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りゅうこつ座η星の火葬

作者: 夏代唯
掲載日:2026/01/15

憧瑠(どうる)。これが宇宙一危険な星だよ。」

しわくちゃな手の甲、小麦色の肌の色。人差し指が示した先には望遠鏡があった。円状の筒に詰まった星の正体は星雲に包まれたりゅうこつ座η星である。宇宙の時限爆弾であり、周りに危険を及ばす存在である。当時の無知な私は正体を理解できなかった。しかし、虚空に浮遊する高温の炎に見惚れていた。眼前の透明な壁が手を伸ばすことを拒んでいたため、熱に触れられずもどかしさを感じたのを覚えている。

祖父は会うたびに星の話をしてくれた。好奇心旺盛な私にとっては興味を掻き立てられる話だった。母と父も、私のことを祖父が世話してくれているため、遠くから安心したような目で互いの話に花を咲かせていた。

私の人生の中で一番輝いていた幸せな思い出だった。でも、幸福は長くは続かないという常套句がある故に続いたりはしない。今思うと、思い出は流れ星のように一瞬で隕石のような質量を保っていた。

祖父は肝臓が悪かった。毎日のように酒を浴び、一緒に寝た布団の中はいつも酒の匂いが残っていた。私は臭いに不快感を感じながらも、隣で安心したように眠る祖父の顔が酒について咎めることを許してくれなかった。当然のことのように、医者からも母からも怒られていたが、祖父はいつもヘラヘラ笑って逃げていた。だから、余計二人の怒りの温度を上げていた。

医者からは、病室での療養を推薦されていたが、病院はカーテンによって星空が見えなくなる。そのため嫌がり駄々をこねて自宅療養にしてもらっていた。

そんな祖父であったが、最終的には自身の意思に反して病室で生を終えた。当時の私は五歳という幼い子供だった。衝撃的な出来事として記憶に残留しているし、最初の頃は涙で瞳を濡らしていた。周囲は祖父の死を仕方がないと受け入れていた。しかし、成人した今でも祖父の死を受け入れたくない自分がいることもまた事実であった。


祖父が他界してから、私は祖父のお古の望遠鏡を手に毎晩空を見上げている。二十二時という両親が寝静まり邪魔が入らない時間帯に天体観測を開始する。何気ないひと時だが、祖父を亡くした私にとっての救いである。二時間程、無気力に筒を除いていると眠気が襲ってくる。そうすると、私は自分よりも柔らかい感触に包まれて、眠気に争わず瞼を閉じる。

望遠鏡が手元になかった過去の数週間は、布団に入っても寝付けず呪文のように星の名前を唱えていた。当時は、祖父の死とトラウマになった事件も相まって怖くて仕方がなかった。だから、私は十五年も祖父の望遠鏡で天体観測を行うことに依存している。天体観測以外に趣味は見つからず、星以外は無知であった。星に対して一途という言葉は聞こえがいいが、ただ私の中に星しかないだけであった。危機感は感じていた。心の中の真っ暗な空間に支えが一つしかないのは心細いとも感じていた。


「憧瑠!朝ご飯できたわよ!降りてきなさい!」

眠りについていた意識が母の言葉で浮上する。気怠い体を無理やり起こし、母に怒られる前に階段から下に降りる。一階に着くと台所で朝食を用意している母がいた。

「おはよう。ご飯の準備手伝ってちょうだいな。」

母から言われた通りに準備に取り掛かる。しばらくすると父が二階から降りてくる。家族はテーブルの定位位置に付き、いつものように食前の挨拶をする。父はテレビを視聴しながらご飯を食べ、母は私に語りかけながら箸を進める。

観測しがいのない朝の支度を終えると、大学に向かう。単位を落とすと母に怒られてしまうため普段通りに講義に出る。そして、講義を乗り越えるとサークルに訪れる。私が参加している少人数のサークルは星に関しての話を主にする。たまに、サークル内で天体観測を行いに展望台やプラネタリウムに行くくらいで、緩いサークルである。私は展望台やプラネタリウムに参加することはなく、家に帰りたくない時間を潰すためにサークル内の仲間の話を聞いて過ごしている。

「あ!先輩!こんにちは!」

サークルの扉を開けようとした際、後ろから声をかけられた。振り返ってみると、私になぜか懐いている新田風都がいた。

部屋の中では、すでに私たち以外部員が揃っていた。みんな仲良く話に花を咲かせていた。隅っこの空いている椅子に座ると、隣に座った新田が話しかけてきた。

「先輩!地下アイドルとかって興味あります?チケットを知人に貰ったんですが、なにせ枚数が多くてたくさん余ってしまったんですよ。だから、先輩も一緒にライブを見に行きませんか?」

