジョークを無視して、
「太陽が昇ってるうちは温かいんだけど、夜はとても冷えるのよ、この島。だから布団を渡してきなさいって言われたわ。はい、ちゃんと抱えてね」
受け売りのままに、強引に布団を彼に押し付ける。ふぅ、体が楽になった。
今度は彼が抱っこする格好になる。しかも彼は右腕を骨折しているので、片腕だけだ。それでも背丈が私よりも随分とあるため余裕そうだった。私はちょっとだけ頬を膨らませる。
「ありがとうございます。救命していただいたことは言うまでもなく、部屋や食事、さらには風邪の心配まで気を回して下さって、至れり尽くせりです」
白いもこもこが懇切丁寧なお礼を告げた。
「気にしないで」
と一言だけ返して、そそくさと私はリビングに戻った。
森岡くんは、わたし達家族が四日間のバカンスに招待したお客さんではなく、この島に流れ着いた漂流者だ。
意識不明で傷だらけ、濡れネズミの状態で打ち上げられていたところを、ちょっとした海水浴を楽しもうと浜辺に降りたわたし達が発見した。お客さんとして招いていた神藤女医が主に介抱をして、回復を遂げた現在は、右腕を骨折していながらも元気になってくれた。ただし、なぜ漂流していたのかなど、短期間の記憶を忘れてしまっているらしい。名前と住所、高校生であることなどは覚えていたので、幸いにも彼の家族と連絡は取れて、明日にはわたし達とクルーザーで本土に帰ることになっている。
本人も、命に比べれば僅かな記憶と骨折なんて些末なことです、と気障な台詞を言っていた。
ランドリー室に戻ると、母に問い掛けられた。
「森岡君にちゃんと渡せた?」
「勿論よ。でも、暖房があるのに布団まで必要だったのかな」
「それなら、瑞姫の部屋のお布団は片付けてしまおうかしらね」
「それは、だめよ!」
墓穴を掘ってしまった。初日からわたしの部屋にも、もこもこの布団はある。室温は関係なしに寝心地が良いのだ。
母はうふふと笑って、今度は食堂に向かった。明日の朝食と昼食の下ごしらえをするのだろう。忙しそうだけれど、手伝っても逆に仕事を増やす羽目になるので、わたしは手持ち無沙汰にホールを見回す。
フランス窓から海が見渡せるようにソファ、その手前にローテーブルを囲むように四人分の籐椅子が置かれているホールは、がらんとしていた。さっきまで食事後に寛いでいた父達の姿はなかった。部屋で仕事をしているのかもしれない。この島はネットも電波も届くので、IT企業の取締役というポジションにいる父は、心が休まる気がしないと笑顔で泣いていた。
今年の招待客である馬場鎌三社長とその息子の藍染さん、女医の神藤理兎子さんも、二階の客室に戻っているみたいだ。漫画の締め切りが近いと焦っていた双月ねこ助さんも当然、小島にある「家」に帰ってしまったのだろう。
もう夜も遅くなってきたとは言っても、変な感じだ。親戚の家に遊びに行ったときは、日付が変わる前まで騒いでいたから。わたしはすぐに寝てしまったけれど。
冷蔵庫の中を睨んでいる母に、思ったことを率直に言うと、
「それはねぇ、今はクールタイムなの」
「何それ?」
「んーと、今のうちにお仕事を片付けたり、お風呂に入ったりすること、かな」
「ふーん……?」
分かったような、分からないような気分だった。でも母の仕事の一つが、森岡くんにお布団を渡すことだったというのは理解した。
私は部屋に戻ることにした。
パジャマには着替えていたので、ベッドに潜ってお気に入りサイトの動画を再生する。毎日一本は動画を挙げる主義のグループなので、チェックは欠かせない。
それが終わると、いくつかのSNSの通知を確認する。面白いと思わなくても、リア友にはいいねをしておくことが大事だ。
それから父に入会してもらった動画サイトでドラマを見た。最新作で、ヒロインの片思いの行く末が気になって仕方がないけれど、良いところでクレジットが流れて予告になった。来週も絶対に見ようと心に誓う。
そんなこんなで、ナイトテーブルに置いてある持参したネズミーマウスの目覚まし時計に目を向けると、もう十二時前になっていた。
あまり眠くないけど(きっとスマホ画面を見すぎたせいもある)、スマホを充電器に置いて、照明を消して布団に入った。もこもこの布団が温かくて心地いい。これなら暖房を消してもいいかも、なんてことを考えながら、私はいつの間にか眠りに落ちていた。




