エピソード3 嘲笑の聖王妃 その2
北のノースランド王国は、聖教国をぐるりと取り囲む高い山々が北方向へ遥か向こうの濃い瘴気に飲み込まれた黒々とした深い森林が延々と広がり黒い毒川を何本も越えた先の、拓けた大地と荒々しい北の海に挟まれた冷涼な場所であった。
大地は広いが、人が住める場所は年々瘴気に飲み込まれて減り続け、聖女召喚が目前に迫る世紀末である頃には、ノースランド王国の三割しか無くなっていた。
気候も深い雪に覆われる長い冬の為、食物の実りも少なく国民の顔色は一様に暗い。
海から採れる海産物とその加工品が貴重な食料だが、毒川から灌がれる瘴気を含んだ水が海洋生物も魔物化させるので、漁に出るのも命がけであった。
厳しい環境の中、厳しい身分制度と魔力偏重主義が特徴の閉塞的な国柄であった。
王妃であるクラリスは、クラリス・ハーパー公爵令嬢として生を受けた。
父の曾祖母が王妃として嫁ぎ、数年後に、二人産んだ王子のうち弟王子であった祖父を連れてハーパー公爵家に出戻りして後の公爵に据えたと言う、王家と非常に深い縁のある家柄であった。
ハーパーと言う通りハープ奏者を祖に持つ家系で、かつての何れかの聖女をその音色でお慰めして聖女の血を家門へと受けついた、と言われている。
故に、王家に娘を嫁にも出すし王家から婿も嫁も娶ってきた為、最早どのくらい王家と血が近いのかさえ判らぬ程。
瘴気に飲み込まれる大地を目の当たりにしているため、聖女召喚を成し遂げなければ国が滅ぶのは疑いようも無く、魔力を教会へと寄付することは貴族の最優先課題であった。
聖女の血を受けた魔力の強い男女の子はその資質を引き継ぐ傾向にある為、何度と無く交わった結果、ノースランド王国には子が出来ない貴族家が多くなってしまった。
聖教会は一夫一婦制を掲げているが、子が出来ず、魔力を持つ者が増えれば先は無いと、目を瞑り、魔力のある者に限り子がない場合は側室を娶るのも暗黙の了解であり、王族に限っては魔力の強い子が生まれるまで、何人でも妃を抱えた。
貴族であっても同じような者で、家を継ぐ魔力のある男児は必須、更に聖女の器たる光属性の女児は出自がどうあれ、国としての威信をかけて用意しなければ為らない者であった。
さて、クラリスは公爵令嬢で母は元王女だったが、もちろん父との間に子は為せず、王宮から連れてきた伯爵令嬢であった侍女の腹から生まれた。
産みの母は、その後、元王女の護衛騎士へ下賜されて行った。
クラリスが生まれた時代は、聖女召喚の年が迫る頃であったから、光属性の女児が生まれた奇跡にノースランド王国は熱狂に沸いた。
まあ、それは、クラリスが7つになり北方聖教会で魔力測定を行った時であったので、それまでは公爵家の別腹生まれの女児としてひっそりと養育されていて、そのまま聖教国の修道院に連れ去られ、急に清貧を押し付けられたクラリスには伺い知らぬことであったのだが。
そう、クラリスは公爵家の娘として7つ迄は衣食住は与えられていたが、だからと言って特別に可愛がられては居なかった。
両親と会うこともまれで、乳母と専属メイドと老齢の執事と護衛と公爵家の敷地の奥に建てられた別邸でひっそりと養育されていたが、聖女の器たる聖巫女に選ばれてからはその衣食住すら取り上げられ、タバタと同じ清貧と孤独と自己犠牲の精神を一方的に押し付けられた孤独な少女時代を過ごしたのだった。
それは突然のことであった。
21歳になり、骨の髄まで聖教会の教えに洗脳されていたクラリスにノースランド王家から迎えの馬車がやって来て、驚いているクラリスに説明も無く、馬車に押し込められて王宮へと連れ去られた。
