僕の大切なジョールジャーへ、君の帰る場所になりたいテルバより
国同士で交わす書状なら本当にたくさん書いたけれど、誰かに出す手紙を書くのは初めてなので、今、書きながらとても落ち着かない気分です。
君と初めて出会った時、まだ僕と君は敵同士でしたね。
あのときの僕は魔界の軍の小隊長。君は聖導院の聖女様でした。
初めて会った時の僕は、きっと大層怖かったろうと思います。まだ12歳だった僕は幼くて、ひどく思い上がった嫌なやつで、そのくせ怖がりで、怖いから誰かを脅かすことに躍起になっている、そんな奴でした。
聖導院の軍は魔族の腹を裂いて臓物を引きずり出したあと、治癒魔法を半端にかけて苦しむ姿を見せ物にするとか、そんな話ばかりを信じて、自分こそはそんな残酷なことをする連中を根絶やしにしてやるのだと息巻いていました。自分の了見が狭いだとか間違っているなんてちっとも考えていませんでした。
あの戦争……結局あの恐ろしいキナバリスの濃霧※¹で、開戦前に敵も味方もばらばらに瓦解してしまったイスガリアの、あの赤い闇の中、君がまじない歌を歌っていたことを昨日のことのように思い出します。本当に優しい、綺麗な声だった。そしてそれは今でもずっと変わっていません。君の歌が僕は今でも大好きです。
赤い濃霧で自分たちがどちらを向いているかも分からない中、聖都軍からはぐれた君をたまたま僕たちの小隊が見つけたのです。
始めは根拠もない嫌悪のもとにお互いを疑って、でも、あの赤い濃霧をどうにか抜け出そうともがくうちに、君も一人のヒトだとみんな気が付いたのです。魔族の腹を裂く人間と、それを喜ぶような人間は本当にごくごく限られた人たちで、君は僕たちの小隊が本国へ帰れるように、あの赤い霧の毒を祈りで打ち消し、心を鎮める歌を何度でも歌ってくれました。
多分もう、その時には、僕は君をただの女性だとは思えなくなっていたのだと思います。一目惚れでした。ただ目の前の痛みと苦しみを和らげることに一心に尽くす君の姿が、その表情が、声と仕草のひとつひとつが、忘れられなくなっていました。
イスガリアの惨劇以来、戦争にはみんな及び腰になりました。憎しみが消えたわけではなかったかも知れませんが、それでも戦争でない形で魔界と聖導院が接触する機会が初めて生まれました。
僕は、ごめんなさい、王族としてこんなことを言ってはいけないのですが、ただ君にもう一度会いたくて、スプルスの街で行われる交渉の交渉人に真っ先に名乗りを上げました。お父さまにはもうその時、うすうす君のことは気付かれていたようです。今となっては笑い話ですね。
そして運命の巡り合わせがありました。君が聖導院の代表のひとりとしてスプルスの街に来てくれたのです。スプルスの朝市で君を見つけたとき、どれほど嬉しかったか。君が僕のことを覚えていてくれて、僕は父上からの王命を忘れそうなほど、嬉しくてこそばゆくて。あの時君を困らせていたら、今ここで謝ります。ごめんなさいあの時はしゃいでしまって。聖導院の所属として来ていた君が後で聖導院のシスターやディオニシアス猊下に咎められるかもしれないことをすっかり忘れていました。
そしてあの街で、僕は君のことを、本当の意味では何も知らないことを、痛いほど思い知りました。
聖導院の聖女様は、ヒトである前に奇跡の触媒として扱われ、あらゆる毒や呪いをその身に引き受けねばならないという事実。君はご両親の顔も見たことがなく、聖導院のために自らを犠牲にするよう人生のすべてを強いられていました。
会議の後の夕食会で、魔族殲滅の大義名分を得るため、自作自演の毒殺を仕組まれ君は毒を飲まされてしまいました。僕も気がつかないまま毒入りのワインを飲んで倒れました。
驚いたことには君は元から、聖導院のシンボルたる聖女様が毒で倒れぬように、幼い頃より様々な毒を与えられ毒に耐える体を作らされていました。放っておけばすぐに死ぬ僕を、君は自身も毒に侵されながら、外から肺臓を動かして呼吸を助ける魔法をかけて、自分の分の解毒剤までも使って、一晩中助けてくれました。