星で埋め尽くされた人生だったからライブの話には縁もゆかりもない。この機会を逃してしまえば行くことがないことは容易に想像できてしまう。でも、一抹の興味だって湧いていないのだから、もっと相応しい人に譲るべきではないだろうか。

「まぁ、答えは聞いてないんですけどね〜ということで、駅前のクラブ前に十七時集合で!絶対来てくださいね!」

私が強制でなければ、参加しないことを新田は理解していたのだろう。有無を言わせない速度で話を切り上げ部屋から出ていった。新田はいつも忙しそうにしているが、私を見かけるたびに話しかけてくる。目的は理解できない。だから、新田に対して恐怖と苦手意識をいつも感じている。

本音を言ってしまうとライブには行きたくない。地下アイドルのライブの事を母に説明しなければならないし、承諾を得なければいけない。もういっそのこと母から断られたという程で、行かない手段をとってしまってもいい。


「先輩!こっちですよ!」

集合場所に向かうと、同行者が新田以外にもいた。

「ようやく全員揃いましたね!こちら私と同じサークルの先輩、綾辻憧瑠さんです。」

新田は私の紹介をした後、今度は私のために彼女の友人を一人一人懇切丁寧に教えてくれた。私から見て一番右にいるのが樫原彩理。新田と同じ大学一年生であり、授業内で意気投合したらしい。二番目に柏木雄。年齢も性別も違うが薬関連で話が合うらしい。最後に赤坂仁。同じく年齢も性別も違うが、バイト仲間で気が合うようだった。ざっと、寿限無のような他者紹介を受けた。そのため、頭が大混乱という結果を迎えてしまった。事前に同行者が多数いるという情報は聞かされていなかったので、報連相はしっかりしてほしい。団体でライブ会場に行く必要性なんか皆無だ。異議申し立てたい。

会場に向かうと、客は私たち以外いないようで閑散としていた。私たちは当然のことのようにステージ前まで移動し、アイドルが出てくるまで和気藹々と会話を弾ませた。

私たち以外の客がいない状態で音楽は鳴り始めた。上手から出てきた人影はたったの一人。桃色でフリフリのドレス、スカートは膝まで、袖口は肘の少し上まで。桜色の少しだけ厚底の靴。桜色のシュシュでツインテールを着飾っている。まさしくアイドル。

星みたいにキラキラ輝いて、アイドルとして壇上に立つのが死ぬほど楽しそうだった。客もアイドルに釣られて腕を振り上げ、楽しさを伝播していた。上手から少しだけ見えたスタッフも微笑ましそうにアイドルを閲覧していた。会場にいる誰からも悦楽の授与を願望され、本人も願いを許容していた。まさしく星。

いつの間にか私は天体観測を行うが如く、顔を上げていた。

「楽しかったですか、綾辻さん。」

アイドルが壇上から去っても、私は顔をそのままにして余韻に浸っていた。周りにいる同行者たちは楽しかったやすごかったなど地下アイドルへの評価を口々に並べていた。そんな中、隣にいた樫原は私に話しかけてきた。

「ライブの間、視界に入ってきた綾辻さんの目が星みたいにキラキラして見えました。よっぽど楽しかったみたいですね。」

「違う。」

私は星になった祖父でも星のように輝いているアイドルでもない。私はこの会場に母からの断りも入れず無断で参加した。卑怯で卑屈でどうしようもない人間であった。だから、私を星のように例える行為は好ましくない。むしろ、皮肉に近い言葉であった。

苦痛も恐怖も滲ませた弱々しくもしゃがれた声は祖父が死んでから、初めての産声だった。そして、トラウマの出来事から初めての能動的行為でもあった。

祖父が他界する前、私は好奇心旺盛で行動力も備わった子供であった。友達も多く幼稚園では人気者。慢心したツケが訪れるのも誰もが納得するだろう。

私が木登りに好奇心を感じ、友人と共に木に登っていた時のことだった。木から木へと飛び移ると、後ろからドスの効いた低音が聞こえてきた。反射的に振り返ってみると、打ちどころが悪かったのか、彼の頭の周りが真紅に染まっていた。即座に鼓膜を劈く悲鳴が飛び交った。以降の記憶は断片的で覚えてはいない。

その後、母に叱られた果てに「気持ち悪い」と、ブラックホールのような目で罵倒を浴びせられたことを明確に覚えている。自分に対しての失望感と恐怖が体内を巡り、体から感情と意見が崩れ落ちた。前髪を長くし、誰かの足元を見ながらこれまでの日々を過ごしてきた。