着ていた木綿の神官服を剥ぎ取られ、たくさんの女官に風呂に入れられ、マッサージをされ、初めてコルセットを付けさせられドレスを着させられた。
顔に粉を塗り込められ、髪を高く結われて、重たい首輪と耳輪を付けられた。
踵の細い高い靴を履かされ、グラグラと足首が揺れて歩くのもままならないのに、無言の圧力で長い廊下を無様な姿で歩かされて、連れていかれたのは、豪華絢爛な応接室。
そこには二組の中年の男女がソファに座っていた。
手を引かれていた年嵩の女官に小声で、
「挨拶を」
と言われて、確か幼い時に教わったカーテシーをしなくてはいけないと、ゆらゆらして整わない姿勢で不格好に頭をさげた。
「よい、こちらへ」
そう言われて、また女官に手を引かれて腰かけると、
「今、お主と王太子との婚姻の書類の記入が終わった」
そう告げられた。
向かいの席に座っているのは、ノースランド国王陛下と王妃殿下で、自分の横に座っているのが、両親なのだろうと思ったが、誰も何も説明をしてくれなかった。
説明などクラリスには必要無いとその場の全員が思っていることが分かった。
クラリスに先ほどの女官がペンを渡してきたので、示された場所にサインしただけ。
「これにてお主は王太子妃となった。早く子を為せ。世継ぎは既に二人居るので、お主には光属性の女児を産んで貰わなければならない」
そう国王に言われて、その場はお開きになった。
「きちんと役目を果たすのですよ」
初めて声をかけられた隣の席の女性が元王女の公爵夫人、義母なのだろう。
「はい」
目線を下げて、小さく返事をして散会となった。
それから、また長い長い廊下をあるかされて、人気の無い奥まった部屋で夜伽の仕度をたくさんの女官にされ、薄い夜着を纏わされて寝室へと連れていかれた。
薄暗い室内に甘い香が漂っていた。
長い時間、ベッドの上で待たされ夜半過ぎに乱暴に扉が開かれた。
「私が王太子であるアレンだ。お前は王太子妃であるから後に王妃となる。
しかしお前では満足な挨拶さえ出来ないのだから、お前はこの離宮で子を産めば良い。
産むのは女児だ、光属性の女児を産むのがお前の使命である。
既に私には側妃が王子を二人産んでいる。先に嫁いでいる妃が側妃というのもおかしいが、聖巫女であったお前が聖女の器の役目を果たすやもしれぬ状況で、私が婚姻せずに子がない状況では居られなかったのでしかたがない。
その点元侯爵令嬢であった側妃は理解があるからな、お前のことにも寛容である。お前は自身身分を公爵令嬢などと傲ることなく、お前の産みの母は伯爵家の出なのだから、そこのところを良く慎んで、側妃を敬うように。
もし男児が生まれたならば王位継承権は持つがハーパー公爵家の養子とすることが決まっている。お前の子でこの王宮に残すのは女児のみだ、忘れるな!」
顔を歪めて憎々しい言い草でそう告げた夫は、荒々しくクラリスをベッドへ押し倒すとクラリスを気遣うことも無く事に及んで、違和感を感じた瞬間、あっという間に終わった。
さっきまでの講釈の時間の方が長かったのではないだろうか。
固く目を閉じて、息を詰めていた時間が短くて済んだのは喜ばしいことだと、早々に部屋から出ていった夫の背中を見ながら思った。
そう言えば、昼間見た国王にも王妃にも似ていない王太子は、側妃腹なのだろうか。
そんなことを思っていると、あの女官が入ってきて、乙女の証を確認すると、クラリスを風呂に連れて労ってくれた。
「殿下、ご苦労様でございました。これから一ヶ月お身体をお大事になさって下さいませ」
その言葉は、正しく職務に忠実な言葉であったけれど、クラリスが聞いた随分懐かしい優しい声かけだった。
「はい。ありがとう」
クラリスはそう答えて、湯に浸かり、ほうと長い長い息を吐いたのだった。