僕は後で詳しいことを聞いたとき、君も毒を飲んでいたことを知って血の気が引きました。助けられておいて実に身勝手な話ですが、あの時もしも、君に二度と会えなくなっていたらと思うと今でも恐ろしさで身体が震える心持ちがします。
自分の命を後回しにしてまで、誰かを助けることは、もうあれきりにすると約束してください。僕も君の言う通り、王族だから国のため死ぬことは当然だなどと考えることは、もうしないと約束しますから。
あのあと、体力が戻るまでの何日間か宿屋から動けなくなった僕たちは、スプルス名所の甘露の大井戸の前で、お互いの身内に睨まれつつ、はじめて魔族と人間とではなく、ひとりのヒト同士として話しましたね。
君は思ったよりも普通の女性で、そして、思ったよりもずっとずっと素敵な人でした。スプルスの山腹に咲く太陽の百合の話はその時にしてくれたんでしたね。うっかり、君によく似合うだろうなんて口を滑らせて、君の見張りに来ていた猊下を卒倒させてしまいました。未だに猊下からは君と僕の一件で心労止まず、すっかり禿頭になってしまったと嘆かれます。お詫びに贈らせていただいた出来の良い鬘は、愛用してくれているとのことで、喜ばしい限りです。コルデンに用意させて頂いた別荘も、全て猊下への御礼として建てたものですから、※²冬病みの療養や、大教導師の任を全うされた後の住居として大いにご活用ください。
話が逸れました。スプルスで過ごした何日間かのあと、正式に国境も定まり、ブリガント山嶺領はちょうど聖都と魔王国の中間地点として、人間と魔族とどちらのヒトも交流し暮らせる領地となりました。僕と君がキナバリスの赤い霧から生き延びたあと、人間も魔族もひとまず殺し合わないで生きられる世界を望んでから5年あまり。踏み出したこの一歩は大きいと信じます。
そして、長々と書きましたが、ここからが本題です。
聖王国は聖女の慣例を改革するそうですね。きのう魔王国にも正式に伝令が来ました。今まで一代につきひとりが担っていた重責を、地域に分け8人で分担、過度な行動制限も、子どもの頃から課されていたおぞましい毒物への慣らしもなくなりますし、聖女の役を降りてからの選択も、教会のマザーになると定められていた決まりがなくなって、結婚や就職が許されるようになるそうです。
ジョールジャー。君さえよければ、2人でスプルスの山へ、太陽の百合を見に行きませんか。僕はスプルスで君と話したときから、君と2人でそれを見たいと夢見ていました。夏風に揺れる太陽の百合の野原を君と歩きたいんです。
そうして聖女の任期が終わったら、どうでしょう、僕と一緒になってはくれませんか。選べるところの少ない僕の人生の中で、これだけはわがままを通したいんです。ともに生きるヒトは、ジョールジャー。君でなければ嫌なんです。我ながらひどいわがままを言っている。でも、本気です。愛する人とともに暮らしたい。それが僕のいま願う全てのことです。
お返事は急ぎません。今は冬の真っ只中で、僕は魔王国とブリガント山嶺領のお仕事が※³5月の草焼きの季節まで続きます。僕の気持ちは気持ちとしても、いちどよく考えて、君自身の考えと言葉を貰えたら、それが1番のお返事です。君のことを想いながら待ちます。君の新しい居場所になりたいただの男、テルバ・ヴァサントより。
追伸:一緒に送った小箱の中身は、木でできたウスバネドリの人形です。ネジを巻いてみてください。羽ばたき、歌うこともできます。君のところにもたくさんの幸運を運んでくれるよう心から祈っています。
※¹その年発生した天災のこと。後の調査で、はるか遠い土地で火山が大噴火し、その硫黄などを含んだ煙の一部が低く垂れ込めたものであったことが判明した。
※²現代の世界におけるビタミンDの不足や、季節性の冬季うつ病、野菜の摂取量が少なくなることによる壊血病の初期症状などを総称して冬病みと呼ぶ。経験則として南方で療養し、日光浴をし、新鮮な野菜をふんだんに食べることで解消することが聖王国、魔王国のどちらでも知られている。
※³5月の草焼き。去年作った野菜の残渣や、去年生えた雑草を焼き払い、ヤナギなどの種から芽吹いた芽を殺して、農地が森に還ってしまうことを防ぐ。その年の畑仕事の始めとして、風物詩としても有名。