星さえももう見ていたくない。十五年間、星になった祖父を探しても見つけることはできなかった。もう希望を持っていたくなかった。

私は早足で会場を後にした。動悸がする。祖父と最初に見たあの星々に抱いた興奮。天体観測中に生じる虚無感。離れ離れになった星へのノスタルジー。引力を持たない言葉が互いを弾きながら浮遊する。

街の街灯も住宅のご飯の匂いも無視して踵を鳴らす。どこに向かうかもわからず、ただ盲目的に進んでいた。

「綾辻さん!待ってください!」

後方から新田改め樫原、柏木、赤坂の音が近づいてくる。私は反射的に振り返り即座に後悔した。

「綾辻さん、すみません。私の言動がお気に召さなかったようなので、謝りたいのです。本当に申し訳ありませんでした。」

初対面の人に謝罪を言わせてしまった。罪悪感と共に湧き出るは太陽の熱に似たものであった。私は樫原に顔を観察されないようにさらに下を向いた。自分が嫌い。余計なことしかできない無能な人間である。いや、人間ですらない。

私が樫原の言葉に対して輪郭のない思いを抱いているのは確かであった。しかし、樫原にとって意味のわからないことであり、どうでもいいことである。今日、会ったばかりの人間にここまで追いかけて謝る義理などない。

「どうか。これからも交流を続けてはくれないでしょうか。また、今日のようにみんなで集まって楽しいと思うことをしたいのです。」

私は耳から受動的に混入してきた言葉に疑問の答案を導き出した。彼らは新田の友であった。向上心が強いばかりか、相手にも向上心を求め成長させようとしてくる献身的な集団であった。だから、彼らは私を追いかけて謝罪したのだろう。このままでは、自分たちは到底納得などできないから、天動説が主流の中で地動説を説いたニコラウス・コペルニクスのように自分の信念のために動いたのだろう。彼らを見ていると、私は惨めな気持ちになってくる。私は彼らと同じ生き物ではない。

私はまたもや歩き出した。居た堪れなくなったというより空間が私を拒絶していた。地上にて今も輝く星に向かって全てを無視して歩き出した。彼らを横切る際、柏木と赤坂が否定と名残惜しさを含め私の手首を掴もうとしてきたが、気づいた新田に静止させられていた。

私は母からも新田たちからも逃げている。逃げ癖がついて、沼から抜け出すことができない。卑怯な私に救済はない。自分が嫌いだ。

長時間行動していたため、体は疲弊し足は一寸も動く気力が湧いてこなかった。駅付近のシャッター街の一つに腰掛ける。天空のシャッターも、もう降りて営業を終了させていた。

「あれ?綾辻さん?」

偶然かはたまた必然か。星が頭上で私を観測していた。希望は私を見捨ててはいなかった。助けてくれるなら手を取ろう。そして、私を星によって炎の薪にくべてほしい。

「こんな所で何をしているの?新田ちゃんたちは?」

私は星の手を掴み取ろうと体に力を込めた気がした。大丈夫?と言われ、ようやく自分の限界を見た。服は袖がヨレ、手はささくれがひどく骨張っていた。可視化できる限界も可視化できない限界もとうに超えていた。諦観と呆れが瞼を下げるようとする。

すると、星は私と肩を組んでゆっくりと進む。家の所在について聞かれ、つっかかりもなく住所を答えた。

「生きてね。」

静寂の中、告げられた言葉は世間ではありきたりであったけれど、私は初めて聞いたものだった。言葉は昔見た星雲の温かさを内包していた。熱は祖父の布団の温かさと似ていた。私もあなたも新田たちも両親も生きている。衣服から伝わる熱も動く体も生きている証明である。

十五年という時を経て、私が探していたのは星ではなく熱という名の動力だったと気づいた。昔から、根本に生きていたいと星を抱き、行きたい理由に相応しい言い訳を探していた。自分がどれだけ嫌いでも、生きていたい。まさに、何千年も意地汚く生きてきた人間のようだった。私は人間だ。

「うん。」

アイドルは私の家のチャイムを、安堵を込めて鳴らした。ガチャリ。

「憧瑠⁈あんた今まで「ただいま」・・・」

母と父は私の言葉に数回瞬きを繰り返すと、互いに顔を合わせた。十五年前より皺が刻まれた顔で微笑みながら言った。

「「おかえり」」

星は人工の灯りの中で火葬された。


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